20131111

10日・11日
曇りときどき雨の夜8時、仕事を終えて更衣室で着替えているときにふと腰回りにミミズ腫れのようなものが走っているのを見つけた。勤務中やたらかゆいなと思っていたのだけれど、どうやらまたもやダニのやつに噛まれたのかもしれない、仕事着のスーツなんてもう一年近く洗っていないし、と考え、ダニのかゆみは長いときは一ヶ月ほど続くからいやはややっかいなものをもらったものだとうんざりしながら帰宅して、それから(…)がやって来るまえにシャワーだけ浴びておこうと風呂場にいって服をぬいでみたところ、腰回りのミミズ腫れが内股にまで達していて、これじんましんじゃん、となった。こういうときはあまり皮膚に刺激を与えるべきではないと基礎知識として知っておきながらもしかしここまでひろがってしまったらもう同じなんでないかといういつもの完璧主義の裏返ったやけっぱちなアレが働き、ええいままよとシャワーを浴びた。それで部屋にもどってからすでに到着していた(…)にこれちょっとやばくないと腹から脚から背中から見てもらったところ、じんましんっていうかなんかかぶれたみたいになってんなといわれた。まあ放っておいたらひくだろうこんなもんとひとまず能天気にいくことにして、それでふたりそろって歩いてくら寿司にむかったのだけれど道中しかし全身がかゆくてかゆくてたまらず、一歩ふみだすごとにこすれあう衣服の布地と皮膚のせいだと思うのだけれどかゆいだけでなくチクチクと痛みだして、これまだまだ悪化するんだろうかとげんなりしながらとりあえず気をまぎらわすために例のごとくしゃべりにしゃべった。寿司を食っている途中にトイレにむかうべく席からたちあがったところ、まるで山蟻に喰われたときのようにパンパンにはれあがった感触が両ももと両ふくらはぎにあって、これまずいなと思ってトイレでスウェットをおろして確認してみると、風呂場で目にしたときよりもさらに患部が拡大していて膝下にまで腫れやブツブツや赤みが達しており、とくにひざうらや内股のような皮膚同士の触れ合う箇所がひどくて席にもどってから(…)に見せてみたところ、さっき自室で見せたときはまあまあたいしたことないでしょくらいの反応だったのだが、「うわっ!」みたいな、「なにそれ!」みたいな、「ええっ!」みたいな感じに変貌を遂げ、今日とくに拾い食いした覚えないしこれたぶんストレスからきとるやつやわ、毎年体調をくずすんこの時期やし、というと、そういやあんた気絶したときちょうどいまご……いやいやそうやわ!ちょうどや!あれエリザベス杯のときやろ、ちょうど一年前やで!とあり、ほやろ、突発性難聴もクインケ浮腫もちょうどこの時期やったしな、冬の入り口でここ数年毎年けつまずくねん、と応ずると、なんかほんまにあんたどんどん弱ってっとるな、といつものふざけたトーンよりはいくらかシリアスな声色で(…)がいい、それはここ最近じぶんが抱くうっすらとした不安と完全に同期している。そもそも「A」を書籍にすると決意した瞬間あたりからなにかしら奇妙な流れを感じないでもないというか、自覚できぬ死の予感をそれでもほのかに察知した第六感にうながされて遺書をしたためているような気分にとらわれることがままあり、長生きがしたい、ほんとうにいつもそう思う。20代前半のころはよく冗談のつもりで虚弱体質だからうんぬんとじぶんのことを語っていたけれど、ここ数年はもう冗談で口にできなくなってしまったというか、こちらの設けた時間割についてきてくれない身体の現実にいまいましさを覚えることも歯噛みすることも悔しくて泣きそうになることもあって、おれはおれのパッションによっていずれ殺されることになるだろうとかつて(…)に話したことがあるけれども、それとは逆に、このパッションについてきてくれぬ身体にたいする憎悪から自らの身体にむけて死の制裁を下そうとする心の傾きみたいなものを感じないこともなくてそれが忘れたころにやってくる自死の誘惑の正体なのかもしれないなどとも思ったが、これらの考えはすべて寿司屋での対話時に頭をよぎったものではなくその後喫茶店を経由して自室に帰宅後、二年ぶりに気絶をして鼻血を垂らしながら布団に横たわって考えたことである。
