20130516

 宗教病理の場合、これが意味するところは、ある人がある状況で他人には見えない神仏が見えたり、あるいはそれに語りかけたり、または自分には神のお告げがあり、あるいは自分には特別の宗教的使命を与えられていると感じるという体験をした場合、この体験は確かに日常的な経験則に反するものであるから、その意味では通常の事柄ではないのであるが、宗教的体験は一般に非日常的・超越的・彼岸的な次元のものであるから、それが直ちに病的であるとか、異常であるとか言いにくいのである。もし、宗教的な意味での幻覚や、神秘体験、つまり超自然的存在との合一の体験をもつことがすべて病的であるとするならば、日本でも西欧でも、中世のごく普通の僧侶、貴族、庶民とされていた人びとのあいだに多くの精神病者を発見しなければならなくなるが、それは精神医学的にみても、社会学的にみても矛盾である。精神異常、あるいは狂気とは、社会学的にみれば定義上、精神医学的にみても実際上は、当の個人の属する文化体系のなかで異常、あるいは狂気と認定されるのであって、その文化に属する成員の多くの部分が精神異常とされるような観察基準は自己矛盾におちいっているというほかはない。
小田晋『狂気の構造』)



11時起床。12時半より発音練習&瞬間英作文。17時半にいちど切り上げて買い出しへ。アパートの向かいで立ち話している初老の男女がいたのだが、男のほうの顔に見覚えがあって、どっかで見かけた顔だぞと思いながらケッタをこいでいるうちに、以前の職場の常連であることを思い出した。たしか日曜日の昼間によくやってきては値下がりした半年前のエロ本をあさるだけあさって何も買わずに帰っていくクソうっとうしい客だ。まさかのご近所なのだろうか。町内会の会長とかだったらすごくおもしろいのに。通勤途中など以前の職場の近くをとおるといまだに見覚えのある顔とすれちがうことがいくどもあって、相手も相手であきらかにこちらの顔を見るなりクソ態度のわるいあの店員じゃねーかと認識する表情をうかべるものだからおもしろい。
アパートの近所に酒屋があって、冬はそこで灯油も買ったものだったが、いまどきめずらしいような駄菓子をレジ前に大量に置いてあるためにか、しばしば小中学生が店先にたまっているのを見かけるのだけれど、今日は小学校低学年くらいの女の子数人の輪のなかにひとり、ギャルギャルしたおそらくは同年代かそれより少し上だとおもわれる女性がまじっていて、おさない女の子を相手に何かを食べさせていたのだったか、それともただ話し相手になっているだけなのか、いずれにせよ母親のようでもあれば姉のようでもありあるいはたまたま近所をとおりかかった無関係な姉ちゃんのようでもあり、買い物をすませて同じ道を逆順に通りかかったときもまだいたのだが、幼い子供といっしょにいる女性がその子の母であるかどうかというのはなんとなく雰囲気で察せられるというか直観的にたぶんこうだという判断が動くものなのだが、それが今回にかぎって動かず、ずっと宙吊りのままで、それが不思議であるというよりはむしろそこでおぼえた違和感の出所を遡行する過程で、なるほど、幼い子供といっしょにいる女性がその子の母であるかどうかというのはなんとなく雰囲気で察せられるというか直観的にたぶんこうだという判断が働くものなのだなという認識にたどりついたというのが、思考の順路としてはただしい。
クソひさしぶりに豚肉など食って19時半からふたたび勉強開始。途中で40分ほどやや長めの仮眠をとったのだが、起きるなり咳がとまらず、おそらくは布団の中にくるまって体温が上昇してしまったせいだと思われる。何年か前にやたらと長引いた咳風邪をひいたことがあって、あれはたぶん当時同居していた(…)とたがいに風邪のウイルスを取り替えっこしていたせいではないかと思うのだけれどたしか一ヶ月かそこらずっと咳ばかり出つづけて、そのとき診てもらった耳鼻科の先生に、咳風邪のときは湯船につかっちゃいけないよ、咳がひどくなるからと教えられて、ああそうだったのかと、風呂からあがるたびごとに発作のごとく咳をくりかえしていたその時分の日々をおもって納得した記憶がある。
咳が出て音読などままならないのでひとまずリスニング。次いで瞬間英作文の続き。23時半ひととおり終了。入浴前に先にすませておこうと思っておもての水場で洗いものをしていると風呂にいく(…)さんの姿を見かけたのであちゃー先をとられちまったかとなり、しかたがないので荒れ放題だったひげを整えるなどして時間をつぶしたのだけれどここ二週間か三週間かわからないけれどあごひげをなんとなく剃らずに伸ばしっぱなしにしているので現状山羊みたいになっていて、あわよくばこのまま伸ばしつづけて三つ編みにでもしようかなと最近は考えている。洗い物をしている視界の片隅をよぎるものがあってふりむくと猫がいた。こんな奥まったところまで入ってくるものか。だれかが餌付けしているのかあるいはしていたのかもしれない。
風呂に入って身体をほぐして、さて1時。ここからが本番であると気合いをいれてPCおともに外出。閉店前の(…)にたちよってパンの耳だけささっといただき、薬物市場に到着したのが1時半。道のりの途中にある公園の立派な葉桜にうもれてしまっている街灯の電気が切れかけていて、緑色の葉群れを夜の中で内側からてらしながら点滅するさまがなかなかクールだった。いぜん薬物市場で買い物したときにジュース一本ひきかえ券みたいなのがレシートについてきて、Tポイントカードのキャンペーンとかそういうアレなんかしらんけれどもとにかく当たりで、小学生の時分など自販機でジュースを買うたびに当たりを期待した当時がなつかしい。いまでも覚えているのは夜釣りから帰ってくる信号待ちの途中で助手席の兄が車からおりて自動販売機でジュースを買って車にもどってきたところ、暗闇のなかで自動販売機のジュースのボタンがなお光りつづけていることに当の兄であったか、運転席の父であったか、あるいは後部座席のじぶんであったか、母と弟はその場にいたのだったかどうかもはやはっきり覚えていないが、とにかくだれかがそれを発見して、叫んで、それですでに信号は青に変わっていたのだけれど兄が車から飛び出して自動販売機のボタンを押して、という記憶がなぜこうも鮮烈に印象に残っているのか、いまこのタイミングでよみがえるのか。
薬物市場ではじつにひさびさに「邪道」の続きを書いた。プラス5枚で計461枚。ひさびさによみかえしてみると案外わるくないなという気がする。ボツは取り消しだ。もうすこしねばってみよう。4時の空はすでに青みをおびはじめている。東にむけての片道5分の帰路でもどんどん空が明るくなっていくのがわかって、その色合いになぜかU2のwith or without youを思い出し、歌った。まだ喉がすこし嗄れている。I can't live with or without you. カフカがフェリーツェにあてた手紙の中の一節「きみなしには生きていけない、しかしきみとともには生きられない」をなんとなく思い出す。