20130417

 アラファート巡礼月の祭のさいに彼は語った、「おお、愚かな者たちに道を示されるかたよ!」そして彼は、すべての人びとが祈っているのを見ると、ある丘の上に登って人びとの姿を眺めたが、人びとがみなもとの場所にもどったとき、自分の身を打ちたたきながら叫んだ、「崇高なる主よ、あなたが純なるかたであることを私は知っています。あなたは賞賛する者たちの賞賛に汚れず、賛美する者たちのあらゆる賛美、思考する者たちのあらゆる思考に汚れることなく純であられます。わが神よ! 私にはあなたを賞めたたえるという義務が果たしえないことを、あなたはご存じです。私にかわってどうかみずから自分を賞めたたえてください、それこそが真の賞賛なのですから。」
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「フサイン・アル・ハッラージュについて」)

「神を探し求める者は、懺悔の影のなかに、神に探し求められる者は、無垢の影のなかに坐っている。」
「神を探し求める者の走行は、神の啓示に先立って駆け、神に探し求められる者の走行は、神の啓示によって追いこされる。」
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「フサイン・アル・ハッラージュについて」)



10時半起床。きのう一昨日あたりから首の調子がよろしくない。うつむくと右の脇の下あたりがびりびりとしびれるような感触がある。頸椎症。根本的に治療することはおそらくできない。これ以上わるくならないようにどうにか誤摩化し誤摩化しするのが精いっぱいだろう。みずから招きよせた病。
(…)からメールの返信があった。スカイプをブッチした一件についてはまったく怒っていない。執筆時間を減らして英語を勉強するというきびしい決断をくだした、夏までにはこちらの英語ももうちょっとマシになっていることだろう、こうやってきみに伝えることで退路を断つという意味もある、これでもうおれは勉強せざるをえなくなったわけだ、というきのう送信したこちらのメールにたいしてむしろクソおおげさな感謝と感動と讃辞が寄せられていた(今回のあなたの英文すごくスムーズでまっすぐで洗練されているから驚いたわ、と記されていたのだけれどいくらなんでもたかだか一週間かそこらの勉強でそう変わるもんじゃあないだろう)。英語って、婉曲とかほのめかしとか目配せとか、そういうのあるんだろうか。あるに決まっているだろうが、言葉のニュアンスや機微なんかをくみとり操るレベルに達するまでには気の遠くなるほどの時間がかかりそうだ。
12時より英語の勉強。Duoは飽きたので先日とどいた『新TOEIC TEST頻出1200語』なるものを進めることにする。TOEIC受けたこともないし受ける予定もまったくないが。学生時代、国際関係学部という学部柄か、TOEICはたしか全員受験必須だったように思うのだけれど、そしてそれにもかかわらず余裕でサボったのだけれど、おとがめなしだった。学生時代のクラスメイトたちはだいたいみんな英語か第二外国語かのいずれか(あるいは双方ともに)ぺらぺらだったのだけれど、いまになって彼彼女らの努力がよくわかる。こんなクソ面倒で退屈な作業をつづけるのは生半可な覚悟ではできない。語学学習のコツでも聞いておくんだった。遅刻者は九年遅れで彼らの後を追う。
16時半。いちど切り上げる。辞書を引いたり関連語句を検索したりしてテキストに書き込みをおこなっていた。例文を暗記したり付属のリスニングCDを使ってシャドーイングしたりするところまではまだまだいかない。TOEICというのはビジネス用の英語に焦点をあてているものらしい。ゆえにこのテキストにも経済用語なんかが頻出するのだけれど、(…)と経済について語った記憶などいちどもないというか、芸術と哲学と宗教とおたがいの身の上話ばかりしていたので、The steady upward movement of interest rates in the past two months isn't likely to continue.みたいな例文を見せられても、これがほんとうにあの英語なのかと思ってしまう。
