20130517

 A・ワッツが指摘するように、ヴェーダ、ヒンドゥイズム、あるいは、仏教及び道教のごとき東洋の思想・宗派は、西欧キリスト教圏のそれとははなはだ異なったものであって、キリスト教ユダヤ教圏における信仰が人間の本性、運命および啓示に基づく実世界についての言語化され、公式化された見解に属するものであるのに対し、東洋のそれはむしろ心の現実的な過程を変え、世界の体験を変えることを目的にした教義であり、西欧でいう精神療法にもっとも近いものである。ただ西欧において精神療法がもっぱら個人の心に働きかけるのに対し、東洋の宗教、思想は人類総体の心の変化を目的とする。確かに、代表的な東洋諸思想は、上述したような西欧の霊肉二元観や超越的人格神の信仰、罪業観といった特徴をもたず、確かにそれ自体一種の精神療法ともいうべき側面をもっている。
 西丸四方氏はとりわけ、中国における道教思想と精神療法の関係について論じている(西丸四方「東洋的精神療法とその風土」『精神医学』七巻、一九六五年)。彼は〈無〉〈諸行無常〉〈わび〉〈さび〉といった概念を用い、主体―客体分裂以前のコスモスへの合一、非合理的連続、孤独の美などを目標とする精神療法がありうることを述べる。ワッツも指摘するように、道家とくに老荘の思想に典型的にあらわれる東洋的精神療法の目標ないし到達点は次のようなものである。


(1) いわゆる将来の心理的目標なるものの追求を主体的に放棄して、現在の感覚の総体に、静かに、持続的に注意をむけること。
(2) さらに、それらに対して、説明したり、診断したり、これらを変革しようと考えないこと。
(3) 現在の体験の直接的明証性に心を向け、過去形の因果的連鎖から解放されること。


 ヒンドゥイズム、ブッディズム、タオイズムの三者を通じて、歴史的、因果的連鎖からの解放を意図する点は特徴的で、それは、歴史性を重視する精神分析の方法と対照的である。
 道教においては、人為的でない、自然の道に達したものを〈真人〉とする。彼らはいわば苦悩からの解放という意味では人間の理想像であるが、道教では、とりわけ〈真人〉たるためには一定の肉体的訓練を必要とすると考えた。道教的な意味での治癒像ありは精神的健康は、ある意味ではヒンドゥイズム、仏教のそれとも共通点をもつ。すなわち、仏教的意味での〈覚者〉は、一人称の〈われ〉の体験なるものが実は存在せず、〈自我〉なるものが直接的な体験世界の内容ではありえず、ひとつの抽象にすぎないことを自覚せねばならず、直接の〈いま〉の感覚以外の、過去=現在=未来の因果的連鎖の上に立った〈われ〉の自己放棄(ニルヴァーナ)が目標とされる。
小田晋『狂気の構造』)



