20131003

3時半起床。10時間も寝た。ほとんど無理やり眠りつづけたためか、浅い眠りにつきものの長大な夢と並走することになったのだが、これがまたやたらと設定の練られた夢で、ギムナジウムのような宿舎に寝泊まりする少年のじぶんの目線(カメラ)がとらえる街並と文化とひとびとと、それらを批評的に解説する少年のじぶんのモノローグとによって、舞台設定が舞台設定として説明されるのではなく具体的な事件を追う過程でおのずとあらわになっていくというすばらしく緊密な構成がまずあるのだけれど、その長大さのあまり(とちゅうで何度も目覚めたのだけれど二度寝、三度寝、四度寝すれば、たちまち夢の続きがはじまる)物語の形式がじわじわと内破しだし、ついにはほとんど異世界の百科全書といった観を呈するというビッグスケールだった。しかし肝心の細部についてはほとんど覚えていない。宿舎を抜け出して夜の町をひとり飛び回ったのは覚えている。孤独に翼が生えていた。どことなく大島弓子萩尾望都を思わせるトーンがあった。
朝食をとり5時からタル・ベーラニーチェの馬』の続きを観始めた。途中でまたうっすらと眠気を感じたので、これだけたっぷり睡眠をとったあとにもかかわらずまだ眠れるものだろうかと、ほとんど記録に挑戦するような心持ちでためしに入眠体勢に入ってみたところ、本当に意識が飛んでしまい、とはいえ眠りはやはり浅く、たくさんのイメージの中を泳ぎつつ何度か目覚めたものの、そのたびに行けるところまで行ってみようと、何度も眠りなおし、記録の更新を目論み、そのようなすったもんだの挙げ句、最終的に目覚めたのは10時半だった。さすがに疲れた。総合すると13時間か14時間ほど眠ったことになるのだが、しかしふしぎと過眠時特有の頭痛はない。過去最高記録はおそらく連続14時間か15時間睡眠なのでそれには及ばないものの、しかしよく寝た。いっそすがすがしい。『ニーチェの馬』の馬は『バルタザール』の馬を越えていた。
過眠のもたらす気怠さにもてあそばれながらだらだらと過ごしたのち重い腰をあげて家を出たのが12時半。ひとまず図書館に行って予約していたレッド・ツェッペリンを借りた。貸し出しカウンターの上に、というか貸し出しレシートの排出されるエプソンの小型の機械の上に四葉のクローバーがラッピングされて置いてあった。ビデオインアメリカでDVDを返却し延滞料金600円を支払い、過眠チャレンジ選手権になど挑んでいなければこの600円を支払う必要もなかったのだが、チャレンジしてしまったものはしかたない。それから例のごとく鴨川に行くことにして飲み物だけコンビニで買っていこうと思ったのだけれど、北大路通の西は烏丸通から東は河原町通までの区間にはコンビニが一軒もない!愕然とした!ようやく見つけたスーパーで半額のコロッケと野菜生活だけ購入し、それから元来た道をたどりなおして河川敷に下り、するとわりとすぐに絶好のベンチを見つけることができたのでさっそく陣取った。それから中に栗の入ったコロッケをばくばくと喰らいつづけていると、おそらくはタイ人かとおもわれるまだまだ若い少年のような顔をした黄色い袈裟を身にまとった僧侶が微笑をたたえながら目の前をゆっくりと歩いていき、やがて近くのベンチに腰かけ、するとさきほどまでそのベンチに腰かけていた老人がまきちらしていた餌の残りを必死になってついばんでいた鳩がいっせいに飛びたち、弧を描きながらこちらにやってきてじぶんの頭上の樹に止まった。風が強かった。図書館に到着したときには秋服を着てきたのは間違いだったのではないかというくらい暑く汗ばんでさえいたのが、川辺のベンチに腰かけていると肌寒ささえ感じるほどだった。「A」の推敲をしている最中、背後に敷き詰められた落ち葉をふみしめる足音らしきものが何度もたち、ふりかえると鳩であったりすずめであったりするということが幾度もあった。足下をオレンジ色をした巨大な毛虫がうねうね這っていたので、気づかぬうちにズボンを這いあがってくるなどしたら困ると思い、枯れ枝の端っこでぴーんとやって遠くの地面に転がしてやった。推敲はどっと疲れる。ここらでいったん打ち切りにしようと思って時計をみると16時だった。