20130611

まねによって覚えるという方法は, 最初に総合を置いてしまう方法であって, 実行者に全体的なエネルギー充当を要求します. 分割のできない連続体として与えられている諸々の形態を, 飽くことなく繰り返す中で, 彼は彼の主体性を否定しようとしてカタが押しつけてくるあらゆる身体的・精神的抵抗を乗り越えなくてはなりません. さらにそれだけでなく, いうなればそこで自分を解体し, 一種の無条件同意の状態に達しなくてはならないのです. 彼はカタそのものになり, カタに対して総体的に現前しなくてはなりません.
小林康夫・船曵建夫・編『知の論理』よりドゥ・ヴォス, パトリック「『型』の日本文化論 対話を通して身体を見る」)



11時起床。12時より発音練習&音読。16時にきりあげて整骨院へ。ビブレでまたもや財布をチェックするもけっきょく買わずにおわった。去年の秋からちんたらずっと迷いつづけている。何も買わずに帰るのも癪なので、テナントとして入っている雑貨店のようなところで、残り枚数の少なくなってきている付箋と消しゴムを買った。生鮮館にたちより買い物をすませて帰宅。筋トレ。夕食。ひょんなことから『伝説のオウガバトル』のプレイ日記をつけているブログを発見してしまい、仮眠をはさんで延々と読みふけってしまった。『タクティクスオウガ』は『クロノ・クロス』とならんで確実に物語作法上の影響をじぶんにおよぼしたテレビゲームなのだが、『伝説のオウガバトル』は未プレイだったりする。オウガバトルサーガの全貌を知りたい。全七章だか八章だかの構想を簡単なテキストのかたちでもかまわないから発表してほしい。音読の続きをすませてから入浴。そういえば昼間、丸一ヶ月以上も伸ばしっぱなしだったあごひげをカットした。寝癖ができるほどの長さになっていたのだが、きょう鏡を見た瞬間にふと、いやこれ違うだろうよ、と思ったので、また以前のように短くかりこんだ。プレイ日記の日付は4年ほど前のものだったが、ブログのタイトルをクリックしてトップページに移動してみると、2013年6月現在もひきつづき更新中の生きたブログで、ある程度の年数をまたいで更新されているブログを見かけると、時間というものをひしひしと感じてそれだけでなにかこう、よし!となる。すべてよし!と、思ったけれどもこのブログも最初の記事が2008年11月とかで、これってけっこう驚きの事実である。インターネットというかパソコンに出くわした19歳のころから公開非公開含めてほとんど断続的にブログを書きつづけていることを考えると、もうかれこれ9年になるわけか。できごとの列挙が日記としていちばんおもしろいと思う。チェンマイからパーイへむかうミニバンに乗っているとき、日記を毎日書いているというと、わたしも書いている、ただし毎日は書かない、気がむいたときにだけ書く、(…)はそういった。思考や感情やインスピレーションなんかを書きとめておくのよ、と続けて、あなたは主になにを書き残しておくわけ?というので、factだ、と答えた。そんなのつまらないわ、と(…)はしごく不満気にいった。たぶんこちらの意図するところは汲んでもらえないだろうがと思いつつも、意味にはうんざりしているんだよ、と応じた。バルトの倦怠。部屋の壁に貼りつけてあるバルトのポートレートを見て、ハンフリー・ボガードに似ていると父は言った。