20130707

6時15分起床。(…)さんからケッタを職場で譲りうける約束をしていたのでバス通勤。今出川までケッタで出て路駐してバスに乗って職場まで徒歩十分かそこらのところでおりて歩いて汗ばんでそれでも昨日よりはいくらかマシなんではないかと思う。8時より12時間の奴隷労働。きのうに引き続き客室のクーラーからの水漏れがひどい。クレームが一件入ったが、下手に出てくれたので助かった。理不尽なことをいわれてもキレるなよ、と(…)さんに言い含められている。とにかく狂った暑さで、昼間などおもてで飼っているメダカの様子を見に行こうとして外に出るとほとんど蒸し風呂レベルの熱気で、暑気ではなくてこれはもはや熱気、あるいはほとんど蒸気でないかというレベルであって息もできない。こんな暑さの中、ぜえぜえいいながら金閣寺やら清水寺やらに出かけなければならないのかと考えると、げんなりする。(…)は来日する時期を誤った。紅葉シーズンにこそ彼女は京都に来るべきだった。日中は暑いし外出を控えようたってそんなアレ通じるわけでないし、というか神社仏閣は基本的に閉まるのがたいそう早いので日が翳りはじめてから出かけようったってそういうわけにもいかない。カンボジアの熱気はたしかに殺人的であったが(サウナルームのように呼吸のしづらい外気!)、タイの暑気は京都のそれとそう変わらないんでないかと思われる。
昼過ぎに(…)さんが職場にやって来て、彼女の出勤は18時からなのだけれどこれから四条に買い物に出かける予定なのでそのついでに自転車を持ってきたみたいなアレでわざわざやって来てくれたらしく、現物を見せてもらったところまあたいそう立派な変速機付きのママチャリで、ブレーキのところのワイヤーだけがなんていうかこう、表皮のビニールを裂いた中からあふれでる銅線の奔流みたいになっていてこれブレーキ利くのかよと思ったけれど試乗してみたらちゃんと利いて、本当にどうもありがとう!助かる!とお礼をいった。自転車の鍵にはロダンの考えるひとのキーホルダーがついていて、これもあげますといってくれたのでありがたくちょうだいすることにした。そうして18時、四条で買い物をおえた彼女が職場にやってきたときに、お礼としてメンソールを三箱をプレゼントした。これにて交渉成立。バーゲンってもうはじまってるの?と問うと、もうはじまってますよぉ、わたしバッグ買っちゃいました、といっていて、ちなみになんぼしたん?とたずねれば、44000円でっす!と元気な返答。それぼくの月給の半分以上やがな、と応じると、わたし前から思ってたんですけどぉ、(…)さんってどんな生活してるんですかぁ、とあったので、プリウスより燃費のよい生活ですと答えた。
帰りしなに(…)さんとちょっくら言葉を交わす機会があったので、率直にいって博打の借金どんぐらいあるんですかとたずねてみると、いやーたぶん笑えないくらいっすよとあったので、五百くらいっすかと問うと、まあ五百ちょっとくらいやねえとあったので、ぼくとまったく同じやないすか!と盛り上がった。ただまあ(…)さんがいうにはぼくのは奨学金なんでアレっすけど(…)さんのは実のない借金やって、と茶化すと、そりゃたしかに実のないもんやけど(…)くんひどすぎるわーとカップラーメンに湯を注ぎながら笑っていた。(…)さん曰く、(…)さんはありとあらゆる博打に手を出すがすべてに必ず負ける、得意なジャンルがひとつもない、めずらしく勝つことでもあればひとを誘って一晩でパーっと使ってしまったり後輩らにばらまいたりしてしまう、消費者金融のお得意さんで担当者とは八年以上の付き合いがあってほとんど友人状態である、あいつのえらいところはひとに借りた金は必ずローンを組んででも返済するところでたとえば元カノの借りた百万円も月々二万ちょっとずつのペースで返済し続けているとかなんとか、それますますこっちの奨学金と同じではないかというアレなんだけれど、たしかに(…)さんには嫌みがないし、彼のことを嫌うひとはたぶんいないんだろうなという人当たりの良さと物腰のやわらかさとバランスの良い陽気さがあって、(…)さんが面倒を見たがるのもすこしわかる気がする。