たとえば, 1997年8月1日に48歳で死刑執行された永山則夫が, 獄中生活のなかで獄外の言葉, 市民社会の膨大な言葉を「習得」し, それを堰を切ったように夥しい文字として書き連ねたとき, 確かに彼は, それまでは不可能だったある種の「自己表現」をなしえたにちがいない. しかしその自己は, すでにあまりに雄弁な自己であって, いわば他者の膨大な言葉の群れによって著しく変形されてしまった「自己」である. あの殺人事件の当事者としての永山, およそ何冊もの書物を著したりするのとは無縁であったであろう永山とは, それはまさしく「別人」である. だがそれでは, あの膨大な文字の連なりのなかに, 永山の「自己」はまったく不在だということになるのだろうか.
ここで重要なのは, ぼくらが他者に同化や同一化を遂げるとき, それは決して十全な姿では実現されえない, ということである. これは「模倣」という振る舞いに根本的につきまとう事態だが, ぼくらは完全に他者を取り込むことも, また完全に他者と一体化を果たすことも実はできないのだ. 模倣にはいつでも「遅れ」や「ズレ」がつきものだし, 何よりもそれが「模倣」である以上, そこには自他の「差異」が抜きがたく書き込まれているのである. しかもこの差異は, その模倣が巧みであればあるほど, 同時に昂進されてゆくものなのだ(物真似というパフォーマンスの醍醐味もここにあるだろう. 本人と見紛うほどに模倣することが物真似の真骨頂では決してない).
他者との一体化, 他者の言語への同一化の場所は, 同時にある違和と変形が不可避的に生じる場所でもあるのだ. 元来「表現」とはこの違和と変形の別名にほかならず, あの膨大な言葉の群れのなかで, 永山則夫の「自己」は, いく重にも他者と, 他者の言語と絡みあって, おそらくは無数の破片として散在しているのだ. そこから永山則夫の「固有の自己」を再構成するのではなく, ひたすら破片を収集すること, それが永山を「読む」ということにほかならない. ぼくら自身の「自己」もまた, そのようにしてしかおよそ存在しえないし, また確認しえないのである.
(細見和之『アイデンティティ/他者性』)
11時前起床。めざましよりも早く目覚めた。機械ごときに負けるじぶんじゃあないというわけだ。このポンコツめ!引っ込んでろ! 歯磨きをするためにおもてに出ようとしたところで大家さんとバッティング。家賃の催促。きのうお金をおろしたにもかかわらず支払いにいくのを忘れていたのだ。すみませんね遅れてしまってと伝えると、いえいえまだ四月分もいただいていないお宅もありますさかいとあり、二万円支払って千円のお釣り。帳面やら判子やらをどこにしまったのか忘れてしまってあたふたするのが毎度のならいとなっている大家さんであるが、それでいて帳面に記入する今日の日付だけはいつも寸分の迷いもなくきっちりと書き込んでみせる。日付というものが彼女の生活においていかに大きな役割をになっているのか(これは「偶景」になりうる)。こないだの法事でもやな、もーあんた、○○なんかにほれ、おばあちゃん、あんたもうむかしやったら化けもんみたいな歳やでっていわれてしもて、お医者さんもな、内臓が元気やからまだまだ生きられますよっていうさかい、もーあんたはよ死にたいと思っとるんですけど、ねえこっちは、手首は腱鞘炎で痛いでっしゃろ、ほれであんた、この入れ歯がまたね、などと続いた話の果てに、りんごをひとついただいた。大家さんはじぶんのことをしょっちゅう胃を悪くする虚弱体質な若者だと思っているらしい。あながち間違いでもないのかもしれないが。
12時より16時過ぎまで瞬間的に英作文し続ける。喉が痛いのは音読のせいではない。薬箱かわりになっている引き出しを探ってみたところパブロンだかなんだかの風邪薬が二回分だけ残っていたのでひとまず一回分を服用した。薬箱の中にはカンボジアで購入した日本製のコンドームがしぶとく残っていた。
家を出る。先週の木曜日、辛いもの好きな(…)さんの誕生日プレゼントに専門店の七味でも買っていこうかと考えていたのだけれどネットで調べてみたら休業日だったのでまたの機会にまわすことにしたそのまたの機会に今日ほどうってつけの日もないだろうと、びゅうびゅう風の吹きすさぶなかDuoをシャドーイングしながらケッタでえっちらおっちら北野天満宮付近までむかうことにしたのだけれど、途中、公園でリクルートスーツ姿の男女四五人が横一列にならんでいるその後ろ姿が目について、完全なる不動で、最初はどこか体育会系の企業の新人研修みたいなアレでパブリックな場でも恥ずかしがらずに大きな声で挨拶ができるようにするための訓練みたいな、愚の骨頂というほかない旧態依然の現場に出くわしてしまったのかと思ったのだけれどどうもそういうわけでもないというか、訓練にしてはその訓練を指導するエリート教官みたいなやつの姿がどこにも見当たらない。それでこれひょっとしてどっかのバンドが本人らは奇をてらったつもりでいてもじっさいは凡庸たる発想なことこの上なしなアー写か何かを撮っているところなんじゃないかという推測が働き、次いで、あるいは『肉体のアナーキズム』を読んでかぶれた大学生のサークルによる一種のハプニングかもしれないぞという発想がひらめいたのだけれど、そんなことはどうでもいいといえばきわめてどうでいいのでさっさとケッタで通りすぎた。答えを知って意味に着地することほど退屈なものもない。わけのわからなさはとても貴重なものだからなるべくそのまま保存したい。
