20130808

朝(…)に起された。夜は風呂に入らず変わりに朝シャワーを浴びるのが(…)の習慣であり、朝はシャワーを浴びず夜に風呂に入るのがこちらの習慣である。(…)は朝からジプシーの音楽をYouTubeで流して機嫌がよい。起き抜けの機嫌の悪さにかんしてはおそろしさを越えてすさまじさを持ち合わせていた昨夏の(…)からは考えられない変化である。iTunesからタラフ・ドゥ・ハイトゥークスを流してやると、あなたもジプシーミュージックを持っているのねとよろこび、部屋ではねまわった。バナナとヨーグルトとパンの耳の朝食をとった。たまっていた洗濯物を片付けた。それから自転車で五条坂の陶器市にむかった。毎度のことであるが京都の夏は白い肌の(…)にこたえるようだった。昨日だったか一昨日であったか、タイと京都ならどっちのほうが暑いと思うとたずねると、おそらく京都でしょうねという返事があった。完全に同意する。そんな京都の夏よりもずっと上をゆくのがシェムリアップの夏であるという点にかんしてもわれわれは同意したのだった。どこに出かけるにもわれわれは2Lペットボトルのミネラルウォーターを持ち歩く。(…)は交差点にさしかかり自転車が停止するたびに水をねだる。Are you OK?とこちらがたずねるたびにとても疲れた顔でにこりとサングラス越しに笑う。(…)は妹の変化について語った。仏教かぶれの(…)のことを宗旨替えしたといって快く思っていなかった彼女が彼らヨーロピアンにとってアジアの象徴ともいえるバンブーで出来たボウルのようなものを土産にほしがっているのだといった。われわれは陶器市をひやかした。しかし(…)が探していたのはバンブー製のボウルであった。うすうす予想していたとおり陶器市には(…)さんも出店していた。簡単な立ち話をした。(…)についてことさら語る必要はなかった。(…)さんを経由してうすうすこちらの事情について知っているようであるらしかった。五条通をはさんだ両岸にたちならぶ出店の片側をすべて検分したところでそのまま清水寺にむかった。清水寺はすでに先日おとずれていたが、土産物屋でバンブー製のボウルと、たくさんいる従姉妹のうちのひとりにプレゼントする予定だという茶筅を探すという名目で、時間つぶしのためにおとずれたのだった。(…)の体力は限界にさしかかっていた。別段なにもロマンティックではないけれどと断ったうえで、抹茶を飲むことのできるカフェめいた店に彼女を連れていった。どう見ても彼女には休憩が必要だった。われわれは屋外席に腰かけて巻きたばこをまわしのみした。それから(…)は温かい煎茶を、こちらは冷たい抹茶ラテを飲んだ。わたしはときどきとてもガーリーになりたいのと彼女は唐突にきりだした。でもいまさらそんなことできっこないと思う。わたしじぶんがあの子たちみたいなファッションに身を包んでいるところなんて想像できないわ、そういって数メートル先に立てられたカフェのメニュー表を前にして相談しあう日本人女子数人組のほうを見遣った。むかしはわたしも化粧をしていたしファッションにももっとお金を遣っていたわ、でも今では全然よ、こまごまとしたアクセサリーをつけたりファッションにあわせて化粧を変えたりするのがぜんぶわずらわしいの、でもときどきすごくガーリーになりたいといまでも思う、そういうものにあこがれる。大学一年時に何があったの?わからないわ、でもなにが起ったのよ、そう、たとえばわたしはそのとき付き合っていたボーイフレンドにひどく傷つけられた、それだけじゃなくてたぶんいろいろとあったのよ、そしてわたしは変わった、あなたきっとそれ以前のわたしを見てもわたしってわからないと思うわ、それ以前のわたしを知ってるひともきっといまのわたしを見てもわたしだって気づかないでしょうね、わたしロンドンで有名人だったのよ、パーティーを渡り歩いてはクレイジーなことばかりして、わかるでしょ、パーティーに来るひとたちって狂ってる人間の奇行を見たがるものなのよ、だからわたし色んなパーティに誘われたわ、わたしむちゃくちゃだったから、本当になんでもしたから、でも大学一年時にすべてが変わったの、メディテーションをはじめたのも大きかったでしょうね、おかげでいまじゃもう有名人でもなんでもないわ。おれも19歳を機にじぶんが変わったと思う、きみほどじゃないだろうけれど、でもたとえば高校の同級生がおれがいま小説を書いたり哲学書を読んだりしているなんてきっと信じないだろうな。以前高校の同級生に会う機会があったの、そうしたら彼女わたしがむかしと別人のようだっていったわ、彼女わたしのことloserだと思っていたの、実際わたしはだめな高校生だったわけだけれど、それは否定しないわ。