20131007

10時起床。たたみのうえに寝転んで眠ったからなのかなんなのか、体中いたるところをダニに噛まれている。ひどい有様だ。もともと皮膚の回復力みたいなアレがどうもひととくらべて弱いところがあるみたいで蚊程度ならまだしもダニに噛まれたあとはぜんぶシミになって残る。ゆえにじぶんの脚とケツはものすごく汚い。見方を変えれば歴戦のつわものみたいであるといえなくもないけれどもケツに一生傷を追うつわものというのもさまにならない。前夜の暴飲暴食があったのでひとまずヨーグルトだけの簡単な朝食をとったのち、たたみに針を直接ぶっさしてそこから噴射するタイプのスプレーでジェノサイドに励んだのだけれど、スプレーの中身があまり残っていなかったみたいで効果のほどがしれない。
洗濯物を干したのち12時より「A」の推敲にとりかかったのだけれど、だただ早くおわってくれと死にそうになりながら一心不乱でそう祈りつづけても遅々として進まず神経はすりへるばかりですりきれるのも時間の問題で、最低のやりかたでどうにか生きてこれたことにすがるわけにもいかず、たびかさなる麻痺をどうにかかいくぐりながらそれでも15時には文字通りめまいとともにぶっ倒れた。コーヒーを何杯もがぶ飲みしたりパンの耳を喰ったりまったくもってそんな気力も意欲もないにもかかわらず無理やりエロサイトを見てことにおよんだり、とにかく気分を一新するためのありとあらゆる方策をとったのちふたたび作業にとりくむそのつもりだったのにぜんぜんダメで16時半、もう限界だとおもってようやくデスクから離れるという決断をくだすにいたった。一時間半を無駄にした。もっと切り替え上手にならなければならない。もうかれこれ四五年はそうじぶんに言い聞かせている気がするが、いまだに上手くない。
ぼんやりする頭で発音練習をこなしたのち、せめて一時間でも日の光にあたっておかないと自律神経をわやにするこの季節の変わり目と来るべき(…)の喪失感と推敲作業がもたらすところの半端ない負担とによってかたちづくられる最悪の三角形によって廃人化してしまいかねないというおそれがあったので、すでに日も暮れかけており夕刻の風さえ吹きはじめていたが、鴨川にむかった。そうして川辺のベンチに腰かけてうす暗さがはっきりと夜の闇へ変貌をとげるまでの二時間ほどをぶつくさぶつくさ瞬間英作文に費やした。眼下の浅瀬をヌートリアが泳いでいた。うわさには聞いていたものの本当にいるんだなと思った。川面に波紋が点在しはじめたのを見て雨がふりだしたものかと思いきや、巨大な魚影がぬらりと視界にあらわれててらてらとした鱗を水面越しにひからせ、一目見て鯉であることのわかるその巨体の接近におそれをなしてとびはね逃げだした小魚が波紋の原因であることに思いいたった。平安神宮の拝観料を支払った先にある広い池で悠々自適に泳ぐ鯉をながめているときだったかに(…)はリトアニアの田舎では鯉を食べるといった。われわれは池にかけられた橋のなかほどに腰かけてそこから中心が空洞になっている円柱形の麩をちぎっては投げちぎっては投げして群れつどう鯉や鴨や亀をながめていた。(…)は亀が好きだといった。二条城の堀でも亀を見つけるかいなや“Turtle!!”と叫んだ。那覇空港で手にいれた無料の観光雑誌に掲載されていたダイビングの広告写真にウミガメが映りこんでいるのを目にしたときもページをめくるこちらの手を止めるほどの食いつきようだった。あれほどcommercialな物事を小馬鹿にしていたにもかかわらず観光地の写真やうたい文句にはほとんど愚物といっていいほどの、それこそ観光客らに餌づけされてみっともないほど貪欲に肥え太り水面をゆるがすものなら何でもひとまずは大口をひらけてのみこんでしまう鯉の愚かさで鵜呑みにするあの浅はかさはなんだったんだろうかと思う。それは去年のタイ・カンボジアでもおおいにおぼえた違和感だった。鴨川にベンチに腰かけながらそんなことを考えていたわけではない。(…)のことをじつにひさしぶりになつかしさとともに思い出したのはむしろその帰路だった。19時半をまわっていたと思う。通ったことのない細い路地をだいたいこちらのほうだろうと見当をつけながら自転車を漕いでいるそのときにふと彼女のことを思った。思うと同時になぜ今なのかと考えた。(…)が滞在していた期間中いまはこれほど腹がたって仕方のない相手ではあるけれどもそれでもいなくなったらさびしくはなるだろうと、それも毎日のように出歩き京都のすみずみまで踏破しているくらいであるのだからどこに出かけてもどこを歩いても彼女の影がつきまとうことになるだろうと、そのように見当をつけていたのだけれど、事実はむしろ逆で、彼女とならんで歩いたことのない路地、それどころかじぶんひとりでも通りぬけたことのないはじめての路地をゆく途中にふと彼女のことを思いだすという不意打ちがあったわけで、けれどこの想起の経路にはなんとなく得心のいくところがあった。そうだよなと思った。未知をひとりで体験するたびごとにその興奮も不安も歓びも共有する相手がいまここにいないという現実をまざまざと直視するはめになるんだと、そうしてそんなふうな凡庸な喪失感の到来はおそらくこれから先しばらく、長引く風邪のようにじぶんの生活につきまとうことになるんだと、そんなふうな感傷が一抹のざわめきとともに喉元から左胸にかけて斜めに走った。死がわたしと世界を分かつまで、というフレーズが思い浮かんだ。
スーパーで買い物をした。帰宅してからストレッチをしてジョギングに出かけた。途中で自転車にのった大学生くらいの男と衝突しかけた。無点灯にイヤホン装着の男が曲がり角から減速せずにあらわれたその正面ぎりぎりでどうにかこちらが踏みとどまったがために衝突にはいたらなかったのだけれど、目尻が切れて血でも滴り落ちるんでないかというくらいに両眼をめいっぱいに見開いておどろいてみせる男のそれでいて言葉をひとことも発さずにいた奇妙な落差それ自体をもふくみこんだかのような顔つきが、まるでいちまいの作り物じみた心霊写真のようにしていまもはっきりと目のうらに焼きついている。帰宅してからシャワーを浴び、夕飯をかっ喰らった。それから瞬間英作文の残りをさくっと片付けた。時刻は23時半だった。薬物市場にでも出かけて作文か読書でもしようかと思ったが、仮眠をとっていないがためにすでにかすかな眠気のきざしがあり、これだったらもう自室に居残ったほうが得策かもしれないと思いなおして部屋着に着替えなおした。借りるだけ借りてぜんぜん読んでいなかったというか読書する時間など全然ないくらいに毎日せっぱつまっていてそのおかげでやっかいな感傷にもいまのところとらわれずにいることができるというのもたぶんおおいにあるんだろうけれども、とにかくようやくにして着手とあいなった『天使のおそれ』のお供にコンビニで購入した午後の紅茶のなんか変わった味のものをのんだのだけれどそもそもすでに日付はまわって午前であったしそのためにかぜんぜんうまくはなかった。ブログを書きしるし、布団にもぐりこんでひさかたぶりの活字をゆったりだらだらと追いながら眠りについた。
これ(http://topics.jp.msn.com/life/lifestyle/article.aspx?articleid=2108686)、今年に入って読んだネットアーカイヴの中でいちばん面白いかもしれない。