20130515

(…)紀元前五世紀ごろのスキティア(古代ロシア)の農民たちは大麻の葉を火にくべて煙によって陶酔していたらしいことはヘロドトスの記述にもあるそうだし、インドの文化ではヴェーダの時代から、「天国への案内者」「貧者の天国」「悲しみの慰め」とよばれていたという。インド文明のような彼岸志向的・超越的な文化が大麻のもたらす陶酔と親和性をもったのは想像に難くない。
 わが国の農民の場合、古風土記の時代の大麻の大栽培地であった常陸国は、同時に〈筑波嶺のかがい〉の地元であるから、スキティアの農民たちのように、大麻の葉を焚火に投げ入れて、陶酔した農民の男女が性の歓喜に酔ったということにでもすれば話は面白くなるのであるが、そういうことがあれば、味をしめた北関東の農民たちのあいだにそういう習慣が残っていていいはずである。しかし、北関東の農民たちのあいだにそういう習俗が残っているかといえば答えは否である。現在、麻の栽培を行なっている数少ない場所である栃木県鹿沼地方では、昔から〈麻酔い〉という言葉は知られていて、麻畑で働く農民、とりわけ農婦たちが働いたあと感じためまいや嘔気など一過性の酔いをそうよんだが、彼女たちはそれを快感としては感じていないようなのである。松本清張は『西海道談奇』のなかで、彦山の山伏たちが、修法のさい護摩大麻を焚きこむことを述べているが、これもいかにもありそうな話ながら、わが国の宗教的伝統のなかに大麻のもたらす陶酔が織りこまれていたとする推定は根拠に乏しい。その点で対照的なのはヒンドゥ教の場合であって、ヒンドゥ教徒は、大麻を神聖なものとみなし、〈天国への鍵〉であるとしていたと、F・ルドロウは記している。アレン・ギンズバーグは、カルカッタのヒンドゥ教徒寺院での体験を報告し、その寺院での集会では、大麻ガンジャ)は、神からの贈り物であるとされ、ヨガの行法の出発点であるとされていたというのである。イスラム圏でも、回教の一分派であるイスマイール派は、大麻による幻覚体験と被暗示性の亢進を利用して、狂信者に、信仰の敵を倒すことによって天国に行けると教えこみ、暗殺者教団の名をとるようになったといわれる。今日、殺人者を意味するフランス語のassassinは、アラビア語大麻を意味するhashishiからきているといわれる。シルベストル・ド・サシーは、この宗派の指導者が、彼らの手先の暗殺者に、その使命が成功俚に完了した際に待ちうけている楽園の歓喜をあらかじめためさせるために、秘かに大麻(ハシッシュ)を用いたことによると説明する(一九一八年)。もっともこの話には、最近の解釈では異論もあるのであるが、今日でも、ジャマイカの回教的な〈ラス・タファリ〉とよばれる「アフリカに帰れ」運動の秘密結社では、大麻が彼らの運動の象徴として使用されていて、ジャマイカの貧しい人びとのあいだでは、大麻は〈知恵の草〉として知られているという。
小田晋『狂気の構造』)



10時半起床。12時より瞬間的に英作文しつづけて16時。午前中はまだ涼しいのだけれど14時をまわると部屋が蒸し風呂になる。三日連続の30度越え。毎年口にしている気がするが、先が思いやられるな。今年も(…)さんに部屋を貸していただくことができればいいんだけれど。ありあわせの夕食をすませて病院へ。夜間診療の受付が19時までで、こういうのはぎりぎりにいったほうがかえって待ち時間が少なくてすむという鉄則があるので、18時半ごろまで自宅待機してさてそろそろ出かけるかと外に出たところにさめやらぬ猛烈な熱気で、こりゃあかんとなって部屋に引き返して服を着替えなおすことにしたのだけれど衣替えは当然まだすませていないので押し入れの奥をひっかきまわすことになり、病院に到着したのはしめきり五分前とかそんくらいだった。急いだので汗をかいた。病院にあった自動販売機でレモンティーを買って飲んで、それでそれ相応に長引くであろう待ち時間を利用して勉強しようと鞄の中から教材をとりだしてまもなく、いきなり名前を呼ばれたのでびっくりした。まさかこんなにも早く順番がまわってくるとは思ってもみなかったというアレで診察室に行き、診察医と対面し、診察を受けて、それで会計待ちのひとときをぼうっとしながら過ごしていると、受付の女性が極楽とんぼのテレビに出れるほうと同姓同名の患者さんの名前を呼んだのでちょっと吹き出しそうになった。診察費はむろん無料である。処方箋をもって近くの薬局にいきやはり無料で湿布と痛み止めをもらい、おそらくは三十半ばと思われるきれいな薬剤師の女性がこちらの目をまっすぐのぞきこむように話すので、負けてたまるかとのぞきかえしながら対応したのだったが、相づちを打つこちらの声がいまだことごとく掠れておりさながらミッキーマウスのごとき間抜けな様相をていしているせいでロマンスの気配はひとかけらも生じない。