先日(…)さんとの手打ちと称してふたりで宅飲みしたとき、(…)くんが仕事辞めるいうてたときにな、(…)さんおれらに一回な、もちろん(…)くんが休みの日にやけどな、(…)くんのことシフト減らしてでも引き止めようと思うんやけどええかって言うたことがあったんや、おれはな、でもな、そのときな、正直いうてやで、それは反対やっていうた、(…)くんがもしシフトを減らしてくれっていう頼み方をしてそれで(…)さんが了承するっていうんならええけどな、辞めるって、辞めたいって一度いうたんをな、(…)さんのな、上司の立場からひきとめるんはそれはやっぱり筋が通らへんことになるんちゃうかって、だからおれは別に(…)くんが嫌いとかじゃないで、むしろ残ってほしかったけどな、実際あのときそう説得もしたやろ、でもな、筋があるでな、それはちがうってひとり反対した、でも最終的な決定権はそりゃ(…)さんにあるでな、(…)さんがそうするっていうんならそのことには文句言わんってな、そうも言ったけど、そしたら(…)さんな、なんていう言い方ちょっと忘れたけどな、まあ(…)くんことよおしてやりたいってな、ほんまにあのひとああ見えて(…)くんのこと気にいってるしな、考えてくれとると思うし、(…)くんほんと感謝せなあかんで、と、そんなふうな一幕があったのも思い出した。
仕事を終えて(…)に連絡をとって自室で待ち合わせ。蒸し風呂のような部屋をすぐに出てひさびさに鳥貴族にむかい、うだるような暑さの中で順番待ちし、だだ混みで、入店して注文したところでなかなか肉が出てこないので途中でイライラしてしまい、もう注文キャンセルして別の店に行こうと思って店員さんにそのことを告げるとあと五分でできるんで!とひきとめられ、でもなんかアレだ、酒も飲まない人間が食うものを食う目的で居酒屋なんていくもんじゃない、バクバク食いまくりたいこちらのペースに居酒屋のてんやわんやは応えてくれないということがわかったのでもう金輪際利用しない。相変わらずの太っ腹を発揮して会計ひとりもちで、それから例のごとく逃現郷にはしごしてコーヒーを飲みながら(…)が職場でおちいっている苦境についてやらこちらが二週間後に控えている懸念事項やらについてやらを延々と、ぐだぐだと、なにひとつ生産的でない愚痴をこぼしつづけ、ほとんど無意味といってよい堂々めぐりの会話を気怠げに交わすひとときにのみたちあがる奇妙に愉快でほとんど官能的といっていい疲労感をともなう時間の流れ方というものがあって、それは見事なまでに弛緩しきった小説を読んでいるときだけに味わうことのできるあの独特にいびつな感触にとてもよく似ていて逆説的にゆたかであり、実りのなさそのものが実りであることを身をもって思い知らせてくれる希有な体験である。そうこうしているうちにふと(…)ちゃんが同志社の学生さんだったことを思い出したので、同志社でシャワーを使うことができるという話を聞いたんだけれど何か知ってるとたずねてみたところと、学生会館というところにシャワールームがあって、無料で、夜はそんなに遅くまで開いてはいないだろうけれど自由に使うことができるという返事が返ってきて、てっきりコインシャワーだと思っていたものだからこれものすごくアツい!あさっての火曜日に(…)と四条に出てバーゲンを冷やかしにいこうと画策しているのだけれど、その帰り道にでも立ち寄ってちょっと下見してみることにしようと思った。それから閉店時間になるかならないかのころに(…)さんがあらわれたので、なにからなにまでスムーズに事が進展するものだと思いながら、ひとまず二ヶ月間にわたる寝床の提供についてちょっとマジで御願いしますと頭をさげた。(…)さんはあいかわらず二つ返事のオッケーで、なんなら布団も貸してあげるという申し出まであり、本当に至れり尽くせりで今後80年は(…)さんの家のある方角に足をむけて床に着くことは許されない。それから(…)と(…)さんの三人でずっと英語の話や外国の体験談などをぺちゃくちゃやった。