漢字を開くべきか否かとまよっているうちにゲシュタルト崩壊するということは何度もあってそれがまたつらい。とにかく基準がほしい。この字は開くべき、この字は開いてはダメ、そういうふうなルールに束縛されたい。その時その場で書きつけた勢いを裏切ってはいけないと、あとから修正するなんてじつに無粋な話だと、統一感なんてクソくらえだと、そういうふうに開きなおってしまいたいのだが、神経質な性格がそれを許してくれない。こういうじぶんの神経症的な細かさや自閉症的なこだわりが、フリージャズを好んだりカフカやヴァルザーの見通しなき記述にたいするあこがれのおそらくは源泉であって、魂が鈍れば形式があらわれるとブコウスキーはいったその意味でじぶんには魂がなく、だから魂の表現にあこがれる。秩序にあまえた腰抜けの憧憬。ほかのだれよりも神を欲してるドMだ。
帰宅し筋トレしジョギングに出かけシャワーを浴び夕食の支度をしできあがったものを喰らいそうするうちにまたもや睡魔にさいなまれてどうかしている。負けじと発音練習をはじめたのだが19時半、そのまま瞬間英作文に取り組むつもりだったのだけれど不意に推敲やったろうじゃねえかなめるなクソが負けるかというど根性のめらめら燃え上がるのを感じたので、部屋の照明を落としスタンドライトのひかりだけを灯して、畳にじかにすわりこんで発泡スチロールのテーブルを前に「A」を開き、それから香を焚いてコーヒーを煎れた。ものすごく集中した。ここまで集中できることは滅多にない。ひさびさに尿意が完全に消し飛ぶという体験をした。「A」は後半に進むにつれ、とくにシシトが迷宮から脱出したあたりから異様に文章がドライヴしはじめ、このあたりになると手を加えるのもわすれて読みふけってしまう。逆に大佐のパートはいろいろと手を加えたくなるところがあるというか、これは少々饒舌にすぎるだろうという一文をそのままざっくり削除してしまったりもするのだけれど、それにしたところでしれている。削ったといっても三行かそこらの話だ。結局は漢字の開きだけが問題なのだ。こいつに延々と手こずる。
22時を機に戦場を発泡スチロールの食卓からデスクの上のPCに移し、ワードファイルを相手にして「A」サンプル本に直接書きこみしたあれやこれを訂正しはじめたのだけれど、サンプル本で見落としていた欠陥やアラがまたもや目につきはじめてそれを含めての訂正となるものだから遅々としていっこうに進まない。0時に達したところでこれ以上はもう無理だと神経が音をあげたので、猛烈なたちくらみとともに布団の上にぶっ倒れた。それからふたたびPCのまえにもどってレッド・ツェッペリンをインポートすることにしたのだけれどスロットインに挿入したCDが排出されないというトラブルに見舞われてしまい、前々からデータを読み込むのにやたらと時間がかかったりトラック情報を取得できなかったりと不具合は生じていたので遠くないいつかはと懸念を覚えていたのだけれど、よりによって図書館で借りたものをぶっ込んだときにそうなりますかというアレで、対策をググってすべてためしてみたのだけれどいっこうに解決できず、どうもこれ物理的に中で引っかかっているっぽいというアレだったのでこうなるともう分解するほかないみたいな状況で、そんなめんどくさいことしてたまるか、もういいや、知ったこっちゃねえ、おりゃ疲れてんだと電源を落として布団に倒れこんだ。倒れこんだはいいもののやはり気になってしまうというのが神経質な人間の性というもので、ちくしょうといいながらドライバー片手にMac裏面のねじを一個ずつとりはずすなどしたのだけれど、これにてようやく分解完了と思っていた段階からさらにもう一段複雑な分解をほどこさなければCDのつまっている部分には手の届かないことが判明したのでアホかやっとれんわとなりねじを一個ずつしめなおした。よくわからない部品がふたつみっつ余ったがかまうものか。元にもどしたところで電源をいれなおしてみると、ミュイーンとかいいながらCDが出てきた。よくわからないけれどもとにかく功を奏したというわけだ。ざまあみろクソコンピューターが!文系なめんな!地獄に落ちろ!