20140128

 『資本論』において、労働者が主体的となる契機は、商品―貨幣というカテゴリーにおいて、労働者が位置するポジションが変更されるときに見出される。すなわち、資本が決して処理しえない「他者」としての労働者は、消費者としてあらわれるのだ。それゆえ、資本への対抗運動は、トランスナショナルな消費者=労働者の運動としてなされるほかはない。たとえば、環境問題やマイノリティ問題をふくめて、消費者の運動は「道徳的」である。だが、それが一定の成功を収めてきたのは、資本にとって不買運動が恐ろしいからだ。いいかえれば、道徳的な運動が成功するのは、たんに道徳性の力によってではなく、商品と貨幣という非対称的な関係そのものに裏づけられていることによってである。資本の運動に対抗するためには、労働運動と消費者運動との結合が模索されなければならない。しかも、それは現存するたんなる政治的連帯とは違って、それ自体新たな形態の運動でなければならない。
 古典派経済学を受け継いだマルクス主義者は、生産点での労働運動を優先し、それ以外のものを副次的・従属的なものと見なしてきた。それは同時につぎのようなことを意味する。生産過程中心主義には男性中心主義がふくまれている。事実上、労働運動は男性、消費運動は女性が中心となってきたが、それは、産業資本主義と近代国家が強いる男女の分業にもとづいている。古典派経済学の生産過程中心主義は、「価値生産的」労働の重視であるから、それは家事労働などの「生産」を非生産的とみなすことになる。これは産業資本主義とともに始まる差別であり、それがジェンダー化されたのである。したがって、これに対する対抗をもたない「男性的=革命的」運動は、真に国家と資本への対抗運動たりえない。
 一方、先進資本主義国では、そのような労働運動と権力志向への反撥から、「市民運動」が中心となっている。そこでは、女性やさまざまなマイノリティの問題、そして環境問題が追求されている。それは、或る意味で、流通過程中心の運動であるといっていい。一般に、消費者運動は、新古典派の「消費者主権」――「消費者は王様です」という――の理論に根ざしている。それは資本制経済を、消費者の需要を企業がいかに満たすかというところから見る「市場経済」の理論である。だが、「消費者」とはそもそも何者なのか。それは労働者以外の何者でもない。市民=消費者から出発することは、生産関係を捨象してしまうことであり、それはまた、海外の労働者との「関係」を捨象することである。人々が生産過程と流通過程に分離されているかぎり、資本の蓄積運動と資本主義的な生産関係に抵抗することはできない。したがって、資本と国家への対抗運動は、たんなる労働者あるいは消費者の運動ではなく、トランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動でなければならない。
(柄谷行人トランスクリティーク――カントとマルクス――』)



12時半起床。11時かそこらにいちどめざましで起きたが、迷うことなく二度寝を選んだ。暴飲暴食のたたっていくらか腹の底の重苦しい起き抜けである。おもてで歯をみがいていると良い日和だった。部屋にもどりストレッチをしてからギル・エヴァンス『The Individualism Of Gil Evans』を聴きながら(…)さんにいただいた豆菓子とバナナとコーヒーの朝食をとった。二杯目のコーヒーをいれるためにおもての水場で湯が沸くのをまっている間ベンチに腰かけながらなにげなく頭上を見やると、隣接するマンションのベランダで巻き髪の若い女性が洗濯物を干している姿が認められ、あそこから見下ろしたうちの建物はどんなだろうかと思った。物置小屋か納屋の林立めいて見えるにちがいない。郵便受けに電気料金の明細が入っていたので見てみると4700円にも達していてぎょっとした。