20140121

 私は、ここで、マルクスがいう「ブルジョワ独裁」について言及しておきたい。それは後に詳述するように、彼のいう「プロレタリア独裁」に関連する問題だからである。マルクスが、ブルジョア独裁をむしろ「普通選挙」において見ていることに注意すべきである。『ブリュメール一八日』の背景に、それがあったことはいうまでもない。では、普通選挙を特徴づけるものは何か。それはたんに、あらゆる階級の人々が選挙に参与するということにだけあるのではない。それと同時に、諸個人があらゆる階級・生産関係から「原理的に」切り離されるということにある。議会は封建制や絶対主義王権制においても存在した。しかし、こうした身分制議会においては「代表するもの」と「代表されるもの」が必然的につながっている。真に代表議会制が成立するのは、普通選挙によってであり、さらに、無記名投票を採用した時点からである。秘密投票は、ひとが誰に投票したかを隠すことによって、人々を自由にする。しかし、同時に、それは誰かに投票したという証拠を消してしまう。そのとき、「代表するもの」と「代表されるもの」は根本的に切断され、恣意的な関係になる。したがって、秘密投票で選ばれた「代表するもの」は「代表されるもの」から拘束されない。いいかえれば、「代表するもの」は実際にはそうでないのに、万人を代表するかのように振舞うことができるし、またそうするのである。
 「ブルジョワ独裁」とは、ブルジョワ階級が議会を通して支配するということではない。それは「階級」や「支配」の中にある個人を、「自由な」諸個人に還元することによって、それの階級関係や支配関係を消してしまうことだ。このような装置そのものが「ブルジョワ独裁」なのである。議会選挙において、諸個人の自由はある。しかし、それは現実の生産関係における階級関係が捨象されたところに成立するものである。実際、選挙の場を離れると、資本制企業の中に「民主主義」などありえない。つまり、経営者が社員の秘密選挙で選ばれるというようなことはない。また、国家の官僚が人々によって選挙されるということはない。人々が自由なのは、たんに政治的選挙において「代表するもの」を選ぶことだけである。そして、実際は、普通選挙とは、国家機構(軍・官僚)がすでに決定していることに「公共的合意」を与えるための手の込んだ儀式でしかない。
(柄谷行人トランスクリティーク――カントとマルクス――』)