なにげなく道なりに進んだつもりが気づけば京都に越してきて最初に住んだアパートの近くまでやって来ていたのでついでに細い路地に入りこんでアパートの様子をのぞいていくことにしたのだけれどなんら代わり映えのしない相変わらずな北野スタディで、おもえばここで過ごした二年とちょっとの間だけは唯一まともな一人暮らしだったというか少なくともトイレは洋式だったしキッチンもあったし木造じゃないし大家さんは住み込みじゃなかったしとにかくごくごくふつうの平均的なアパートだった。共益費込みで40000円以上支払っていたという事実は信じられないが。アパートから徒歩十秒のところにあった銭湯が絶賛解体中だったのには少なからずショックを受けた。学生時代の四年間を通して付き合っていた彼女が大阪にある風呂屋の娘だったという事実が関係しているのかどうかはわからない。
それでたしかこのあたりにあったはずだとうすぼんやりとした記憶をあてにして見つけた店は七味唐辛子の専門店ではぜんぜんなく、むしろ豆腐屋だか漬け物屋だか土産物屋だかなんかそういうアレだったので参った。あれーここじゃなかったっけなーと思いながらとりあえず店に入ってみてすみませんこの辺に唐辛子かなんかの専門店ってありませんでしたっけと店員さんにたずねてみると、親切にもわざわざ地図を持ち出してきてくれて、ちょっとこれ見切れちゃってますけどだいたいこのあたりにありますと教えてくれた。どうもありがとうございますと礼を行って立ち去り、いわれた方角に舵をきりなおしてしばらくぶらぶら、するとじきに目的地の唐辛子店を発見するにいたったのだけれど、降りたシャッターに張り紙いちまい「本日休業させていただきます」とのことで、ネットで休業日と閉店時間を調べた意味もまったくないというか無駄足を踏まされたことにたいする怒りというか貴重な時間をだましとられたかのような感につきまとう苛立ちというか、そういうアレでわりとけっこう頭にきてしまって、このまま帰るのもなんかものすごく癪だなぁと思ったので帰路、古本市場に立ち寄り、漫画コーナーだけチェックして、しかし何も買わず、ますます時間の無駄遣いといった感じであるのだけれど、そういえばそれが唐辛子屋だと勘違いしていた豆腐屋だか漬け物屋だか土産物屋にむかう道のりの途中、傾きつつある陽光に照らされた蚊柱のかたわらをケッタで通り過ぎた瞬間があって、ああそういう季節なんだな、と思った。
古本市場を後にしてえっちらおっちらケッタをこいでいると前方から乳母車をおしながら歩いてくるおばあさんの目がすれちがいざまかすかに見開かれ、そこで不意に、以前住んでいたアパートの大家さんであることに気がついたのだけれど時すでに遅し、ぼったくられた電気代となくされた扇風機代を弁償してもらってその金で寿司でも食いにいきたいのだが。その大家さんの住まうアパートの前を通りすぎるかたちで坂道をぐいぐい北上していき、とちゅう文房具屋にたちよって付箋を購入したのだけれど270円とかそれくらいして、百均で買ったほうがそりゃあ安上がりだし町の文房具屋はこうしてつぎつぎに潰れていく。生鮮館にたちよって牛乳と風邪のお供のアクエリアスだけ購入して帰宅するが早いか筋肉を酷使し、夕餉をかっ喰らい、夕餉はひさしぶりの生野菜で、水菜と赤と黄のパプリカとトマトで、夏野菜の値段がだんだんと下がってきたのでうれしい。冬の間はだいたい水菜か春菊か白菜かタマネギか人参かえのきかほうれん草かそのあたりのものをタジン鍋で蒸して水炊きみたいにしてポン酢でいただきますというアレばかりだったのだけれど、これからの季節はビバ生野菜である。生野菜がいちばんうまい。生野菜を食っているときがいちばん幸せだ。玄米、納豆、冷や奴、鍋いっぱいの生野菜。夏はいつもこれである。本来ならばここに焼き魚が加わるわけであるが、現状グリルがない。だったら鶏肉の酒蒸しで代用するだけである。二口コンロのあった円町のあばら家がなつかしい。あのころはだいたいなんでも作れたし実際に作ろうという気にもなれた。それがいまじゃあ炒め物すらまともに作れない低火力のカセットコンロ一台である。殿様からトノサマバッタに格下げされた気分だ。
安らかな仮眠をとり、暑い湯を浴び、湯上がりのストレッチを終えて22時前。(…)に出かけて延々と抜き書き作業に励む。1時までかかって4冊分終えた。だがまだ3冊分残っている。クソ面倒だ。パンの耳を手みやげに帰宅後、ここまで書きしるして3時。やや気分がわるい。薬はもうない。こういうときはさっさと寝るにかぎる。明日は両親がやって来る。