20131105

(…)われわれの大部分は学校で名詞とは人や場所や物の名前だと教わったが、本当は、名詞とは文章の他の部分とさまざまな関係を結べるものだと教わるべきだった。そうすれば、文法全体を物ではなく関係という観点から定義づけることができたはずなのだ。
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「精神過程の世界」)



10時起床。洗濯。(…)さんから電話あり。閉鎖病棟の(…)さんがこの週末むかえつつある危機について。最近の(…)さんの動きを見ていると少しばかりあやういんでないか、油断しがちなんでないか、気をぬきすぎているところがあるんでないかという気がしないでもない。こちらとしてもそろそろ潮時なのかもしれない。タイミングを見誤るとまずいことになる。
12時より発音練習&音読。17時いったん終了。ぶつくさやりながらスーパーに買い出しに出かける。このあいだ(…)さんから腰痛には鶏胸肉がよいという話(出典はNHKか何かの番組らしい)を聞いたので、貧者の味方とでもいうべきこいつをじつにひさしぶりに買った。肉はふだん一食につき100gしか食べないのだけれど、そしてまともな食事をとるのは一日一度だけなので一日につき100gと言い換えてもよいのだけれど、とりあえず一食につき200〜250gの胸肉をこれから毎日食べ続けることに決めた。それとは別にこれまで筋トレ直後しか飲んでいなかったプロテインを昼と筋トレ直後と就寝前の三度にわたって飲むことにする。とにかくタンパク質を摂取しまくって腰まわりの筋肉を回復させるという戦法である。
帰宅後筋トレをして夕食をとった。それから仮眠をはさんでふたたび音読にとりかかったのが21時半。23時半にきりのよいところまで達したので今日のところはこれで終わりということにして吐息のいつのまにか白くけむる夜の水場で洗い物をすませてからシャワーを浴びに大家さんのところに出かけると先客がいて、KJで、それだからいちど部屋にもどって時間をおいてからふたたび風呂場に出かけた。昨日だったか一昨日だったかもこちらが風呂場にむかったところに先客としてKJが入浴していて、まだ風呂場に温かい湯気のたちこめるそのあとにじぶんが続いたのだけれど、これまでほかの住人が入っていた直後の風呂場に入るのはすこしためらわれるところがあったというか端的にいって風呂で身体を洗っているはずであろうにそのあとに続くと不快なくらい男くさくてなんだよこれみたいなところがあったのだけれど、KJの使ったあとの風呂場はすごくいいにおいがする。さすが男前。
ひさしぶりにまるっと一日英語の勉強に費やしてみて入浴中やちょっとした手仕事の合間に妄想英会話がはじまったりもしたのだけれど、ぜんぜんだめだ。(…)が滞在していたころにくらべると、受け答えの瞬発力がいちじるしく低下している気がする。しょせんは数ヶ月の付け焼き刃だというところなのだろうけれど、しかし逆にいえばたった三ヶ月でよくもまああれだけ上達したものだなといまになって思う。二ヶ月のあいだで辞書を使ったことなんて数えるほどしかなかったし(わからない言葉があってもそれを英語で説明してもらったら理解できた)、なによりあれだけ頻繁に口論して(できて)いたのだ。このあいだ(…)さんと話していたときに(…)の来日する三ヶ月前から三単現のSから勉強しなおしてというと、いくらなんでもそれはないやろ、大学やって入ってんのにといわれたのだけれど、これは誇張でもなんでもなく事実で、まずじぶんの受験勉強なんてものはちょっと間の長い一夜漬けみたいなものであってそこにくわえて入学と同時にすべての勉強を放棄したものだから中高六年間で学ぶべき知識なんてもうなにひとつ残っておらず、それだからほんとうにIs this your dog?とかDoes he play baseball?とかそういうレベルの英語を口頭で延々と英作文するみたいなところからはじめたのであるし、いまもそれに近いところでやっているといえばそうなのだけれど、とにかく三ヶ月というかぎられた時間でなにをするべきかとなると、そりゃもう高望みはせずにただ中学生レベルの英語を「使える」ようになるべきだと、そういう結論に落ち着いたからそうしたのであったしその甲斐あって現状中学生レベルの英語を「使いこなす」ところまでいっているのかどうかはわからないけれどもそれ相応には「使えて」いる。ただ(…)の来日にそなえて本格的に勉強を開始する以前にDuoだけはぽつぽつとやっていた、あれは結果的にとても大きかったように思う。いまじゃもうすっかり忘れてしまっているけど、記憶を惹起するトリガー(キーワード)さえあればそこから例文がおのずと口をつく程度には暗記していて、単純暗記した文章は能動的に「使う」のはむずかしいけれど相手の言葉のなかに用いられている聞き覚えのある単語の意味を脳内検索するさいにうってつけの参照先となってそれはけっこう便利だ。