11時起床。相変わらずわずらわしい痰と咳。ストレッチをしたのちパンの耳2枚とコーヒーの朝食。きのうは腰の右側が痛かったが、今日は左側に鈍い違和感をおぼえる。鬱陶しい。
12時半より英語。発音練習&音読。きのうにひきつづき声がまったく出ないのでウィスパーボイスでの音読とあいなった。勉強をしている最中に先取りされた口論のいくつかが頭のなかでおのずと繰りひろげられてイライラした。仮想されてある幾人かの相手の言い分のたやすく予想されてしまうのがまたやたらと頭にくる。
金さえあればサリンジャーのようにより徹底的な意味でじぶんのためだけに小説を書く環境を構築することができる。あるいは晩年のデュシャンのように身近な仲間たちだけと慎ましやかに交流するのもいい。いずれにせよノイズとは無縁でいることができる。それはすばらしいことだが、現状しかし金などどこにもない。それどころか借金まみれとくる。これ以上働く日数を増やしたいなどとは断じて思わない。であればやはりプロ作家として活動するほかない。そこにしか逃げ道がない。つまり、書く時間を確保するためにある程度のノイズを辛抱しなければならない。いまはそんなふうに天秤が傾いている。けれどもたとえば仮にプロとしてある程度名前が売れてというふうに事の次第が進展したとき、累乗的に増加していくノイズに果たして耐えることができるのだろうかという懸念がある。書く時間の確保よりもノイズのキャンセルのほうを優先したいと傾きの逆転するようなこともひょっとしたらありうるのではないか。考えるだけで憂鬱になってくる展望だ。すべての悩みを根本的に解決する方法があるとすれば莫大な金の入手、いまのところこれ以外には見当たらない。完璧な小説を書くための完璧な環境を手に入れるためにはなによりもまず金が必要らしい。それも余生を暮らすに足るほど莫大な額の金が。作品を人前にさらけだすことによる不幸というのは確実に存在する。
16時に勉強を終えた。下痢ラ豪雨に見舞われて便所に駆け込んだ。ひどかった。変なものを食った覚えなどまったくないのだが。食器を洗って米を炊いた。百歩ゆずって部屋に水道がないのはいい。おもてに水場があるというのもまだ許せる。しかし湯が出ないというのはあまりにつらい。凍てつくような真水のせいで両手の甲がボロッボロのカッサカサだ。スーパーまで歩いて買い物に出かけた。ぶつくさやらなかった。かわりに大森靖子を聴いた。レジで買い物をすませて店員さんにどうもと応じようとしたときに声がまったく出なかった。鞄のなかに食料をつめながら今日のじぶんは無口だと思ったが、常日頃から平日の五日間はひとと会わないのがならいである。となるとこの無口の自覚が意味するところはひとつ、ふだんじぶんがいかに独り言を漏らしたり鼻歌を歌ったりしているかということではないかと思い至った。これも磨けば「偶景」になりうるかもしれない。帰路をぽつぽつたどっていると前方からやってくるママチャリに乗った赤毛の西洋人女性とはっきり目が合った。こちらのことをはっきりと特定の人物として認識する目の色があった。それで(…)が家出しているあいだに世話になっていたというフランス人女性だったかカナダ人女性だったか、とにかくその女性に違いないと彼女に見せてもらった数枚の写真の記憶が浮かんで、得心がいった。むこうはむこうでじぶんが映っている写真を(…)から何枚も見せられているわけであるし、それであの目の色があったのだ。女性は紫色のダウンジャケットを着てフードを浅くかぶっていた。写真で見たとおり雑誌に載っているモデルのような美人だった。(…)がわれわれの間でしばしばもちあがる小競り合いについて愚痴を漏らすと、彼女は、あなたのダーリンは芸術家なんでしょう、じゃあもうあきらめなさい、あなたは彼のいちばんには決してなれないから、と言ったらしかった。その話をじぶんにしたとき、(…)は彼女の発言についてあなた自身はどう思うかとは決してたずねかった。それは救いであったが、しかし胸をさいなむような沈黙をはらんだ救いであった。
長引く咳風邪のせいでもうずいぶんジョギングに出かけることができていないし筋トレもままならないこの状況を打開すべく多少負荷を減らしてでもそろそろ筋トレを再開しようと考えていた矢先に下痢ラ豪雨に見舞われたのでそれもあきらめた。玄米と納豆と冷や奴とインスタントのみそ汁と鶏胸肉とたまねぎとカボチャを塩こしょうとチーズとマヨネーズでタジン鍋した夕食をかっ喰らった。たまねぎもカボチャもぜんぜん生だった。エリック・ドルフィー『At The Five Spot Vol.2』『Out To Lunch』を聴きながらウェブ巡回したのち20分程度の仮眠をとった。めざめると20時半だった。大家さんのところでシャワーを浴びた。体の温まる気がまるでしなかった。風呂場をあとにして部屋にもどろうとしたところで便所から出てきた住人のひとりとバッティングした。住人はほとんど悲鳴にちかいような驚きの声をあげながら目をむいてみせた。(…)がいちどじぶんが労働に出かけているあいだにたまたま見かけた住人のひとりに声をかけたところおおげさなくらいぎょっとした表情が返ってきたことがあると笑い話のていで報告してくれたことがあったけれど、ひょっとするとそのときぎょっとした表情を浮かべたのは今夜の男なのかもしれない。(…)は起き抜けのときなどしばしば、スリップというのかシュミーズというのかネグリジェというのか、とにかくその手の肌着いちまいでおもてに出てトイレにいったり水場で歯を磨いたりしていたので、うちのアパートに滞在してまもない時期などほかの住人はけっこう困惑することもあったんでないかというか、端的にいってそりゃあびびるわな、ぎょっとするわな、目を疑うわな、と思う。アダルトショップに勤めていたころ「プラム」というAVメーカーの四畳半なんとかシリーズみたいなソフトが店内に設置されたDVDのデモ映像としてときどき流れていたのだけれど、そのなかにパツキンの白人が四畳半のゴミ屋敷に住む冴えない日本人男子に犯されて調教されてみたいな馬鹿げた内容のものがあって、風呂も便所もないような汚くちらかった部屋の一室に透きとおるような肌のパツキンが居合わせるこんな状況がそもそもあるもんかよと鼻で笑っていたりもしたものだったけれど、あのころのじぶんは想像力に欠けていた、もっとひどい部屋でもっと馬鹿げたふたりがもっと荒唐無稽な状況を丸二ヶ月にわたってくりひろげたのだ。
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ・トリオ『Pakistani Pomade』を聴きながらここまでブログを書いた。22時半だった。Washed Out『Paracosm』をおともにコーヒーを入れて「偶景」の執筆にとりかかった。新規の断章を二つ追加したのち過去に書いた小説(ボツ)から流用した断章を断章形式にふさわしく整形するきわめて退屈な作業に延々と従事した。プラス4枚で計222枚。とちゅうで夕飯の残りの蒸し野菜をぶちこんだレトルトのカレーを食した。そのせいで眠気を催してしまい結局2時半には力つきた。作業BGMはオットー・クレンペラー指揮『ベートーヴェン:荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)』とEglantine Gouzy『Boamaster』とSyrup16g『COPY』とDon Cherry & Jon Appleton『Human Music』。
夜になると咳が悪化してしんどい。テキストファイルを整頓していたらずっとむかしに書いた漫画の原案がでてきて読んでみたら案外おもしろかったので下に転載しておく。これどっかの公募に送ったはずなのだけれど結果をチェックしたおぼえがない。漫画家志望のひと、いっしょにタッグ組んで世界獲らない? つげ義春高野文子の交差点でポエジーの狼煙をあげよう!