郵便局にて兄に送る結婚式の写真を投函する。あやまって中央図書館に取り寄せてもらった資料を、ついでというにはいくらかの距離があるもののえいやっと踏ん張って回収しにむかう。ひさしくおとずれていない間に司書さんと高校生ボランティアが総入れ替えになっていて見知らぬ顔ばかりだった。帰りに生鮮館に立ち寄って買い物。移動中はずっとDuoっていた。部屋でやるよりも外でやったほうが気分転換になる。イヤホンを通して流れてくる英語に集中して耳をすますとケッタのペダルを踏み込む足の動きがとろっとろになる。はたから見たらヤク中のように見えたことだろう。
筋肉を酷使し、夕飯をかっ食らい、安らかな仮眠をとったのち、Duoの残りを片付ける。パソコンをたちあげると(…)がスカイプにログインしていた。話しかけるといま起きたばかりだという。寝起きの(…)は抜き身の刃物くらいやばいのでこれはかかわらないほうがいい。大学の課題がたくさんあって大変だというのでそれを理由にまた別の日にコンタクトをとるよと逃亡した。そのまま『1200語』のUNIT1だけを音読しリスニングする。初見の英文特有の抵抗がある。暗唱できるまでにはまだずいぶんと時間がかかるだろう。そういうものだ。Duoでも例文が頭に入るまでは苦労した。『1200語』をやりはじめたはいいものの、しかし語彙を増やすとかそんなことよりもまずはスピーキングのレベルを底上げしてライティングのレベルとそう変わらないところにまで持っていくのが先決なのではないかと思った。ゆえに『1200語』に着手するのはもっと後にしてひとまず『瞬間英作文シリーズ』をやろうと決めた。これはもう何年か前に英語を勉強しようと決意したときに購入したものだ。英語を勉強しようと決意したことはこれまでにたぶん三度か四度ある。いちどめは円町の一戸建ての二階ではなくすでに一階の部屋に寝起きしていた時分であるから、二三年前になるのか、と思ったらそうでなくすでに四年近く前になるらしかった(…)。ここでたしかつい先日もやりなおしたばかりのあの受験生時代のテキストをがっつりやりこんで、ひとしきり文法みたいなものを思い出し、それから(…)が受験生時代にやはり使用していたという熟語帳みたいなものをもらってそれをやりはじめたりしたのだけれど、わりとすぐ飽きた。それでいったん離れた。次にふたたび英語をやろうと決意したのが二三年前の話で、そのときにはたしか『英語耳』を買ってそれで発音記号の読み方やらなんやらをはじめて知って、じっさいに口に出して練習もした((…)さんに巻き舌の発音をからかわれたりした記憶があるので三人暮らし時代すなわち二三年前で間違いないはず)。そのときにカズオ・イシグロポール・オースターの原書をamazonで購入したのだったが、ほとんど読まずに終わった。その次になるといつになるのか、すでに円町の一戸建てを出て四畳半の牢獄に幽閉されて以降のことになるのだろうか、そのあたりちょっとはっきりしないのだけれど、いずれにせよ『Duo3.0』を買った。同時期に『瞬間英作文』も買ったはずだ。後者はたぶん一周か二周した時点でやめてしまったが、前者だけは超絶スローペースながらもなんとか続けた。出勤日(当時週三日)は職場でセクション1ずつ進めるみたいな方式をとっていた記憶がある。実質週にたった三時間の勉強でしかなかったわけだが、しかしこれをやっているのとやっていないのとでは大きく違ったんではないか、少なくともバンコクで出会った(…)とそのままいっしょに旅をつづけることができたのはこいつのおかげである。そしてその旅からの帰国後に四度目の決意をかためた。これは記憶に新しい。帰国後約一ヶ月にわたって実家に滞在し残暑を避けていたわけであるが、この間まいにち四五時間は延々とDuoをやりつづけていた。はじめて英語を勉強する強烈な動機に出くわしたということもあってやる気まんまんだったし、京都にもどってからもむろん続けるつもりであったのだが、クソいまいましいことに二勤二休という奴隷労働にみずからの身をゆだねることになってしまったため、根づきかけた習慣は根絶やしにされた。奴隷として働いたこの三ヶ月間のことは思い出したくない。というか記憶にロックがかかっていてあまりはっきり思い出せない。