生鮮館で買い物をすませてから帰宅するとアパートのとなりの空き地に立て札がたっていてお祭の駐車場はこちらみたいなアレで、実際に三台か四台ほど自動車が止まっているものだからこれはなにか面白そうだなと思って荷物だけ部屋において徒歩でおそらくは祭の会場であるとおもわれる近所の神社にむかったのだけれど、ぜんぜんひとけがない。境内の入り口にまで達したところでこれどうも時間的に終了したっぽいなというアレで、しかたがないから近所をぐるりと歩きまわりながら(…)にメールの返信をしたりして、メールといえば(…)くんからまた新しい小説が書けたので読んでくださいというようなのがたぶん一週間くらい前に届いていたのだけれど返信するのをずっと忘れていてそれで今日、昼間だったか夕方だったかにごめんごめんとりあえず原稿データ送っておいてと伝えたのだけれど、もともとそんなにずぼらではないほうであるというかわりあいメールの返信とかきちっと早め早めでやっていくほうであるし何だったら件名のRe:とか律儀に消去するタイプであるはずなのにとんだていたらくで、学生時代に付き合っていた恋人が友人から届いたメールにたいして早くても三日後、おそい場合は二週間後くらいに返事していたりするのを見てメールってそんなにも返信するのめんどうくさいものなのかとびっくりした記憶があるのだけれど、あるとき二通三通送っても返信がない彼女にしびれを切らしたというかむしろ身の安全を危惧したらしい彼女の友人と名乗る女性からなぜか知られていた当時のブログ経由でじぶんのPCアドレスに心配メールが届いたことがあって、そのときはさすがにいい加減にしなさいといったようなそうでないような、そんな夜道で、祭はすでに終了したあとらしかったけれども神社の周辺にある町家の門にはなにかしら特別な日の証しであるらしい提灯がいくつもならんでいて画に描いたような京都だったから、(…)ならこういうのを見てきっとまたあのクソおおげさな口ぶりでアメイジングとかなんとかいうんだろうなと思った。
帰宅後30分の仮眠をはさんで目覚めると21時。のち発音練習(『英語耳』)&リスニング(『みるみる音読』)をぶっとおしでやっているうちに1時。思っていたよりも発音の基礎が身についているらしいことにちょっとだけ安堵したもののそれでもまだカタカナ気分がぜんぜん抜けない。きちんとした発音を習得すればそれだけリスニング能力が向上するというし、これから残り二ヶ月半まいにち筋トレ気分でやることに決めたのだけれど、問題は使用する教材がすべてアメリカ英語のものばかりで、(…)が操るのはイギリス英語であるしそれにそもそものはなし彼女はネイティヴではない。ひとつきほど前だったか、(…)と家の近所を歩いている途中に地下鉄の階段をのぼってくる西洋人の集団と出くわして、世界中どこであろうと大声で私語をくりだすことはなはだしい連中の会話にぼんやりと耳をかたむけてみたところ、ものすごく明瞭な発音の英語で、これってもしかしてアメリカ英語ってやつ?と(…)にたずねてみると、まあそうだろうなという返事があって、旅先ではアメリカ人にひとりも会うことがなかったからここまで違うものなのか、こんなにもわかりやすいものなのかと驚いたりした、と、ここまで書いたところでひとりだけ、いや違う、ふたりだ、ふたりアメリカ人と出くわしていたことを思い出した。ひとりはバンコクからシェムリアップへと国境する車内で同乗した日系人でカリフォルニア出身、上質のマリファナを求めてカンボジアにやってきたという男で、外見が完璧に肥えた日本人だったものだからそちらのほうが印象に残っていて発音がどうだったかなんてまったく覚えていない。この男とは同乗したトゥクトゥクからおりたあともシェムリアップで都合二度ほど出くわした。ハッピーハーブピザを食べにやってきたわれわれふたりの姿を店内で見つけるやいなやこちらのテーブルのほうにやってきてキメセクのすばらしさをほのかににおわせたあと、これから部屋で映画を観ようと思うのだけれどどうだろうかとひとのおこぼれにあずかろうとするハイエナ根性もあからさまに誘いをかけてきたのだけれど(…)が冷酷無比なるノーを突きつけて、わりと人見知りしないというかむしろだれかれかまわず話しかけにいく(…)であるのにこの男にたいしてだけは始終冷たかったようであったのはなぜか。もうひとりのアメリカ人はジャングルトレッキングで一緒になった女性で、途中から合流したメンバーのひとりであるのでそんなに話した記憶もないし名前も知らないのだけれど、なぜかジャングルからチェンマイの市街地に戻るソンテオの車内で連絡先をたずねられたのでとりあえずメモ帳にメールアドレスだけ書きつけたのだけれど当然のことながらいっこうに連絡などないしそれをいえば帰国後にラフティングの写真を送るといっていたオランダ人の(…)からも連絡がない。フェイスブックのアカウントは持っていて当然というのがむこうのアレみたいで連絡先を交換するのではなくてみんなアカウントを交換していたのだけれどアカウントを持っていないと告げると、あれはパーイのライブバーだったと思うけれど、カナダ人の男にいますぐ作るべきだ!世界中のひとびととつながれるんだぞ!と熱弁され、そんなこといったっておれ英語できないしというと、横にいた(…)がこちらの肩をポンと叩くなり、(…)!グーグルトランスレーターがあるじゃあないか!と満面の笑顔で、あいつら日本語と英語との間にある溝の深さも隔たりのひろさもきっと知らない。出自のまったく異なる言語間で自動翻訳がどれだけ役に立たないものかなんてまるでわかっちゃあいない。
腹が減ったのでこのあいだ両親が持ってきてくれたイトメンのチャンポン麺を作って食べた。うまい。世界一うまい袋麺はイトメンのチャンポン麺だという信仰は変わらない。敬愛してやまない。こいつをこえる袋麺はこの世に存在しない。仮に存在しようものならその製造会社に火をつけてやる。そうしてイトメンにはいつまでもキングでいてもらいたい。頂点からの景色をひきつづき独占していただきたい。おもての水場で洗いものをしているとふくらはぎを蚊に喰われた。今年初。先週職場で(…)さんが蚊取り線香をたいていたのを思い出した。夏。
ここまで書いて風呂。のち3時より「偶景」作文。2つ追加して計187枚。完全に「邪道」から逃げている。もうボツにしてしまおうかな。