「小指」(2009.8.5)

◯ オープニング(以下『』はナレーション) 


『むかし、どこかのだれかから聞いたことがある。』
  背景のない真っ白な空間。その左手に少女時代のサヨが後ろ手を組みながら正面を向いて突っ立っている。
  いくらか気難しげな表情。大きくとった右手の余白には長く伸びた影。
『指紋のまんなかをスタート地点にして迷路をたどるように進んでいくと――』
  じぶんの右手をひろげて指先をのぞきこむ少女時代のサヨ。
『必ず心臓にたどりつくようになっているんだって。』
  両手のひらでおさえたじぶんの胸を見つめるサヨ。
『でも、そこに到達することができるのは――』
  胸の前でおさえた両手のひらの間から尾の長い一羽の白い小鳥が飛び出す。
  真っ白な空間を空高く飛んでいく小鳥。小鳥を前景に、地上のサヨを見下ろすかたちでの俯瞰。
『おやゆび、ひとさしゆび、なかゆび、くすりゆび、こゆび。
 五本のうちのどれか一本だけで――』
  上空をはばたく小鳥の正面アップからその側面すれすれをすれちがうようにして地上へと連続的に移動する視点。
  飛んでいった小鳥を見上げるサヨの後ろ姿を地面すれすれの位置から見上げるようなコマが終着点。
『“当たり”の指はひとそれぞれ。
 どの指が“当たり”かでそのひとの行く末がわかるとかどうとか。
 あたしは小指だった――。
 あたしの“当たり”は小指だったけど、
 それが何のきざしだったかはおぼえていない』
  少女時代のサヨのバストショット。きびしい表情で真正面をみすえている。
『それが何のきざしだったかはおぼえていない。』




