20130524

 その遺書は短かった。


 私はもう疲れてしまった。つまらぬことは忘れて、ぐっすり眠りたいと思う。私は色んなことをして来たが、どれも失敗した。また、誰をも不幸にしただけだった。安ちゃんが幸福な結婚をして、幸福に暮すことを祈っている。
 秀が一緒に行きたいというから連れて行く。この最後の眠りだけは失敗しないつもりだ。


 僕はぼんやりと綺麗な書体を見詰め、言外に隠された意味を汲み取ろうとした。この男の本心はどこにあったのだろう。僅に三十歳くらいで、人生に疲れたなどと言えるものだろうか。その一瞬に僕は、僕の人生を、未知と期待と幻想とに充ちた未来を、真昼の光の中で不意にちらっと覗いたのだ。時間の歯車が瞬時に回転し、それがあまりにも素早かったので、僕は未来の絵模様を明かに認めることが出来なかったけれども。
福永武彦「廃市」)



夢。古本と雑貨をとりあつかっている架空のお店に来ている。部屋の壁際に沿って本棚が設置されているほかは、床の上にガラクタとも骨董ともつかぬものが転がっている程度の、がらんとしてひと気のない、殺風景でこじんまりとした店内である。低いカウンターの奥では店主らしき初老の夫婦がなにやら立ち働いており、カウンターの手前に置かれたパイプ椅子の上には匿名的な若い男が腰かけている。男とは喫茶店でたがいに面識があるらしいのだが、言葉を交わしたことはほとんどない。男のたちふるまいのひとつひとつには自らがこの雑貨店の常連客であることを誇示しようとする魂胆が透けてみえる。邪魔くさい。ゆえに会釈のひとつも送らず他人の距離感に徹しようと決める。カウンターの上に置かれている本を手にとってながめていると、なにかお探しですかと、洒落た雑貨店の店主らしくない、どちらかといえばさびれた商店街にある文房具屋の店主のごとき外貌を有する初老の男性から声をかけられる。ミハイル・ブルガーコフ巨匠とマルガリータ』だったか、あるいはヴィクトル・ペレーヴィンかウラジミール・ソローキンか、そのあたりのロシア文学作家の文庫本を探していると応じると、文庫なんて出ていたかなーという返事があり、出ていないことをじぶんは知っている。
夢。ひと一人がようやく通り抜けることのできる程度の細い路地を自転車をひきながら歩いている。こじんまりとしたアパレルショップがテナントとして入った建物に両側をはさまれた裏道で、閉塞感のある隘路の割にやたらと日当りがよく、うすい黄土色に塗られた外壁の色や足下の石畳のためもあって、おなじ裏道といってもアジア的な湿気と薄暗さとは無縁の、清潔感のあるこぎれいなヨーロッパ的な色彩にいらどられてみえる。両側につらなる各種ショップのひとつに入ろうとするも、自転車を止めておくためのスペースがないので、少し離れたところに位置する、目星をつけていたショップとはまったく別の、女性物の衣服をとりあつかっている店の入り口に自転車を半ば突っ込むようにして強引にとめる。オープンしてまもないらしい色味の薄いウッディな店内で帽子や靴や小物などをながめていると、ベレー帽をかぶったひげ面長髪長身の店主らしい男の姿がみえたので、ここって自転車とか止めれるようにしないんすかねと声をかけると、その予定はないと素っ気ない返事がある。店内にいた匿名的な男性(認識上はどうも(…)さんを介して知り合ったじぶんの先輩というかたちになっているらしい)から、(…)くんこのスニーカーどうよと手渡されたので、ぼくゴツめのスニーカーってあんま好きじゃないんすよねー似合わないから、と言いながら試着する。
夢。部屋で目が覚めると(…)の姿がない。部屋は早朝の青みをおびたうすぐらさに染め抜かれている。なんとなくこちらが眠っているあいだにおもてに出ていったような気配が残っている。トイレにでも行っているのかもしれないと思って洗面所に出る(本来ならこの部屋には洗面所などないが、部屋と土間をしきる硝子戸のむこうにひかえている細い廊下めいたスペース――当座しのぎのキッチンとして利用している――が、かつて住んでいた円町のあばら屋の細い廊下と夢の中では同化している)。顔を洗おうとして電気もつけぬまま洗面台にかがみこんだところで、東京に(…)を迎えに行った記憶がまるでないということに気がつき、次いで、じぶんが夢の中にいるということを自覚するまでにはいたらぬものの、しかしこれは現実ではないとの認識をしずかに獲得するにいたる。