じんましん、というかアレルギーうんぬんのときにはたしか刺激物をあまりとらないほうがいいという話を聞いたことがあったのだけれどここまで悪化したんだからもうどうしようもないだろうという再三のやけっぱちから例のごとく(…)にはしごして(…)とくっちゃべっていたのだけれど、そうこうしているうちにもみるみるうちに患部が拡大していき肘の内側からくるぶしから足の甲までという案配で、とにかくかゆくてかゆくてたまらなかったものだからおいちょっとこのかゆみをまぎらわすためにおもろい話のひとつかふたつでもしてくれよと、寡黙なこと岩のごとくな(…)(ゆえにおよそ週に一度の間隔でとりおこなわれるわれわれの会食は一方的にしゃべりつづけるじぶんと気のなさそうなようすで携帯をいじりながらあいづちをうつ(…)という構図に集約される)にありえない無茶ぶりをしてみたところ、そういやおれこないだマイミクの女の子にコクられたわ、とあった。返事は適当に誤摩化したという。写真を見せてもらったらかわいかったので、かわいいやん、会うだけ会ってすることだけすればええやん、めんどいことになってもどうせフィリピンに逃げれるんやし、というと、いやーでも正直ぜんぜん好みちゃうんよなー、とあったので、またかよ!と思った。この男とはことごとく異性の好みが一致しない。おたがいがおたがいにこんなにも意見のあわないやつはほかにいないと認めあっているほど本当にとことん究極的にあわないのだ。便所にいって患部の拡大状況を確認してからもどってみると(…)さんが来店しており、やーどうもどうものあいさつもそこそこに早速じんましんを自慢にしにかかり腕やら脚やら背中やらを披露してみたところ、なにそれ!いや!鳥肌たってきたわ!というリアクションがあった。いやそこまで悪いもんやと思ってなかったわ、それ病院いったほうがいいと思うで、と(…)さんにまで追撃され、さらには(…)さえもがさっきより悪くなってるというものだから、あーこれ思ってたよりも重症なんだろうかと思ったりしながらついさっき(…)がスマートフォンで調べてくれたウェブサイトで急性のじんましんなら半日から一日で症状がひくというくだりと発症時刻20時と現在時刻をはかりにかけてみたりした。深夜0時まで空いている皮膚科があるという情報を(…)さんが教えてくれたのだけれどその時点ですでにたしか日付の変わる10分前かそこらで、いまからでも電話をかけて診療してもらったらと(…)さんも提案してくれたのだけれどそれはそれでちょっと億劫というかこの一晩さえのりきればたぶん良くなるだろうという妙な確信みたいなものがあったのでまあいいかなと、そんなふうにぐずぐずしているうちに物知りの(…)さんがやってきたのでさっそく問うと、左右対称に症状が出ているということは外からかぶれたものじゃない、食品かそれに付着する化学物質が原因だろうという話で、かといってこの日いちにちは常とかわらぬ食事であるしエコフードを摂取した覚えもない。という旨を告げると、きのうはどうかとたずねられ、きのうはスーパーで半額品の総菜をふたつ食べたというと、まあそれでしょうという話で、まあそれかと思った。古い素材と添加物の相乗効果でノックダウンみたいなアレらしいのだけれど、でも半額品の総菜なんて仕事のある日はたいてい食べているわけで週に一度の摂取、なぜよりによって今日にかぎってこんな症状が、とおもったのだけれどそれはたとえば去年(…)さんのところで鍋をよばれた結果ロタウイルスかなにかで吐きどおしになったのだってみんな同じものを食していたはずなのになぜかじぶんだけというアレで、あのときもやはり睡眠不足+季節の変わり目のコンボの結果として体調のすぐれていなかったという前提があってこそのノックダウンだったわけで、この日にしたところでその前日含めてどちらかというまでもなく睡眠不足だったわけであるしいきなりの冷え込みの渦中だったわけであるし、そんなこんなで弱り目に祟り目ということだったのだろうとひとまず無理やり結論づけた。
