20130923

朝飯も食わずにひげを剃った。もみあげから顎にまでつながる部分を、実に数年ぶりにがっつりと剃り落とした。口ひげもついでに剃り落とそうかと迷ったが、こちらはやはりなくなればさびしくなるような気がしないでもないので、残しておくことにした。あごひげに関しては手入れこそすれ二十歳のころからいちども剃っていない。沖縄で(…)が写真に残してくれたじぶんの横顔を見たとき、おれのあごひげはこんなにもわさわさしているのかとびっくりしたばかりだったので、今日はとてもひさしぶりに短く刈りこんだ。
労働。(…)さんとひさしぶりに話しこんだ。(…)さんが子鹿の(…)さんから煙たがれているというかたぶんおそれられているという話を聞いてやっぱりそうだよなふつうはと思った。子鹿の(…)さんには彼氏がいるらしいのだけれど、そして(…)さん自身その事実は知っているはずなのだけれど、しかしおかまいなしのように見える。メールで好きだと伝えているという話も聞いた。これは内密らしかった。子鹿の(…)さんが(…)さんに相談し、その(…)さんが意中の(…)さんに漏らし、(…)さんが十年来の付き合いのある(…)さんに伝え、口の軽さには定評のある(…)さんがじぶんにばらして、なんでもかんでも書かずには気のすまないじぶんがいま機密を全世界にオープン&シェアするというわけだ。(…)さんは子鹿の(…)さんにいいところを見せようとしてか、タイムカードを切ったあとにわざわざ残業してきびきびと動いてみせるのだけれど、そういう意図のバレバレの張り切り方をよくもまあある程度は事情に通じているじぶんたちの前でてらいもなくしでかしてみせるよなあと苦笑してしまう。42歳なのにまるで小学生だ。年齢差を考えなければならないと(…)さんはいった。二十歳そこらの女を落とすんだったらじぶんの年齢を武器に転じてみせる発想の転換が必要なのだ、と。そこから(…)さんの性格分析がはじまった。じぶんの物差しにたいする盲目的で絶対的な自信があるためなのか、こちらからの遠回しな提案や婉曲的な抗議が通用しない、そのため本気で伝えることがある場合は手厳しい言い方をせざるをえなくなる、それが厄介だというと、(…)さんはうんうんうなずいていた。おれは馬鹿のふりをしているがすべてお見通しなのだと、おそらくそのような自己評価を下しているらしい節がしょっちゅう垣間見えるが、しかしじっさいのところはやはりふりでも装いでもなく馬鹿であると、さすがにそこまでは口にしなかったけれど、(…)さんも同様の分析をしているらしいことははっきりわかった。それから(…)さんに心酔している節があるらしいことや、(…)さんにたいするひそやかな対抗意識があるように見えることなどが語られた。あとはひとにケンカを売っておきながらこちらが買いに打って出るとおれは冗談のつもりですべてやっているのだと弁明してそれどころかまったく冗談のわからないやつらだと上から開き直ってみせるあの後出しはじつにこすっからいという話で盛りあがった。じぶんが(…)さんと揉めた一件もそうであったけれども、(…)さんもいちど(…)さんと揉めたことがあってそのときも(…)さんが(…)さんの挑発にたえかねて表に出ろと怒鳴りつけると一気に引いてしまったとかなんとかで、(…)さんは(…)さんがじつはただのビビリなんじゃないかと疑っているらしかった(じぶんはその点については反対意見を口にした、つまりあのひとはいちおうひとを殴ることのできる人間ではある、と)。そこから(…)さんの話題にも飛び火した。これまで決して口にすることのなかった、それでいておそらくみながみなうすうす感じていたであろう疑惑について、つまりは(…)さんの虚言癖について、とうとう(…)さんと互いに腹を割って話すことになったのだけれど、暗黙の了解を破ってしまったその愉快さにふたりともついつい話し込んでしまい、別れ際には今日のことはもうみんな忘れよう、なにも話さなかったことにしよう、明日からまたいつもどおりにやっていこうと笑い合った。おれここ来てほんとじぶんはまともやと思うようになったと(…)さんがいうので、ぼくも(…)さんもたぶん傍から見ればいろいろおかしいところはあると思うんすけどでもちゃんとまともなんすよ、なんでかっていうと、ていうかあのふたりとぼくらを区別する一線が仮にあるとして、それがなにかって考えると、たぶん語の厳密な意味での反省ができるかどうかっていうアレなんす、(…)さんもぼくもじぶんを疑うことってできるっしょ、でも(…)さんと(…)さんってたぶんそれがないんすよね、こんなん先輩にいうんも忍びないけど、じぶんを俯瞰するとか客観視してみるとか、別に言い方はなんでもいいんすけどふたりとも傍目っていう視点がまったくないやないすか、ほやから(…)さんはじぶんのことをものすごい自然に棚にあげてまうことができるし(…)さんはほとんど無謀いうような穴だらけの嘘で堂々と綱渡りできる。
朝、水場にたつとシンクにコオロギが一匹いたのだけれどかまわず歯磨きしたり洗顔したりして、逃がしてやる気にどうしてかなれないまま残酷な愉悦すら感じながら排水溝のほうに流れていくのをながめていたのだけれど、労働を終えて帰宅し夕食をとってから洗い物をするために水場にむかうとそちらのほうからコオロギの鳴くコロコロいう音が聞こえてきて皿を洗いはじめてしばらく、おそらくは排水ネットの中にひそんでいたのだろうけれどそのコオロギがシンクにまた飛び出してきたのも束の間洗剤をたっぷり含んだ泡まみれの水を何度もかぶっては苦しそうにもがき、それを助けようとしないじぶんがいて、コオロギはじきに硬直してふたたび排水溝のほうに流されていった。死というのはこのようにして唐突に、無慈悲に、あっけなく、なんの思いやりもなければ重みもないかたちで各人にひとしくおとずれるのかと思った。一難去っても死。
ここまで書いたところで歯磨きをするためにみたび水場をおとずれると、排水溝の奥から性懲りもなくコロコロと聞こえてきた。