あるいはブログをつけていないので鮮明には思い出せない(非公開の日記はつけていたが、とんでもなく低いテンションでおざなりに書きつけられた不満と愚痴の二三行が一日ごとに手を変え品を変え披露されるばかりの、きわめて痛々しく苦しいものである)。本当につらかった。まともに小説も書けない本も読めないそんな日々のなかでは当然のことながら英語を勉強する時間などあるはずもない。(…)からのメールを大半無視した。時間があればいちどスカイプしてくれないかしらの誘いもすべて無視、無視、無視! ひどい話だ。ひとでなしだ。労働にたえきれず職場でぶちぎれたことが二度ほどあった。一度めは人員不足のために三連勤を要請されたときのことでおれはこんなとこで働くために生きとんちゃうぞ!!と同僚らの面前で吠えた。二度目は時間がない時間がないと憑かれたようにこぼしつづけるこちらにむけて(…)さんが執拗におれは今日18時あがりやけど(…)くんは20時あがりやもんな、あーうち帰ったら何しよかなー、(…)くんよりも二時間も余分に時間あるから何するか迷うわー、と子供みたいに茶化してきたときのことで、いま思えばほんとうにただの悪ふざけの域を出るものではないのだけれど、このときはキレた。ゆえにあからさまにケンカを吹っかけて((…)さんおれとどつきあいでもしましょか?ね?おれいうとくけど強いっすよ?ためしてみます?ねえ?)近くにいた(…)さんをひやひやさせるなどした。その後数日は(…)さんのことを完全に無視しつづけた。これといったきっかけもなく和解したが、あれ以来どれだけおふざけモードになっても(…)さんが時間ネタを持ち出すことはなくなった。おそらく(…)さん(…)さんあたりに時間のことだけでは(…)をいじるなとの指令が下ったとものと思われる。その(…)さんは当時のじぶんのことを完全に病んでいたというし、(…)さんは恐かったというし、(…)さんは見るからに様子がおかしかったというが、自己認識としては、完全に狂っていた。じぶんは仕事をしないことを選んだ人間なのではなく、そもそも仕事ができないたちの人間であるのだと完璧に悟った。もう、そういうふうにできあがっているのだ。労働社会なんてものはしょせん人工的な仕組みのひとつにすぎず、ゆえにその仕組みから弾かれる欠陥品が出てくるのも当然の帰結であり、その欠陥品の最たるものがじぶんなのだ。じぶんのことを社会不適合者だと自認するつもりなどさらさらないが、それでも心療内科か精神科にいけばおそらくその手のレッテルを思う存分いともたやすく獲得することができるだろう。だがいまや週休五日制だ。光がさした。正気にもどった。元気になった。毎日がとても美しい。これが週休七日制になったら美しすぎて卒倒してしまうかもしれない。時間がないと口にしている人間の大半はそのじつ時間がないことの本当の苦しみを知らない。この苦しみはじぶんだけにしかわからない。そういいきってやってもいい。あと1分を確保することはできるかもしれない、けれどあと10分を確保することはできないだろう、そういうきわきわのところまで時間を削った。にもかかわらず油断して愚痴をこぼせば、時間はじぶんでつくるものだとかみんな働いているんだとかいう見当ちがいも甚だしい抹香臭くて反吐の出るご高説がむけられるとくる。馬鹿野郎が。死ね。と、こうやって書いているうちに当時の憎悪がもろもろよみがえってくるようなところがあってこれじゃあいけない。健康によくない。ゆえに忘れる。臭いものには蓋をしておけ。なんなら上から釘でもうちつけておけ。そして地中深くに埋めよ。犀の角のようにただひとり歩め。
そんな生活をしていて不安にはならないのかとたずねられることが時々ある。不安におもうのはただ戦争の可能性だけだ。戦争が起これば徴兵される。あるいは外に出て働きにいくことを余儀なくされる。クソ忌々しい未来のおとずれだ。働きたくないから戦争に反対する。こう書くとまたしょうもないご高説を垂れようとする愚物がどこからともなくあらわれるかもしれないが、これは言い換えれば、国家の仕組みよりも個人の意志に重きを置くという尊大な宣言だ。自由のあられもない称揚だ。アナーキーインザミー。もはやだれにも従いたくはない。亡命の覚悟もとっくにできている。その可能性も含めての英語のレッスンだ。
