20130918

朝も夜も肌寒い。パンの耳とヨーグルトとバナナとハチミツとクリームチーズとホットコーヒーの朝食をとってからBCCKSにログインして今日も今日とて昼下がりまでぶっ続けで、というのは嘘になるな、昼間にいちど食事をとったからいちおう休憩をはさんでということになるのだけれどとにかく作業をして、ひとまず表紙デザインの候補が二つできたのだけれど、これどっちがいい?
(…)
フォントをわざと見切れさせたほうが斬新でおもしろい気がしないでもないのだけれどどうしても上下の余白が気になってしまってそこんところをどうにかしようにもBCCKSのエディタでは限界があってやはりgimpを起動して表紙画像をまるっとそのまま作りなおすみたいなことをしなくちゃあならない。それが面倒といえばずいぶん面倒であってどうにも気乗りしない。そんなことを考えているとやっぱり素直に率直にスタンダードにシックに落ち着いたほうを選ぶべきなのかなという気がせんでもないのだけれどずっと比較していると麻痺ってきてどっちがいいのかよくわかんなくなってしまうし、そもそもクリムトってやっぱりどうなのみたいな根本的な疑念まで出てくる。いずれにせよデータ版は無料で公開することにして、どうせだからじぶんの誕生日すなわち来月五日とかちょうどいいんじゃないのと思っているのだけれど、それで気に行ってくれたひとがいれば書籍版をどうぞご購入くださいみたいな、myspaceからはじまってyoutubesoundcloudとミュージシャンなんかはもうずっと前からそんなふうにやっているわけであるし小説家だってそうやらない手はないと思うからそうするのだけれど、まあ売り上げなんてたかが知れてるだろう、十冊も売れれば良いほうなんじゃないかと思う。書籍版の価格にかんしてはまだわからないのだけれどこれもたぶんそこまで利益をあげるというふうにはもっていかないつもりでいる。ようするにこれは名刺作成みたいなものなのだから。この一冊をもって文学の辺境から中央に殴りこみをかける。
作業を終えてからしばらく絶えていた一年前の日記の読みなおしをおこなった。去年の九月分をまとめて読んだのだけれどちょうど今の職場につとめはじめたばかりで、まあいやらしいくらい初対面の人間を観察しているものだなと、これは(…)にしょっちゅう指摘されることではあるけれども、そう思った。日記の読み直しの過程で「偶景」にそのまま転載できそうなものもピックアップするのだけれど、文体にそれらしい装いをこらして記述をいくらか抽象化してみせる「偶景」用の記述様式よりも生のままの日記のほうが場合によってはおもしろくもあるような気がして、すこし困惑した。時間がない、時間がない、と苛立ちながらもたいそう律儀にブログを更新している過去を目にして、自覚しているよりもずっとじぶんの生活はこのブログに比重を置いているのかもしれないと思った。
図書館にいってCDを返却&貸し出ししてから鴨川に出かけた。日も暮れかけていてすでに十分涼しい。台風の爪痕がいたるところに見られた。芝生の緑が泥でよごれているのだけれどいまはまだまだ茶色いこの痕跡もやがてはまだらに白化していく。台風の後だからなのかそれとも常日頃からこんなものなのか、河川敷にはたくさんのひとがいて、太極拳をしているひともいれば楽器を練習しているひともジャグリングを特訓しているひともいる。京都にきて何年だ、八年とか九年とかになるはずなのに思えば鴨川でゆっくり過ごすという時間をこの夏までとったことがなかった気がする。日当りのよい階段に腰かけてヴァルザーを読みはじめた。読みはじめてまもなく背後をうろうろする若い男の気配が気になり、というのも男の影がちょうどじぶんの前方をよこぎる道路に投射されるからで、ということはつまり西日を背にうけるかたちでこちらは腰かけていたわけだが、電話をしながら背後を行ったり来たりするそのひっきりなしがどうにも気がさわるので何なんだこいつはと思って目線を送ると、ジャージ姿だったのでてっきりどこかの体育会系サークルに所属している大学生かと思っていたのがじっさいのところはアレはなんだろう、分裂病者なのかそれとも自閉症患者なのか、電話だと思っていたのも独り言でなにやら対話めいた抑揚をつけながら同じようなことばかり口にして行ったり来たりしているのだけれど日本語というよりは中国語のような響きで、でも判然としない。