12時起床。13時半より発音練習&瞬間英作文し続けて19時半。とちゅう大家さんが戸をバンバンバンバンとやりだして、今日はそれほど頭にこなかったというか、たぶん勉強の成果らしいものを今日はじめてなんとなく感じたというよろこびがあったからなのだと思うけれど、とにかくおもてに出ると、明日はお祭りがあるから赤飯を注文している、朝にでも持ってこようと思うのだけれどどうか、とあって、赤飯大好きだけれど明日は朝から仕事だからそう伝えると、それじゃあ仕事から帰ってきてからでもいいのでどうぞ、とあったので、ありがとうございますと応じ、ところでお祭りってのはあの近所の神社であるやつのことなのかなと思ってそう問うてみると、御霊祭といって京都では大変有名なお祭りだ、烏帽子をかぶった男性が馬に乗って市内を練り歩いたりうんぬんというので、ちょっと見てみたいけれどあいにく明日あさってと仕事だなぁと、それでいったん会話は中断したのだけれどそれから小一時間ほど経って、たぶん18時半とかそこらだったように思うけれどまた戸をバンバンバンバンとやりだす音がして、出ると、いまちょうど神社のほうでコンサートをやっとるみたいやさかい気晴らしにのぞいてみはったらどうでっしゃろ、とあって、そんじゃあまあきりのいいところでいちどのぞいてみることにしますと応じて部屋にもどり、やるべき作業の残りをこなし、それからスウェットに980円のスカジャンで意気揚々と外に出た。アパートのとなりにある空き地が祭りのための駐車場になっているのはきのう確認していたけれど、今日は駐輪場になっていて、50台以上のケッタがずらりとならんでいて壮観だった。それで徒歩二分の神社に、たぶん上御霊神社であっていると思うけれどその神社に行くことにして、すると家の前の路地からしてすでにいつもと様子のことなる人通りで、横断歩道をわたれば駐輪してある自転車の山、ひとごみ、道の両脇にたちならぶ屋台というありさまで、おー祭りだ祭りだとうきうきしながら境内にむかったのだけれど、これやっぱりある程度ローカルなお祭りということになるからなのか、すれちがうひとの大半が小中高生と家族連れで、じぶんと同じ年代とおもわれる姿のひとり歩きなんて当然どこにもいない。自意識過剰なアウェー感をふみわける一歩また一歩でかまわず前進して境内に入るとけっこうな人出で、たちならぶ屋台をのぞきこめば明らかに堅気でないひとびとの顔また顔、これぞまさしくテキ屋といった感で、そういえば(…)さんも(…)さんもむかしテキ屋をやっていた時期があるといっていた。結局ヤクザ。奥にひかえている社の格子戸越しには金持ちの家が子供の日に飾るようなでかい兜と鎧みたいなのが提灯つきで飾られていた。それからさらに先に進むとひとだかりが見えて、なんだなんだと思いながら野次馬根性で仲間入りすると円陣の中央で小学生くらいの男女が和太鼓を叩きまくっていて、ドンドンドンドン、下っ腹が心地よい。なんとなくライヒのドラミングなど思い出しながらぼんやりとながめていると、小学生男女のあとは中学生男女、中学生男女のあとは高校生男女と、そういう順番であるのかそういう組み分けであるのかもすでにあやしいけれど、とにかく高校生くらいの男女が演奏しはじめるとやっぱりそれなりのパワーがあるからなのか、小学生らにくらべるとけっこうドシドシ腹にくるものがあって、あーシラフじゃもったいないなー思いながらも結局30分以上立ち見しつづけた。高校生くらいの男女がひとりひとり名前を呼ばれて輪の中央に出ていくたびにわきあがる小さな歓声があって、声の出所を見遣ると制服姿のちいさな集団がいくつかあり、同級生の晴れ舞台を見学にきているのだなと、そう思うとじぶんにはおとずれなかった青春の典型みたいなこの風景にちょっと感じ入るものがあって、心がすこしだけ動揺し、それから今年で28歳になることを思い、学生服を着ていたころのことを昨日のことのようだとは腐っても思わないがそれでもやっぱり学生気分はまったく抜けないんだよなとあらためて自覚し、たぶん二年か三年くらい前からだと思うけれどじぶんがすでに大学生と呼べる年齢ではないのだと、初対面のおっさんおばさんからは学生さんですかとたずねられることはまだあるにしても当の学生らからすればじぶんはとうにそうは見えない年齢と容貌にさしかかっているのだというそういう現実をきわめてリアルな、おそらくは人生ではじめてありありとした実感をともなう老いとして感じているところがあって、こうやってだんだんと若さというものをとりこぼしていくのだろうかと、老いることで獲得していくものよりもいまはそれにより失っていくもののほうに後ろ髪をひかれているそんなじぶんにもやはりまたそわそわする夏がやって来るこの四季のめぐりは残酷なようでもあるし救いのようでもある。会社に勤めていれば一年経つごとに後輩や部下が入ってくるわけであるしそれによって一年につき一つずつ増していくその年齢の意味を自然に理解し体得できるのだろうけれど、学生の時分とほとんど変わりない生活を卒業後も送りつづけているというかむしろ当時よりもさらに社会や他人との接点の減少した日々を送っているそのためなのかどうか(それでもこの一年ほどで状況はずいぶん変わったと思うけれども)、とにかく気づけば25、26、27、28と簡単に歳だけ重ねていって、認識と実感が数値に置き去りにされていくその距離を修正する帳尻合わせの瞬間が、たとえば今日みたいにいきなりやってくることがあって老いを感じるのはいつもそんな一瞬だ。なにやら急に、この瞬間を境に、一気に老け込んだような気分に見舞われて、率直に言って、動揺する。時の瀬戸際でおしとどめていた年月が、堰をきって一気になだれこんでくる。
帰宅してから夕飯食って風呂に入りウェブ巡回して、それでふと思ったのだけれど、京都にきてたぶん最初の春か二年目の春、洗濯物を干そうとして当時住んでいたアパートのベランダに出ると、アパートの前の車一台通るのも困難な細い路地に時代劇みたいな格好をした乗馬集団がいたことがあって、本当になんでもない住宅街のアパートとアパートの間にはさまれた由緒もクソもなさそうな路地に烏帽子をかぶった男性やら鎧か着物を着た男性やら女性やら馬やら旗やらが、なぜか行進するでもなく整列した状態のままその場でなにかを待ち構えているかのようにしずかに待機している光景になんぞこれ!と、びっくりしすぎて絶句するという体験をしたのはひょっとしてあのときがはじめてだったのかもしれないが、とにかく目があったら殺されるんでないかとわけのわからない妄想に見舞われるくらいに動揺してあわてて部屋にひきさがったことがあったのだけれど、いまおもえばあれこそ御霊祭だったのかもしれない。後日その話を(…)にすると、京都はたくさんの戦があった土地であるし幽霊でも見たんでないかと、あいつのことだからたぶん半分くらいは本気の発言とおもわれる返事があった記憶があるのだけれど、その(…)に数日前、十日ほど遅れてしまったけれど誕生日おめでとうメールを送った。(…)の本心がどこにあるのかはあいかわらずよくわからんが、すでに何度かいつまでも実家でぐずぐずしてないでこっちに出てこいよと誘ってみてはいるのだし、それでも出てこないということは結局は理由が何であれ出てきたくないということなのだろうから、そうである以上これ以上無理強いするようなことはしたくない。ただひょっとするといつかくすぶりつづけている日々からふたたび抜け出すためのアクションをとろうとするときがくるかもしれない。じぶんにできることとはなにかといえば、その来るべき奮起の日までただ定期的に彼と連絡をとりつづけることだけなんではないか、いざ当人がなにかしら行動を起そうという気になったとしてもそのとき力になってくれそうな人間が周囲にいないとなればその奮起の炎もふたたび鎮火してしまうかもしれない、そうした事態を避けるためにもこの関係を持続しておくこと、誕生日と節目の形式的な挨拶だけでもかまわないからきちんと連絡をとりつづけておくこと、そうすることでいつか本当に他人の助力が必要になったFがそのとき気兼ねなく頼ろうという気になれるそんな男の位置に常に仮想的に立ちつづけること、その位置を先取りしておくこと、先取りしつづけておくこと、相手の状況や本音がよく見えてこない以上もはやじぶんのとるべき態度はこれしかないんではないかと、最近はそんなふうに考えている。