20131009

9時起床。雨。10時より「A」推敲。14時沈没。62/65。あと3枚というところで力つきてしもうた。クッソしんどい。頭がどんどんバグってくる。漢字の開きを統一するだけとかいっておきながらなんだかんだでまるっと一文書き直したり追加したり削除したりそういうあれこれで余計に時間がかかるし悩むし麻痺るしワケがわかんなくなってそのたびにコーヒーをがぶ飲みする。美味いとか不味いとか喉がかわいたとかカフェインがどうとかそういうのはどうでもよくてとにかくデスクを離れていちどまなざしを洗いながす必要があるそんなときにうってつけの口実としてティファール片手に水場に出てコップ一杯分の水をそそいでコンセントさしこんで湯の沸くまでのその間を利用して便所にいくという一連の流れがある。そのたびに外の空気を吸う。テキストファイルの外に別の時間の流れる現実があることを知ってほっと緩むものがある。
「立ち去る」なのか「立ちさる」なのか「たちさる」なのか、「崩れ落ちる」なのか「崩れおちる」なのか「くずれ落ちる」なのか、こんなこだわりはおそらく書き手のじぶん以外どうでもいい。そのどうでもいいことをどうでもいいこととして読み手目線で見なすことがどうしてもできないというこの現実、この圧倒的な現実が究極的に証しているのはつまるところじぶんがほかのだれでもないじぶんのために小説を書いているという死ぬほどわかりきっている厳然たる事実で、すると、正解がないという営みのつらさ、しんどさ、苦しさというのは、そっくりそのままおのれ美意識、価値観、基準の定まりのつかぬ揺れうごきのトレースでもあるということになる。
マルタイの棒ラーメンを喰らい発音練習をこなしたのち鴨川に出かけて瞬間英作文にはげむことにしたのだけれどじつにあやしい空模様で、これぜったい雨雲だろうというどす黒いものが接近しつつあるのかそれとも去りつつあるのかそんなもん知ったこっちゃないのでコンビニで飲むヨーグルトだけ購入して例のごとく川縁に出て、そうしてまたしてもベンチは満席で、しかたなしに下りつづけているうちに今出川を越えてしまって、このあたりがじぶんにとっての基準点であるというか北大路通から今出川通までの区間内でベストプレイストゥスタディを発見できなかった場合は同区間内のベタープレイストゥスタディで妥協せよという縛りをじぶんにもうけている。それゆえさっそくその縛りをぶちこわして今出川よりやや南下した地点にあった木蔭のベンチに腰を落ち着けることにしたのだけれど、腰をおろしたその勢いでベンチの座面に手のひらを押しつけたらなにやらちいさくはじけるものの感触があって、見れば一匹の蟻がじぶんの手のひらに圧殺されていた。こんなふうに無意味な死があるんだろうかと咄嗟に思った。それからいいやそうじゃあないと思いなおした。死というのはたぶん本質的にすべてがこんなふうに無意味であっけないもので、そうしておおかれすくなかれ運の良し悪しでしか語れない何ごとかである。樹上から地表に音をたてて落下するものがあって、見ればコガネムシの類が地面にあおむけになって脚をばたつかせていて、善意でもなければ蟻の圧殺にたいする帳尻合わせでもなくただ興味本位で、昆虫とみれば打ち捨てておくことのできなかった保育園時代の習性の名残で立って近づき、そうして拾ってみると黒い甲殻に白い斑点のはいった個体で、指先にのせた途端にぶぶーんと翅をひろげて飛んでいった。しばらくベンチに腰かけてひとりでぶつくさやっているうちに雨が降りだして、これすぐ止むやつだろうかどうだろうかと値踏みするまでもなく雨脚が強くなりはじめてカーキ色のズボンを黒く打つ点描もどんどん大きくなっていって、こりゃまずいと思ってケッタに乗りこんで橋の下に逃げこんだ。橋の下には同じような考えから同じような行動をとったひとびとの姿があって、片手にギターケースをさげた自転車の若い男と、老年の男性ランナーと、造花のバスケットを手にした老齢の女性と、デジカメを手にしたカメラマン風の四十路の男とその連れ合いのやはりどことなくクリエイター系の仕事をしていそうなショートヘアで化粧っ気のない女性と、サッカーボールでリフティングをしている中高生数人がいるそんな大所帯とはいえない偶然のつどいに加わったわけなのだけれど、雨はまだまだやみそうになく、むしろ強くなる一方で、これはしばらく時間がかかると判断したために自転車を端によせて止めてから壁際にもたれこんで地面に直接尻餅をつき、こういうときじぶんはけっこう野良育ちというかあまり行儀がよくないというか清潔感に欠けるふるまいをとりがちであるよなと思うのだけれどとにかく、ふりしきるものを手持ち無沙汰にぼうっとながめるひとびとを横目にひとり路上にすわりこみそこでまたぶつくさ勉強の続きにとりくんだ。びしょぬれになったランナーのカップルやハイキング姿の老齢の女性などがその後パーティーに加わった。雨脚が弱くなりだしたところでひとりまたひとりと小雨の中を歩きだしていくのをぼんやりながめているうちに橋の下に残っているのがサッカー少年らとじぶんだけになった。はっきりとした晴れ間の確認できたところで腰をあげて外に出た。遠目にはやんだものとおもわれていた雨が実際はいまだにしとしとと降りつづけていて、だからといっていまさら橋の下にもどる気にもなれないというかそういうのってちょっと恰好のつかないところがあるので、なんたることかと思いながら川縁を北上した。これくらいの小雨なら別段かまいやしないと思って手頃なベンチを探したが、どれもこれもびちょびちょに濡れていてこのうえにケツをのっける気にはちょっと慣れないなぁとなって、ひとまず公衆便所で小便をした。郵便配達夫がふたり雨宿りをしていた。あきらめて帰宅した。16時だった。
