20130625

 患者が(病院や施設という)〝制度〟をわが家とみなして、冷厳な外の世界にいるよりもそこにいたほうが居心地が良いと感じるようになると、経済的にもその他の面でも不都合が生じる。外の人たちにはそういう患者たちの心境が「理解」できず、その心境を説明してやることも不可能なのだ。医療陣の一員としての私自身でさえ、結婚して子供が出来た時でも、できるだけ長く「内」に留まろうとする方向に強く惹かれたものだ。病院は良い子宮にもなりうるし、悪い子宮にもなりうる。退院できるか否かによって、入院生活は全く違う経験になる。ガートネイヴァルでは、われわれは一つの閉鎖病棟で投薬を殆ど零にしたところ、一週間のうちに窓ガラスが三十枚も割られてしまった。怪我をした者はなかった。その病棟を開放してみたら、窓ガラスが割られなくなった。先を争って脱走しようとする動きもなかった。いつでも出られるとなると、殆ど誰も出たがらなかったのである。
 医療スタッフと患者たちは、いずれも同じ側に身を置いて、お互いに好感を抱きあうことができる。精神医療でこの方向をめざす努力は必ずしも水泡に帰するとは限らない。「権力の共有」とか、「決定責任の共有」は制度的な精神医療の内部における治療共同体運動の合い言葉となっている。が、それを験してみたことのある専門家なら誰でも知っている通り、権力または権限を本当に患者と共有するのは難しいことなのだ。たとえ、幾つかの面で医療スタッフが時々そうしたいと思っている場合でも、それは難しい。法律によってスタッフに授けられている権限には、その権限自体を手放す権限は含まれていない。権限を手放すのは、「自分の医師としての責任を放棄する」ことになってしまうのだ。「許可しない」ということは、結局「禁止」なのであり、「禁止していない」ということは、「許可」と同じことなのだ。許可するのを禁止されていることを禁止しないでおくことは許可されていないのだ。精神科医自身が、治療上の理由だけからではなく、患者を病棟に縛りつけておくように縛りつけられているのである。
R・D・レイン/中村保男・訳『レイン わが半生』)



11時起床。ひさびさの晴れ間に洗濯。13時より17時まで発音練習&リスニング。炊飯器をセットしておいて整骨院へ。帰宅して19時。筋トレ&ジョギング。家を出る直前に水場にいた(…)さんから声をかけられ、デパ地下の余り物をまたゆずってもらった。高級弁当。すばらしい。このところの雨降りとトラブルでずいぶん間が空いてしまったような気がしないでもないが、ジョギングはかなり良いペースでこなすことができた。半袖がなかったのでヒートテックのパチもんみたいな長袖を着たら汗びっしょりになって、でもその分なにかこうがんばった感が出るみたいなところはある。シャワーを浴びて夕食。高級弁当美味し。
23時よりひたすら瞬間英作文。きりのよいところで中断し、つけっぱなしにしていたPCにむかうと、(…)からメッセージが送られてきていたのであわてて返信。ラオスにビザランするのか予定より早めに来日することになるのか、どうなることやらと思っていたが、結局、タイ大使館に行って30日用のビザを購入することにしたという。価格もそれほど高くはないから大丈夫だとのこと。そんなこんなの経緯をチャットしているあいだにもバンコク→東京のチケットと大阪→バンコクのチケットの購入手続きをすすめていたようで、とうとう最終的な日取りが決まった。曰く、7月23日の22:30に羽田着の便で来日、そうして9月20日に大阪発の便で出国。ということはほぼ二ヶ月間のステイである。あらためて考えてみると、これほんとうに大丈夫なんだろうかと不安に思わないでもないというか、じっさい東京にむかうための夜行バスの料金をチェックしたり(…)兄弟にむこうで会うことのできる時間はないかとメールを送ったりしているうちにいきなりコールがあって出るとむちゃくちゃ疲れた声の(…)で、しばらくごぶさただったダウナーなその声色を耳にした途端、起き抜けの(…)のほとんど理不尽といっていい不機嫌にイライラしたりビクビクしたりした昨夏の記憶が半端ない鮮度でいきなり脳内をかけめぐって、そうだった、こんなだった、本当に一緒にいて苦痛だったのだ、と、時の美化作用によって覆い隠されていた部分がいっきに記憶の表層に浮上し、結果、二ヶ月の共同生活なんて無理に決まっているだろうがといっきに高揚が醒めてしまい、急降下で気が滅入りはじめている。日本語が通じるものならちょっとやそっとの不機嫌やご機嫌斜めなんてものは冗談のひとつふたつで簡単に晴らしてあげることもできるけれど、英語だとそうはいかないというか、むしろおぼつかない話術によってますます相手を苛立たせてしまうだけでしかないんではないかと、だんだんネガティヴ、だんだんバッドで、そういえば大家さんの了承だってまだとっていない。これで突っぱねられたら終わりだ。首でも括るほかない。
友人の赤ん坊をあずかっているのだと(…)は言った。疲れている、休憩する時間がない、今日はこのあと大使館に行かなければならないしその後にはバイトが控えている、明日は歯医者、それに親戚集まってのパーティーがまたある、とても忙しい、タイトスケジュールだ、そう語る声のくたびれっぷりがまた聞き取りにくい。聞き取りにくいが、こういうときに細部をいちいち聞き返すのはどうしてもためらわれる、その結果として会話が噛み合わなくなってしまう、そんなことも何度もあったと、働く連想がことごとく悪い方向にかたむく。通話をはじめてものの数十分もたたぬうちにインターフォンの鳴る音が聞こえ、様子を見にいく(…)の足音とリトアニア語の会話が次いで聞こえてきて、その中に(…)という語が混じっていたが、もう友達が来てしまった、これから一緒に大使館に行ってそのあとはバイトに行かなければならない、明日は明日でパーティーがあるし、とにかくまたいずれ別の日に、という別れの挨拶があってシーユーアゲインし、電話を切られることによってほっとしてしまうこんな体たらくで果たしてひと夏持つんだろうかと気落ちに際限はない。どうして来日を告げられた一月中旬の時点で勉強を開始しなかったのかと、また無意味な後悔をかみしめて遅刻者たるおのれの皮膚をよわい爪でひっかきまくったところで血も出やしねえ。あと一ヶ月の勉強でなにがどうなる。すべて悪い方向に転ぶ気がする。
とかなんとか思いながらも手だけは止めてはならぬと5時過ぎまで延々と英語の調べもの。作業はある程度頭をクールにしてくれる。ロマン・ロランの言葉だったような気がして検索をかけてみたところなかなか見つからず断片的なキーワードを手を変え品を変えすることでどうにか発見することのできたもののロマン・ロランではなくむしろD・H・ロレンスのものであることが判明した言葉に《将来のことを考えていると憂鬱になったので、そんなことはやめてマーマレードを作ることにした。オレンジを刻んだり、床を磨いたりするうちに、気分が明るくなっていくのには全くびっくりする》というものがあって、はじめて知ったのはたぶん二十歳かそこらのときだったように思うけれど(当時やはり毎日書いていたブログに引用した記憶もある)、まあそういうもんだよなと思う。太刀打ちのできない正しさというものがある。