20130925

アルバイトの(…)くんが風呂を拭くべく客室に入っていったのを手伝いに出かける夢を見た気がする。舞台はホテルではなく空港だった。停止したエスカレーターのぼって四階の部屋にむかった。真夜中だった。照明は絶やされていなかったが、ひとけはまるでなかった。階段をアクロバティックに飛び跳ねて移動した。とちゅうで頭を打った。
朝方、大家さんがたくさんの煮物を盛った皿を片手にあらわれた。睡眠を阻害されるとどうしても苛立ってしまう。ご飯も持ってきましょうかというのに、もういい、もういいですからと寝起きの訴えるような声で応じた。二度寝に沈みこむ意識の片隅にイライラがわだかまっていた。いちどたいした理由もなく起されてしまうと二度寝をどうしてもたっぷりとってしまうというか、要するにこれ一種の不貞寝なのだろうけれど、そういう傾向がじぶんにはあるらしいことにはずっと前から気づいていて、ふたたび目が覚めると11時を過ぎていた。ラップもかけられず畳の上にそのままどんとのせられた大皿の中身にはまったく食指をそそられなかったけれど、食べないわけにはいかない、飯を捨てることにはものすごく抵抗がある、というわけでそれを朝食とした。昨日からずっと干しっぱなしにしていたマットレスを片付けて、かわりに布団を干した。マットレスにはたった二ヶ月のあいだにいろんなシミがついていた。これにかんしてはほぼまちがいなく(…)の仕業であると断言できる。マットレスを片付けると部屋が途端にひろくなった。大家さんのところに皿を返しにいくついでに滞納していた家賃を支払った。花瓶もふたつ返却した。この花瓶はじぶんがバイトに出かけている間、部屋で留守番していた(…)に大家さんが手渡したものである。中には大家さんがおもての空き地で育てている白い花と黄色い花がいけてあった。(…)はしばしば朝食にパンケーキを焼いた。そしてそのたびにとっておきのいちまいを皿にのせてフルーツとヨーグルトで飾りつけると、それを大家さんのところに持っていくようにとこちらに命じるのだった。こんなごちそう見たことないと、こちらがパンケーキを持っていくたびに大家さんはおおげさに驚いてみせた。さすがイギリスの方は違う、こんなにもきれいにまあよくこしらえたもんです、ほんとうにもう感心します。皿を返したそのついでに頼んでもいない朝飯を持ってくるのは今後やめてくれるようやんわりと告げた。
布団を干したついでに部屋の掃除をした。二ヶ月ぶりである。畳の上にコロコロをかけていくと沖縄のビーチから持ち帰ってきたものらしい砂粒や、貝殻の破片や、それにじぶんの色でない髪の毛が粘着テープの表面をでこぼこに彩った。感傷が満ちるにはもういくらかの時間を要するらしく、さみしさに手の止まることもなかった。とちゅうで二人組の中年女性が宗教の勧誘にやってきた。金曜日に集会があるのでと口にしたところで仕事があるから無理ですと応じると学生さんじゃないんですねといわれた。来月には28になるというのにいまだに学生らしく見えるのかと思ったが、まともな社会人がそもそもこんなボロアパートに住んでいるわけがないとふつうなら考えるだろうし平日昼間っからボロボロにほつれたTシャツの身なりで部屋の掃除をしている男を見たら学生だと判断するのも無理はない。
部屋の掃除を終えたところで図書館に出かけた。休館日だった。そのまま薬物市場に出かけた。そうして「偶景」の続きに取り組んだ。プラス3枚で218枚。しばらくは決まった時間割を組まないようにしようと思った。そのときそのときのじぶんの欲望と義務感をひとしく秤にかけて何をすべきか判断するのだ。「A」の編集、「偶景」の執筆、「邪道」の執筆、英語の勉強、読書、映画鑑賞、たまりにたまった調べものの数々とウェブ巡回。やるべきことはたくさんある。あっとういう間に一年が終わる。
17時を前に薬物市場を後にした。帰宅してから筋トレをして夕食をとった。それから二ヶ月分にわたる巡回先ウェブサイトの未読記事を斜め読みした。唐突に『もののけ姫』を観たくなったのでビデオインアメリカに出かけたが貸し出し中だった。そのまま帰るのも癪なのでゴダールタル・ベーラキアロスタミをレンタルした。映画など観ている場合じゃない、まずは英語の勉強をしなければならないのだ、という焦慮が帰路いきなり芽生えた。気を抜くとまたずるずると読み書きのほうに引っ張られて勉強をおろそかにしてしまう。せっかく三ヶ月の独学&二ヶ月の実戦経験を積んでまがりなりにも世間話を交わすことのできる程度の能力を身につけたのであるから、ここはやはり完全に血肉化するところまで押しすすめてしまいたい。というわけでやはり時間割生活が必要だと思い直した。いまはまだ英語の勉強が欲望にむすびついていない。(…)が来るまえは彼女との二ヶ月をどうにか快適に過ごすためにという欲望と義務のいりまじったモチベーションに助けられていたが、彼女の去った今、具体的に目標とよびうるなにかがあるとすれば洋書をすらすら読むというくらいのもので、しかし実現にはまだまだ程遠くおもわれる。そうして実現にはまだまだ程遠くおもわれる目標というものは得てして動機になりえない。弱い。弱すぎるのだ。ゆえに規律が必要である。日中は英語の勉強、夜は執筆の二足のわらじで今後いくことに決めた。
それからゴダール『たのしい知識』を観た。しばらくぶりの映画鑑賞というときはいつもゴダールを皮切りにしているような気がする。政治の季節の混乱をザッピングするテレビの音声に重ねて語る主演のふたりが自らもまたテレビ番組の出演者であることに言及しながらしかしそのまなざしはわれわれ視聴者には見て取ることのできない架空のテレビにむけられているという冒頭の構図がまずカッコイイのだが、それでいてその構図におさまることなくむしろたちまちそこから脱出するかのごとく過激なモンタージュをたたみかけていくその逃げ足のたしかさにまぎれもないゴダールを見た。連想ゲームをする幼子のシーンでしびれ、連想ゲームをする老人のシーンで笑った。
夜、開け放した窓のむこうを行き来する住人らの気配で何度も目がさめたので、耳栓を装着した。(…)のいたころはどうしてか耳栓なしで眠れたのだった。朝晩と(…)さんが水場でくりかえし啖を切るその声音が最近とみにわずらわしく感ぜられる。