そんなこんなでだらだらしているうちに最初に症状の出た腰まわりや腹やらの赤みがだんだんとひきつつあってこれもう大丈夫な感じじゃないかという見通しもつき、それで店をあとにして薬物市場で甘いものを買って(…)さんのお宅にたちよって野菜ジュースとせんべいとびわ茶とりんごでチーズをはさんだ軽食とをいただき、ごちそうさまです&おやすみなさいで家路をたどり帰宅したのだけれど、症状が改善されつつあるとはいってもかゆいものはかゆく、それにさきほどまで症状のなかった首回りがだんだんとかゆくなりはじめたという変化もあったので、こんな状態では眠りにつくのも簡単ではないだろうというアレからひとつ酩酊の力を借りて入眠しようかと思ったのだけれど、これが間違いだった。かゆみがいや増し、というよりもいや増したかゆみをかきむしる快感が倍増し、結果、首もとを引っ掻く手の運動が止まらず、五感は停止し、ただかゆみをかきむしる快感と手の運動だけが知覚を支配する閉鎖的な環世界が構築されてしまいそれに幽閉されてやばいやばい止まらないと思いながらもつきたてられた指先は暴走しつづけ、それがいったいどれほどの時間だったのかてんで見当もつかないが、ある瞬間不意に吐き気を催し、次いでめまいのきざしにゆらぎほどけていくものがあり、ここでようやく(…)の存在に思い到り、やばい、ごめんおれちょっと気絶するかも、とそう口走ってアーロンさんから立ち上がり、というところまでは覚えているのだが、次の瞬間は畳に右頬をついて倒れており、(…)!(…)!とこちらを呼ぶ(…)の声だけがぼんやりと聞こえ、おい!だいじょうぶか!(…)!鼻血出とる!とそういわれてはじめて顔面の左側がやけに熱くぼうっとしているその感触の正体が打撲のためでありその打撲を引き金にしたたりおちるもののあるらしいことに思い到り、けれどもそうした一連の意識が働いたのは横倒しになったこちらの視覚がとらえる風景が状況を把握するにたるだけの意識をともなわぬ純然たるイメージそのもの、意味とも記号とも無縁のただのイメージそのものとして知覚されていたかのようにも思い返されるひとときのしばらく後のことであって、あ、おれ気絶したんだ、と自覚したのもつかのままたすぐにそう状況判断した意識がすっぽり抜け落ちてあるのはただ奇妙な遠さの感覚だけとなって、(…)!(…)!と呼ぶその声がきっかけになったのかどうかはわからないけれどまた、あ、おれ気絶したんだ、と自覚し、そしてまた忘れ、また自覚し、というぶつぎれの往復運動があり、まるで生と死の境界線上でかわされるゆるやかな反復横飛びのようであったように思い返されるのだが、尋常ならざるあのひとときを言葉を素材に組み立てるのはしかしとてもむずかしい。状況を把握しようとする意識の蘇生とその消失のたえまないくりかえしのなかで、死んだと思った、という想念があたまのなかでざわつきはじめ、ついで、死の瞬間にはいままさに死をむかえることを確認し自覚する余裕などないのだ、という閃きがしだいにクリアになりつつある頭のなかで展開されていき、やがて、死ぬかもしれないと思うときはすでに死の淵からよみがえりつつあるときであり、死ぬところだったという挫折のかたち(未遂の過去形)でしかわれわれはわれわれの死を認識することができないのだというかたちで結実し、しかもそれはおそらくブランショの語った死とはまた別の死の側面だとも思った。いまこうして書いていて当然のごとく腑に落ちるのだけれど、臨終間際の言葉というのはおなじ臨終間際でも比較的意識の明瞭な瞬間に語られる言葉であって本当に死の領域に足を踏み入れてしまったら言葉を発する余裕も能力もない、そのような機能の失われてしまう領域こそが死であり、そこではうわごと以上の言葉が口にされることはない。臨終の言葉とは生と死の境界線上を行き来する過程、それも死→生へのかぎられた帰還のひとときにのみ発されるものであり、要するにその言葉は原理的に蘇生と回復の色調に染め抜かれた、ある意味では死を回避した安堵感とともにもらされる溜息と産声であり、けっして死者の言葉でもなければ死にむかいつつあるものの言葉でもなく、たとえそう聞こえたとしても何度もくりかえすようにその言葉の磁力は、その意味=力は、死→生の一方通行の影響下にあってそれを逃れることはできない。
