20130508

 ぼくらはしばしば, こういうレーヴィなど数少ない「生存者」の証言に接すると, 決して謙遜ではなく正直な気持ちで, 「自分ならとても生き残れないだろう」と思わず呟いてしまうのではないだろうか. しかしそれは, 「謙遜」どころか, むしろ場合によってはとても「傲慢」な感想なのだ. よく知られているように, フランクルは『夜と霧』のなかで「最もよき人々は帰ってこなかった」と記した(邦訳『夜と霧』, 78頁). そして石原吉郎は, このフランクルの言葉を受けて, 「最もよき私自身も帰ってこなかった」と付け加えたのだった(詩集『サンチョ・パンサの帰郷』「あとがき」). 「自分ならとても生き残れないだろう」と呟いてしまうとき, ぼくらは, このフランクルや石原の言葉にこめられている痛切さを, 実はほとんど何ひとつ理解していないに等しいのだ.
 レーヴィもまた同様のことを「溺れるものと助かるもの」という苦いアイロニーのこもった表現で語っている. レーヴィによると結局、強制収容所が浮き彫りにするのは, 「人間には明らかに, 溺れるものと助かるものという二種類があるという事実」(邦訳『アウシュビッツは終わらない』104頁)である. 強制収容所の状況に照らせば, 善人と悪人, 利口な人間と愚鈍な人間, 勇敢な人間と臆病な人間などの区別は, ずっと曖昧であることが分かるからだ. しかし, そのうえでレーヴィは自註のなかでやはりこのように記している. 「ラーゲルでは有徳の士は生き残れなかった. 「組織化」したもの, 隣人を抑えつけたり, その地位を奪ったもの, 思いやりや連帯意識をすべて捨て去ったものだけが生き残った」(同上, 254頁). ここに刻まれているのもまた「最もよき人々は帰ってこなかった」という痛切な認識である.
細見和之アイデンティティ/他者性』)



11時半だかそこらに母親からの電話で目覚める。同志社を通りすぎたところだというのだが通りすぎて東へむかっているのか北へむかっているのかまったくもって判然としないのでガイドのしようもない。とにかく部屋着のままおもてに出てみるとちょうど目の前を見覚えのある車が通り過ぎていって、たぶんいま行き過ぎてったと思うからさっさとUターンしてくれと電話で指示するなどしたのだけれどこういう一連のやりとりに逐一理不尽なまでの苛立ちがともなうのがじぶんでも解せない。起き抜けだったからを言い訳にしてひとにきつく当たっていいわけでもない。
アパートの隣にある空き地にいったん車を止めて食料などを部屋に運び出したのち、両親を引き連れて大家さんのところに挨拶にいった。応接間でもてなそうとするので長くなってはかなわないというアレから手早く赤福だけ手渡して立ち去るつもりだったのだけれど、お返しもせずに帰すわけにはいかないと、みかんを三つとあられと森永のキャラメルというすごい食い合わせというか組み合わせというかそういうアレをいただいた。
いちおう今回の上洛はゴッホ展が目的ということになっているのだけれどこちらとしてはわざわざ両親と連れ立って美術館になど行きたくないというかもっとひとの出入りもすくない時期のひとの出入りの少ない時間帯をねらってひとりでたっぷり鑑賞したいというのがあるのだけれどそんなこといってもしかたないし、とりあえず平安神宮のほうまで車でむかいながら職場で斜め読みした雑誌に掲載されていたピザ屋の住所を母親のi-phoneで調べて打ち込んでナビして、それでむかったのだけれど周辺の駐車場がすべて満車で、それだから平安神宮のそばにある地下の車庫に車を止めてそこから歩いてi-phoneたよりにくだんのピザ屋にむかった。したら本日ご予約のお客様のみで満席でございます的な貼り紙が貼ってあったのでガッカリするはめになった。