20130627

 私はサンタ・クロースの存在を信じていた。そのうちに、私の五回目の誕生日後のクリスマスがめぐってきた。私が学校に入ってから一学期がたっていた。サンタ・クロースが信じられなかったというわけではないが、どうしてあんなに狭い煙突を煤もつけずに昇り降りできるのか不思議だったし、一晩のうちに何千何百という煙突を降りては昇ることがどうしてできるのかも解せなかった。だが、クリスマスは神の子で神の化身であるイエス・キリストの誕生日なのだ。神様ならできないことは何もない。でも、どうやってするのだろうか。学校では、そんなこと知ってるけど教えてやらないよ、と言っている子もいた。
 私は父母を質問攻めにした。父母は何とも答えなかった。そこで一晩じゅう目をさましていてサンタを捕まえようとしてみたが、眠りこんでしまい、目がさめると、またまたサンタ・クロースさんからのあの人をじらせる贈り物が届いていた。
 ずっと後になってから母はこう話してくれた。おまえが「ぴくっぴくっと動き」つづけるものだから、あたしはおまえのベッドまで床を這って行って、また戻るまで一時間もかかったのだ、と。
サンタ・クロースはどうやってあのプレゼントをあそこまで持って来るの?」朝食の席で私は気も狂わんばかりだった。父母は考えて当ててごらん、と私に時間をくれた。が、どうしても見当がつかなかった。
「考えるんだ」と父母は言った。「そうすれば、わたしたちの口から言わないで済む。サンタ・クロースは誰なのか」
 私はあきらめた。「誰なの、サンタ・クロースって?」
「わたしたちなのさ!」
「父さんたちが!?」 これは思いもよらないことだった。
 私には、こちらを見ている父母が、今までの美しいクリスマス・プレゼントすべてに対して私が父母に感謝の気持を表わすのを待っているのだと分っていた。だが、そうすることはできなかった。私は呆然自失の状態で、咽喉が苦痛の手でつかまれたみたいに痛かった。サンタ・クロースは父や母だったのだ。私はサンタ・クロースと父母が同じだということがいやだった。父母が可哀想で、ありがたいと思うどころではなかった。私は礼を言った。玩具はもう私の興味を惹かなかった。
 何百万という子供はサンタ・クロースについての真相を知っても全くうろたえない。だが、私は肉体的なパニックに陥った。なぜか。五歳の児童にとってそれは極度の知的危機だったのだ。サンタ・クロースは煙突を降りて玩具を置いてゆく。どんなやり方でそうするのか。いや、どんなやり方でと言うより、サンタ・クロースとは何者なのか。神とは何であるのか。もし父や母がサンタ・クロースならば、父や母はそれ以外の何であるか分ったものではないのだ。
 この出来事がきっかけで私は、人から聞かされた話だからと言ってその話をそのまま信じてしまうことに用心深くなった。私はおそらくサンタ・クロースを信じていたほどは神やイエス・キリストというものを信じてはいなかったはずだ。神やキリストの存在を私が信じたのは、それらが存在していると聞かされていたからだった。私は人の言うことを信じていたのだ。それを信じないでいるなどということはそれまでは思いもよらぬことだった。
 玩具がサンタ・クロースの手で届けられていたのは、父母がそうだと話して聞かせてくれたからだ。玩具はサンタ・クロースが届け、サンタ・クロースはどこの誰であろうとサンタ・クロースなのだ。サンタ・クロースサンタ・クロースでなかったら、サンタ・クロースなんてものはどこにもいやしない。父母は自分たちがサンタ・クロースなのだと言った。父や母がサンタ・クロースならば、サンタ・クロースなんていやしない。父や母が神ならば、神もいないのだ。
 次のクリスマスには私は父母がくれた玩具を叩き潰した。
R・D・レイン/中村保男・訳『レイン わが半生』)



