20140107

7日(火)
10時半起床。ストレッチ。おもてにでると快晴で、短く刈りこんだ後頭部にさしこむ日射しが暑かった。パンの耳とマフィンとコーヒーの朝食。洗濯。きのう長々と書き記したブログの手入れをしてアップ。「A」の紙本はじぶんの発注した分20冊を差っ引いて9冊売れている。閲覧数は110冊でタチヨミ数は44冊。これはユニークユーザー数になるのか単純なアクセス数なのかよくわからないが、いずれにせよインターネットの辺境でほそぼそとやってる人間が中央に送り出したものの出足としては仕掛けたこちらの予想をずっと上回るものになっている。ありがたい話だ。年内に紙本の売り上げ100冊を達成したい。初動で29冊なのだからこれはなかなか達成困難な目標のような気がしないでもないが、つながり過多が叫ばれてひさしい昨今のインターネットだからこそはらみもつことのできる尋常ならざる起爆力に賭けたい気持ちなのだ。とどのつまりは「アンダーグラウンドからきみの指まで遠くはないのさiPhoneのあかりをのこしてワンルームファンタジー」(大森靖子)この一節に尽きる。
当初の予定どおり部屋の大掃除にとりかかることにした。とにかく紙類が多い。推敲に用いるためにプリントアウトした原稿やメモ書きやノートのたぐいをまとめてゴミ袋につっこみ、それからあちこちに散乱していた書物のたぐいをダンボールにつめこみなおし、英語関連のテキストを一ヶ所にまとめた。それだけでずいぶん見栄えのよろしい部屋になった。脱ぎ散らかしてあった衣服をすべてたたんで片付けた。あとはひたすらコロコロをかけた。これはほとんどきりがないといってよい煉獄の営みであった。畳は一部が腐っていたりアーロンチェアの重みに耐えかねて波打ったりしているのでそれらをすべてガムテープを用いて力ずくでごまかした(これほどむなしい作業をほかにしらない!)。いたるところから(…)の置き忘れていった(あるいは意図的に置き去りにしていった)物品が出てきたのであいつマジでいい加減にしてくださいと思った。気絶して畳に倒れこんだこちらの鼻頭をしたたかに打ちつけて大量の鼻血を呼びまねくにいたった例の貝殻どもをどうしたものかと思ったが、とりあえず邪魔にならない部屋の片隅に追いやっておくことにした。捨てるにしてもどこに捨てればいいのかぜんぜんわからない。鴨川? そういうわけにもなかなかいかないだろう。ローチェストというべきなのか用箪笥というべきなのかわからないがそいつの引き出しのなかもひとつひとつチェックしていらないものをどしどし捨てた。物を捨てるのはとても得意である。わりと容赦なくいく。そしてしばしば後悔する。古い給料袋のなかから2万円出てきたのでいよっしゃあとなった。あとはタイバーツとカンボジアリエルとイギリスポンドも出てきたが、総額でいくらになるのかてんで見当もつかない。パンのカスだらけになっていたデスクの上をふきんで拭いた。姿見も拭いたしテレビの画面も拭いた。amazonダンボールをまとめてガムテープでぐるぐる巻きにしておもてに出した。すると大家さんが日当りのよいところで例のごとくひなたぼっこをしていたのでこんにちはと挨拶した。「さぞや難しいことで、わたしには学がないからわかりゃしませんが、書き物というのは、きっと難しいんでしょう」「今日はね、大掃除です、年末にできへんだから」「あら、そうですか、大掃除ですか、それはそれは」。コロコロだけでは部屋の隅に積もったいぐさのカスがとれないのでふきんを一枚捨てる覚悟で直接ごしごしやった。あとは部屋の硝子戸のむこうにある調理スペースの掃除もした。カセットコンロを置く台になっている分厚いアルミのシートを拭き、カセットコンロそのものを拭き、それから米粒が散乱し埃が積もりはちみつが垂れ流しになっている床を拭いた。それで全部だった。掃除中はマイルス・デイヴィスの『on the corner』を流していた。大掃除をするときはだいたいいつも『On the Corner』『Live Evil』『Bitches Brew』あたりをかける。ここ数年はずっとそうだ。今日にかぎっていえば『Live-Evil』は流さなかったが(ただしこれを書いているいまヘッドフォンで流している。