20140106

3日(金)
9時に起きた。前日の残り物の寿司とおでんをたらふく食した。10時過ぎに(…)が車でやってきたので助手席に乗った。(…)の家の近所にある墓場の駐車場に車を止めて(…)がやってくるのを待った。(…)を乗せてから車を(…)の自宅付近にある駐車場にとめなおし、そこから歩いて(…)までむかった。(…)が初詣にいきたいといってやまなかったのだ。(…)の影響でだだ混みになるだろうから(…)は避けたのであったが、(…)は(…)でそれ相応の混雑だった。本殿の前までいくと遊園地の行列のようにはりめぐらされたロープのジグザグ道いっぱいにひとが並んでいたのでアホらしとなって帰った。(…)の入り口では昆布茶を配布しており、(…)池のそばでは(…)茶を配布していた。小学校一年生のころの遠足先がたしか(…)池だったのだが、記憶にあるものとはまったくちがっていた。これもまたやはり(…)にのっかったものなのか、参拝者がそのなかでゆっくりと腰を落として休むことのできる新築の建物ができていた。建物の大きなガラス窓は池に面しており寒暖を避けて茶をしばきながら池のながめを満喫することができるという趣向らしかったが、あまりセンスのよいものとはいえなかった。(…)茶は建物のなかで急須からいっぱいずつ茶碗にそそがれて配られていた。
(…)から(…)駅をむすぶ直線の通りが土産物街に発展していたのでおどろいた。いぜんはシャッター商店街なみに閑散としていたのだが、それ相応の人手でにぎわい、屋台までたちならぶ始末だった。(…)を販売している店があったので、(…)のおごりで一個ずつ食った。(…)とは似ても似つかぬ味と食感だった(…)。町の顔ともいうべき駅前広場にいきなりそびえたつ(…)百貨店の廃ビル(臨終まぎわにあるわがふるさとの完璧なシンボル!)がいつのまにかとりこわされており参拝客をみこんだ駐車場と化していた。なにもかもが(…)にのっかろうとして必死になっているように見えた。自販機ひとつとってもそうだ。
(…)
駅前を離れるとじきに見慣れたひとけのなさ、閑散とした風景がひろがりはじめた。(…)が(…)商店街にまだガンダムが設置されているかどうか確認したいというのでたちよった。ガンダムはなかった。それよりも商店が軒並みシャッターをおろしていたことに衝撃を受けた。(…)商店街はまだわかる。あそこはじぶんが高校生のころから閑散としていた。数年前の日付が記された閉店のおしらせのチラシがシャッターに貼りつけられているさまなどある意味では風情さえ感じさせたものだった。だが(…)までがまさかここまで過疎化しているとは!ほとんど残酷なまでのさびれ具合だ。通っていた小学校の前を通るとここも別の小学校と併合するらしいと(…)がいった。
歩いて(…)の車の止めてある駐車場までむかった。ところどころでこれは◯◯の実家、これは××がかつて住んでいた貸家と(…)が説明し、そのたびに(…)はあーそうだったなとなつかしさに感動したような声をもらした。じぶんの実家がある位置は学区の外れだったため(まるで都会の小学生のように生意気にもバス通学していたのである!)、だれそれの実家がどこにあるかなんてまるでしらない。自転車である程度の自由に移動することのできるようになった中学生以降はおそらくは思春期のあやうさのなかにあるだれもがそうであるように友人関係もせまく固定されはじていた。ゆえに(…)と(…)とそれにじぶんと同じ学区のはずれに住む(…)以外のだれかの家をおとずれて遊んだ記憶は数えるほどしかない。そしてその三人との交際はいまもまだ続いている。あるいはその三人との交際しかいまや続いていない。
(…)の運転で(…)にある古着屋まで出かけた。そこで以前デリヘル嬢が客室に置き忘れていったポール・スミスの腕時計とサマンサタバサの煙草ケース(双方ともに利用約款にある保管期限を大幅にオーバーしたものだ)を売り払ったら1600円になった。まあそんなものだろう。古着をあさったが、めぼしいものは見つからなかった。というかめぼしいものはいくつかあったが、じつにおそろしいことに、サイズが小さくて入らないというこれまでならば考えられない事態に幾度となく直面することになった。やはりこちらの思い違いではなかったのだ、胸肉生活をはじめて以降すさまじい早さで筋肉が発達しはじめているのだ。前日(…)に散髪をしてもらっているときに腰痛対策として昨年10月から毎日胸肉ばかり食べている、のみならず間食代わりにプロテインも飲みはじめた、すると筋トレのメニューはこれまでとさほど変わらないにもかかわらず目立って筋肉がつきはじめたと報告すると、(…)は(…)で夏あたりから筋トレをはじめてプロテインも飲みはじめたということで、銘柄をたずねてみるとまったく同じものだったものだから、だよねーあれコストパフォーマンスもいいし飲みやすいもんなーと笑いあったのであったけれど、(…)は結局いそがしい仕事の合間に筋トレする時間をとることができずにただプロテインを飲むことだけを続けていた結果3キロも太ってしまったということで、やはりあれは運動をしてなんぼのものだなという結論に落着した。いずれにせよ筋肉質の(…)が服屋で試着するたびにだめだこれ腕がきついと嘆いていた気持ちをはじめて理解した日だった。
