20131118

世界が抱えている主な問題は、自然のはたらき方と人間の考え方の差異(ちがい)の結果である
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「自然と養育のメッセージ」注釈)



13時過ぎ起床。ひっさびさに12時間近く寝た。ガンギマリの頭で匿名的な人物にメールを送信してしまい明けて翌朝読み返してみてやべえとなる夢を見た気がする。洗濯。パンの耳二枚とヨーグルトとバナナとクリームチーズの朝食。手のひらと手の甲と足の甲と足の指先にいくらか発疹あり。今週中には完治するだろうと思われる。病院に行こうかと思ったら診療受付が12時までとかで交渉して処方箋だけでも出してもらえないかと思うのだけれど明日また行けばいいかと思いなおしラスト一錠のアレグラを服用したのが15時。これで明日の昼まではもつだろう。
なかなか気乗りしなかったが16時にようやく重い腰をあげてえいやっと「A」推敲。はっきりと集中力の途切れるのを感じたので18時に思いきって終了。ナイス判断。こういうふうに作業時間にとらわれることなく自らのコンディションだけを参照にスケジュールを調整することができればとても効率的なのだけれど。45/155頁。ルビ、漢字の開き、読点など細かなポイントを微調整。すごくいいと思う。すごくいい小説だ。ほんとうに。
「A」が完成にむかうにつれてますますじぶんの葬式をしている気分が強くなる。
筋トレをしたのちクソ寒いし外に出る気にもなれないのでありあわせのものでしょうもない夕食を作って食った。それから万年床に寝転んでルネッサンス吉田『愛を喰らえ』を読んだ。逆さまになった茜新地。この作家の場合、既視感と退屈さがイコールにならない。つまり、この作家はテーマを持っている。テーマとは呪いであり、ゆえにテーマを持つとは呪いに呪われてあることにほかならない。呪いに呪われてある作家は生涯をとおしておなじひとつの作品を延々と書きなおしつづけることになる。呪いに呪われてあること、すなわち、のぞまぬ子を懐胎してあること、それがひとつの特権でもたしかにありうることの確たる証拠としてこの作家の作品群がある。あるいは、そうした特権の遺憾なき発揮だけが「浄められた夜」(デーメル-シェーンベルグ)をまねきよせるにいたるともいえるかもしれない。「(*不義の結果)きみの授かった子供を、/きみの魂の重荷にしてはならない。/見たまえ、この天地万物がなんと澄んだ光を放っていることか。/万物が輝きに包まれている。/きみは僕と共に冷たい海の上を渡っていく、/だが特別な温かさがきらきら輝きながら、/きみから僕へ僕からきみへ行き交う。/この温かみがその見知らぬ子を浄めるだろう。/きみはその子を僕のため、僕の子として産んでおくれ。」。百花が内田を奪還すべく家から飛び出し町中をいままさに駆けていこうとするその横顔と後ろ姿(P.178)がいわゆる「女の子走り」になっているあたり、作中通してずっと「オヤジくさい」身ぶりをとりつづけていた彼女がまさしく「呪い」を引き受けた瞬間(のぞまぬ子の浄められた瞬間)のようですばらしい。この1ページ、最高にしびれた。
風呂に入ってから自室でふたたび「A」の推敲。52/155頁。おおきく書き直す必要のあるとおもわれるポイントが二点。そう困難な作業にはならないはず。