(…)も(…)さんもリスニング能力強化のためにアメリカのテレビドラマを観ているといっていて、(…)さんはただもうひたすらに、ひたむきに、ほかの選択肢など考えられないとばかりの勢いで、『ER』をプッシュし続けていた。むかし母親が日曜日の早朝になどビデオで借りていたものをよく観ていた覚えがある、というと、会わせて!ちょっと(…)ちゃんのお母さんいっかい会わせて!とあったので、笑った。あとは(…)がアメリカに滞在していたころ、おなじ語学学校にいた報道関係で働いているというエリートスペイン人が、これちょうどスペイン語圏の人間ってほんと英語不得意だよねえと話し合っていたときに披露されたエピソードであるのだけれど、ディスペンサーかコーヒーメーカーかポットか何かとにかくその手のものを前にして立ちながらおまえも飲み物はコーヒーでいいかとたずねる意味合いでそう口にしたように思われるのだけれど、学友のひとりにたいして、うーんと時間をとって長考したのち、are you coffee?とたずねたという話があって、これはいつ聞いてもおもしろい。
スカイツリーのことをスカイタワーと三度まちがって口にして、三度とも(…)に訂正された。東京での数日間をどう過ごしたものか、いまだになにひとつ決まらずにいる。伏見稲荷では雀の丸焼きが名物であるという事実をはじめて知った。雛がすでにかたちをなしはじめている有精卵をゆで卵にしたカンボジアの名物料理を思い出した。いま調べてみたところ、バロットというらしい。ウィキペディアでそこそこグロい画像を見ることもできる。シェムリアップの教会で知り合った(…)さんという看護士さんに連れていってもらったローカルな飯屋さんで食べたのだった。(…)とケンカして別行動していた二日間に何気なくおとずれた教会でたまたま知り合い、彼女は数年前からこの教会に勤めているのだといって、教会には英語とパソコンと算数を子供たちに教える教室のようなものが併設されていて、そこで知り合った(…)という男の子に、年齢的にはたぶん17歳とかそこらだったように思うけれど、村に遊びにおいでよと誘われて、それだから自転車で片道40分のくらいの郊外にひとりでついていくことにして、当然だけれど観光客なんてひとりも来ない本物の村落、だれひとりとして英語も通じない環境であったけれど、そこで二日間過ごしたその記憶がアンコール・ワットよりもアンコール・トムよりも、ハーブピザでのバッドトリップよりもなによりも瑞々しく鮮明に記憶に残っていて、美しい。(…)さんはフィリピンの牧師さんからこっちに来ないかと誘われているとたしか言っていた。そこで本格的にシスターになるための勉強を重ねようかどうか迷っていると。彼女はシェムリアップの生水も平気でがぶがぶ飲んでいた。身体がもう慣れているからと笑っていった。翌日にはベトナム人の難民たちが形成している湖のそばのコミュニティーに出かける、観光で行こうとするとけっこうな金額がとられてしまうけれどもわたしたちに同行してボランティアスタッフの名目でいけばお金もかからない、だからいっしょに行かない? そう誘われたときには心がぐらついた。翌日付けのバンコク行きチケットをすでに持っていたが、破り捨ててしまって、そのままもう一週間くらいこのひとたちといっしょに過ごそうかと思った。宿にもどって(…)と相談する、もし居残ることに決めたら明日ここに来る、来なかったらバンコクに戻ったものだと思ってほしいと彼女に伝えて、質の悪いマッシュルームやらマリファナやらを売りつけようとする路上の売人たちをシカトしながら夜道をひとり歩いてゲストハウスに帰った。ゲストハウスにもどったところでやはり外からもどってきたところらしい(…)と鉢合わせした。(…)は水瓜を手にしていた。『地球の歩き方』のページを破って書き残しておいた置き手紙にたいしてThank you for the letter!と笑顔の感謝があり、それからシャワーだけ浴びてからロビーにいって一緒にこれを食べましょうと水瓜をもちあげてみせたその瞬間、あ、ダメだ、おれこの娘といっしょにバンコクに戻らなきゃ、と思ったのだった。



(…)

変顔おしえすぎた……。