0時。ジョギングに出る。かなり気持ちよく走った。おもてに出てみると花粉の減りつつあることがよくわかる。さすがにまだマスクなしでは外に出られないけれど、このままでいくとひょっとするとGWにはもう素顔のまま気持ちよく春の日射しをたっぷりと浴びて出歩くことができるようになるかもしれない。ようやくの雪解けだ。
風呂からあがって1時半、さて残る時間を「邪道」の作文にあてようかとPCを起動したところですぐさま(…)からyou back!とコンタクトがあったので、いまジョギングしてシャワーを浴びてきたところだ、これから朝方までかけて執筆する予定だ、と暗にコンタクトとってくれるなよと先手をうったつもりはずなのにそこはhyper selfishな(…)さんなのでかまわずちょっとだけおしゃべりしましょよときたものだから、もうだめだと観念した。それから4時半までぶっ続けでくっちゃべった。(…)の第一声はコンニチハー!だった。次いで、ゲンキデスカー!と猪木ばりの挨拶があったので爆笑した。そのあとにはイナバー!と意味不明な言葉がつづきなにそれとたずねるとあなた日本人でしょうというのでおれ日本人だけれどそんな言葉知らないよというと子供相手に両手で顔を隠して……と説明があったのでああいないいないばあのことかといったらイナイナイバー!とあったのでまた笑った。スカイプの回線がこれまでにないくらい弱くて、カメラが映らないのはいつものことであるけれども音声の質も悪く声がこもりがちであるという程度ならまだしもとぎれとぎれになるなどさんざんなコンディションで、チャットメインで補足的に音声を用いるといういつものことといえばいつものこととであるけれど、そんなアレで対処した。今年の夏は6月末から9月の20日までだったか、およそ三ヶ月の旅行に出るつもりだと(…)はいっていて、手始めにタイに立ち寄り去年の夏頻繁に通ったレストラン(ここのパンプキンスープはたぶんじぶんがこれまでに食べたことのある飯のなかでいちばん美味い)のコックが以前働いていたという牧場をおとずれるつもりだという。日本には7月の終わりか8月の頭にでもおとずれる。7月の半ばだったらいっしょに祇園祭にでも行くことができるのにと思ったのだが、タイミングが合わなかった。三ヶ月の間タイと日本以外の国にはおとずれないのかとたずねるといまのところその予定はないという。もっともわたしたちがおたがいにうんざりしたなら話は別でしょうけど、そのときはわたしはあなたの部屋を出て行かなければならないでしょうから、というので笑った。予言しておこう。確実にそうなる。宣誓したっていい。一ヶ月の滞在予定らしいが、なんでもかんでもすぐに退屈してしまう強烈に飽き性でわがままで衝動的なあのサンドラがわざわざ日本まで来ておいてひとところに滞在するだけで満足するはずがない。とちゅうで沖縄にでも出かけるんでないかとひそかに踏んでいる。そもそもふたりでずっといられるわけがない。最初の三日で確実にケンカはするだろうし、一週間も経つころにはおたがい顔を見るのも嫌になるくらい険悪になっていることだろう。それはいいすぎかもしれない。一週間は少し早すぎる。二週間だ。二週間経てばbreak upだ。そうするとタイミング的にじぶんも盆にあわせて帰省することができてちょうどいいのだけれど。
京都でのプランはとたずねられたが、そんなもんない。とはいえないので、京都は寺が多いけれどこっちに来るまえにタイに寄ってくるんだったら寺に飽き飽きしているだろうねというと、タイでは大半を牧場で過ごすつもりだし寺めぐりでもかまわないわという。ぜひ見てみたい、と。建築を専攻しているんだったら日本庭園なんかも楽しめるだろうし、龍安寺とか二条城とか桂離宮とか(これはじぶんもまだおとずれたことがない)、あとは三十三間堂金閣寺清水寺界隈、と、こんだけ行けばもう十分だろうという気がするのだけれどしかし滞在は一ヶ月、実質二週間と踏んでもまだまだあまりある。古着屋でもめぐればきっと一日潰れるだろうし、なんだったらスタバかどっかにいって一日中まただらだらとおしゃべりしていてもいい。がんばれば大阪まで足を伸ばすことだってできる。