とりあえず先にゴッホ展だけみてまわってそれからもういちど来てみたらひょっとして空席ありになっているかもねということになったのでそうすることにして、とはいえ目覚めてからまだ何も食べていなかったというか厳密にいえば支援物資の中でひときわ魅力的に輝いていたいちごを三つか四つほど口にしてはいたのだけれど、使いさしの風邪薬を実家からもってきてもらったのをまだ服用していなかったのでひとまず近場のセブンイレブンでサンドイッチだけ買って食ってそれで薬を飲んだ。セブンイレブンの駐車場にはひとが腰かけるためのスペースというかあの桜シーズンなんかになるとよく見かける茶屋の店先に出ているような和風の赤い布切れが敷かれた腰掛け台みたいなのがあって、けっこうぎゅうぎゅうになりながらもそこに腰かけながらサンドイッチを食っていると足下にすずめが飛んできて、警戒心などいっさいないようすでぴょんぴょんとびはねて残飯をあさっていた。そのあと鳩も二羽ほどやってきて、さすがにすずめはこれで逃げるだろうと思ったのだけれど全然そんなこともなく図太さの権化みたいないずまいで向いの席に腰かけていた兄ちゃんが放りなげたおにぎりの欠片をおまえその図体にしてはちょっと欲張りすぎだろうというくらいの勢いでついばみ、鳩が寄ってくれば米粒をくわえたままこれおれのもんだからなとでも言いたげに逃げるみたいなアレですごい根性だった。
美術館に向うとちゅうの横断歩道で白いスーツを着た男性と紫色のドレスを着た女性が日傘をさした女性やドレスの裾が地面にこすらないように手でもちあげる役目を担った女性やカメラを手にした男性や反射板を手にした男性やらにぞろぞろと取り巻かれながら移動したり停止したりしていて兄の結婚式を思い出した。
ゴッホ展。小規模。二三年前に名古屋で見たもののほうがずっと良かったが、収穫がないこともなかった。点描的でありながらもしかしそのひとつひとつはあくまでも線描にとどまっているタッチで描かれたいくつかの作品のうち、広場というか公園というかそういう空間の中に二三の人物が配された作品があって、それがとくに典型的だったのだけれど、点に接近した短い線のしかし点的な配置によって呼びこまれることになる流れが一方向的でないというかひとつの巨大なうねりを描くことすらなくてんでばらばらで、たとえば遠景の大気と中景の人物と近景の下生えとではそれらを点描する線の流れがそれぞればらばらの方角をむいており、そのひとつひとつは均質なタッチの、それでいてばらばらの方角をむいて重ねられてのびていくそれらの異質な前線の衝突の現場としてあのゴッホ特有の輪郭線がたちあがる、みたいなところがあって、というよりはむしろそれら意味=方向の異なる流れの衝突した結果としてもちあがった輪郭によってはじめて広場というか公園というかそういう空間の中に二三の人物が配されてある光景(表象)が事後的に生成されたみたいな、ここにあるのはいわばせめぎあう諸力の透視図であるみたいな紋切り型の感想がまず出てきたのだけれど、ここでひるがえって、「アルルの部屋」に代表されるようなあの独特の輪郭線と平板さでなりたっている一連の作品というのは(この展覧会ではテーブルの上に本が何冊もランダムに積み重ねられている作品だけがそれに該当するように思われた)、要するに、せめぎあう力の透視を可視化してみせるあの図解的で解説的で啓蒙的なタッチを排したある種の不親切に貫かれている、つまり、「力」の解釈が廃棄されているというその意味において強靭なリアリズム志向であるといえるんではないかと思ったというかそうじゃないな、そうじゃなくて、「アルルの部屋」に代表されるこの輪郭線と平板さをあわせつもつたぐいの作品群というのは、諸力の衝突の結果としてたちあがる輪郭線というプロセスを逆再生することで描かれているんではないかと思われたということで、それははじめに輪郭線ありきという単純な逆行のことをいっているのではなくて、たとえば「あるるのへや」と発音した音声を逆再生するとそれがそのまま「やへのるるあ」と聞こえることにはならず子音と母音のアレからもっと不明瞭で聞き覚えのないのっぺりとした音の連鎖になる、それと同じ意味で、諸力の衝突の結果としてたちあがる輪郭線というプロセスを逆再生することで描かれていると、そういう比喩のつもりでいってみたのだけれど、そろそろ苦しくなってきた、こんなんじゃ全然、なにかこう、ハッ!としてぐいっ!と掴んだはずのこの感触を説明できない。とりあえずテーブルの上に本が何冊も積み重ねられている例の作品のポストカードだけは買った。