きみは変わった、そしてその変化は良い方向だった、彼女の言葉がそれを証明しているじゃないか、それにきみの経験はきっと将来きみを助けてくれるよ、希有な経験をするには才能が必要なんだよ、そしてきみにはその才能があった。そんなのが才能っていえるのかしら、わたしにはわからないわ。才能だよ、おれが保証する。わたしにとって才能っていうのはたとえば音楽を作ったり絵を描いたりあなたみたいに小説を書いたりそういうものなのよ、そうしてわたしには何も作れない。作曲や執筆っていうのは具体的な行為だから見えやすいだけだよ、きみはたくさんの経験をもっていてたくさんの知り合いがいてたくさんの関係を創り出してきた、それは抽象的だからすこし見えにくいかもしれない、でもそいつも列記とした才能なんだよ。わたしのベストフレンドもあなたと似たようなことをいったわ、彼女わたしが日本に行くって伝えたらどうしてあなたっていつもそう簡単に知り合いの家に滞在することができちゃうのよってすごくびっくりしていたわ。そういうことだよ、きみにはひとびととの関係をつくりだす才能がある、きみの義父がいっていたとおりきみはじぶんにもっと自信を持つべきだ。ありがとう。それからわれわれは非常にローカルな食堂でともに天丼を食し、いくつかの土産物屋をひやかし、陶器市の残り半分を見てまわった。彼女はしばしばこちらの食事の早さをせめるのだった。置いてけぼりにされた女性の戸惑いを表明した。高校時代、日本でいうところの防衛大学のような大学に通っていたボーイフレンドとカフェにパンケーキを食べに出かけたところ、彼女がいままさにナイフとフォークを手にして食べようとしたその瞬間にはすでに同じパンケーキをボーイフレンドはすべてたいらげていたということがあったのだという。でもそれはある意味仕方なかったわ、理由があるの、彼は大学で食事はなるべく早くすませるようにトレーニングされていたから。土産物屋で試食したあめ玉を口の中で転がしながらひとごみを歩いた。きみのチョイスしたやつどんな味なのとたずねると、トライしてみると挑発的にいうので、いまはやめておく、だから部屋にもどるまで口の中でキープしておいてくれといった。夕刻に帰宅するなり彼女は布団のうえにまたもや倒れこんだ。洗濯物の残りを片付けたり洗い物をしようとするこちらにむけてそんなのは後にしていまはリラックスすればいいじゃないといった。突如聞いたことのないブザー音のようなものが部屋にひびいた。最初外付けHDDにエラーか何かが発生したのかと思った。携帯電話の緊急地震速報だった。(…)に報せたものかどうかと思った。そう考えてもたもたしているうちに揺れるだろうと思ったが、まったくもって揺れはなかった。ネットで検索してみると奈良県震度7とあった。まったく揺れを感じなかったのでこれはおそらく誤報だろうと思ったが、念のために母親に電話をかけた。無事だった。あなたパニックになっていたわとSに指摘された。震度7と聞いて動揺しないやつなどいない。整骨院に出かけたのがどのタイミングであったかはよく覚えていない。香を焚いて彼女のとなりにならんで寝そべった。だが彼女の機嫌はすでに傾きつつあった。じぶんの求めにすぐさま応じなかったこちらに苛立ってのことらしかった。ハグをしていたはずがすぐさま背中をむけて反感を表明した。いちいち相手にするのも面倒だったので、これでまた話がこじれそうになりそうだなと思いながらもなにもいわずこちらはこちらで勝手に仮眠をとることにした。寝息をたてはじめたこちらに彼女は気づいたらしかった。キスされた。目が覚めた。彼女はこちらにむきなおっていた。それからしばらくむつみあった。どうしてあなたはときどきわたしと見つめあっていると吹き出すの?シャイだからだよ、見つめあうことに耐えられないんだ。じゃああなたはガールフレンドとも見つめあうことがなかったの?たぶんいくらかはあったと思う、けどどちらかが目をつぶったり目線をそらしたりそれからもういちど見つめあったりそういう感じだったんじゃないかな、おれたち日本人は見つめあうことに慣れていないんだ、目をあわせることが無礼だとされていたりするようなところがある、きみも覚えてるだろ、モンキーパークの猿と同じなんだよ、われわれは目をあわせちゃいけないんだ。犬もそうね。そうだ、犬もだ。でもわたしアイコンタクトってとても好きよ、じっと見つめているうちにそのひとのさまざまな姿が見えてくるから、戸惑いや恐怖や怒りや、それにとても暗い側面も。それから夕食をとった。玄米と大根のつけものとごくごく簡単な蒸し野菜だった。納豆がほしいという彼女のためにコンビニに出かけたが売り切れだったのでかわりにめかぶを買った。めかぶは彼女の口にあわなかった。量に欠ける食事だった。食後の珈琲を煎れようとすると、クッキー&ティーを買うのを忘れたわと彼女はとても悲しそうにいった。