◯ サヨの部屋


  サヨ(20歳・フリーター)の部屋の描写。アジア系の雑貨や小物が目立つ、いくらかちらかったフローリングの一室。
  開け放しになった窓。風にかすかにゆれるレースのカーテン。天井に設置されたプロペラ型の扇風機。
  窓枠に置かれた花のない花瓶。空っぽのコーヒーカップ
  写真のない写真立て。針のないアナログ時計。魚のいない水槽。
  部屋の描写の間、目ざまし時計のベルがずっと鳴り続けている。時間は午後一時。
  目ざましにむけて伸びるサヨの手。届きそうで届かない。じたばたする指先。
  なんとかスイッチを止めることに成功する。その拍子に右手の小指がないことがあらわになる。
『あ――。』
  ここで初めて成人のサヨの姿が描写される。木造のベッドに起き上がってじぶんの欠けた小指をながめるサヨの図。
『小指がない。』
  ベッド脇の窓からのぞく青空と豊かな雲。空とじかに隣接している空中楼閣のように、窓の外に見えるのは空と雲だけで、地上の風景はいっさい見えない。
『小指がない。』




◯ 屋外(真昼)


  前シーンを継承するかたちで晴れた空と雲の描写。
『変な夢を見たせいだ。』
  夢で見た小鳥の姿をおもわせる雲。
『変な夢を見たせいで小指がなくなってしまったのだ。』
  コインパーキングの側に設置されている自動販売機でジュースを買うサヨ。スイッチをひとさし指で押す。
『ジュースを買うには問題ないみたい』
  不動産屋に入っていき、書類に親指で拇印を押すサヨ。
『たぶん、なにかしら契約するにも』
  手に持ったトカゲをつきだしてサヨを驚かそうとする小学生くらいのいたずらっ子に中指でデコピンするサヨ。
『デコピンするにも』
  夜景の見えるレストランで顔の見えない男性から婚約指輪を受けとり薬指にはめるサヨ。
『結婚するにも』
  ふたたび白昼の空。小鳥に似た雲は巨大な鳥そのものとなってはばたきはじめる。
『何にも問題はないんだろうけど――』
  地上におりたつ尾の長い巨大な雲の鳥。その背中にのるサヨ。雲の鳥は空高く飛行する。
『それじゃあ、何がこんなにも――』
 酸性雨で溶けかけたイエス銅像
 快晴の空のしたで破れた傘をさしながら背中におぶった人形をあやす気のふれた女性。
 廃ビルの屋上、手すりをこえた先にすわりこんで両足を宙に投げ出すインテリヤクザ風の男性。
『何がこんなにも――』
 街の俯瞰。崩壊したバベルの塔を思わせる巨大な瓦礫を中心にした同心円状の城塞都市の風景。
 鳥の背中にうつぶせになるサヨ。
『何がこんなにも――?』




◯コンビニ(駐車場)


  コンビニの駐車場に降り立つ鳥。その背中からゆっくりと地上におりるサヨ。
  コンビニの店名は「Capital shop」。
サヨ「(鳥に手をふりながら)バイバイ」
  コンビニ店内へ向かうサヨ。その背後で生クリームのようにどろどろに溶けていく鳥。




◯コンビニ(店内)


