20140125

 カントによれば、総合的判断でしかありえないことを分析的判断によって証明してしまうのが形而上学であり、思弁哲学であった。しかし、同じことが事後的な立場に立つ思想についてあてはまる。形而上学とは、事後的にしかないものを事前に投射してしまう思考なのだ。したがって、ニーチェにあって、形而上学の批判は「系譜学的」なものとなる。しかし、すでにカントの超越論的批判は系譜学的であった。なぜなら、それは経験論者や合理論者が出発する感覚や概念が、ある象徴形式によって媒介された結果であることを示すものだからである。
 ここで、われわれは、ヘーゲル主義的な事後的「総合」に対して、意義を唱えた思想家として、キルケゴールマルクスを見出す。彼らは総合的判断が「命がけの飛躍」を要することをそれぞれの文脈で主張したのである。たとえば、ヘーゲルは、思弁は後ろ向きだが、倫理は前向きだと述べた。後ろ向きとは事後的だということであり、前向きとは事前的ということだ。彼にとって、イエスがキリストであることを知るのは、「イエスと呼ばれる人間が神である」という綜合的判断を意味する。ヘーゲルにとって、イエスが神であることは以後キリスト教が拡大したという歴史的結果によって証明されるが、キルケゴールは「同時代的に」、つまり、事前においてそれを知ることができるかと問う。今ここで、みすぼらしい人間イエスを神と見ることは「命がけの飛躍」としての信仰である。
(柄谷行人トランスクリティーク――カントとマルクス――』)



夢。職場に出勤するとロビーが薄暗い。どうやら落雷のせいで停電したらしい。会計機はすべてイカれてしまったらしく、となると精算作業をすべて対面の手渡しで行わなければならないことになる。じつに難儀な話である。料金の計算方法や手続きなどについてひととおり(…)さんにレクチャーしてもらう。さすがに十数年勤めているだけあってこのような不慮のトラブルにも慣れっこらしくみえる。職場には(…)さんの姿もある。じぶんひとりではいくらか心細いだろうからと、停電の連絡を受けてわざわざ駆けつけてきてくれたらしい。その(…)さんからバグったコンピューターの使い方を教えてもらう。何度かキーを叩いてマウスを操作すると、画面上にiTunesがたちあがる。ひたすらiTunesの操作方法を説明する(…)さんのかたわらに控えながら、いまはそれどころではないのではないか、それよりもまず精算機の復旧方法と室料を手動で確認する方法の教授をこそ優先すべきではないか、とひそかに疑問に思う。ロビーの片隅では(…)さんがクソでかい樽のような容器を使用して肉まんを蒸かしている。とつぜんの停電でご迷惑をおかけしましたの意で宿泊客に差し出す予定のものらしい。大学時代のクラスメイトである(…)が意気揚々とした様子で持ち場にやってくる。匿名的な取り巻きを数人従えながら(…)はなにやらおちゃらけた様子で矢継ぎ早にしゃべりまくっている。そちらに近づくとホテルの控え室が架空の教室に転じ、等間隔に並べられた机の合間をぬって鞄はどこかどこかと探しまわっているじぶんがいる。その過程で高校時代のクラスメイトの女子数人らとも軽口を叩き合う。叩き合いながらこんなフレンドリーなじぶんが高校生のわけがないという意識がどこかで働く。担任教諭の位置に(…)さんがいる。いくらか冗談めいた様子でパクった備品を返せとこちらにいうのに、そんなしょうもないことをするじぶんではないと反論する。椅子に腰かけている(…)ちゃんの髪をはさみで切る。裸の背中にときおり見とれる。(…)ちゃんが機敏にたちあがって頭をゆっくりとおおきく左右にふる。そのようすを見あげながら、やっちまったと思う。後頭部が刈り上げみたいになってしまっている。透明なひとやな、と弟がいう。実家の居間である。(…)ちゃんの姿はすでにないが、ついさっきまでそこで彼女の髪を切っていたという記憶が働く。きれいなひとやったと弟が続けて口にするのに、めずらしい反応だなと思う。匿名的なアイドルグループの一員としてテレビ番組に出演している(…)ちゃんを見ると、『ワンピース』に出てくるベルメールさんみたいな、あるいはひとむかし前にいた(今もいるのか?)お笑い芸人のまちゃまちゃみたいな、部分的に刈りあげたり剃りあげたりしてなにかドえらいことになっているアバンギャルドな髪型をしていて、こちらの失態をごまかすためにメイクさんの必死で編み出した髪型がこれだったのかと、たいへん申し訳ない気持ちになる。
