20130418

「(…)私は愛にとらえられていながら、だれを自分が愛しているのかわからない。私は忠実でも不実でもない。私はいったいだれなのか? 私は自分で私自身の愛のことがわからない。私は愛に満ちた心をもち、が同時にその心は愛のために虚ろなのだ」
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「フェリード=エド=ディーン・アッタール」)

 あなたのもつすべてを火のなかへ投げこむがよい、靴にいたるまで。なにひとつあなたのもつものがなくなったら、屍衣にさえ思いを向けずに裸で火のなかへ身を投じるがよい……。
 あなたの内部のものが断念のなかでひとつに集められたなら、そのときあなたは善と悪との彼方にいるだろう。善も悪もあなたにとって存在しなくなるだろうとき、あなたははじめて愛するだろう、そしてあなたはついに、愛のわざである救いにふさわしくなるであろう……。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「フェリード=エド=ディーン・アッタール」)



11時起床。クソ長々とブログ記す。なぜ会話のいちいちを書き留めないと気がすまないのか?宇宙に進出した五千年後の人類に失われた蒼き惑星ガイアの風俗を伝えるためである。15時過ぎより『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』開始する。18時にいったん切り上げて図書館へむかい、ニーナ・シモンを返却してサラ・ヴォーン細野晴臣を借りる。生鮮館で買い物をすませて帰宅。筋肉を酷使し、夕飯をかっ喰らい、安らかな仮眠をとったのち、Duoる。Duoり終えたところで23時、熱い湯を浴びる。それから瞬間英作文の続きにとりかかる。とりあえず中学一年レベルというpart1を通してやる。やりつづける。気づけば3時。いともたやすく一日が終わる。この月曜日からきょう木曜日にかけて一日24時間のうち23時間は自室で過ごしている。
計画の目処がたってきた。まずDuoは頭から尻までまいにち必ず通しでシャドーイングする。これはやつが来るまでの90日間まいにち続ける。瞬間英作文は一日につきパートひとつ分こなす。5日か7日かまいにち繰りかえして完全に定着したところで次のパートに移る。そうすると7日換算でも三週間あればこの一冊が終わることになる。終わったら次の一冊にとりかかる。Duoと瞬間英作文、基本はこの二本柱だ。余った時間はご褒美としてのMansfieldタイム。勉強ってやつは時間よりも分量計算でわりふったほうがじぶんには相性がよい。早く終わらせれればその分だけ自由時間が確保できるのだというご褒美志向のおかげでだらだらせずにすむ。同じ分量を早くこなせるようになるにつれてじぶんの能力が向上していることを実感できるのもいい。
執筆の時間を確保するのがむずかしいかと思ったが、今日は起き抜けからクソ長いブログを書いてしまったから時間をロスしてしまったけれど、そうでなかったら二時間は確保できたはずだ。というわけで問題ないだろう。フラストレーションはかなりたまってきているが、耐えられないほどではまだない。
これはきのうの話なのだけれど、辞書で単語を調べているときに、affectionが「愛情、行為」であり、affectで「影響する、感動する」であることを知って、これはすごく面白いと思った。ドゥルーズのいう情動ってたしかaffectとつづられていた気がするけれど、力の衝突、諸力のたえまない折衝、関係を巻き込むおおうず、それらすべてのニーチェ的な善悪の彼岸にある力をして愛(情)と呼びならわしてしまうこのラディカルな感じというのはなかなか潔くて強気で好きだ。そういうことを考えていると、『バガボンド』のなかに「ああ、おれたちは抱き合うかわりに斬り合うんだ」みたいなとても印象的なセリフのあったことを思い出した。このセリフはたしか作者じしんもなんでこんなのが出てきたのかよくわからないとどこかで語っていた記憶があるのだけれど、あらたに更新された愛の概念を参照してみるといっきに腑に落ちる(そしてこの愛は冒頭に掲げた引用の二番目のものともぴたりと一致する)。
中学生か高校生のころかもう忘れてしまったけれど、missという一語が「さびしい」ではなくて「〜がいなくてさびしい」という意味であることをはじめて知ったとき、なんてニッチな意味を有する語なんだろうと驚くと同時に、こんな語を発明せざるをえなかったヨーロッパの歴史に感傷的になったことを思い出した。
睡眠時間もうちょっと削ろうかな。気絶の一件を契機にやめてしまったけれど、ここらでもういちど4〜5時間に切り詰めたい。そうすれば1〜2時間かせげる。このかせぎはでかい。それに以前のじぶんとちがっていまはけっこう頻繁に身体も動かしている。自律神経の不調にも栄養失調にもいまならたぶん勝てるだろう。