今回は貧乏旅行だからあまりお金が使えないの、だからあなたからお金を使わない生活方法を教えてもらうつもりよ、というので、そんなもん簡単だよ、まず飯を食わなければいい、といったら、オーマイゴーと叫んで笑って、日本ではフルーツが高いってあなた以前いってたけどそうなの、というので、高いよ、とくにタイとくらべたら高すぎて嫌になる、と応じた。なにがいちばん安いのとたずねるので、バナナ、と答えたら大笑いして、世界中どこにいってもいちばん安いフルーツはバナナね、というので、たしかにとなった。野菜だったらなに、というので、夏だったらまあきゅうりとかは安いけど、というと、きゅうりはあんまり好きじゃないの、とあって、それじゃあレタスとトマトを買おうというと、ああそれなら大好きだわ、ところで日本のスーパーには米も売っているのかしら、というので、米は祖父が毎年送ってくれるものがストックしてあるからどれだけでも食べられる、金がなくなったら最悪ふたりで米だけ食ってりゃあ死ぬことはないと応じると、またオーマイゴーとあって、ところで(…)は魚を食べるようになったのだという。マジで!とびっくりしてたずねてみると、チーズも卵も食べるようになったと返事がある。でも肉はまだ駄目、肉はまだ食べれないわというのだけれど、肉なんてものはこっちだってふだん食べない。わたし変わったのよ、いぜんのわたしはじぶんに厳しすぎたわ、と語る彼女の変化の発端がじぶんにあることを知っているので、それがちょっと誇らしい。パーイのカフェで連日話し合ったあの実存をめぐる果てしない平行線のそれでいていつしか交差してしまう非ユークリッド的な議論の数々が一年越しに実を結びはじめているのだ。影響し影響され影響し合う諸力。みんなたえまなく変わっていくんだよ、おれも習慣を崩してまで英語を勉強しはじめたしね、きみがこっちに来るころにはたぶんぺらぺらだよ、ひょっとすると髪の毛はブロンドになっているかもしれない、瞳の色も青くなっているはずだ、モーニングを着てシルクハットをかぶってステッキをつき、畳の上に設置したテーブルに腰かけて紅茶を飲む毎日を過ごしていることだろうよ、というと、あなたの部屋はタタミマットなの?アメイジング!と、渾身のジョークをスルーされた。
ねえ、わたしがそっちにいったらあなたの部屋の壁をいっしょにペイントしましょうよというので、そんなもん無理だ、禁止されている、というと、どうしてというものだからどうしてもクソもないだろうと思いながら、この部屋は大家さんから借りているものであっておれの持ち物じゃないんだよというとなるほどとあって、ところであなたflatmatesにはわたしの来ることを伝えてあるの?キッチンやバスは共同なんでしょう?わたしの滞在は長いし何か断っておいたほうがいいんじゃないかしら、といわれたので、まだ伝えていないし伝える必要も別にない、キッチンはおれしか使わないしシャワーは大家さんの家にあるものを借りることになる、みんなそんなこと気にしないよと、そうは応じたものの、しかしlandladyだけが少し気がかりなんだとそう伝えると、彼女はときどきあなたの部屋に来るのかしらというものだから、というか同じところに住んでいる、ごくごく近くに、ちなみに彼女は93歳だか94歳だかだよ、というと、またオーマイゴーとあって、でもそれだけtoo oldだったらわたしがいることにも気づかないかもしれないわ、ととんでもないことを言い出すので腹をかかえて笑った。最高だ。この適当さが(…)だ。この規律破りの楽観性こそが彼女の持ち味だ。そこから、もし見つかってなにかいわれることがあったとしたら妹が来ているんだと紹介すればいいよ、彼女はtoo oldだから不自然に思わないはずだ、とか、複雑な家庭環境なんだといえばきっと信じてくれるよ、彼女はtoo oldだし、とか、英語の家庭教師だといえばきっと問題ないよ、だって彼女はtoo oldだから、みたいな感じで何かにつけてtoo oldをつける奇妙なチャット合戦がはじまりひとしきり笑ったが、これは食事の話題になるたびに無理やりbananaに結びつけるのと同じ論理であり、というかこの手のいわゆるテンドン的な笑いって万国共通なのだということにいまさらながら驚く。ユーモアってやつはいい。ジョークはすばらしい。これほど無駄なことはない。世界でいちばん贅沢な営みだ。