古着屋には古いゲームソフトも置いてあった(古着屋というよりは巨大なリサイクルショップのようなものなのだ)。(…)といっしょにめぼしいSFCのソフトはないだろうかと棚をあさったところ「コズモ・ギャング・ザ・ビデオ」というなつかしいシューティングゲームが見つかって、これ兄がプレイしていたのをよくとなりで見ていたしときにはいっしょにプレイしたのだったかどうかそのあたりは定かでないけれどもとにかく400円で、2Pプレイ可能のシューティングゲームだったら(…)との気晴らしにはもってこいだろうと思ったので購入した。
(…)が(…)(ジャスコの亜種)に行きたいと言い出したので、どうせ行ったところですがきやのラーメンを食うぐらいしかすることがないのはわかりきっているにもかかわらず結局むかうことになった。リサイクルショップ→(…)の流れはだいたいいつもの正月の流れとしてあるのだ(盆はむろん川遊びが第一優先事項としてあるわけだが)。そうして案の定すがきやのラーメンを食った。16時だった。18時から家族と兄夫妻みんなで和食を食いにいくことになっていたので胃袋にたいする懸念のないこともなかったが、すがきやのスープのにおいを前にするとやはり我慢することができない、東海地方生まれの東海地方育ちとしてDNAにすがきやのラーメンがきざみこまれてしまっているのだ。食後例の眠気にさいなまれたのでちょっと落ちますわとふたりに告げてテーブルに顔を伏せて十五分ばかし眠った。困った体質だ。起きてまもなく母親から電話があり、食事に出かけるまえに弟がバリカンで頭を刈ってほしがっているというので、(…)にたのんで実家まで送ってもらった。それで約束通り弟の頭を刈った。やたらときれいな頭のかたちをしているものだからうらやましかった。父が坊主頭の弟を見るなり、やっぱり顔つきが幼いな、外に出て働いていないからといった。弟はそれを聞いて過剰に声を張って笑ってみせたが、その過剰さがかえって本人にもうっすらと自覚のあるらしいことを立証しているように聞こえなくもなかった。事実、じぶんの目から見ても弟の顔つき(顔だちではない)は同年代の男性とくらべてやたらと幼く見える。弟も今年で26歳になる。26歳!じぶんのなかではまだ高校を卒業してまもない若者という感じがするのだが、それでいて実際はもう七年も実家でニートをしているのだ。
和食屋には二台の車でむかった。弟は母の車に乗りこみ、じぶんは祖母の具合についてたずねたかったので父の車に乗りこんだ。発進してまもなく、ことの次第をたずねてみると、母の話にあったとおり転んだ拍子に頭や顔をしたたかに打ちつけたものらしく、血栓が頭にできてしまい手術の必要があるのだが90歳をまわった体ではとうてい耐えることもできないだろうからと、医者のほうから手術はよしたほうがいいという助言があったのだという。かわいそうに、青あざだらけでお岩さんみたいでな、と父がいうのを聞いてはじめて、没交渉ではありながらもやはり情はあるのかと思った。それからこの際祖母がどういう人物であったかをたずねてみようと思い、遠いむかし、まだじぶんが保育園に通っていたころだったと思うけれども、祖母が英語をあやつることができるみたいな話を聞いたことがあったような気がしたので、あれは本当なのかと水をむけてみたところ、本当だ、という返事があった。どうしてか続けざまに問えば、祖母は華族の出だったという衝撃の返答があり、これにはおもわずマジで!?と声を張り上げてしまった。(貴族院にたいする)選挙権をもっていた一家の出で、金持ちで、召使いを幾人も抱えたお嬢様で、若いときなどものすごい美人でそこらの女優よりもよほど美しいと評判だったらしく、教育を受けていたために英語もペラペラで、日本人の女子ではじめて金メダルをとったとかなんとかいうひとやら時の大臣の娘だとかと文通仲間で、と数々の挿話が箇条書きのごとき簡潔さで父の口から述べられていくのにただただ唖然としながら、ぽかんとしながら、そしていささか動揺しながら、へえーと相づちを打つしかなかった。それじゃあ祖父は何者だったのかと問えば、祖母の家に出入りしていた大工らしい。華族に出自をもつ令嬢とその家に出入りしている大工の結婚というとなにかしらロマンチックな駆け落ち物語みたいなものしか思い浮かばないのだけれど、じっさいはどういう経緯でふたりが結婚したのかはしらない。それをつっこむには時間がなさすぎたし、はっきりしない口ぶりからさっするに父自体も詳しい経緯を知らないのかもしれない(事実このじぶんにしたところで両親がどういう経緯で出会って結婚にいたったのかまるでしらないのだ)。ただ祖母の一家は戦時中にすべての財産を没収されたという話で、それだから戦後になってかねてからの知り合いであった祖父のところに嫁いだとかそういう経緯なのかもしれない。祖父の小指がなかったことについては聞きそびれた。それにしてもまさかじぶんが貴族の血をひいていたとは!「客の捨てたピザを食べてた」(麓健一)な日々を営んでいるこのじぶんが!まるでドラクエの主人公ではないか!日本人は一般的に貴種流離譚を好むとされている。底辺から這いあがる高貴なる血を引く小説家の物語は人心に響く。というわけでどしどし「A」の紙本を購入してください。そして二世代前のかつて奪われしあの輝ける金色の王冠をふたたびこの頭上に!