15時前起床。腐れ大寝坊もここに極まれり。パンの耳をかっ喰らいインスタントコーヒーをがぶ飲みして外出。銀行でまず五万円おろし、次いで鶴屋吉信にてゆず餅を購入。これを片手に大家さんのところをたずねて(…)滞在の許可を請うという算段である。帰宅するが早いか水まわりを掃除している大家さんと遭遇したものの、いったん自室に腰を落ち着けて頭の中でネゴシエーションのシミュレーションとカルキュレーション。掃除を終えて住居に戻ったらしい大家さんの後を追うかたちでいざ交渉! 知り合いの外国人がこの夏京都に来たがっている、大学で建築を専攻しており京都にある神社仏閣や古い建物に興味を持っている、学生なので金がなく安く泊まれるところはないかと探していたのでうちに泊まればいいと誘ったのが去年の夏、まだこのアパートに越してくる前のことである、むろん当時住んでいたアパートの大家さんにたのんで許可をもらってはいたのだがそれがその秋こちらに引っ越してしまった、一度うちに泊まればいいと言ってしまって手前いまさら断るわけにもいかない、すでにチケットも購入してしまったらしく来日まで一ヶ月を切っている、ついてはどうにかして自室にステイさせてやりたいのだが、と、虚実綯い交ぜのあれこれを切り出すと、最初はしぶしぶという態度であったが、あんたのお友達ならまあ悪いひとやありゃしませんと思うさかい、ほれ、ねえ、あんた◯◯さん見てみなされ、◯◯さんいーっつもこわい顔して、あんたなんかやったら短いけんどもシャワーやってあのひと三十分もずーっと入りっぱなしで、ほれ、今月の下水代、これ見てみたって、こんなに高い高いなっとるさかい、あんたのお友達もそりゃあお風呂には入りたい、入らせたいのがあんたの人情でしょう、そりゃわたしもわかる、そやからほれ、水道代やと思うて、あんたさんいま19000円でっしゃろ、それを23000円にしてください、25000円にしてください、と、だいたいそのようにして話が運んで、まあそんくらいの出費ですむのなら上々だろうと思ったので、決して迷惑はかけませんからと念押ししたところで必殺の鶴屋吉信、これにて交渉成立といった感じで、お返しに冷蔵庫の中に入っていた水瓜の切れ端やらわらび餅やらをいただきながらの雑談となったのであったが、しかしながらどうも「お友達」のことを男だと思っているらしい節が見受けられて、これどうなんだろう、下手に女であるなどと訂正せずにこのまま男だと誤解させておいたほうが安牌なんではないかと思うところもあったのだけれど、それはそれで余計なトラブルを招きかねないし、ネゴシエートするこちら側としてもやはり確証めいたものが欲しいという心理の傾きもあったので、それじゃあそういうことでよろしくお願いしますと告げながら部屋を立ち去る段になったとき、さらっと、まあ日本語のできない女の子なんでいろいろご迷惑おかけすることもあるかもしれませんが、と核心をしのばせてみると、途端、ええ!?と大家さんの顔があやしくなり、というか豹変し、女!?女かえ!?となって、その態度を目の当たりにした瞬間、これは負け戦であると悟った。それは誤解していた、女だとは思っていなかった、坊ちゃんだと思っていた、女であるのなら少し考えさせてくれ、次男に電話して相談したい、こちらの勘違いだ、あんたには悪いがおいそれと了承はできない――と、完全に打って変わっての拒絶の身振りで、だからといってこちらもひきさがるわけにはいかず、なぜ女だとダメなのか、と穏便にしかし執拗に食い下がるなどしたのだが、下宿を営むものとしての信頼にかかわる、世間体というものがあるの一点張りで、食い下がれば食い下がるほど、考えさせてほしいだの次男に相談したいだのいう装われた保留の身振りの奥底から絶対的な拒絶の地がすさまじい勢いでのぞきだして、まったくもってどうしようもない、いかんともしがたい、こうなればもう泣き落とししかいないというアレで、なにやかやと理由をつけて拒絶を貫く大家さんのかたわらで完全に茫然自失のてい、あらぬ方向に視線を投げ出したまま無言を貫くなどしてみたのであったが、もうこればかりは堪忍してください、こちらの勘違いでいちどは了承してしまったけれどもこればかりは、こればかりは、あんたさんも心苦しい立場にあるのはわかるけれども、といってやまず、こうなるといまや懐にしのびこませていたジョーカーを切るほかあるまいと、そう決意して、なるほど、わかりました、しかしこうなるとじぶんとしてもいちど約束してしまった手前彼女を裏切るわけにはいかない、せっかく日本に来た彼女を路頭に迷わせるわけにはいかない、すべて安請け合いしたじぶんの責任である、ついては以前のアパートに戻ることになるかもしれない、引っ越ししなおすかもしれない、そうでなくても滞在を許可してくれる物件を早急に探してみる必要がある、そう告げると、ええ!?という大きな反応があり、ついでしばらくなにごとかを算段するひとときの沈黙があって、こういうとき、今年で96歳になる彼女の頭のいささかも衰えを見せていないらしい計算高さに驚くのだが、それだったらもういっそのこと空き室を利用してくれればいい、そこに二ヶ月好きに滞在してくれればいい、と、じぶんの住んでいる部屋のとなりにある空き室の利用を唐突に提案して、挙げ句の果てには無料でもかまわない、そういうので、妥協案としておそらくこれ以上のものは見込めないだろうと思いながらも、けれどその間に引っ越し希望の人間があらわれたらどうするのか、などと疑問をぶつけるなどして時間を稼ぎつつほかに隠されてある代替案の可能性を探るなどしてしばらく、やはり現状これ以上の折衷案は見受けられないような気がしたので、友人宅などほかに彼女をあずかってくれる可能性はないかどうか当たってみますといちおうは約束したうえで、けれど最悪の場合は隣室を二ヶ月にわたって利用させてもらうことになる、いきなりこんなことになってしまって申し訳ないがそのときはどうぞよろしくたのみますと、それだけ告げて部屋をあとにした。大家さんには土下座までされた。鶴屋吉信のゆず餅を突き返されかけもしたが、こちらもこちらで土下座しなおし(Tさんの一件といい今週は土下座週間だ)、それから菓子折りはしっかりと引き取っていただいた。なんとなく、この贈与の一撃が、後になって功を奏するのではないかという気がする。隣室の利用は無料でいいとまでいってくれが、しかしこれはのちのち火種になる可能性があるので、ひと月につき水道代という名目で五千円ほど支払うべきだろうなどと考えながらも、しかしまだ安心できない、明日あさってになってからやはり無理だという話になる可能性はおおいにある、次男がどう出るかも知れたものでないと、敗北感をぬぐいさることはできぬ自室での一息で、いったいどうしたものかとすっかり気を滅入らせながら、ネットで安い一戸建ての物件情報を延々と検索し、背伸びして家賃3万円程度のところにひとりで移り住むか、それとも5万円程度の物件を借りて(…)帰国後はだれか適当な人間を引っ張ってきてそのままシェアするか(といっても(…)か(…)くらいしか候補はいないのだが)などと考え、なまじ小金の舞い込む可能性があるだけに現実味のある可能性なわけだが、しかしどうしてこうなにもかもがうまく運んでくれないのか、そう思いながら家を出て、最寄りのコンビニに行き、京都→東京行きの夜行バスのチケット一枚と、東京→京都行きの夜行バスのチケット二枚の料金を支払い、さらにネット料金も支払って、それから整骨院にて首をもみほぐしてもらったが、いっこうに気分は良くならなかった。