『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』を観たわ、と唐突に(…)はいった。すばらしい映画だったわ。あれはtrue fantasyよという。返事をしないでいると、あんなふうな愛が本当に現実に存在するのかしら、というので、I have no ideaと打ち込んだ途端に回線が切れた。三時間にわたるスカイプの間いったい何度回線が落ちたか知れたものでないが、この一度はけっこうグッドなタイミングだった。助かったと思った。でも悲しい映画だったわ、と(…)はいう。悲しい?どうして?と問うと、だって彼は他の女のひとと結婚したじゃないというので、三作目の『ビフォア・ミッドナイト』ではふたりは結婚して子供がふたりいるみたいだよと伝えると、ワーオとなって、いつ公開予定なのというので日本ではたしか今年の春から夏にかけてじゃなかったかなというと、それじゃあいっしょに見に行きましょうというので了承した。了承したはいいものの、今年の春公開なのはアメリカでの話であって日本では2014年公開予定であるらしいことを後になって知った。
日本にはカーニバルがあるの、と唐突にたずねた。祇園祭のことかと思ってフェスティバルのこととたずねかえすと、ノーという。まさかそんな質問をするわけないだろうと思いながらも(…)が打ち込んでよこした単語を検索してみるとそのまさかのカニバリズムとあって、いやいやいや食人文化なんてものは日本にないよと応じると(…)は少し笑って、でもヨーロピアンを食べた日本人がいるんでしょう、というので、佐川一政ってそんなに有名なのかと思ってたずねてみると、つい先日たまたまyoutubeで彼のドキュメンタリーを観たばかりなのだという。あなたのflatmatesはひとを食べるのかしらとふざけていうので、安心しなよ、それはない、ただおれにかぎってはどうか知らないけどね、きみも知ってのとおりおれだって作家だから、みたいな軽口を叩き、そこからぐんぐん悪のりを加速させていったのだけれど、途中からなんかこの娘ちょっと本気で心配しはじめているんでなかろうかという空気になってきたような気配があったので、あのーもしかして本当にちょっと心配してる?というと、ちょっとだけ、とあったので、いやいやぜんぶジョークだよ、信じてくれ、というと、最近ちょっとbad experienceがあったものだからナイーヴになっているのよ、と返事がある。あ、これレイプだわ、と愕然としていると、この間のイースターにとあるひとと一緒に過ごしていたのだけれどそのひとにmentally torcherされて、わたし逃げ出したわ、警察にも通報したの、とあり、what is torcher?とたずねるとhurtとあり、精神的に傷つけるってどういうことだ、なんとかハラスメントとかそういうことだろうかと思って検索をかけてみると、深層心理とかトラウマとか精神分析とかそういう関連のアレがヒットして予測検索でもhow to mentally torcher a girlと出てくることからこれどうも一種のいかがわしい催眠みたいなものなのかもしれないと目星をつけた。だいじょうぶだったのかとたずねるとだいじょうぶだったと答えがあり、でも旅行に出るまでしばらくのあいだ母や従兄弟の家に厄介になる予定よみたいなことをいっていた。だから最近のわたしは以前よりも警戒心が強いの、心配性になっているのよ、という。それは悪かった、きみを不安にさせてしまった埋め合わせに日本のレストランで腹いっぱい食い物をおごるよ、それでいっしょに太ろうといったら、あなたはたしかにもっと太ったほうがいいわね、と彼女は笑いながらいった。
そんなこんなで4時半には通話を終えた。それからあらためてmentally torcherで検索をかけてみたところ、これ(http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20070216134307AAzfAfW)がトップにヒットしたのだけれど、ベストアンサーでクソ笑った。笑いのセンスって、やっぱりあるていど共通しているもんなのかな。