20131112

 かなりよく知られた話にこんなのがある。茶色い紙でおおいをした大きな檻をもってバスに乗り込んだ男の話だ。男は相当酔っ払っており、その檻をどうしても自分の席のとなりに置くんだといって乗客を困らせた。乗客たちが「檻のなかに何がいるんだい?」と聞くと、彼は「マングースさ」と答える。何のためにマングースなんかもち歩いているのかという質問に、彼は、酔っ払いには振顫譫妄症(アルコール中毒による震え・幻覚などをともなう――訳注)のヘビよけにマングースが必要なのだと説明する。「しかし、そりゃ本物のヘビとちがうだろ」と乗客たち。
 すると、彼はわが意を得たりとばかり声を低めてこう答えた。「ああ……しかしね、これも本物のマングースじゃないのさ」。
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「汝の左手に知らしむべからず」)



何時に起床したのかさっぱり覚えていない。午前の早い時間だったか昼頃だったかあるいは夕方であったか、それさえはっきりしない。それをいえばそもそもきのうという一日をくぐり抜けたという実感があまりにとぼしい。喫茶店で(…)とだべっていたのが一昨日であるという事実にぜんぜん現実感がない。そんなにも遠くはない、それは昨夜のことであるという実感が、日付によりかかる理性に反発してやまない。こんな感覚ははじめてな気がする。きのうは朝病院に出かけた以外はほとんど寝たきりであったし、というか病院から戻ってきて薬を飲んではじめてぐっすり眠れたことを思うとむしろその眠りからめざめた午後16時かそこらが昨日という一日の始点であるという実感があるはずで、そこからふたたび深い眠りにおちるまでのおそらくは十時間にも満たぬ短いひとときをうたた寝とまどろみとタクティクスオウガの動画(=フィクション)に費やして寝たきりであった、このために現実として経過した一日の実感がまるで獲得されぬままにあるということなのかもしれない。
夕方にようやく身体を起した。ようやくと書き記したこの自動的な指先の運動によって、じぶんが起床した時間帯はどうやら少なくとも夕方ではないらしい、遅くとも昼過ぎ、早ければ昼前だったんでないかという見通しがついた。布団をたたんでストレッチをした。腰を中心に身体のいたるところが痛んでいた。起き抜けに全身をチェックすると腰回りから尻にかけて主要大陸のほとんどが沈没した世界地図がそれでもしぶとく残存しており、きのうまではなかった手の甲や指の間の発疹が認められた。それで薬を飲んだ。それはたぶん昼前のことだ。夕方ではない。布団をたたんでストレッチをして洗濯機をまわし洗い物を片付けた時刻にはすでに手の甲のかゆみや発疹は消えていたのだ。おもてはとても寒かった。底冷えという言葉をひさびさに実感する夕刻だった。洗濯物を干していると手がふるえて歯がカチカチ鳴った。パンの耳を二枚食べてコーヒーを飲んだ。すでに時刻は夕方であったが、ここから通常通りの一日をはじめようと思った。コーヒーを飲むと頭がいっきにきりっと冴えるような心地がした。過眠により濁りきった頭と寝たきりにより訛りきった肉体が同時にほぐれていくようだった。本当の意味で目が覚めたのはたぶんこのときだ。と同時に先に書いたとおり、昨日という一日の亡霊めいた存在感に思いいたり、いちども冴えることのない頭のままただ寝たきりですごしたあの解像度の低い一日の間にも外の世界ではすべての出来事と情報が常とかわりない密度で交換され経験されていたのだという事実がにわかに信じがたく思われてきた。コーヒーをそのまま四杯たてつづけに飲んだ。飲みながら昨日とおとといづけのブログをまとめて書き記した。記述が終点に到着するころには現実の時間の流れとこちらの認識との溝はなにごともなかったかのようにいともあっさりと埋め立てられてしまうだろうと踏んでいたのだが、そんなことはなかった。きのうという一日はいまなお虫食いだらけの図像、バグったデータとして思い返される。
精神と身体の釣り合いがとれていないのが問題だと思った。こちらの精神が要請する時間割に対応できるだけの強固な身体がなによりもほしい。
スーパーに出かけて半額品の寿司を買った。二日連続で寿司かと思ったが、寿司を食ったのは一昨日だった。やはり昨日が抜けてしまう。帰宅して食事を終えてから柄谷行人トランスクリティーク』の続きを読んでいると(…)から「革靴を貸してくれ」とメールがあったので「おれもマイミクがほしい」と返信した。革靴は週末に控えた高校時代の同級生の結婚式に出席するために必要らしい。いつでもとりにくればいいと返信したら今から行くとあったので本を読みながら待った。(…)が到着したところであらためて先日の気絶の瞬間についてたずねた。すると、やばい気絶するかも、とこちらが口に出してから畳のうえに倒れこむまでのあいだに数分の時差があったという新事実が判明した。こちらの認識としてはそう口に出した次の瞬間にはもう気を失っていたはずなのだが、(…)がいうにはそれからしばらく沈黙のひとときがあり、そうしてとつぜん椅子から畳の上に倒れこんだというのだが、その倒れこみ方というのがちょうど走り高跳びのベリーロールのようなあざやかさであったらしく、ぐりんっ!というすばらしい回転力をともなって半身をひねりながら落下したのだという。そうした話とこちらの記憶をよじりあわせて考えてみるに、どうもじぶんは椅子に腰かけたまま気絶していたんでないか、そうして座りこんだままやがて自重に負けるかたちで椅子から転がり落ちて畳の上に倒れたその衝撃で目を覚ますにいたったのではないかという暫定的な結論が出た。
結論が出たところでそろって(…)に出かけた。それでコーヒーを飲みながらまたぐずぐずとだべった。途中で来店した(…)さんと三人で東南アジアの料理やらヨーロッパの女やらラブホテル業界のあるあるネタやらについて下品に語らった。店を出るころには1時をまわっていた。寒気のなかをぽつぽつと歩きはじめたところで、腰回りがまたもやかゆくなりはじめていることに気づいた。症状が完全におさまっていたので夕食後の薬を服用していなかったのだが、それが災いしたらしい。薬物市場に立ち寄ってグラタンを購入した。そのついでにトイレで腰や腹をチェックしてみると案の定まっかに腫れあがっていた。帰宅してからグラタンをかっ食らい薬を飲んだ。症状はみるみるうちに悪化した。(…)が去ってこれを書いている2:46分現在、腰から背中から腹から腿から両腕から全身が赤くはれあがり蚊に食われたときのような大小さまざまなぶつぶつがそのうえにまばらに浮かびあがっている。確認していないがおそらく両脚にも症状は出ている。そろそろ薬の効果の出てくる頃合いだと信じたい。でないとまたもや眠れないことになる。本当にひどい仕打ちだ。薬がないとなにもできない。前世で蛇でも殺したんだろうか。今週いっぱいは筋トレもジョギングもできそうにない。風呂に入るのすらおそろしい。そうしたもろもろに腹が立つ。ストレスがあるならあるでかまわないから無意識のかたちをとってこそこそやってないでさっさとおもてに出てこいという話だ。