このアルバムにおけるキース・ジャレットの奇声はめずらしくも楽器の一部のように聞こえる。キース・ジャレットの奇声自体はけっこう好きなのだけれどほかのアルバムではあれはあくまでも奇声としての奇声としてまぎれこんでいるのに対して、このアルバムのアナーキーな構築性のなかにあってはひとつの楽器のような役割をおそらくは偶然にも司っている。というかいまwikipediaを読んで知ったのだが、エルメート・パスコアールがスタジオ録音に参加している!マジで!道理でじぶん好みのアルバムになっているはずだ!)。代わりにフィッシュマンズを流した。冬のおわりの季節外れに温暖な晴れ間、来るべき春の予感をうっすらと察知したときにおぼえることになるあの高揚と恍惚の記憶に、「あの娘が眠ってる」はどうしてか結びついている。はやく暖かくなればいい。
掃除が終わると17時半になっていた。買い出しに出かけるのが面倒くさかったので今日は外に出なくてもいいやと開きなおってありあわせのもので夕食をとることにした。その前に掃除中、腹が減ったので(…)の母君からいただいた伊勢うどんを茹でてかっ喰らったのだった。玄米、豆腐、胸肉とねぎとえのきとニラをにんにくとこんぶだしで水炊きにしたものをポン酢と生卵をまぜあわせたものにつけて水炊き風に食べた。それからウェブ巡回をして19時半、仮眠をとるべき寝床についたのであったが、結果を先取りしていうと22時半まで寝過ごした。暗闇のなかでふと目が覚めたとき、ああ朝だという認識がまずあった。それから不意に、いいや朝じゃない、まだ夜のはずだ、これは仮眠だ、と思い出したが、たっぷりとした眠りを通過したあと特有のすぎさった時間の厚みのようなものをたしかに感じたので、これはまためざましをかけ忘れたのだと思った。デスクの上にある携帯を手をのばして液晶をながめると22時半とあった。それから部屋の明かりをつけて枕元のめざまし時計を手に取ってみると、19時40分を指していた。つまるところ電池切れらしかった(だがその後時間を正確に修正しなおしてみるとそれ以降はなんの問題もなく時を刻みはじめた。ゆえに電池切れなどではなくただ単にぶっ壊れかけているだけなのかもしれない。なんせ中一のころからずっと使い続けているのだ)。仮眠にしくじったときいつもならばなんてもったいないことをしてしまったんだろうと時間の損失を悔やむ気持ちがおおきいが、今回にかぎっては目覚めと同時にまず朝だという認識が誤作動してくれたそのおかげで、じっさいの時刻を知るにいたってもむしろ半日分もの時を獲得したようでラッキーと思えた。打ち捨てられていた封筒の中から2万円が出てきたときの感覚とよく似ていた。
そしてこれはとてもひさしぶりに書きしるす言葉になるが、この仮眠にまつわる一連の経緯、こいつは「偶景」に使える。
喉がかわいていたのできのう購入したポカリの残りを飲んだ。それから(…)さん(…)さん(…)の順にメールの返信をした。(…)さんは仕事のほうがもういくらか落ち着いてきたら書評ブログをはじめる予定らしかった。そこで「A」を取り上げてくれるというのでありがたい話だと思った(と同時にすこし緊張した)。(…)さんも(…)さんや(…)くんと同様にすでに紙本を購入してくれているらしかった。サイン入りだったら献本を受けとってくれるというので了承した。サインというのはただふつうに筆名を書き記したほうがいいのか、それともいかにもサインらしいサインを発明すべきなのだろうかと少し迷った。あとでネットでいろんな著名人のサインか何かを検索して参考にしてみようと思った。そして(…)さんの本名が(…)さんでないことにちょっとおおげさなくらい衝撃を受けた。というかむしろそこのところをひとつも疑うことのなかったおのれの妄信っぷりに驚いたというべきだろうか。考えられない可能性ではぜんぜんないのに。(…)からはあなたの本をamazonで購入することはできないのかしらと質問があったのでできないと応じた。その言葉だけでうれしいと続けた。それからふたたび“a weekend worker”に戻ったと宣言した。すっかりなまくらになってしまった英語をふたたび鍛えなおすとも。
