20130914

労働。(…)さんが朝からぴりぴりしていた。(…)さんの仕事っぷりにかねてから不満を覚えていたのがここにきて爆発したらしい。最悪(…)さんを別支店に追いやるところまで考えているという。おまえが働き者じゃないのが本当に残念だといわれた。(…)さんの代わりに週五日入ってくれれば最高なのにということらしかった。褒められるのも頼られるのも悪い気はしないが、週二日勤務はやはり譲れない。時間のことを考えると切実な気持ちになる。ときどきじぶんは「A」を書き終えたその直後に死ぬべきだったんじゃないかと思う。職場に来るたびに痩せたんじゃないかといわれつづけているここ数週間なのだけれど、二ヶ月もの間まったくもって筋トレをしていないのだからそりゃあ痩せるだろう。それにここ数年で断トツといっていいレベルで日焼けしているそのためにますます細くひきしまってみえるというのもある。(…)さんが転職の可能性をにおわせていた。問えば、知人の伝手でグッチだかヴィトンだかクソ高級アパレル関係の、いったいどんな部門なんだかしらないけれど面接を受けさせてもらえることになったとかなんとかで、売り上げの目に見えて右肩下がりなここに居続けたところでいずれ人件費を切り詰められるに違いないのだからその前に打つべき手を打っておきたいという話らしく、おなじことを(…)さんもまた考えているようだった。地元民には有名らしい市営住宅というか公団というのかそういうところに住めば家賃がいまの半分くらいですむらしいという情報を得たのだけれど、(…)さんも(…)さんもそろってあんなところぜったいにやめておいたほうがいい、ヤクザと部落と精神異常者と犯罪者しかいない、みたいなすごい言い方をしていて、とにかく治安の悪さが半端じゃないとかいうのだけれど、京都生まれ京都育ちのバイアスが多分にかかっている物言いであることはそれじゃあ具体的にどういった事件が過去にあったのかとたずねてみると、数件の有名らしい都市伝説ともつかぬエピソードが披露されたほかはとにかく危険だ、頭のおかしいやつしかいないところだ、西成以上だ、みたいな抽象的で空疎な返答ばかりあって、そのわりには以前この職場につとめていた女性がそこで一人暮らしをしていたとかいう話もあっていやいや全然平和じゃんというアレなのだけれど、そこんところをつっついてみても他府県のひとはやっぱりなにも知らないからそんなふうにできちゃうんだよね的な反応の一点張りで、オーケイ、はっきりいってそんなもんすべてどうでもよろしい。ようするに教育水準と平均収入がだんとつで低いだけの地域でしかない。こういうことを考えるのはいくらかしのびないところもあるが、いつ逝ってしまわれるかわからない大家さんのもとで衣食住を満たしているこちらとしてはやはり不測の事態にそなえた一手が必要なわけで、次に京都市内で引っ越すとしたらまあそこだろうなという目星がついた。ネットで検索してみるとまるで都市伝説や心霊スポットみたいな扱いであれやこれやがまことしやかにささやかれていて、殺人と放火のメッカとかわけのわからない表現まで目にしたが、いずれにせよますます興が乗った。わが住処にふさわしい。
日常の細々とした事柄を携帯に箇条書きにして後でブログに書き直そうとするなつかしい時間が復活した。いとおしい。たえてなかったひとときだ。仕事を早上がりした(…)がやってきたので小一時間雑談した。(…)は(…)さんに用事があったようだが、あいにく(…)さんは友人の結婚式の二次会だか披露宴だかに出席するためにやはり早上がりしていた。平安神宮の前がさわがしかったというので、あそこは土日はしょっちゅう何らかのイベントを行なっていると応じた。(…)が帰るのとほとんど入れ替わりにして今日は休日のはずの(…)さんがやってきて、するといま平安神宮堂本剛がコンサートをしているという。音漏れがすごいのでライブにあぶれたオーディエンスの姿も通りにたくさんあるという。帰りに前を通ってみるとなるほど閉鎖された境内の奥からたしかに鼻にかかったあのビブラートたっぷりな歌声が聞こえてきて、あぶれた女性らのおりなす群衆の影もあった。まだ研修中だったころ、というとちょうど一年くらい前になるわけでいまの職場につとめはじめて丸一年と考えるとちょっと腰のひけてしまうような不気味な恐怖をおぼえるわけだけれど、(…)さんといっしょに自転車で平安神宮の前を通りかかるとやはりどこかのだれかがコンサートをしていて、そのときの群衆は夜目傍目から見てもあきらかにオタクな人々であったからおそらく声優かなにかのコンサートだったんではないかと思うけれど、音漏れを求めてやってきた群衆らの視線をさえぎるように対岸越しを移動しながら、なんかぼくらが応援されとるような気分になっちゃいますねこれ、と(…)さんに語りかけたことがあったのを思い出した。帰宅してから実家から送られてきた冷凍食品で簡単な夕食をとり、それからふたり分の食器をひとり分に減らした。