こんなことを書いているデスクの脇にはしかしマルクスの『共産党宣言』が高々と積まれた本のてっぺんにあったりする。
和食屋ではひとり三千円のコース料理とやらをたいらげた。我が家もリッチになったものだ。母と兄の残りものもがつがつ喰らった。天ぷらの衣だけ余っているのすらのこさず食いにかかったら兄に呆れられた。餓えているのだ。食後のデザートということで本日二度目となる(…)にむかい、なかに入っているサーティーワンでアイスクリームを食べた(父は翌日?もやはり23時出勤だったのでひとり先に帰った)。いつもなら抹茶をセレクトするところなのだけれどほうじ茶というのがあったので注文してみたところいまひとつだったのでやはりサーティーワンは抹茶だなと思った(こんな高いアイス滅多に食う機会なんてないけど)。家電屋で手にとってみたウィルコムガラケーがとてもシンプルでよいデザインだったので鞍替えしようかなと思った。いま携帯料金はたしか月額で2000円いくかいかないかなのだけれどウィルコムって安いという話をよく聞くし同じガラケーだったらそりゃあカッコイイものを持ちたいしそもそもウィルコムを持っているひとを見たことがないので、ただでさえ近年まれになってきているガラケー使いなのだからここはひとつなおさらニッチな領土の開拓というアレでもってウィルコムにチェンジするのもアリではないかと思うのだけれど、でも電波どうなんだろう。京都はまだだいじょうぶだろうけど実家とかつながらないんでないかと思わないでもない。
(…)に向かうまえにユニクロに立ち寄ったのだった。というのもじぶんが踵とつま先の破れた靴下をはいているのを見るに見かねた母がそれくらい買ってやるからと言い出したからだった。坊主頭にした弟が頭が寒いので帽子がほしいというので適当なものを見繕ってやった。兄も弟も服装にかんしてはそれほどこだわるほうではないが、ふたりとも身長が180センチ以上あるので見栄えがよい。じぶんだけが170センチ、じぶんだけがB型、じぶんだけが文系、じぶんだけがラディカル、じぶんだけが故郷の外で一人暮らし、顔はそれ相応に似ているとは思うのだがキャラも趣味も価値観もひとりだけ浮いているようなところがある。とは思うもののこれにしたところでアレか、じぶんを特権視するまなざしが作りだしたいくらかなりと恣意的な比較の産物か。兄と弟はもちろん違う。じぶんと兄にあって弟にないものもあれば、じぶんと弟にあって兄にないものもむろんたくさんある。当然の事実ほどときにたやすく忘れてしまうものだ。
ララパークを後にしてからは(…)ちゃん(兄嫁・じぶんの中学時代のクラスメイト)の実家にお邪魔して結婚式のアルバムを見せてもらったり姪っ子と戯れたりした。一時間ほど滞在したところで辞去し、母の運転で実家にもどった。車内で母から実家の近所で心中事件があったという話を聞いた。小学校低学年の息子を父親が部屋に連れ込み内側から鍵をかけてめった刺しにしたあと自殺したのだという。母と生まれたばかりの赤子だけが失意と動揺のうちにとりのこされた。この町にもういられないだろうと母はいった。
帰宅してからひさしぶりの浴槽にゆっくりつかり、たっぷり時間をかけてヒゲを剃った。風呂でゆっくりと過ごすことができるというのは幸せな話だ。布団の敷いてある弟の部屋にいって『ベルセルク』の最新刊三巻分をまとめて読んだ。クソおもしろい。ガッツがバカスカ敵を斬りまくる場面よりもセルピコやイシドロやファルネーゼみたいないささか頼りない脇役が活躍する場面のほうがにぎやかで楽しい。