一ヶ月分のブログ記事をプライベートブログに手作業でインポートした。それから読んだ本と観た映画と聴いた音楽を記録につけた。今年は63冊の本を読み、36本の映画を観、85枚のCDを聴いたらしいのだが、これは記録をとりはじめた2009年以降もっとも低い数値であるというか三項目すべてが三桁を切ったのははじめてである。(…)の来日するまえの三ヶ月間と滞在中の二ヶ月間の計五ヶ月間をこれら三項目とは無縁に過ごしたのであるから仕方ないといえば仕方ないのだけれど。今年はもうちょっとがんばってインプットしたい。ちなみに2009年は221冊の本を読み、237本の映画を観、331枚のCDを聴いている。そしてこれ以降は順調にすべての項目が右肩下がりとなっている。単純に加齢とともに集中力が失われつつあるだけのかもしれないし、書く時間が日に日に増加していることのあらわれであるのかもしれない。仮に後者であるとしてもやはり読まなければ書けないというのは鉄則としてあると思うので、一作ごとの変身を遂げ続けていくためにもどしどしがんがんインプットして、これからもありとあらゆる影響下に身をさらけだしつづけていきたい。
「一年前の今日」の日記を読みかえすという例の習慣もすっかり途絶えてしまっていたので一ヶ月分ほどをまとめて読み返した。当時はこのブログの更新を停止していてプライベートな「日記」を書きつづけていた時期である。12月23日に見た夢の記述。「入眠時、はじめて明晰夢らしいものを体験する。金縛りとの親和性。屋根裏か倉庫のような一室をかけあがった先に青いビニールシートがあり、願いながらめくりあげたところ中に(…)さんがいて願いはかなったりで、でも死体のようだった。キスすると夢が解けた。それを幾度かくりかえした。どれだけキスしたところで(…)さんは死体のままで、目覚めるのはいつもこちらだ。」あとは12月28日にアイリス・マードック『ジャクソンのジレンマ』を読んだとあるのだが、話の内容をぜんぜん思い出せない。それどころかおもしろかったのかどうかさえもはや覚えていない。日常的な記述にかんしていえば、あとはもうひたすら仕事の愚痴ばかり、というか時間をとれないことにたいする苛立ちで埋めつくされている。勤務日の記述はきまって「今日はぜんぜん読書の時間をとることができなかった」か「(…)さんが休みだったおかげでよく読めた」のいずれかだ。日記の文量は全体的にとても少ない。二三行で終わることもしばしばある。これは自由時間の不足をもっとも端的に物語る事実であるように思う。明けて1月8日、(…)さんにバイトを辞めさせてほしいと切り出している((…))。そして翌日には(…)から来日計画を告げられている((…))。ちょうど去年のいまごろが分岐点だったのだ。この日を境にある意味ではすべてがうまく回転しはじめたのだ。二勤二休の労働地獄を脱出し、夏の期待につらぬかれた生活がすべりだした。
「A」を書籍化しようと考えた契機はなんだったのだろうか?
読みなおしを終えるとすでに3時であった。風呂にも入っていないし筋トレもしていない。夕方3時間も眠ったにもかかわらずもう眠気を催しはじめていたのでおとなしく床についた。眠りに半ば落ちるところまではたやすくいくものの落ちきることができずに半ばの覚醒を保ったまま寝返りを打つ、というのを幾度となくくりかえすことが最近やたらと多い。夢の論理が現実の距離感を浸潤するあのはざまの領域にたゆたう時間が増えたというわけなのだが、おかげで金縛りにもよくあう。ふとんに入ってから全身がむずむずして細胞のひとつひとつが解けていく感覚にこらえきれずくすぐったい声をあげてその声ではっとして目覚める、そんなこともたびたびある。これはちょっと不便だし鬱陶しい。

きれいにかたづいたコンテナのような部屋。ごらん、あれが家賃8ヶ月分のアーロンチェアだよ……。


8日(水)
10時半起床。半分眠りながら歯磨きをすませておもてに出ると雨で、洗濯物を室内にとりこんだ。ストレッチをしたのちパンの耳ラスト2枚を食べようと思ったら2枚ともカビルンルンになっていたので捨てた。かわりに(…)の祖母からいただいた菓子類とバナナ2本の朝食をとった。朝っぱらからエルメート・パスコアールのいかれたメロディを堪能しながら昨日付けのブログの続きを書き足した。2杯目のコーヒーをいれるとまもなく12時半だった。これより時間割生活を再開する!