6時半起床。昨夜も寝入りばなにまた咳き込んでいちど目が覚めたので咳止めシロップを飲んで二度寝したのであったが、その咳止めシロップがのこり一口分しかなかったので、これは仕事帰りに薬局にたちよってもう一本追加せばねなるまいと思った。歯をみがいてストレッチをして、その過程で軽く声を出してみると日曜日の夜以来ほとんどまったく出てくれなかった声が、まだまだ本調子ではないとはいえ、それでもたしかに出ることには出てくれたので、胸をなでおろした。電話対応がメインの仕事であるのに声が出ないのでは話にならない。金をケチらず咳止めシロップを購入してここ数日服用しつづけたのは正解であったと思った。これをしていなかったらたぶんまったく仕事にならなかったのではないか。パンの耳を焼いてシチューの残りといっしょに食べた。天気予報によるとかなり暖かい一日になるという話だったが、それでも寒い早朝なので、気をぬかずヒートテックのタイツを装着して家を出た。すでに終えた音読用の音声をシャドーイングしながら職場に向かった。
8時より12時間の奴隷労働。引き継ぎのときに(…)さんから小説を書こうと思っているといきなり告げられたのでびっくりした。資格試験にも合格したしモンハンもクリアしたし、研修がはじまるまでのこれからの数ヶ月やることもないのでとりあえずライトノベルでも書いてみようかなと思ったということで、すでに入門書のたぐいに何冊か目を通しているという話だった。ライトノベル自体は読んだことないらしいのだけれどアニメが好きであるし声優さんが好きであるし、と、そういう話を聞いたときにはさすがにちょっと面食らった。アニメが好きだという話はこれまでにも何度か聞いたことがあったのだけれど、そのアニメにしたところで声優さんが好きだから観る気になれるのだという。率直にいってそこまでディープな領域に沈潜しているひとだとは思っていなかったのだ。エンタメ・ビジネスとして割りきって考えると小説の執筆というのは資格勉強を介して培ってきた知識や物の考え方をおおいに応用できるものだということがわかった、と(…)さんはいった。要するにすべてはマーケティング理論に収斂するのだ、と。でもここで夜中働いてて、あ、これいけるって、そう思ってアイディアとかメモったりするんですけど、次の日にね、見直してみると、まーつまらないわ、ほんとクソみたいなこと書いてんですよ、という言葉にはしかしおおいに笑った。「いつか読ませますよ、クソみたいにつまらない小説」「クソみたいな小説っすか」「そう、クソみたいな小説」「呪われないようにだけ気ィつけたほうがいいっすよ」「え?」「もー資格も仕事もどうでもええやってなっちゃうくらいどっぷりいっちゃったりするかもしんないすから」「あーなるほど」「でもラノベって、当たればでかいみたいなイメージありますしね」「ああ、そうみたいですね」「映像へのアクセス権があるから」「でもちょっともう遅いかな」「やっぱもう飽和しちゃってんすか業界?」「なんか新規参入はちょっとむずかしそう」「なるほど」。
(…)さんにはかつて、というか(…)さんにも(…)さんにも、あるいは(…)にも(…)にもかつていわれたことがあるような気がするのだけれど、いちど変名でもなんでも使っていいからおもいきり売れ線の小説をねらって書いてそれでぼろ儲けしたらいいんじゃないの、それでそのあとはもう売り上げも生活も気にせずじぶんの好きなものを書いたらいいんじゃないのと、そんな提案をされたことが少なからずあるのだけれど、それってでもねらってできることなのかと問われればかなりあやしいと思うし、まずじぶんにはそんなものは書けないだろうという確信が、矜持や意地とは無縁のところではっきりとあって、つまり、そのような作品を構成する文体も習得していなければ構成能力も習得していないじぶんという現実がまずあるわけで、とてもシンプルに技術的な理由から、それはできないだろうと思う。仮にそれに近いものをもし書くことができるとすれば、それは批評的意識を作用させたうえでの執筆を経由してかろうじてなされうるものとしてであって、つまり、ありがちな御涙頂戴な物語、たとえば結核時代の文学にその起源を見てとることもできるいわゆる「難病モノ」にたいするパロディを実践するつもりで、必要最低限の肉付けと骨子のきわめて精確な踏襲という「ゲームの規則」にしたがいながら書けば、案外それっぽいものもできてしまえるんでないかという気もするのだけれど、ただ仮にそのようなパロディックな批評意識のもとで書いたつもりの作品が、しかしシリアスに、そしてベタに受け取られてしまって、しかも反響を呼びおこすということになった場合、じぶんとこの社会との関係は完全に変質してしまうんでないか、そしてその変質はどこまでもそらおそろしく、完璧に不気味な、一種の死刑宣告としてこの身におそいかかるのではないか、そんな不安を先取りして覚えないこともない。