そういうもろもろはもちろんすべていま記述の運動によって召喚された思念であったりあるいはきのう一日中床につきながら記憶を遡及するうちに育まれた着想であるのだが、とにかく気絶して畳のうえに横倒しになってしばらく、ようやく頭が働きはじめたところで身体を起してみると、左の鼻の穴からボトボトッと音をたてて畳のうえにしたたりおちるものがあり、血を見るたびにいつもナナホシテントウを思い出す。心配する(…)にたぶんもうだいじょうぶだ、頭が動きはじめた、と応答し、それから(…)にすすめられるがままに布団のなかにもぐりこみ、さっきいったい何が起きていたのだとたずねた。アーロンチェアからたちあがり、気絶するかもしれんといった次の瞬間に壁にむけてたおれこみ、そのまま畳のうえに横倒しになったと(…)は状況を説明してくれた。完全なる無防備の姿勢でたおれる人間をはじめて目の当たりにしたと(…)はいくらかおそろしげな表情で語った。壁際には沖縄と地元の海で拾ってきた貝殻の入ったビニール袋が置かれており、(…)の置き土産ともいうべきそいつによってあるいはじぶんの顔面はしたたかに打撲を負ったのかもしれなかった。鼻をかむとティッシュが真っ赤に染まった。顔色がわるすぎる、と(…)はいった。(…)にむけて語る言葉がふたたび支離滅裂になりつつあるのをぼんやりと自覚した。血の気がもどってきた、と(…)はいった。もうだいじょうぶだから、このまま寝ることにする、と(…)にいうと、とりあえず明日の朝おきたら必ず連絡をくれ、ぜったいにだぞ、と念押しして(…)は去った。去りぎわ、頭もたぶん打ったことであるしもしものこともあるかもしれない、だからもしこのまま死んでしまったときにはとりあえずこいつだけたのむ、と枕元に積んであった「A」のサンプル本三冊を指さした。たのむってどうすればいいんだと(…)はいった。その反応からなんとなく、本当にこのまま死ぬこともあるのかもしれないという万が一の可能性を(…)は念頭に置いているのだと察した。(…)の問いになんと答えたのかはおぼえていない。ただこのまま死んでしまうのはアリかもしれないと告げたのは覚えている。そのときは本心だった。ほんとうにもうこのまま死んでしまえればどれほどいいだろう、と。
気絶の衝撃が遠のけば遠のいたで今度はかゆみとの格闘が待ち受けていた。布団のなかにもぐりこめばそれだけ蒸して熱されるものがありかゆみはいや増す。ぼんやりとした頭で、朦朧としながら、もう無理だと思った。そうして体中をひっかきまわした。夜が明けた。ほんの5分も眠れなかった気もするし、なんだかんで二三時間は眠ったんでないかという気もする。経過時間にたいするこの認識のバグは、(…)さん宅で鍋を呼ばれた日の翌日夜通し吐きつづけたあの晩の迷宮感にとてもよく似ている。8時に布団から身体を起こしネットで近所の大病院に皮膚科のあることだけを確認し、スウェットにウインドブレーカーだけひっかけてよぼよぼと歩きながら病院にむかった。待ち時間のあいだじゅうも主に腰回りがかゆくてしかたなかった。朝起きて全身をチェックしてみるに喫茶店でくっちゃべっていたときよりも症状の悪化しているような節のないこともなく、おそらくは一晩中布団のなかでかきむしったそのためだろうと思った。とにかくかゆみどめの薬を処方してもらわなければ治るものも治らない。診察室の前にもうけられたベンチに腰かけ、両隣を老人にはさまれて瞬間英作文をしたが、頭もまわらないしかゆみのために集中力も阻害されるしで、しかしそのわりにはさくさくとこなすことができたのが不思議だった。皮膚科の担当医は女性だった。年齢もじぶんとそう変わらないかもしれない。事情を告げたのち上半身裸になってデジカメで患部の撮影をされた。じんましんの大半は原因がわからない、そもそものじんましんというもの自体仕組みがよくわかっていないという話があった。