とにかく近くをうろうろうろうろされて気が散るので場所を変えることにして元来た道をたどるかたちでもうすこし北のほうにのぼり、すると背の低い正方形のベンチが空いていたのでそこに腰かけ、やがて寝転がり、そんなふうにしてヴァルザーの続きを読んだ。超おもしろい。いったいなにをどうすればこんなにもつかみどころのない小説を書くことができるのか。つかみどころのなさの一点でいえばカフカなんかよりもずっと過激で、一見すると真善美と調和と健やかさにいろどられてみえる記述がその健やかさゆえに不穏であるというわけのわからないことになっているところがまさしくヴァルザーで、記述それ自体よりも記述の運び、そのまとまりのなさととりとめのなさはどうかんがえても正気の沙汰でなく、内容と形式を分離できるものとするきわめて馬鹿げた錯誤にあえてのっかるかたちでものすごく乱暴にいうならば、書かれている事柄はきわめて健やかなにもかかわらずそのような事柄を書くその筆の運びは圧倒的に不健康であって、この不一致はいわば不健康であると頭ごなしに断言評価することさえはばむものであり、となれば読む者としてのこちらはただ失語するほかない。むろん狙ってできる芸当などではないが。とちゅう(…)さんから電話があった。(…)は家出から戻ってきたのかと問うものだった。(…)さんも心配しているという。明日出国なんやろというので明後日ですからまあいちおうあと一日猶予があるってことになりますけどなんか戻ってこない可能性のほうが濃厚になってきた気がしますねと応じた。連絡先とかしらんのけと問われたのでいちおうパソコンのほうのアドレスはしっているし滞在先にも見当はついてるんすけどこっちからどうのこうのっていう気にはちょっとなれんのでと答えると、とにかくまだあと一日猶予はあるんやな、それだけちょっと気になったもんでな、電話させてもうたわ。
自室を空けるときには食卓代わりの発砲スチロールを部屋の真ん中に置いて、その上に(…)の置き忘れていった貝殻の入ったビニール袋とこのあいだ購入したプレゼント用の靴下をならべて置くようにしている。こちらの不在時にもしむこうがやってきてもそれで意図は十分伝わるから。
帰宅後、ひさびさにジョギングに出かけた。いまだにあやうさの残る腰だけが気がかかりだったが、走りはじめてみるとなんてことはなかった。二ヶ月ぶりの初日であったわけであるし短めの距離にするつもりだったのだけれど、さすがに毎日出歩いていただけあってそこまで鈍っている感じもしなかったのでいつもどおりのコースを走りきった。シャワーを浴びようとして風呂場に出かけたのだけれどいまだにシャワーから湯が出てくれず、かといってもう二日も洗髪できていないしジョギング後の汗だくの身であるし、というわけでえいやっと覚悟を決めてこの肌寒さの中で水シャワーを浴びた。夏前からずっとガスを止められている(…)さんが9月に突入したのを境に風呂に入るのが苦痛になってきたといっていたのが文字どおり身にしみて理解できた。風呂からあがり簡単な夕食をとった。それから洗濯機をまわして部屋でまたヴァルザーを読みはじめた。途中で玄関の戸を叩く音がした。とうとうこのときが来たかと思って出ると予想は外れ、おなじアパートの住人で、たしか(…)さんという名前のひとだったように思うけれどもさっきあたらしく湯を張ったところなのでよかったらどうぞと、まるで大家さんのような口ぶりでいう。ぼくもう入ったあとなんでと断り、どうしてこれまでまともに口も利いたことのなかった住人がこのタイミングでやってくるのかといくらか苛立ちながらヴァルザーにたちもどり、それから三十分ほどとても浅い仮眠をとった。洗濯物を干してから薬物市場に出かけた。歯磨き粉やシャンプーを買うついでに部屋からもちはこんできたPCを相手に大量にたまっている「偶景」の素案を清書した。214枚。素案はまだ半分も消費していない。「偶景」の処理についてこれまであまり考えてこなかったが、枚数的にも締め切り的にも群像に送ってみてもいいかもしれないと思った。新人賞には訣別したのでは?それはそれ、これはこれだ。
0時をすぎて帰宅した。今日も(…)はもどってこなかった。後味のわるい別れになりそうだ。とてもわるい。とても