帰宅すると水場にいた(…)さんから声をかけられ、今日は高級和牛弁当でいいかなという唐突な一言だったのだけれど、それがやけに身にしみて、1800円くらいするものらしいのだけれど、ありがたくいただきますといって受け取り、そのまま大家さんとの交渉に苦戦したことを告げた。(…)さんのいうとおり女であると告げた途端に顔色が変わった、付け入る余地のない拒絶だった、まさかあれほどのものだとは思わなかった、やはり一つ屋根の下に未婚の男女が過ごすということはあの世代のひとにとってはありえない事態なのかもしれない、外国人となれば余計にそういうものなのだろうか、やたらと世間体を気にしているようだった、というと、まあなんだかんだで世間体だけを、っていうと語弊があるかもしれんけどそういうのすごく気にしてるよね、そういう世代のひとやからやっぱりね、とあって、大家さんといちばん付き合いが長いだけではなく彼女を被写体にしてドキュメンタリーを撮っている(…)さんのその言葉にはたしかに妙な説得力がある。部屋を潰すことなく水道代として5000円徴収するよりも、部屋を潰してなおかつ0円徴収のほうが大家さんにとってはよりよい選択肢であるらしいというこの現実から察せられるのは、未婚の男女が性的関係を有することにたいする強烈な反感であり、あるいはそうした関係を可能にする状況をおおっぴらに許可することにたいする尋常ならざる忌避感であり、というか彼女の懸念におけるもっとも多くの比重を占めているのはひょっとするとほかの住人の手前というやつなのかもしれず、というのも同じ部屋で寝泊まりするという状況のみならずそろって調理をしたり食事をとったりするその状況にすらなにかしらの憂慮のあるらしいことがその口ぶりの端々から察せられたからで、とにかくほかの住人の前でふたりそろって仲良くあれこれしているところを見られてほしくないというような、そういうアレが言外からほのかに感ぜられ、この一線がとにもかくにもいかんともしがたい。あるいは(…)との関係についてはいまのところまだ知り合いとしか言っていないので、遠い親族であるとする例の設定をもちだせばひょっとするといくらかなりと状況が好転することもあるのかもしれないが、いまはまだ切り出すべきときではない。(…)さんは9月から中国にわたるわけで、7月末にはもうここを出るという話であったのだけれど、バイトとの兼ね合いでひょっとしたら8月も引き続き居残ることになるかもしれないといっていて、まあまあ仲立ちとしてうまい具合になるよう応援するよ、トラブルはあるやろうけどなるべく間には立つようにするから、と言ってくれて、本当にもう、その一言にすごく救われた。なにより懸念と不安と不満のそのすべてをひとに告げることによって少しだけ頭のすっきりしたようなところもあって、同時にまた、隣室の利用という提案が撤回されるという最悪のケースに至った場合は本気で別の物件に引っ越してやればいいと覚悟のかたまったところもまたあり、とにかくすわった、おれの腹がいますわったぞと、なにかしら決断を下したときに固有のあの勇ましさに興奮しながら高級和牛弁当をむさぼり食った。むさぼり食いながら一年前の日記を読み返していたところ、この日の日記(…)の最後の二行にぶちあたってマジかよと思った。適当に書きなぐった軽口がものの見事に未来を先取りしている。欲望はすべて現実化する。
22時過ぎ、くさくさした気分からの覚悟の高揚という躁鬱的な心理の流れがどうにもこらえがたく、これは自室に待機していたところで仕事にならないと思ったので逃現郷に出かけて、『英文法トライアゲイン』という文法書を読みすすめた。これは注文するだけ注文して手をつけていなかったものであるというか、(…)の帰国後リーディングおよびライティングの勉強に着手してからでいいやと思っていたものなのだけれど、気分転換に今日は読むことにして、自動詞とか他動詞とか第五文型がどうのこうのとか、ちんぷんかんぷんなこの領域もいい加減きちんとおさえておいたほうがいいのかもしれないと思った。ひさしぶりに閉店時間をすぎてからも長々と居残りここまで日記を書き、2時に店を出て帰宅し、風呂にも入らず寝床にもぐりこみ、4時には寝た。