20131004

9時起床。布団からシーツをひっぺがして洗濯した。ひとり暮らしをはじめて九年とかそこらになるけれども布団のシーツを洗って干したのは今日がはじめてである。布団を干すという発想はあったのだけれど、シーツを洗うという発想はこれまでまったくなかった。これでダニどもの夜襲から逃れることができるというわけだ。パンの耳とヨーグルトとバナナとホットコーヒーを喰らったのち昨日づけのブログの続きを書いた。11時を機にワードファイルたちあげて「A」の推敲に取りくんだ。13時半にいちど休憩をとった。もう無理だと思った。そもそもなぜ漢字の開きごとき些末な事柄にここまでこだわる必要があるのかという根源的な疑問を抱いてしまった。それからデータ消去の誘惑にまたしても駆られた。それは違うだろうと即刻思いなおした。それでうおーとなって頭をかきむしった。畳の上に寝転んでドタバタやった。(…)とハグしたいと思った。なんて都合のよい男だろうとげんなりした。それからコーヒーを煎れてカロリーメイトをぶちこんだ。すると頭の切り替わる感じがあった。ここで「ひかり」と記述しているのだからありとあらゆる「光」は「ひかり」に書き換えられるべきである式の神経症的発想がようやく遠のきつつあった。意思とは「ゆるぎない」ものではなく「揺るぎない」ものであったし、炎は「揺らめく」のではなく「ゆらめく」ものであるということがだんだんとわかってきた。亜人の皮膚は「剥がれ」ているが、壁や屋根は「はがれ落ちる」のだった。意味論上の使い分けだけではなく字面の美しさ、紙面を満たす余白との兼ね合いもあった。融通無碍にいこうと肝がすわった。そうして14時半より16時までふたたび推敲に取りくんだ。初稿を脱稿して以来ずっと妥協案で誤摩化していた難所をとうとうクリアすることができた。二年越しの解決だった。
体中が痛んで仕方なかった。首から背中から腰からいたるところに鈍い痛みがわだかまっていた。脊椎が圧迫されて関節にしびれがきざした。外にでると吐き気がした。ものすごく集中した作業のあとにはいつもそうなるように強烈な反動に見舞われた。どんなドラッグよりも強力な浮遊感、離人感、非現実感に足下がふわふわとしておぼつかず、重力という現象がとても縁の遠いなにかのように思われた。照明の落とした部屋に長時間閉じこもりディスプレイと向き合い続けていた反動のためにか、日暮れ時のやわらかに曇りがちな日射しのくせにやたらと目にしみて痛いくらいだった。おそるおそる自転車に乗りながらスーパーに出向き、食材を購入し、帰宅してから夕食の支度をした。タジン鍋の中に十分に火が通るのを待つあいだに腕立て伏せをした。それから大量の夕飯をかっ喰らった。食事を終えたらシャワーを浴びてふたたび作業に取り組むつもりだった。こんな状態で取り組んだところで時間の無駄でしかないことはわかっていたが、昨日を境にどうやら完全にスイッチが入ってしまったらしく、「A」に目処のつくまでは他のなにごとも手につかないだろうという確信があった。いつものパターンだった。頭のなかがバグりはじめているとき特有のあの霧がかってぼんやりとした、それでいてなにかしら執念深いところのある強い意識に、じぶんのなかの正常が支配されているのを感じた。こうして不毛な悪戦苦闘がはじまる。神経をすりへらすだけの無駄な営みがはじまる。自覚があったところでどうにもならない、いつもこうなのだから、気分転換もできないし並行作業なんてもってのほかだと、そう思いながらシャワーを浴びた。ほんとうにもってのほかだろうかと思った。あれ、と思った。ひょっとしたらどうにかなるかもという予感がきざした。風呂からあがった。ストレッチした。Macをスリープモードにして英語のテキストを開いた。途端にできるという確信が走った。興奮が腹の底からもちあがった。とうとうスイッチを切ることに成功したのだ!じぶんの手で!じぶんの意思で!
夕刻からずっとひきずっていた鬱っ気も消し飛んだ。19時半から22時半まで発音練習と瞬間英作文を三時間ぶっ通しでこなした。三時間ときくとたったのそれっぽっちかという気がおおいにするが、じっさいにテキストを一冊丸ごと頭からケツまで通してやり抜くとなるとこれはこれでけっこう大変で、終わるころにはどっと疲れてしまう。本当なら全部で70ある単元を半分の35で区切ってほかの勉強と並行してやったほうがいいんだろうし、そうでなくとも以前のように半分は自室で、もう半分は外でというふうにせめて環境を変えるくらいのことはしたほうが精神的に負担もかからないのだけれど、今日は部屋から一歩も出ないどころか畳一枚分の陣地から外に出ることなく座禅を組むようなストイックさで延々と単元をこなした。
作業に次ぐ作業でどっと疲れた。あれほどたらふく喰ったはずの夕飯もとっくに消化されちまった。そういうわけで最寄りのコンビニに出かけた。コーヒーとチーズとハムをはさんであるよくわからないパン生地のレンジでチンするケミカルフードを買った。レジでじぶんの前にならんでいた女性が手巻き寿司をひとつ購入しようとしていたのだけれど財布の中の金が足りなかったらしくトートバックの中に手をつっこんでがさごそとやっており、これじぶんの存在がプレッシャーになっているだろうなと思いながらがさごそやってるその後ろにぼけーっと突っ立っていたのだけれど、女性はしばらくバッグの中を探ったのち店員さんにむけてなにやらつぶやき、たぶん、すみませんお金足りないみたいで、みたいなアレだと思うけれど、それで去っていったので次はじぶんの番だった。じぶんの財布のなかには五千円札も入っていたし喫茶店のコーヒーチケットも入っていたし期限の切れた王将の餃子一人前引換券も入っていた。見るひと見るひとそれもういい加減変えたほうがいいんじゃないのと指摘されるクソ汚い財布はたしか二十歳のころに購入したもので、ということはもうかれこれ八年とかになるわけなのだけれどいまだにこれ欲しいという財布に出くわさないものだから変えるに変えられない。(…)はわたしがどこかで良い財布を見つけたら買ってあげるといっていたが、やつのことであるからわけのわからんアジアかぶれなデザインのものを押しつけてくる可能性もなきにしもあらずというかおおいにありうる話だったので、雑貨屋にいくたびにひやひやしたものだった。商品を受け取ってレジをあとにするといつのまにかじぶんの背後にならびなおしていたらしいくだんの女性がふたたびレジの前に出た。手持ちの金で足りる食い物に変えたようだった。この時間は腹が減る。わかるよ、その気持ち。
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