  入店するサヨ。ほかに客の姿は見当たらない。
  レジにはエプロンをつけた店長がひとり。カフェのマスターのような中年男性。
店長「いらっしゃいませ」
  レジ周辺をちらりと見遣るサヨ。
『小指。』
  雑誌コーナー、文具コーナー、アイスコーナー、飲料水コーナー、お菓子コーナー、弁当コーナー、菓子パンコーナーなど、
  およそ通常のコンビニ店内にあると思われるすべてのコーナーを、サヨの主観的ショットで、店内を時計回りにめぐっていく感じで、『小指。』のモノローグを適度に挟みつつ、描写していく。
『小指――。』
  防犯カメラの視点で魚眼的にとらえられた店内でひとりぽつんとたたずむサヨ。
サヨ「どこにもない」
  レジのほうを見遣るサヨ。店長は首からチェーンでさげた金縁メガネを装着し、カウンターの上に置いた書類に目を通している。
  店長に接近するサヨ。カウンターをはさんだところで店長がその気配に気づく。声をかけるサヨ。
サヨ「あの、すみません」
店長「(書類を片付けながら)はい?」
サヨ「あの、小指って置いてませんか?」
店長「小指?」
サヨ「小指です」
  店長、はっとした様子でサヨの右手、欠けた小指に気づく。サヨ、恥ずかしそうに後ろ手にして隠す。
店長「ああ、ちょっと待ってくださいね」
  カウンターの下にしゃがみこんでゴソゴソとダンボールの中などを探しはじめる店長。
店長「ええっと、どこだっけな」
  サヨ、レジの前に立ち尽くしたまま、探し物をする店長の様子をじっとながめる。
  なかなか目当てのものが見つからない様子の店長。
  手持ち無沙汰なサヨ、店内入り口の自動ドア越しに通りの様子へと目を向けはじめる。




◯サヨの空想(サヨの主観的視点povで進行)


  自動ドアをぬけ、店外の駐車場へ。ゴミあさりにきていた野良猫があわてて逃げ出し、違法駐輪された自転車にぶつかる。
  ドミノ倒しになる放置自転車たち。
『あーあ、たいへん。』
  歩道を散歩する老人と犬がこちらを見る。車道を走る自動車の運転手、バスの乗客、通りの向こうにあるカフェのウエイトレス、道往く老若男女みながサヨのほうを一瞥する。
『なに? あたしのせいじゃないよ。』
  路肩に停止しているタクシー。接近するにつれてドアが自動的にゆっくりと開く。
『逃げろや逃げろ』
  タクシーの後部座席にすべりこむ。制帽をかぶった顔の見えない運転手がハンドルを握り、ウインカーをいれる。
運転手「どこまで?」
『迷路へ。』
運転手「迷路へ」
『ええ、迷路へ。』
  ルームミラーに映らないサヨの姿。発進する車。窓外を流れる街の風景。
『行方不明のあたしを探しに、迷路へ。』
ルームミラーにぶらさがった奇妙な動物のキーホルダー「迷路へ」
リアガラスのそばに置かれたぬいぐるみ「迷路へ」
サヨのすわる後部座席の足下、助手席の下の暗がりからのびる正体不明のふきだし「迷路へ」
窓越しすれすれをすれちがっていく怪鳥(頭部だけで窓枠いっぱいになるほど巨大)「迷路へ」
  窓外の景色、いつの間にかダリの絵のようにシュールで奇妙なものに変化している。一面、砂漠の世界。遠近感や大きさの狂った様々な事物・生物などが配置されており、ところどころはエッシャーの騙し絵のようにもなっている。以下はそうした描写の一部。
  ・砂漠に斜めにつきささった一本のカーブミラー。標識には「尋ね人」の文字。
  ・地上を浮遊する深海魚たち。ちょうちんあんこうのちょうちんの部分が昼間にも関わらずスポットライトのようにして、その体躯と見合わぬほど広範囲の地面を照らしている。
  ・空に浮かぶ北風と太陽。三日月に腰かけながらそのいさかいを馬鹿にするようにしてみおろす旅人の姿。
  ・地平線の向こうから顔の上半分だけをのぞかせる巨大なシェイクスピア。手描きのふきだしと文字で「To be, or not to be: that is the question.」。
  ・地面につきささったビルほど巨大な携帯電話。液晶にはメールの作成画面が展開されている。宛先は「おまえ」。件命は「警告」。本文は「生まれたときからが余生だ」。
『どこかな。
 どこかな。
 どこかな。
 どこかな。』
運転手「お客さん」
  運転手、片手でハンドルを握ったまま、もう片方の手でルームミラーの位置を調節し、じぶんの顔がサヨに見えるようにする。
運転手「小指、製造中止になってるみたいです」
  運転手の顔はコンビニ店長である。