ツッコミ待ちで放りだしたつもりのボケがだれにもツッコマれずに受け流されてしまうとき、受け流したそのひとびとの姿さえもがこちら側したらツッコミ待ちの姿勢をとったボケのようにみえるだろう。じつにグロテスクな光景だ。感動的な物語(のパロディ)に感動するひとびと(のパロディ)。世界すべてがこちらの目にはパロディとして映じ、それでいて彼らのほうではいたってシリアスなのだ。狂気と正気をわけへだつ境界線が社会の見えざる手によってひかれるのはおそらくここにおいてである。
(…)さんが朝から弱っているようにみえたのでまたパチンコに負けたのだなと思った。(…)さんも(…)さんもいくらすったかしらないというのだけれど、給料日の二日後にはすでに500円貸してくれとたのまれたと(…)さんはいうし、どうもまたもや全財産なげうってしまったんでないか、今月中に1000円返してもらうのはたぶん無理だろう、(…)さんにいたっては5000円も貸しているのだからじつに気の毒な話だ、そう考えながら帰りぎわの(…)さんをとっつかまえてじぶんたち二人しかいない状況を利用して問いつめてみると、やはり先日パチンコにいって全額すってしまったらしかった。来週には(…)さんの財布を管理しているお姉さんのところにいって、自転車を盗まれてしまったからという名目で15000円借りにいくつもりだというので、家賃やら光熱費やらは(…)さんの給料が銀行にふりこまれた瞬間にお姉さんがあらかじめ確保しているという話であるし(まるで子供みたいなあつかいだ)、また食料にかんしてもやはりそのお姉さん家族が面倒を見てくれているという話でもあるので、まあ15000円あったらひと月どうにか乗り切れるだろうと、なにも無理をいっていますぐ5000円((…)さん)+1000円(じぶん)+500円((…)さん)返してくださいとはいうまいと、そう考えていたのであったのだけれど、当の(…)さんはそんなこちらの気遣いなどつゆしらず、これがやな(…)くん、今度のこの15000円がワシ最後の勝負や、これでもうあかんかったらワシ今後パチンコいかへん、これが最後、まあ楽しみにしとって、(…)くんいっつも腹減った腹減ったいうとるさかい、もう客の残りもんなんか食わんでええようにやな、ワシがうまいお好み焼きごちそうしたる! にひひ! と、歯のぜんぜんない口で笑って去っていったので、駄目なジジイだなー! あいつー! とこちらもつられて笑ってしまった。一連の会話を(…)さんと(…)さんに報告するとふたりともあきれ顔の苦笑いで、もうちょっと先のこと考えて行動せえへんのかなと(…)さんがこぼすのに、まあ先のこと考えるひとやったらそもそもひと殺したりしませんしね、とじぶんと(…)さんのどちらからともなく応じた。
天気予報では夜から雨になっていたのだけれど、帰路はぎりぎり免れることができた。薬局で咳止めシロップを購入し、スーパーでクリームコロッケをふたつ買ってから、帰宅して玄米と納豆と冷や奴ともずくとコロッケと鶏胸肉を茹でたものを角切りにしたトマトの上にのっけてそのうえからおろしショウガとポン酢をかけるだけというしょうもない夕食をかっ喰らった。シャワーを浴びるためにおもてに出るといつのまにかの大降りで、小走りで大家さんのところまで出かけた。郵便受けにクロネコヤマトの不在届が入っていて、伝票を見ると(…)さんの本名が記されており、先日いただいたメールのなかでサインのおかえしにお礼を送るみたいなことが書かれていたのを思い出して(贈与の一撃の絶えることなき応酬!)そうかこれかとなったのだけれど、今日はすでに遅いし明日も仕事だから受け取りは月曜日になってしまう。中身はなんなんだろ、クソレアな書籍だったりしたらどうしよ、とひとりで想像をたくましくしながらふたたび伝票に目を落とすと、[ご連絡欄]という項目に宅配ドライバーのものとおもわれる乱筆でたった一字「豆」と記されてあるのを発見した。せ、仙豆……。『The Best Of Jane Birkin』を聴きながらブログを書いて1時半には寝た。