20130616

6時半起床。8時より12時間の奴隷労働。帰宅後荷物だけ入れ替えてすぐに今出川まで出る。バスに乗って四条烏丸へ。(…)さん(…)さんと合流。すっかりできあがっている。以前(…)さんが(…)さんと(…)さんの三人でおとずれたという居酒屋へ。ここの大将がもともと(…)さんがブイブイいわしまくっていたころの仲間のひとりで、(…)さんについては「ほんとうに残念な大人」だといいながらも料理の腕に関しては天才と認めてやまず、じじつ店で出しているメニューの大半は(…)さんによって考案されたものらしい。というわけで鳥を食いまくった。先週より風俗で働きはじめた(…)さんはいまのところ無事に元気にやっているらしい。色んな意味で黒くハードな業界ではあるけれども丸一年働いて幹部クラスに昇進しさえしたら月給50万円はかたいらしく、そうなればじつにおいしい。ただ(…)さんは金をもつとやばいというか、またかつてのように向精神薬とか睡眠薬とかブロンなんかを買い占めてがっつりオーバードーズするんでないかと、それだけがみんな心配で、(…)さんはもともと祇園で伝統文化にたずさわる一員として働いていて、実働時間は一日一時間とか二時間レベルなのにものすごい賃金というか給料自体はたいしたことはないのだけれど金持ち姐さんたちの雑用をこなすことでもらえる小遣いの額が半端なくて、たぶん世の中にこれよりおいしい仕事はないんでなかろうかというアレだったのにハーブで人生オジャンにしてしまって、気づけば居酒屋でうんこを漏らしたり上半身裸にベースボールキャップをかぶって繁華街を練り歩いたりしてしまうようになってしまったとかなんとか、あとはものすごいスケベで、スケベという語のもつありとあらゆるニュアンスと完璧に一致する人材で、(…)さんから二万円借金してまでヘルスに行ったとか(…)さんのお店に女の子を連れてきたはいいものの金づるにされまくっていたとか、むかしから生魚と犬とオカマだけは大嫌いだとずっと言い続けていたにもかかわらずいつからかニューハーフにはまりだしただとか、大阪だったか京都だったかにあるゲイの集まる有名なクラブに行きたいからといってノンケの(…)さんを誘ってくりだしたはいいもののまったくもっていっこうにモテず、最終的に店の真ん中で「だれでもいいからおれを抱いてくれ〜!」と大声で叫んだとか、やばいエピソードがてんこもりで、あとは実家が割烹をやっているらしいのだけれど母親が愛人を連れてやってきてじぶんの旦那が立ち働いているカウンター越しに平気でディープキスしたり下半身をいじくりあったり、けっこうえげつない家庭環境で育ってきたらしく、だから(…)さんはぜんぜんそんなふうに見えないのだけれどけっこう派手にDVをやらかすひとで、そういう意味ではもうひとりの(…)さんと同じなのだけれど、夜中とか朝方にしばしば(…)さんのもとに息子をどうにかしてくれと(…)さんの父親から電話がかかってきたことが一時期よくあったのだという。というのもそのむかし(…)さんがその割烹でバイトとして働いていたことがあったらしく、(…)さんと(…)さんは幼稚園からの付き合いらしいのだけれど、あの環境だったら(…)があんなふうになってしまうのもしかたないと(…)さんが口にしたのはちょうど(…)さんが便所に立っていたときだったように思うけれど、気づいたらまわりが頭のおかしいやつばっかになっていた、かといっていまさらまともなやつと付き合おうという気にもなれない、正気なやつとつるんでもしかたない、というので、まあ類は友を呼ぶっていいますもんね、と聞こえようによってはずいぶん失礼無礼にあたる相づちをうち、それからなんだかんだといいながら(…)さんの地元仲間に次々とひきあわされて輪の中に入りつつある現状を思った。むかしは、大学を卒業する前後だったように思うけれど、小説を読み書きする仲間が欲しいとか、そうでなくても音楽をやっていたり美術をやっていたりあるいはシネフィルだったり、舞台をやっていたり哲学をかじっていたりする連中とつるんだらさぞかし楽しいだろうと思ってそうなることを望んでいたこともあったのだけれど、ひとりで黙々とインプットとアウトプットをくりかえしているうちにだんだんどうでもよくなってきたというかむしろじっさいにその手の連中と知り合ったり言葉を交わす機会を七年間を通して重ねていくうちにどうもこちらの買いかぶりだった、おもしろい人間がいないことはない、だけれど大半の人間はクソつまらないというか生意気いわせてもらえればこちらを驚かせてくれない、モラリストによる定型思考の域を脱するものではない思考をどや顔でひけらかすのにそうかもしれませんねとげんなりとした気遣いとともに相づちを打つのもうんざりもう飽きた、芸術に寄りかかっている人間ほど強烈に紋切り型の言説を口にするものもいない、と完璧に幻滅したというのが、傲慢なものいいかもしれないがたぶん正直なところであって、行儀の良いアート・サブカル愛好者らや文学かぶれどもの趣味の悪さに遭遇するたびにオエッとなってしまってここじゃねえやおれの居場所は、となる。手垢のついた落としどころありきの会話をなまぬるい固有名詞の周辺で交わしあっては知識量の多寡を競いあう愚劣な営みに参画するくらいならば、頭のおかしいひとたちの頭のおかしいふるまい、奇妙奇天烈な発言や動向、まだ目にしたことのない珍妙な光景やエピソードを採集するほうがずっと愉快というもので、ところでそういうかつてあったれこれを思うと、ネットというのはすばらしくて、愛好する固有名詞のばんばん頻出するこのブログに興味をもってなにかしらのかたちでコンタクトをとってきてくれるひとびとと趣味のあわないわけがないというか、早い話、真っ裸に本音のじぶんをそれでもよしと肯定してくれたうえでの関係なわけだから、こういうとなにぶん幼児的な全能感を求めているのかおれはと自問したくもなってくるが、しかしありがたいし、なにより話が早い。この文字列の墓場を京都にやってきて以降のじぶんの領土であるとすると、(…)さんらとくりだす週末の夜というのは地元に置いてけぼりにしてきたじぶんの側面の復讐のようでもある。復讐者が深夜の繁華街を歩きまわっている。街と人に勝手に期待して勝手に倦んだ京都のじぶんを殺そうとつけ狙っている。居酒屋を後にしてからは(…)さん宅に行った。死んだり生き返ったり失神したり痙攣したり悟ったり恍惚としたり狂おしく美しい事物の細部に溺死しそうになったり、せわしなく、めまぐるしく、ものぐるおしく、あざやかに狂って咲く花はあだ花、骨折りは無駄骨、どこの馬の骨ともしれぬまま何も残さず朽ちて逝く。