13時過ぎまで発音練習。次いで16時まで音読。勉強中に実家から荷物がとどいたので封を開けてみると約束どおりのMacBookAir、それに加えてヒートテックやらタオルやら靴下やらが入っていて、ヒートテックはなぜか3枚も入っていたものだからこれどうしてだと思っていたのだけれどあとで母親からの電話で知ったところによると、じぶんが帰省したおりに着用していたヒートテックのパチもん(大阪行脚時にスーパーで購入したやつ)が地肌スケスケのぼろぼろだったものだからこんなもん着てヒートテックはやっぱりあったかいとかいってるこの子はバカなんでないかという心配からわざわざ新品を追加で購入して送ってくれたらしかった。ありがてえありがてえ。段ボールのなかにはほかにも瓶詰めのインスタントコーヒーが5本も入っていてある意味ではこいつがいちばんうれしい。あとはなんか消臭力みたいな外見のウイルスキラーみたいなのが入っていて、これは母と弟が去年の秋ごろノロウイルスでぶっ倒れたときに父にうつらないようにというアレから購入して部屋中に設置したやつの余り物らしく、効果のほどはしれたものではないがいちおう部屋のひとつ置いておけば100日ほどウイルスやらばい菌やらを殲滅してくれるという売りのブツらしかったのでとりあえずテレビのうえに香水とならべて置いておいた。風邪薬もひとつ入っていたので薬箱かわりの引き出しにしまっておいた。
腕立て伏せをした。腰痛がしらぬまにほとんど解消していることに気づいておどろいた。胸肉&プロテイン効果がようやく実ったのかもしれない。Macの初期設定についてしばらく検索したあとに買い物に出かけた。雨脚は強まるばかりだった。ケッタにのってちゃちゃっとすませようかとも思ったが、きのうは一度も外に出ていないことであるし、外の空気をすこしでも多く吸っておいたほうがいいというアレから常とかわらず歩いて出かけた。買い物をすませて店の外に出ると傘立てにつきさしておいたビニール傘がなくなっていて愕然とした。なぜビニール傘というものはこうまでたやすくパクられてしまうのか(円町にすんでいたころいちど最寄りのセブンイレブンでいままさにじぶんの傘をパクろうとしていたおっさんをとっつかまえたことがあったが、あのときはたしか遅刻寸前の出勤前で、それだから説教のひとつもくれてやることができなくて最悪の気分で見逃すはめになったことがある)? 傘立てにはじぶんのものとよく似たビニール傘が残っていて、店に入るまえにもこれ似ているからひょっとして間違えられるかもしんないなと考えたのであったが、だからといってこの傘のもちぬしが間違えてじぶんのブツを持っていったのだと決めつけてこいつを回収するわけにもいくまい、負の因果律の片棒を担ぐわけには断じていくまいと、そういう正義感がめらめらしたものだからしかたなしにファー付きのコートのフードをかぶって雄ライオンのようになりながら雨の家路をたどった。とちゅう後ろからじぶんを追い抜いていったおっさんがいたのだが、やたら早足で、ほとんど競歩かよというようなレベルの、さながらスケーツ靴を獲得しまくったボンバーマンのような歩みであって、なんだあれと思いながら去り行く背中をぼんやりとながめていたのだけれどそのおっさんの手にしていたビニール傘というのがパクられたじぶんのブツにそっくりなように思えてきて、あの早足はつまるところやましさのあらわれではないのだろうかという勘ぐりがはじまりさえしたのであったが、家にかえれば予備の傘がもう一本あることであるしもうなんだっていいだろという声がしたのでサバンナの争いに倦み疲れた老境にある雄ライオンのていで帰宅した。部屋にもどってからコートをハンガーにつるして部屋の天井の中央あたり、照明とならんで設けられているフックにかけて一息ついた。
玄米と納豆と冷や奴と胸肉とねぎとほうれん草とにんじんを酒と昆布だしで炊いたしょうもない夕食をかっ食らった。それから(…)さんにメールの返事をした。筆名の由来がいかにも(…)さんらしいものだったのでおもしろかった。筆名といえばかつて「西大路便所虫」というものを用いようかと考えたこともあったのだが、これは不採用にしてほんとうによかったといまになってありありと思う。あまりにアレすぎるから。
BCCKSのトップページに表示される「売れてる本」のならびにちょくちょく『A』が顔をだすのだけれどその表紙画像の左上に表示されている数字はいったい何なんだろうと思っていたらどうやらこれランキングらしくて現状15位、意外にやるじゃん……。これがオリコンだったら夢の印税生活なんだろうけれどそういうわけにもなかなかいかない。8位にSachiko Mの書籍が入っているのを見つけたので、ちょっとびっくりした。このあいだのジョギング中ひさしぶりに音源を聴いたばかりだったのだ。というわけで当面の目標は8位にする。しのぎを削る相手にふさわしい!