(…)の滞在しているあいだあれほど冷房をつけていたにもかかわらず2000円少しですんだ電気代、それに味をしめて冬になってからというもの自室滞在中は設定温度18度ながらもほとんど点けっぱなしであった暖房のそれでも3000円の大台に達することは決してなかったその電気代が、なぜいまここにきてこれほど跳ねあがることになるのか! やはりこれまでのほうが異常だったのか? こんなにも旧型のエアコンをフル使用して電気代が3000円に満たないほうがおかしいといえばずっとおかしいのだから。と、こう書いたところでひとまずフィルターの掃除だけでもしておこうと思っていま、水場に立ってフィルターを真水で洗いながしながらタワシで軽くさすってみたところ、真っ黒な埃のねじれて丸まったのが垢のようにぼろぼろととれた。部屋にもどってバスタオルで水気をぬぐってからドライヤーで乾かしてふたたびセットした。これでよし。しかしそのような作業をする前にまず『グレゴリオ・アレグリ:ミゼレーレ / ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ:モテット集』を聴きながら昨日づけのブログを書いたのだった。記憶の半ば欠落している一日を翌朝日記として書きしたためる作業はけっこうつまらない。クラウディオ・アバド(ついこのあいだ死んだ)指揮『ムソルグスキー展覧会の絵』も続けて聴いた。ラヴェル編曲の管弦楽版も同時収録されている。読書メーター効果なのか、紙本がまたあらたに一冊売れていたので、いよっしゃあとなった。
16時半だった。じつに中途半端な時間であった。こういうときはたまっている抜き書きをこなすにかぎる。ゆえに大岡昇平『俘虜記』の抜き書きにとりかかった。BGMはKanye West『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』とThe Sea And Cake『One Bedroom』。半分ほど終えたところで腹が減ってきたものだから飯を食う前に筋トレをしなければと、ずいぶん長引いた咳風邪であったけれど今朝起床したときにまったく痰がからんでいないことに気づいたのでこれは完治したなと判断をくだしたそういう経緯での筋トレ再開で、ひさびさにダンベルを使って腕と肩まわりの筋肉を酷使した。酷使している途中でおもての引き戸を叩く音がして、大家さんだったらノックなどせずにいきなりガラガラっとやるのが習いであるし、宅配物の場合は(…)さーんとこちらの名前を呼びながら軽くノックするひとが大半であるしで、それじゃあこの無言のノックはいったいなんだろうと思って引き戸をあけてみると(…)さんがいたものだからうわっと声をあげて驚いてしまった。(…)さんは昨夏ちょうど(…)がうちに滞在している期間中に日本を発って中国に渡ってそんでもってむこうの大学で日本語講師をしているはずで、お茶屋さんでいっぱい千円以上する最高級の抹茶を(…)と飲んでいるときにたしかいまから日本を発つところだと出国前の電話があって、それでそのとき別れの挨拶を交わしたそれきりだったわけだから四五ヶ月ぶりの再会ということになるんだろうけども、帰国したんですかとたずねるとちょうどいま中国は旧正月でその期間を利用して一ヶ月ほどの滞在予定で日本にもどってきたのだという。せっかくの旧正月なのに満喫しないのもしかしもったいない話ではないかと思ったのだけれど、旧正月自体はちょうど一年前に(…)さんの実家を訪問するかたちで体験してあるからいいんだということで、大阪の実家で数日過ごしてきて京都には今日来たばかりだというのだけれど、出国前に世話になっていたデパ地下のバイトのひとたちに連絡をとったら人手が足りてないし来なよと誘われたとかなんとか、ゆえにこれから一ヶ月ほど京都の友人宅に寝泊まりさせてもらってバイトに通う、つまり、京都を拠点として過ごすということだった。仕事のほうはどうですかとたずねてみると、週に三日しか授業はないしその授業にしたところで二時間程度であるし楽といえばむっちゃ楽だという話があって、それにもかかわらず日本円に換算して月給は7万円ほどあるらしい。