音読は有効な勉強方法らしいのだけれどクソ退屈であっていまやっている中学生レベルのやつを一冊終わらせたあとはもういいかなという気がしないでもないというか、もういいわけないのだけれどとりあえずちょっと文法問題に着手してみたいというのがあって、中学生レベルを高校生レベルにひきあげるためにも仮定法がどうのとかああいうややこしいのをたぶんそろそろ覚えなければならず、じぶんの英会話レベルというのは関係代名詞以上仮定法未満というアレでこの区分ってたぶんちょうど中学生と高校生の間であるように思うのだけれど、とりあえずシリウスはあきらめてその代用として大学受験用の問題集を二冊注文した。これをまた全文暗記するレベルでくりかえしぶつくさやりつづけたらおそらく高校レベルの文法と語彙で会話できる程度にのびるだろう。それとずいぶん前に購入した構文集も暗記する。二冊目の音読はそれ以降でたぶんいい。会話の練習はそのまま読むことの練習になるけれども、読むことはそのまま会話の練習にならない。その一方通行性が逆転ないし双方向性に転化するのは、ある程度の実力が身についたときだろう。その分水嶺を、高校レベルの「使いこなし」可能となる時期と見ている。いまはまだそのときでない。
英語の勉強をしているとたとえばあるひとつの単語がきっかけとなったりして(…)との具体的な思い出という挿話めいたものが不意に想起されることがある。思い出す内容によってそのたびに頭にきたりイライラしたり悲しくなったり思い出し笑いしたり愛しくなったりするのだけれど、東京で(…)くんにもらった音源のなかに入っているたぶん収録曲のなかでいちばん古いあのあまくロマンチックな夏の終わりめいたメロディがいちばんこちらの感傷をかきたてる。蝋燭をたてたペットボトルをながめながら畳のうえに寝転がって最初にキスしたときに部屋に流れていたのがこの楽曲だったからというのもあるのだろうけど、なによりも強く印象にのこっているのはストレスにたえきれず(…)や(…)や(…)くんにSOSメールを送信したおなじ夜に長々としたブログを書きあげてアップしたあのときにヘッドフォンでずっと聞いていたのがこの楽曲だったからで、ひきさかれるような混乱と、名づけようのない狂おしさと、認めてしまえばもう二度と立ちあがれなくなってしまいそうな感情と、うしろからたびたび聞こえる寝返りの物音と、残る一ヶ月半にたいする絶望的な不安と、その不安に塗りこめられてしまったあわい期待と、それでも成就することになったいくつかの契機と経緯と、うっすらとこもった声色と、こちらの意思をたしかめるときに必ず付け加えるa hundred percent?の尻上がりの語尾と、ほそくてやわらかい金色の髪と、肌と、胸と、あまい体臭と、まるで音程のとれていない鼻歌と、おきぬけの不機嫌と、歩きながら巻きたばこを器用に巻く手先指先と、禁煙をはじめてから四六時中なめまわしていた飴と、地下鉄と市バスと、いまとなってはもう思い出せないあの猛暑にくたびれた日中の顔色と、待ち時間と移動時間にともなう身体の密着と、人目を気にする心地と、その心地の日ごとに消えさっていくあの無神経さの獲得と、エスカレーターに乗るたびごとにキスをもとめてふりかえる微笑と、大文字焼きを見物しに嵐山に出かけた夜にはじめて身につけた黒いドレスと、ロンドンからわざわざ持ちこんできた宝石にかざられた首元と、その帰りの電車内で不意にとなりの席からたちあがってほかに乗客のいるむかいの席にすわりなおし周囲のいぶかしげな視線をよそに通路をはさんだこちらを微笑みながらじっくりとながめてなにをしてるのと問えばあなたと赤の他人としてたまたまおなじ電車に乗り合わせたらあなたのことどんなふうに見えるんだろうって想像してるのよという受け答えのあったあの気恥ずかしいひとときと、姪っ子を抱きかかえたときにshe smiled at me!とよろこび叫んだ表情と、なか卯で衣笠丼をとてもおいしそうにほおぼる表情と、ロフトの文具コーナーでボールペンをひとつ買うのに一時間以上費やす日本製品にたいする熱中ぶりと、わたしがあなたを愛しているのはわたしにはあなたを所有することがぜったいにできないってわかっているからよという言葉と、沖縄にむかうケンカ明けの夜にふてくされてパソコンにむかったまま寝床につかないこちらのかたわらにやってくるなり頬にキスをしてlove youと耳元でちいさくささやきくるりときびすをかえして寝床にもどっていったあの氷解の一瞬と、それから、それから、それから!