11時起床。13時より発音&瞬間英作文。『どんどん〜』がとりあえず今日で終わった。次は『おかわり!スラスラ〜』に着手することに決めて16時。スケジュールのことで確かめたいことがあったのでこんな朝早くにいないだろうと思いながらスカイプにログインすると(…)がいたのでチャット開始。手元の時計ではロンドンは7時とあるのに(…)は8時だという。たぶんサマータイムというやつだろう。30分ほどチャットしたところで、今から大学に行かなければならない、けれど今日は水曜日に提出の課題につきっきりになるはずだから24時間オンラインということになる、それだからあなたさえよければどれだけでもおしゃべりできるのよ、とあり、そんじゃあログインしつづけておくよと返答したその五分後にはいったんPCをスリープモードにして買い出しに出かけ、夕食をとり、ウェブ巡回し、それから入浴して何やかやとしているうちに21時になってしまい、ぜんぜんログインしつづけてなどいなかったわけだが、そこでとにかくいちどログインしてみるとたしかに(…)がいて、けれどメッセージを送ったところでなにも返事がない。相手のアカウントがインしたりアウトしたりを繰りかえしているのを見るかぎり、どうやらまた回線のほうが弱くなっているらしくて、なぜかこの時間はいつもそうなる。しかたがないので音読を始めた。0時半に終了。どれだけメッセージを送ったところで梨のつぶて。
七月の末に東京に到着する(…)を空港でむかえるついでにそのまま数日間東京観光をするという予定でとりあえず行こうかと話が決まったあと、勉強すればするほどじぶんがいかに英語をあやつれないかということがわかってきて気が遠くなるのだけれど、ふしぎなのは、いまよりももっとずっとしゃべれなかったはずの一年前のじぶんがきみとサシで毎日のようになにかしらトークしていたという事実で、しかもその内容の大半は哲学や芸術や宗教にかかわるものだった、そのことがまったく奇妙に思われるみたいなことをチャットしているときに伝えると、あなたはほとんどの英国人より文法も精確だし語彙も豊富だわ、ただそれでもしゃべれなかったり聞き取れなかったりするのはただあなたことがいままで英語話者とかかわる機会がなかったからにすぎなくてそれはいわば文化の差みたいなものよと、だいたいそんなふうな返事があったのだけれど、以前は似たようなことをいわれてもちょっとしたお世辞のようなものとしか思われなかったのが、アメリカ留学していた(…)の話などを聞いているうちにどうも本当らしいというか、さんざん非難されている日本の英語教育であるけれども少なくとも文法と語彙にかんしては世界でもトップレベルの水準にたぶんあるということがなんとなくわかってきて、そういう意味ではたとえば中学高校とひとしきり英語を勉強して基礎の身についている人間だったらだれでも、スピーキングの練習さえ面倒くさがらずにこなしさえすれば案外たやすくペラペーラになるんでないかと思った。と、こう書くとなにかものすごくできるひとの言葉みたいだからじぶんがいかに低レベルな次元で毎日必死こいているかを補足しておくと、今日は英語の月と曜日を丸暗記した。これ曜日のほうはまだマンデーチューズデーと頭から数えていったらなんとかなるのだけれど月のほうはApril以外からっきし頭に入っていなくて旅先でもわりと不便だったのだけれどいまのいままでなんとなく覚えずにきていて、でもさすがにこれくらい覚えておいたほうがいいと思ったので今日、すべて付箋に書きつけてアナログテレビの液晶画面にはりつけておいた。鬼門はseptemberとaugustだ。julyもけっこう鬱陶しい。要するに、夏から秋にかけてが覚えにくいというわけだ。
このあいだ(…)と英語の話をしていたときにも、if節やらwhen節やらでは未来のできごとも現在形になるというのを文法書で読んではじめて知ったといったら、こんなもんセンター試験なんかでは常連といっていいも引っかけ問題だぞといわれたことがあって、九年前のじぶんがなんで満点近くとれていたのかほんとうに理解に苦しむ。半年間で中高六年間の内容をぜんぶぶっこむ規模のでかい一夜漬けみたいな受験勉強だったせいで試験がおわった途端にすっぽり抜けてしまったとかそういうことなんだろうか。あとは身体つきも高校のときのほうがずっとがっしりしていたといわれてショックだった。懸垂のおかげですくなくとも上半身はかなりマシになったと思っていたのに、当時のほうがずっとムキムキしていたという。旧い落とし物を拾いあつめるだけの一年。