ファンタスムとは語源的にファンタジーと同じ言葉なのですが, ふわふわと不定形に漂う感情のようなものではありません. それはすでにみたあの無意識の表象に媒介されて, 普段は「現実」に沿って統合されていると信じているわれわれの身体や, 「現実」を正しく認識していると思いこんでいるわれわれの知覚の表層へと, 奇怪な形を伴いつつたえず滲み出してきて, 身体や知覚を撹乱させるものなのです. この表象体系は, ところがまた, われわれがおいしいものを食べたとき, 美しいものを身にまとったときに身を貫くのを感じるあの無償の歓喜のように, あるいは人を好きになるときに働く, 当人にも不可解きわまりない恋愛感情のように, 何の意味も根拠もないものでもあるのです. なぜうれしいのか, なぜ好きなのかと聞かれても, 理論だてて答えられはしません. 夢という表象は, それが理屈で説明のつく願望の充足だから, ファンタスムのプロトタイプだというわけではないのです. 理屈では割り切れない理不尽な胸のときめきを夢から覚めた人に残すからこそ, 夢はファンタスムなのであり,(…)ですから, 体系という言葉をファンタスムや表象に添えてつかっていますが, 理論化できるシステムという意味からではありません. 女性になることを密かに欲望してしまっている男性が, この欲望に単に性器的快楽だけではなく, 衣裳や言葉遣い, 生活習慣などにおけるフェティッシュな欲望を次々と連結してしまう, その欲望の自動的な連鎖作用だけがファンタスムを構造化しているということを, それは言いたいのです. それは体系だが, 決して理論化はできない. 理論化するにはわれわれ一人ひとりがしてきた偶然というしかない体験にあまりに多くのものを負っているからです.
(小林康夫・船曵建夫・編『知の論理』より石光泰夫「言葉が身体と化す 精神分析とファンタスムの論理」)
12時半過ぎ起床。だめだ全然起きれない。起きれないだけならまだアレなのだが、起床後もずっと身体がだるくて頭の芯に強烈な眠気のわだかまっているような感じがしてぜんぜん立ち上がれない。座ったまま眠りこんでしまう。扇風機の風を一晩浴びつづけたときのような、徹夜明けでセックスしたあとのような、あの手足の末端をしびれさせるような気怠さ。ものすごく気合いを入れてどうにか立ち上がっておもてにでると夏の熱気で、歯磨きと洗顔をすませてまだ涼しい部屋にもどってココアを入れてパンの耳をトースターで焼いて、としているうちにふと何本かの夢をたてつづけに見たことを思い出し、かつ、その夢の内容がこの気怠さ、このテンションの低さ、モチベーションの低さに不可視の経路を介して連結しているという事実を直感的に把握した。夢のひとつはたしか職場の(…)さんにアイデンティティについての話題をふられて、そんなものは幻想だ、個性やオリジナリティなんてものと同じで事後的に俯瞰することでその都度静止画的に把握することこそ可能であるとはいえ時の流れの渦中を生きるものの中核としてそうしたあれこれをとらえるのはおおいなる勘違いだ、みたいなことをたぶん答えたのだけれど、そうしたこちらの論点を梃の原理でひっくりかえすような皮肉めいた反論があって、たぶん自意識とかナルシシズムあたりがキーワードであったように思うけれども詳細ははっきり覚えていない。ただそれこそカフカのアフォリズムや草の三段論法に見られるようなあの「よわい論理」を奇妙に駆使してぶつけられた反論で、なにも言い返すことができず、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていたんではないだろうか。もうひとつの夢は見知らぬ住宅街を歩いている夢で、すると前方に控えている安アパートからひとりの男性が出てきてじぶんの先を歩きはじめるのだけれど彼がジャンプ系の漫画家、たぶんワンピースとかナルトとかブリーチとかあのあたりの有名作家であってそのことをじぶんは事前にネットで知っていたことになっているのだったかどうだったか、とにかくはっきりと認識していて、あ、尾田栄一郎だ、みたいな、岸本斉史だ久保帯人だ、みたいな、そういうアレで、たまたま進行方向が同じだったのでついていくといつのまにか埃っぽくさびれた路地裏の駄菓子屋で、バンコク郊外にあった市場のようでもあるそこで飲み物を探すのだけれど駄菓子のジュースみたいなものしかなくてかろうじて店内の片隅に置かれた小さな冷蔵庫の中に三四種類のペットボトル飲料が入っているのだけれどいつからあるのか知れたものじゃない。ジャンプ系の漫画家も飲み物を探しているようで困っている。どこかに弟の気配がある。そんな夢だった気がする。