◯コンビニ(店内)


店長「小指、製造中止になってるみたいです」
  店長、レジのカウンター越し、サヨの真正面に立っている。
サヨ「製造中止……」
  サヨ、自動ドアの先にちらりと目をむける。去って行くタクシー。運転席から小さく「迷路へ」と手描きのふきだし。
サヨ「あの、それってもう入荷されてくることはないってことですか?」
店長「ええまあ、そういうことになります。義指ならまだあるみたいなんですけど」
サヨ「義指?」
店長「いや、実をいうとそっちも品切れなんですがね。でもまだ製造はしているようだから、いずれ入荷されるはずです」
サヨ「いつごろ入ってくるかとか、わかりますか?」
店長「うーん、ちょっと待ってください」
  店長、ふたたびカウンター下の書類入れなどをごそごそとやりはじめる。
  チャイムが鳴る。自動ドアのほうに目をやるカヨ。女子高生二人組が来店する。
女子高生A「ひゃー、涼しい涼しい」
女子高生B「アイス食べようよアイス」
  きゃっきゃっと声をあげながらアイスを選ぶ女子高生たち。その様子をぼうっとながめるサヨ。
  女子高生、棒アイスとソフトクリームをもってレジにやってくる。サヨはそっと後ずさりして列をゆずる。
女子高生A「すみませーん」
店長「(たちあがって)ああ、はいはい、いらっしゃいませー」
  レジで精算をすませる女子高生たち。お金を渡し、おつりを受け取る図のアップ。小指はきちんとついている。
店長「ありがとうございましたー」
  立ち去っていく女子高生たち。自動ドアを抜けた先で「あっちー」などと言い合いながらアイスを袋から取り出す。
  ソフトクリームを持つ女子高生Aの手。棒アイスを持つ女子高生Bの手。そのどちらも小指がぴんと立っている。
  ぴんと立った小指が小鳥の長い尾とだぶりはじめる。




◯尾の長い小鳥と三人の対話


  アイスを持った女子高生の手から変形した小鳥、空にむけて飛び立つ。街の上空を移動。
  噴水広場の中央を旋回する小鳥。地上には酸性雨で溶けかけたイエス銅像
エスの像「きみは気づいていたかな?」
  ビルとビルの谷間、排水とカビの汚れた路地からのぞくわずかな上空を旋回する小鳥。
  地上にはビルの壁にもたれるようにして座り込み、破れた傘をさしながら人形のくちびるに乳をふくませようとしているみすぼらしい女性の姿。
気の触れた女性「さっきの女の子たち、
 あの子たちの小指だってニセモノさ」
  廃ビルの屋上のよく晴れた空を旋回する小鳥。
  その下には手すりをこえた先にすわりこみ、両足を地上十階以上の高さから宙にぶらつかせているインテリヤクザ風の男性の姿。
インテリヤクザ「本物の小指をもっているやつなんて今時いるのかね?」
  イエスの像、欠けた小指のアップ。
エスの像「このとおり」
  気の触れた女性の抱く人形、やぶれて綿がはみだしている小指のアップ。
気の触れた女性「このとおり」
  インテリヤクザ、包帯でぐるぐる巻きになった、指詰め後の小指のアップ。
インテリヤクザ「このとおりなんだよ」
  インテリヤクザ、ビルのふちに腰かけたまま、宙にむけてゆっくりと前転するようにして、落下する。
  落下するインテリヤクザと並走するようにして飛行する小鳥。
  仰向けに落下しながら、スーツの懐から煙草とライターを取り出し、火をつけるインテリヤクザ
インテリヤクザ「(けむりを吐いたあと)参るね。小指がないというのはほんとうに参るんだ。」
  落下するインテリヤクザの背景、廃ビルの一室、割れた窓ガラスの向こうから顔をのぞかせるコンビニ店長。
店長「でも、入荷日は未定なんです」