部屋で瞬間英作文の続きをした。それから買い物に出かけた。雨はやんでいた。帰り道に白人のカップルとすれちがった。女はブロンドだった。ブロンドを町中で見かけると胸のあたりがざわつく。感傷と化すにはもういくらかの時間が必要なんだろうが、それでも現状かすかにうずくものはやはりある。鴨川にでかけるようになって京都にはこんなにもたくさん西洋人がいるものなのかと認識をあらためた。川辺を歩くブロンドももちろんたくさんいる。素通りしてくれないまなざしがすこし億劫になることもある。英語でおしゃべりしたいと思った。英語でおしゃべりしていてなにがいちばん楽しいかというと関係代名詞で、こいつをうまく組み合わせることで情報を一息に凝縮しコンパクトに整頓したひとつなぎの言葉を話し言葉の速度でささっと切り返すことができたときのあの快感というのは落ちゲーの連鎖がうまくはまったときのパズル感覚の官能にいくらか通ずるものがあってそれがよい。そして関係代名詞にたいするこの嗜好というのはたぶんじぶんの好む日本語の文体にもおそらく関係がある。
夕飯を喰らい、仮眠をとり、瞬間英作文の残りを片付け、それからここまで一息でブログを記した。ブログを書くときはとにかくいかに速く打鍵するかが勝負みたいなところがあって文法上の破格も単語のセレクトも漢字の開きもなにもかもすべて無視してとにかく勢いだけでもって殴り書きするみたいなところがあってこれが荒っぽくて気持ちいい。推敲なんてクソくらえの投げっぱなし感がときに痛快である。記述の運動に背中を押してもらうことによってしらぬまに壁を突破してしまっていることもあれば、記述の引力にひきよせられた記憶と雑念とたわむれることで壁をすり抜けてしまうこともある。いずれにせよ痛快!痛快エヴリデイである。おなじ作文でも小説を相手どっているときとブログでカチャカチャやってるときとはぜんぜん違う。作品という気負いがないからだと思う。(小説を)書く息抜きに(ブログを)書くだなんて傍からみればキチガイの所行かもしれんが、事実こいつが息抜きになるというかアレだ、自動筆記をやって頭のなかの文字群をいちどすべてかきまわして言葉の新陳代謝を活発化してやるあの感じとひょっとしたらすこし似ているのかもしれないブログは。最近自動筆記やってない。ブログがその代用になっているのだ。疑いなく、たしかに。ものすごくまれにブログがおもしろいという旨のメールやらコメントやらをいただくことがあるけれどそういうときに内心微妙な気持ちになるのはこんなもんおれの本気じゃない、せいぜい5%くらいのアレでしかない、多く見積もっても8%だ、消費税程度パワーでしかないのだという自負らしきものがあるからで、ところで消費税8%とかもうどうしろっていう話だというかほんとうにどうしたらいいんだろうか。もう泥棒にでもなろうかな。とりあえず来年の夏は安倍晋三と二ヶ月間シェアルームしたい。そうして『共産党宣言』を課題図書にふたりきりの読書会をひらきたい。
クソみたいな記述にかまけていたせいでいつのまにやら22時!ジョギングに出かけた。腹にものが入っている状態で走るとびっくりするくらい息切れしない。こんなにも走れるものかと毎度のことながらおどろく。シャワーを浴びてストレッチをしてそれから『天使のおそれ』をおともに薬物市場に出かけて二時間ほど本を読んだ。イヤホンが断線していることに気づいてまたかよと思った。ブログ内検索してみると今年の1月22日に断線とあって(…)、いやいやわりと最近あったぞと思って考えてみたところ(…)をむかえに東京に出張っていたとき、たしか行きの夜行バスに乗車していた時点ですでにそうであったようなおぼえがあるけれど断線して、でもあれはたしか延長コードのほうの断線だったはずで、それだから京都にもどってきてから予備の延長コードをつないで今日までうまくやってきたのだった。そんでいまあたらしいものをポチった。東京から京都行きの夜行バスで最後尾の四人掛けのシートの右側二席にすわって背もたれを倒して消灯時間になって、席と席のあいだにはカーテンがあって(…)は眠りにかんしてたいそう神経質なのでこのカーテンひいておこうかとたずねるとノーと彼女はいって、あなたはわたしにとってstrangerじゃないからと、そう続けて、バンコクからチェンマイにいく夜行バスに乗ったときとおなじようにイヤホンをわけあって音楽を流しながら眠りについた。
薬物市場からの帰路、アパートの前をはしる道路の真ん中にデカビタの空き瓶がたててあるのを見た。