20130506

12時起床。起き抜けにいきなり戸をバンバンと叩く音がして猛烈にイラっとくる。強く叩きすぎだ。部屋の壁(ベニヤ板)がガタガタと震えて神経にさわる音をたてている。戸を開けると案の定乳母車に赤飯をのせた大家さんがいる。食い物を持ってきてくれるのはありがたいのだが、こちらの都合はすべて無視でなんやかんやと持ってきてこられても困るというか、今朝など前夜の暴食もあってすっかり満腹だったのだけれどそんなものおかまいなしで、断ろうとすればあからさまに嫌な顔をするし、今日などはまだしも先日のように朝の6時からカレーなど持ってこられたら独善的という言葉が脳裏をよぎるのも無理はないみたいなアレで、と、ふと思ったのだが、先日朝の6時というあまりに非常識な時間に大家さんがおとずれたのはひょっとして、駐車してあった(…)のバイクを見つけて3号室がだれかを部屋に連れ込んでいるぞ、これはのぞいてやらねば、という下世話な魂胆だったのではないか。女性が出入りしているとそれだけで部屋に訪問する率が跳ね上がると(…)さんもいっていたことであるし、なんとなくそんな気がしてきた。が、今日はこの赤飯にひきつづき、ぜんざいとスイカを持った大家さんの二度目の訪問があり、さらに夕刻にはいつでもお風呂にお入りくださいと、これもう別にいちいち伝える必要ないんでないかという告知のための三度目の訪問があり、だれも連れ込んでなどいないのに頻繁すぎる訪問である。いい加減もうやめてほしいのだが、部屋に来てくれるなと、これどんな言い回しをもちいて伝えたところで御年90歳越えの彼女には最上級の無礼としてしか受け止められない気がする。(…)を滞在させる許可もいずれは申請しなければいけないというか、そのための腹案もあることにはあるのだが、いずれにせよもうひとつきかふたつき待ったほうがいい。交渉術が試される。
13時半より瞬間的に英作文し続ける。16時半に一度きりあげて図書館にむかい返却期限の切れていたCDを返す。返却期限を守らないことはまずないじぶんなので、というのは貸し出し予約は常に10件満タンで二日と置かず図書館には出向くという日々がながらく続いていたからで、ゆえにひるがえって今回なぜ返却期限をオーバーしてしまったかといえばそれはほかでもない、予約している資料がいま現在たったの2件しかないからで、これは英語の勉強を開始して以降読書&映画鑑賞の習慣が中絶しているからであり、かつ、ふだんなら音楽を聴くのがならいとなっている移動時間はDuoに、そしてやはりまたBGMありきで進行する作文の時間自体もおおきく目減りしているそのためにCDも借りることが少なくなったからで、とにかくここ二週間ほど生活が激変した感はある。
銀行に立ち寄って五万円ほど一気におろして、財布の中身が500円を切っていたその反動でなんかおろしすぎた気のしないでもないが、かまいやしない。生鮮館にたちよって買い物をすませ、それから小腹が減っていたので最寄りのデイリーヤマザキでミネストローネとかいう名前は聞いたことあるけど実物はこんなアレだったのかという食品を購入し、380円くらいしたのだけれど二週連続の三連勤をこなしたのであるし単純計算して2万円はゆとりがあるということなのだからこれくらいなんてことはない。レジでミネストローネを温めてもらっている間にひとり来店客があったのだけれど、いまにもゴスペルを歌い出しそうな恰幅の良い黒人女性で、アイスクリームの置かれた一画を前にした彼女の食い入るような目つき手つきから、ああ今日はたしかに暑いな、と思った。ヒートテックが若干汗でべたつく。
デイリーヤマザキを出てから前の道路で信号待ちをしていると横断歩道を渡った対岸で女性がひとり、建物の入り口の自動ドアで身だしなみを整えている光景に出くわして、しばらく観察しているうちにこれは「偶景」になりうるなと思ったので携帯電話にメモした。強迫観念的な身だしなみチェック。こっちは二週間も剃っていないひげづらに古着屋で980円で購入したスカジャンとユニクロのスウェットというだらしなさだが。
帰宅してミネストローネとやらをパンの耳といっしょにいただいて17時45分。瞬間的な英作文を再開するも食後の眠気にあえなく撃沈して気づけば19時。一時間ほど眠ってしまったらしい。コーヒーをいれてふたたび再開。22時半にようやくケリがついて一段落。筋肉を酷使し、軽めの夕食をとる。起き抜けののどの痛みが起き抜けなどとうに通り越したいまにいたってなお続いているので、こめかみが熱をもってきていることもあるし、間に合わせの風邪薬を服用。
食事を終えて汚れ物をもって水場で洗い物をしていると洗い終えたばかりの包丁がやたらとぬめぬめする。豚の脂か何かにまみれたような白っぽいぬめり気。なんだろうこれは探ってみるとシンクの表面に同様のぬめりがびっしりついていて、なにかこう、粘土をたっぷりなすりつけた後のような脂っ気である。ここの住人で自炊をしているのはじぶんだけである。換言すれば、この水場を食事と結びつけて考える回路の持ち主はじぶんだけということであり、ゆえにこのようなわけのわからん汚れやぬめりをもたらす原因不明の液体だかなんだかを平気の平佐でシンクに流すやからもいるというわけだ。そしてその汚れはすべてシンクに水をためて洗い物をすませるこちらにふりかかる。というわけで夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった、のではなく夜中に水場でぼくはシンクを洗いたかった、というか洗った。
ここまでブログを書いたところで1時。「偶景」作文開始。3時まで。3つか4つ追加して計177枚。昼間の光景はたとえば以下のごとくなる。

横断歩道を渡った先の対岸の歩道を左手から右手にむけて颯爽と歩く若い女が、ビルの正面入り口のかたわらを通りすぎようとするそのまぎわに見遣った横目をさながら人質にでもとられたかのごとくはたとその場に立ち止まり硬直するか否や、ゼブラ柄のカットソーを身につけた上体をくるりとそちらに向けなおし、うすぐらいロビーの透けてみえるガラス張りの自動扉の鏡面にみずからの全身をさらして身なりをととのえはじめる。その唐突さばかりではなくあまりに念入りになされる身づくろいの熱心が、ひとめを気にせずひとめのための外見をととのえる矛盾の印象を滑稽にちらつかせながら、それでいてしだいにそらおそろしい狂熱の感を増しはじめる。しきりにくりかえされる身振りのひとつひとつに脅迫性の色味がきざしていくのを対岸から間遠にながめているうちにふと、底の厚く発色の良い黄色が目立つ足下とのむずかしい上着の兼ね合いにいまさらながら自信を失くしかけているらしい、こちらとしても身に覚えのないこともない彼女の心理に不意にたどりついてしまい、時をほぼおなじくして此岸と彼岸をむすぶ信号の青色に転じた偶然が、この直観にひとつの然りをともす。

真夜中の入浴中に小便に立ったらしい大家さんの気配が風呂場の壁越しに聞こえてきたのだけれど、一歩また一歩と歩くたびに大儀そうな声をもらしていて、万事が難事といった具合で、そりゃあ年齢を考えればそうだろうけど、こんな足腰でわざわざ部屋まで食い物を運んできてくれるのだから、あんまりいらついてばかりいちゃあいけないなと思った。起き抜けのじぶんと作業中のじぶんはちょっと気が短すぎる気がする。