美術館を後にしてからふたたび先ほどのピザ屋まで歩いてもどってみるとくだんの張り紙ははがされていて、おーラッキーと思って入ってみたのだけれど満席で、店員さんにたずねてみるとすでに食事を終えたお客さんはいるのだけれど席が空くのはいつになるかわからないみたいな返事があって、まあどうせここまで来たのだしというアレでおもてで待つことにしたのだけれど、なかなか席が空かず、これおもてで待っているんでなくて店内で待っていたほうがプレッシャーかけれてよかったんじゃないかとか、ラストオーダーせまってるけど大丈夫なんだろうかとか、そもそもここで飯を食ってからそのあとどうするのかとか、神社仏閣のたぐいは16時17時とかで平気で閉まってしまうし植物園も温室は15時半とかどうとか、と、ここまで書いたところでなんかものすごく面倒になってきたのでここからいっきに端折るというか駆け足になるけれどもピザはべらぼうに美味かった。それから清水寺のほうにいった。母が阿闍梨餅、父が割れせん、じぶんは世界一辛いとかいう一味と七味のセット((…)さんの誕生日用)を買った。都路里で甘いものも食った。苔寺に行こうとしたら完全予約制であることが車内で判明し、そういえばそうだったとかつて(…)と(…)と三人でおとずれたはいいものの門前払いだった記憶を思い出し、それで結局ほとんど食いつづけになってしまうけれどとりあえずかたちだけでも夕飯をすませておくのがならいとなっているみたいなところがあるのでくら寿司にいって、回転寿司の良いところは量をじぶんで調整できるところなのだけれどそれにしても今日のネタは信じられないくらいまずかったというか鮮度が悪すぎて変色しているものばかりだったので父が怒って怒る父にまた母が怒って18時半だったかに部屋にもどった。(…)を連れて地元に遊びに来いといわれた。京都で間がもたなくなったら最悪それもアリかなとはうすうす考えていたのでまあ考えときますわと応じた。大家さんに(…)のことを妹といって居候の許可を得ようかと思っていると笑い話のていでいったら、妹じゃなくてちょっと遠い親戚ってことにすりゃあいいんじゃないのといわれて、目から鱗が落ちた。それアリじゃん! 
夕方から自室でひとり瞬間的に英作文しつづける。仮眠明け、喉の痛みだけならまだしも胃のあたりに気持ち悪さを覚えたので胃薬服用。すると楽になる。ということはやはり胃に負担がかかっているということなのだろうが、しかし風邪で胃がよわるということはあるんだろうか。まあ、あるわな。0時すぎにすべてのタスクをこなしおえ、「一年前の今日の日記」を読み返す習慣をここ十日間ほどサボっていたのでまとめて読み返してみると一年前のじぶんもやはりまた風邪をひいていて喉が痛いとか咳が出るとか書いていたが、それよりもびっくりしたのはニコニコ動画にアップされているFF10のストーリーだけをうまく編集した動画を病床でいちにち中ぶっとおしで観ているという事実で、この動画このあいだ酩酊した日曜日の晩になんとなくさわりだけ見返してしまって以降きのうおとといと食後にひとつかふたつずつ観るということを続けているじぶんの現状にぴったりと符号するというか、今日だって胃薬を服用する前はかなり大儀だったのでこのまま布団に横になって動画の続きでも観ながらごろごろして休息をとろうかと考えていたところだったのでびっくりしたというか、さらにいうならば二年前の五月にもやはり同じ動画を観ているらしいことが判明して、このときがたぶん初見なのだけれど、それにしてもなぜ5月になるとFF10なのか!じぶんの生活の中にはある種固有の四季のようなものがあってそれをくりかえすようにできているというのか!