◯コンビニ(店内)


サヨ「えっ?」
店長「人気商品なものだから、どうにも生産が追いついていないみたいで」
サヨ「まったく見当もつかない状態ですか?」
店長「ええ、申し訳ないんですけど、いまのところはちょっと」
サヨ「取り寄せ、っていうか
 予約みたいなことって、できますか?」
店長「うーん……」
サヨ「なんとか、
 なんとかならないでしょうか?」
 あらぬ方向をながめながら頭をぽりぽりと掻いたり、伏し目がちになったり、腕を組んだり、唇を結んだりする店長。
店長「そうですね、
 ええっと、
 うん、
 まっ、
 いいでしょう。」
  店長、ふっきれたような様子でカウンターの下からいちまいの紙片をとりだす。
店長「本来はね、うち、予約とか受け付けてないんです。
 特にこういう人気商品っていうか、入荷予定がはっきりしないようなやつはね。
 でも、お客さん見てて、気が変わりました。
 これ、内緒ね。サービスだから。」
  ウインクする店長。紙片をサヨのほうに差し出す。
店長「ここに、名前と電話番号を書いてください。入ってき次第、連絡しますから」
  紙片にボールペンで名前と電話番号を記入するサヨ。書き終えた紙片を店長のほうにさしだす。
店長「はい、たしかに承りました。それでは後日、連絡いたしますので」
  ひとのいい笑顔をみせる店長に対し、それでもなお不安そうなサヨ。
サヨ「あのっ」
  つい口走ってしまった様子のサヨ。続きを言いよどむ。「?」と首をかしげる店長。
サヨ「……あの、ほんと、いつでもいいんで、
 夜中とか、早朝とか、時間帯とかぜんぜんいつでもかまわないんで、
 連絡のほうだけ、その、なるべく早めにお願いします。」
  店長、ニコリとして指切りのポーズをとる。
店長「必ず。」
  サヨ、つられるようにして微笑みながら、右手をさしだす。
サヨ「はい、必ず。」
  相手の小指にじぶんのそれをからめようとしたところで、じぶんの小指が欠けてしまっていることを思い出すサヨ。
  店長も同様にはっとした表情をする。
  結び合うことなく宙を切るふたりの小指。
  途端、店長の小指がぼとりと音をたててカウンターのうえに落ちる。  
サヨ「あっ」
  一瞬の沈黙のあと、咄嗟にカウンターの上の小指をうばいとり、店外にむけて走り去るサヨ。
  そのあとを追いかけるでもなく、その場に立ち尽くしたまま動かない店長。
  自動ドア越しに、両翼と長い尾を生やしたサヨが空を飛んでいく姿が見える。
店長「……ありゃあ」
  レジに突っ立ったまま、サヨの残していった紙片をながめる店長。
  やがてその紙片を手に取り、欠けた小指の先端にぐるぐる巻きにしはじめる。
  紙片で補強した小指を指鉄砲の要領でかざす店長。
  サヨの飛び去っていった方角にむけて、その場で発砲する真似をする。
店長「バーン。
 バーン。」
  店長の瞳にむけて徐々に接近していくコマ割り。瞳の中にひろがる青空と雲海。その中を飛翔する鳥人サヨの姿。
  空よりも雲の占める割合がじょじょに大きくなっていき、最終的に背景は物語冒頭シーンのように余白だけとなる。




◯エンディング


  飛翔する鳥人サヨからじょじょに後退していくコマ割り。視点が地上に達したところで少女時代のサヨの後ろ姿があらわれる。
  胸を両手でおさえている少女時代のサヨの正面姿。手のひらの隙間からじわじわとにじみだす血。
サヨ(少女)「(胸の傷跡をおさえながら)撃たれちった。」
  鳥人サヨの飛翔する姿。手描きのふきだしと文字で小さく「迷路へ」。


(終)