陶器市からの帰り道イギリス流儀のクッキー&ティーがなつかしいと彼女は嘆いたのだった。訴えるような目つきだった。うながしているのは明白だった。はいはい、おれはきみの奴隷だよといって出かけようとすると、ちょっと待って、そんなふうに思わないでよとこちらの脚を抱えこんだ。彼女は脚フェチだった。バイセクシャルの彼女は陽に灼けてたくましい男性のふくらはぎやすらりとのびてひきしまった女性の脚を目にするたびにnice legsと口にするのだった。本日三度目となるコンビニに出かけた。きみの望むとおりチョコのついたクッキーを買ってきてやる、ただし日本で購入することのできるクッキーなんてものは多かれ少なかれある程度ケミカルなものなんだ、その点は了承しろよ、そういうと、彼女はOKといった。二種類のクッキーと2Lのミネラルウォーターをもちかえった。それから彼女は豆乳ココアを、こちらはモカを飲みながら、クッキーをつまんだ。彼女はチョコレートとチーズケーキとハーゲンダッツのすばらしさについて力説した。畳のうえにごろりとよこたわって適当にあいづちをうっていると彼女もとなりにこちらのとなりにやってきてごろりと寝転んだ。それからタイで食べたケーキの話や、不眠症で悩んでいた昨夏の彼女がいつも目に隈を有していたこと、今よりもずっと怒りっぽかったこと、けれどその怒りの原因はやはり今よりもずっとまずかったこちらの英語に帰するところが大きかったことなどを語った。部屋の明かりを落としてほしいと彼女はいった。蝋燭は点火されてすでにひさしかった。わたしにはまだまだrestが必要みたいだわと彼女はいった。restという言葉を用いるとき、彼女は要するにボディコンタクトを求めているのだった。抱き合った。キスすると、そういう気分じゃないのといって彼女はハグに徹した。しばらく経ったところで眠くなってきたわと彼女がいったので、布団を敷き直したうえに彼女を横たわらせ、いつもどおりYouTubeで就寝用のBGMをセッティングし、それからtea shopに勤めているガールフレンドがいるマスターの営む喫茶店に行ってそのtea shopについての情報をゲットしてくると、これはひとりの時間を確保するためのなかば言い訳のようなものであるが、そう口にして部屋を後にした。帰ってくるのを忘れちゃダメよと彼女はいった。喫茶店にいった。(…)さんから昼間はどうもねと挨拶があった。ずいぶん疲れて見えるねと(…)さんにいわれたので、毎日どこやかやに出かけとるからと告げると、毎日いっしょにいるのと驚かれた。仕事のない日は一日中ずっとというと、それって要するに(…)ちゃんのこれってことなんと、そういいながら小指をたてるので、そういうわけではないっす、むこうはロンドンに彼氏おるし、でもまあねえ、というと、ちょっかい出しとんの、とあったので、まあ若干ちょっかい出しとりますと率直に答えた。それからアイスコーヒーをひといきで流し込むようにして飲んで店を後にした。一時間にも満たない滞在だった。(…)さんが来てくれたらいろいろとぶちまけてすこし気晴らしでもできればと思っていたのだが、早く帰ると約束した手前、これでまた深夜の帰宅となると面倒なことになりかねないと思ったので帰宅した。(…)はまだ起きていた。寝つけないようだった。明日は美術館に行きましょうといった。tea shopはどうなったんだと思ったが、時間を潰すことさえできればもはやなんでもよかった。退屈した彼女の苛立ちと対峙してまたもや喧嘩になるくらいだったらたいていのことは我慢できるのだった。この二ヶ月をのりこえた先のじぶんならおそらくどんなわがまま女性でも相手にすることができるだろうなと時々思う。帰宅してから二日分の日記をつけた。不十分だ。しかしすでに3時である。こんなにも中途半端な日記を書くくらいならいっそのこと昨夏のように何も書かないほうがマシなんではないかと思う。あまりにも細部を捨象しすぎている。(…)に付き合って行動しているおかげで書き記すべき事柄が目の前にあふれかえっている。だが(…)に付き合って行動しているせいでそれらを書き記すための時間をとることができない。with or without youの構図はここにも認められる。お互いの存在を定義しあった夜、あなたはとても頑固でそしてじぶんのゴールに必ず到達してしまうひとと(…)はいった。そのゴールがこのところよくわからなくなってきたと、そんなふうに思いこめるかどうかがきっとロマンティストの境目で、これだけ親密になりながらまるでゴールの揺るがないじぶんはどうしようもないほど醒めきった、けっしてあたたまることのない静脈をふところにひとつ抱えこんでいる冷血漢で、現にこうして記述されてしまったきみのほうがもう生身よりずっと愛おしい。おれもきみもバグッた頭をどうしようもなくもてあましている。