たいていは薬をのんで安静にしていれば症状は引くもののまれに一ヶ月以上長引く場合もある、そうなると慢性じんましんと診断されることになる、そのような話もあった。ひとまず一週間分の飲み薬が処方されることになった。これでひかないようだったらもういちど来てくださいということだった。薬の名前はアレグラといった。花粉症の薬とおなじブツだと思った。この女医さんがじぶんの彼女だったらどんなにいいだろうかと思った。彼女じゃなくてもいい。医者の友人がほしい。このポンコツめいた身体のたびかさなる不調を全面的にゆだねることのできる誰かが身近にいてほしい。じぶんの身体の面倒を見るのがうざったい。時間の無駄に思えてくる。
処方箋をもって薬局にいった。いぜんここをおとずれたときにもいたクソべっぴんのお姉さんがやはりいた。フィジカル・メンタルにかかわらず弱ったり参ったりしているときほど異性を求めるじぶんがいるらしいことを待合室で手持ち無沙汰に腰かけているときにふと自覚して、ここ一年ほどの記憶に検索をかけてみるにこの仮説はおそらく間違いでないと思い到った。ますますクズだ。じぶんの生活にたいして肯定的な効果をおよぼすものとしてしか他人を欲していない。しかしそれはだれだってそういうものなのかもしれない。ことさら自己嫌悪や露悪趣味に走る必要もないのかもしれない。薬を受け取ってからコンビニに行き、体調を崩したときには必ず購入するポカリとそれから朝食用のパンを購入し、店を出て信号待ちをしている間に薬を一錠とりだして口のなかに放りこみ、ポカリで流しこんだ。それから帰宅してパンを食らい、布団のなかにもぐりこんで眠った。
目が覚めると16時をまわっていた。ぐっすり眠れた感触があった。かゆみはまだいくらか残っていたが、世界地図のように腫れあがっていた腰回りはところどころがほんのり赤く膨れあがっている程度にまで改善されていた。バナナとヨーグルトを食べた。しばらくすると大家さんが炊き込みご飯をもってやって来た。飯を作る気力はさすがになかったのでこれはたいそうありがたい差し入れだった。卵の吸い物もあるというので大家さんのところまで足を運びとりにいった。一歩足をすすめるごとにふらふらした。飯を食ってからふたたび横になり、ニコニコ動画タクティクスオウガPSPリメイク版の戦闘中会話集なるシリーズを頭からひとつずつ視聴した。うつらうつらしていると大家さんがふたたびやってきた。二杯目の炊き込みご飯だった。炊飯器で保温したままでおくとよくないと以前(…)さんに教えられたので持ってきた、明日の朝にでもレンジで温めて食べてくれればいい、そういう話だったがその場で二杯目を食べ、冷蔵庫のなかに残っていた納豆もふたつまとめて食べた。それから薬を飲んでまた布団にもぐりこんだ。元気がなければなんにもできない(アントニオ猪木風に)。一日中寝たきりで腰が痛かった。何度かのうたた寝をはさんだ気がする。夜、ポカリを切らしてしまったのでコンビニまで買いに出かけ、ついでに天丼を購入した。とにかく食っちゃ寝することが肝要だ、常とは正反対の生活を送らなければならないのだ。レジ袋をさげながら家の近所までくると、となりのアパートから部屋着の女が出てきて、ついでその後を追うやはり部屋着の男が出てきた。男が手をのばすのに女は背をむけて二三歩歩いた。その後を男が追った。すると女はその手をふりはらうような身ぶりで肩を大きく動かし、両手を口元にあてたまま、ふるえてちぢこまる背中で拒絶の姿勢をつらぬいた。男はさらに一歩近づいたが、つづけて手をのばしたものかどうか逡巡したものらしく、宙ぶらりんになった片手が手持ち無沙汰に宙をだらしくなく上下した。男は女が逆上して声をあげるのをおそれているようだった。身ぶりのひとつひとつに近隣の目を気にするもののおびえがあった。部屋にもどった。ああいうやりとりがいちばんわずらわしいんだ、あの手の痴話喧嘩ほど面倒なものは世の中に存在しない、とげんなりしながら布団に横たわった。まもなく眠りに落ちた。休憩のとりすぎからくる疲れが身体の芯にわだかまっていた。疲れきっていた。