それに物価が安いのと家賃の支払いが不要というのがあるそのおかげで月に5万円は貯まるとか、なんかそんな話を聞いているとほとんど天国みたいな環境ではないかとさえ思われてきて、こちらが無職であると知るなり日本語教師にならないかと誘ってくれたメーホーンソーンのタイ人女性からいただいた名刺はたしかまだあったはずではなかったかなどと考えてしまうのだけれど、当初は二年かそこらの滞在予定だったのだけれどやはり異国は見るものすべて新鮮でおもしろいし生活も充実しているしでこのままずっといてもいいかなと最近は思いもすると(…)さんはいった。いちど屋台街みたいなところを大学の生徒といっしょに歩いていると、前方からものすごい勢いで駆けてきて(…)さん一行の脇ぎりぎりを過ぎていった男がいたらしくて、なんなんだろと思ってその男の来たほうを見やると、豚とか牛とかを解体するのに使うような巨大な包丁を手にした男がものすごい形相を浮かべて走ってきてやはり(…)さんの脇を通りすぎていき先ほどの男のあとを追いかけていって、なんなんだいったいこれは!!と思って生徒にたずねてみると、たぶん喧嘩にでもなったんでしょうみたいなことをさらっと言ってみせ、そしてそれだけで、周囲を見渡してみても道ゆくひとびとみんな平静で、要するにそんなの日常茶飯事ありふれた光景にすぎません的なスルーっぷりで、前から出刃包丁持って男が走ってきたときはほんとビビったけどそのあとのみんなの平然としたリアクションにも同じくらいビビったよねーと、そんなふうに語る(…)さんを前にしているとどうしてじぶんはべつだん思い入れのあるわけでもないこの街にこんなにも長い期間居着いてしまっているのか、いますぐどこかワケのわからない土地、たとえばもう何年も前から計画している西成への移住を今年こそ開始すべきなんでないかと、たびたび鎌首をもたげる欲望と焦慮のほどよくブレンドされた熱にまた浮かされてしまう。小説のほうはどうとたずねられたので、ちょうどいい機会だと思って、『A』の紙本をプレゼントした。初稿を書きあげてまもない時点からずっと読ませる読ませるとはいいながらもしかしなんだかんだではぐらかし続けてきたので、その分の埋め合わせとしての献本である。いい表紙だねといわれた。あたらしい表紙案を作成するたびにサンプル本を取り寄せていたそのために表紙の作成だけでも実質一万円くらい費用がかかっているので、装丁を褒められるのはけっこううれしい。筋トレの途中だったし今日はもう時間割を組んだあとだったので立ち話はその程度で切りあげることにして、また飯でも食いにいきましょうと約束してから筋トレの続きにもどった。
筋トレを終えてからはスーパーに買い出しに出かけた。20時近かった。ルーがまだ半分残っていたのでシチューを作るつもりでその材料を買いに出かけたのだけれど海鮮巻きが半額になっていたので迷うことなくそちらをとった。それで帰宅してから海鮮巻きと納豆と冷や奴とインスタントのみそ汁とめかぶの夕食をとり、シャワーを浴び、ストレッチをし、さてそこから夜の部というはずだったのが、YouTubeでBGM検索しているときに見つけてしまった『超魔界村』のノーミスクリア動画みたいなのが問答無用の磁力でこちらの指先とまなざしの双方をひきつけるのであらがうすべもなく従い、われにかえるとすでに0時近かった。それから気をとりなおして本日の夜の部は英語なのだけれどあまり時間はないことであるし発音練習はひとまずサボることにしてとうとう文法問題集に着手することにした。二冊あるうちのとりあえず簡単なほうからはじめることにして、大学受験用の問題集なのだけれど、これが思っていたよりもずっと楽チンで九割くらいは外さずにいけるものだから、ひょっとしておれは案外文法が頭に入っているんではないかと思った。というか(…)来日前の三ヶ月で集中的にこなした瞬間英作文のおかげでけっこう身体感覚として文法の基礎がたたきこまれているのかもしれない。となればあとはその身体感覚でなんとなく習得してあるものに理論的な裏打ちさえほどこしてやればいいわけで、ゆえに一問一問解説をゆっくり読みながら進めた。この二冊をそれぞれ10回くらい通してやればたぶん文法はオーケーだろう。そう考えるとなんかいっきに先の見えてきたような気がする。あとはもうボキャブラリー増やすだけの問題ですみたいな地点に到達するまでの道がいっきに開けたような。