30分ほどの仮眠をとったのちシャワーを浴びた。部屋にもどってストレッチをしてからMacBookAirのセッティングにとりかかった。予想通りネットの接続にかんしてやや手こずった。MacBookAirは無線を前提とした造りになっていて有線の差し込み口がなかったりするのだけれどUSBを経由して有線でも接続することのできるブツを兄から譲ってもらっていたのでそいつで解決した。タッチパッドでの操作がけっこう独特で慣れるまですこし時間がかかりそうだけれどこれたぶん慣れたらやみつきだろう。ちょっとスマートフォンっぽい。兄はプログラマーなのでキーボードはアメリカ式のほうが使いやすいらしくそのため今回ゆずってもらったブツも文字列の配列がそちら仕様になっていて、記号の配置とか微妙に異なっていたりするのだけれどこれちょっと不便かもしんないと思ったのは英数字と日本語の入力を切り替えるキーがないということで、物書きにとってはちょっと致命的なアレであるような気がしないでもないんだがここはうまいこと設定をいじくってcaps lockというキーを文字入力の切り替えにあてた。慣れるまでの辛抱。お礼がてら兄に電話していろいろたずねたのだけれどこのMacBookAirは容量こそそれほどでかくはないものの中身がハードディスクでなくてチップみたいなものであって、このあたりなにやら専門的な言葉がたくさん出てきたしその手の話題に疎いこちらのアレもあってぼんやりしているんだけれどとにかく丈夫だと、ハードディスクに比べて断然外的な衝撃に強いと、そして処理能力が段違いに早いと、ほかにもなにかいろいろセールスポイントを説明してくれたのであったが要するに「あんたみたいな使い方をしている人間にはぴったりだ」ということだったので、よし!がんばろう!と思った。タイムマシーンの設定をしたりあたらしいOSをインストールしたりウェブブラウザを調整したりして、wordがなくなってしまったので適当な縦書き用のエディタをぶちこむかあるいは数年ぶりにオープンオフィスでもぶちこむかしなければならないし(兄曰くオープンオフィスよりもそこから分派した別のなんちゃらいうところのほうがいまは断然優れているらしいのだが)gimpも入れておきたいのだけれど、そのあたり別にいますぐ必要なものでもないので必要になったらダウンロード&インストールでいいやと思ったのでとりあえずiTunesだけ移行しようと思ったところこれがなぜかうまくいってくれない。外付けHDDで管理してあるiTunesフォルダを新規でたちあげたiTunesで開こうとしてもなぜかライブラリデータがないからできないみたいな表示ばかりでてきて、フォルダの中身をチェックしてみるとたしかにライブラリデータがdamagedみたいになっていてこれたぶん数ヶ月前にいちどiTunesがぶっこわれたときの後遺症なんだと思うのだけれど、さてどうしたもんかと思ったのだけれどこの時点ですでに3時をまわっていて1時ごろにラーメンを食べてしまった影響もあって眠くて眠くてたまらなかったのでもう明日でいいやとあきらめて湯たんぽをセットしてから布団にもぐりこんで寝た。この冬はじめての湯たんぽ。冷え性の足下にしみますわ。