布団を干した。部屋を掃除した。気づけば16時半になっていた。ダニを死滅させるべく布団を干して畳の上をコロコロで掃除してところどころダニスプレーをぶっさして、それで終わるつもりはずだったのだけれどなぜか興が乗ってきたというか、これも要するにいちど規定の時間割がおおきく崩れてしまうともうその日一日中イレギュラーな段取りで過ごしたくなるという完璧主義者の裏返しになった自暴自棄みたいなものだと思うのだけれどとにかく、わざわざ雑巾まで持ち出してデスクや硝子戸や姿見やらのもろもろまできれいに拭き掃除しはじめ、ひげも整えたしパソコンデスクも片付けたしたまっていたメモ書きをすべて壁に貼りつけたし、という徹底ぶりで、しかしいちばんすごかったのはまちがいなくデスクの上のパンくずで、食パンマンが爆死してもこんなことにはならないレベルというか、玄関の扉を開放したまま仕事に出かけて帰宅したらすずめが一族郎党呼びよせて部屋の中で巣を作っていてもおかしくないみたいな按配だった。掃除中のBGMとして最初ひさしぶりにバッハのマタイ受難曲を流していたのだけれど掃除って感じではないなぁというアレからもうちょっとアゲアゲしたかったのでセシル・テイラーに切り替えてその流れでアラン・シルヴァ、そこから急旋回でフェミ・クティに不時着したみたいなアレで親父がやばすぎてどうもいまいちという感想だったフェミ・クティだけれど数年ぶりに聴いてみるとこれはこれでそんなにも悪くないんではないかという気がした。
掃除中いくどとなくハンドクリーナーがあればなぁとしみじみ思ったのでとりあえず(…)にハンドクリーナーあまってない?とメールしたところ、それ余るもんじゃないやろという返信があってまったくもって使えないやつだ(だれかハンドクリーナーあまってるひとがいたら着払いでぜんぜんけっこうなんでください)。それでイレギュラーな一日なのでとりあえずひさびさに服でも買いにいこうかと(…)を誘うことにして(…)はケッタをもっていないのでふたりして地下鉄で行こうかということになったのだけれどそもそも(…)のビッグスクーターに2ケツしたらいいじゃんと思ったけれども駐車場がないみたいなアレから結局の地下鉄で、それで地下鉄代もジュース代も晩飯のクソ高級タンシチュー1人前三千数百円もすべてじぶんが持つという気前の良さを発揮した。おれが小金をもっているなんてことは滅多にないのだからたかれるうちにたかっておけと、始終遠慮しがちであった(…)にはたびたび発破をかけた。タンシチューのタンはアホみたいにやわらかくて箸で持てば崩れるほどで端的にいって美味だったのだけれど店のババアがでしゃばりすぎてうっとうしかった。これまでに数十組の縁談をとりまとめてきたのが彼女の誇りらしく、しきりに結婚・家庭・子供の三原則を食事中のこちらなどおかまいなしに猛プッシュするありさまで最初のほうはその空気の読めなさっぷりにそりゃ流行らねーよこの店は(…)とふたりでにやにや笑っていたのだけれど、家庭をもたない奴なんてのは非国民だレベルの人格攻撃を日本中の未婚者にむけていつからか矢継ぎ早にくりだしはじめて、なんかそのあたりからアレこいつちょっと話長くない?みたいな、だんだんと相手にするのも面倒くさくなってきたものだからてきとーにまあ三十歳も半ばをまわるころには身を落ち着けようとするもんじゃないですかねと当たり障りのない他人事めいた相づちをふたりして打つなどしてさっさと切り上げさせようとしたのだけれど、そうしたこちらの意図など微塵も察することなく、そんなんじゃあ駄目だ、そんなんだから少子化がうんぬんかんぬん、あるいは出生率がうんぬんかんぬんと、たいそう頭の悪い空疎な発言を呪文のように唱えてやまないので、あっそ、じゃあてめーは国の将来を憂いてばんばん子供つくってそんで一族郎党お国といっしょに心中してろよクソババアと内心毒づいていると、ババアがまだまだ話し足りないとばかりに口角泡を飛ばしまくっている最中にもかかわらず(…)が席をたちあがるなり「行こか!」と言い出し、それで支払うべきものを支払って店の外に出たのだけれどその途端あのババアくっそうぜえな!とこちらの出足をうかがいもせずにいきなり切りだしたTの柄にもないふるまいが痛快だった。
服を買いにわざわざ地下鉄に乗って四条界隈にまでくりだしたはずであったのだが、結局なくしたボディピアスの代替物を購入しただけだった。柄シャツとベルトにそれぞれ気になるものがあったのだけれど結局まあいいやとなった。地下鉄に乗って部屋にもどり、酩酊した。アイスを食ってジュースを飲んでつけ麺を食った。めざましをきちんとセットして2時前には寝た。