片山のところに召集令状がやって来た。精悍な彼は、いつものように冗談をいいながら、てきぱきと事務の後始末をして行くのであった。
 「これまで点呼を受けたことはあるのですか」と正三は彼に訊ねた。
 「それも今年はじめてあるはずだったのですが、……いきなりこれでさあ。何しろ、千年に一度あるかないかの大いくさですよ」と片山は笑った。
 長い間、病気のため姿を現わさなかった三津井老人が事務室の片隅から、憂わしげに彼らの様子を眺めていたが、このとき静かに片山の側に近寄ると、
 「兵隊になられたら、馬鹿になりなさいよ、ものを考えてはいけませんよ」と、息子にいいきかすようにいいだした。
原民喜「壊滅の序曲」)



11時起床。歯を磨くためにおもてにでるとすばらしくよい天気だった。鴨川で読書するのに絶好かとも思われたが、あいにく昼の部は執筆である。部屋にもどってBrian Eno『Another Day On Earth』を流しながらストレッチをし、パンの耳とバナナとコーヒーの朝食をとった。
16時まで「偶景」作文。231枚。BGMはグレン・グールド演奏『バッハ:ゴルトベルク変奏曲(1955年・1981年)』とウラディミール・ホロヴィッツ演奏『スカルラッティソナタ集』と麓健一『「美化」』。先日あった交通指導の婦警とのやりとりを追加したのだけれど、ブログの記述から「偶景」仕様に書き直すにあたって思いのほか手こずった。文章としては洗練されたが、さまざまな感情が競り合っておりなすとりとめのなさの質感と混乱の印象は失われてしまった気がする。文章というフォーマットの原理的に有する直列的な軌道に敗北してしまったのかもしれない。良くも悪くも感情を一本化してしまった。
このあいだ図書館で借りたリムスキー=コルサコフスターリンをインポートしてから家を出た。あたたかい夕暮れだった。これぞ夕方の景色といわんばかりのどこか郷愁感のあるなつかしくさみしくそれでいて幸福の予感にみちた空気だった。春の近いことが皮膚感覚で理解できる瞬間というのはじつに気分のよいものだ。ゆえにイヤホンを耳から外して図書館まで大回りして歩くことにした。地下鉄の入り口でチラシのようなものを配っていた女性がいて、こんなへんぴな駅でまためずらしいと思ったのだけれど、お願いしますと差し出されたものに目も向けずただぺこりと無言で一礼だけして通り過ぎる、この仕草をいったいいつどこでじぶんは身につけたのだったろうか、いったいだれの影響を受けてのマナーであったかと考えたのだけれど、ぜんぜんわからん。でもだれかの影響であることはまちがいないという確信がある。いっしょに街を歩いているだれかがそうしているのを見て、ああこれはすばらしいと思って真似しはじめた記憶のようなものがぼんやりとあるのだ。
病院のそばにある路地からスケボーに乗った少年がガーっとこちらの歩いている大通り沿いの歩道に進入してきたはいいものの歩道は上り坂で、ゆえにすぐに失速して、ぐねぐねぐねぐねしばらくスケボーの上で弾みをつけようと苦心していたようであるけれどやがてあきらめて地上におりたち、それからスケボーを手にとって小脇にかかえて車道と歩道をさえぎる背の低い鉄柵にもたれかかるようにしてから背後にいるこちらのほうをちらりと見るその目の得意げな感じがちょっといいなと思った。「偶景」にしたいとは思わない。むしろ映画に撮りたい光景だった。
葉のない街路樹のほそい枝ぶりの幾層にも重ねられてあるのが背後の夕焼けに照らされて黒々としたシルエットの奥行きのない一面として結実しているのをぼんやりながめているうちに、樹木というのは大地を境目として上下対称のかたちをしていると大雑把にいってしまうこともできなくもないんだなと思った。それからバオバブの木を思った。これはちょっとがんばれば「偶景」になるかもしれない。街路樹のたちならぶその通りをぼちぼち歩いていると前方からゆっくり走ってくる自動車の屋根につけられたスピーカーがあたりいったいの路駐禁止であることを告げる音声を延々と流していて、ときおり子供にたいする犯罪がうんぬんみたいな音声も混じっていたのだけれど、こんなところに路駐なんかする車あるかよと思ったまさにその矢先、じつに十台以上の車が路駐していて、なんでこんなところにふしぎに思っていたのだけれどどうも近所にある小学校か中学校に通っている子供らをむかえにやってきた父兄らの車のたまり場みたいなアレになっているみたいで、子供にたいする犯罪うんぬんの放送とあわせて納得がいった。その先にある交差点ではおしゃれな服装をした男がおしゃれな自転車に乗って信号待ちをしていたのだけれどその間ずっと震度6くらいの貧乏ゆすりを激しくくりかえしていてこれはまったくもっておしゃれでなかった。
図書館ではクラシックのCDを2枚返却してクラシックのCDを2枚借りた。建物の外にでて来た道をそのまま引き返すのも芸がないというかこれはかつて(…)と共有していたある種の掟であるのだけれど、たとえ徒歩一分のコンビニに出かけるだけであっても行きと帰りはなるべく別の道をゆくことにしようと、こう書くとまるで田舎の葬式のようでもあるけれどそういうのがあって、いまだなおふしぎに遵守するじぶんがいるというかそりゃあそれほど多くない外出の機会なのだからせめて往路と復路くらいは別々のルートをたどって町歩きを謳歌したいというのが人情というもので、それだから帰りは別のルートをたどったのだけれど、たとえばどこにいくにしても行きと帰りは別々の道をゆくじぶんの外出とはつまるところ常にたったひとりの葬列であり葬送なのであると論理をこじらせてみせることもできる。これはしかし「偶景」ではまったくない。むしろ「邪道」で死ぬほど用いた論法のひとつだ。
数値上の気温が高いか否かではなくてここ数日のなかではひときわ暖かいという相対的にぽかぽかする今日みたいな日の夕方を歩いてすごすというのはなかなかにすてきですばらしくて、油断すればすべての野心が蒸発していくかのようでこれはこれである種の危うさをおぼえないでもないのだけれど、ヘロインの多幸感というのはひょっとするとこういう感じなのだろうか。あるいは痴呆症に多幸感がともなうことがあるとしたらきっとこれに似たものではないだろうかと彼らのときおり浮かべる弛緩しきった表情を思いながら考えた。スーパーの近所をあるいていると散歩中の白犬が飼い主の制止をふりきる勢いの興味津々っぷりでこちらに近づこうとして駆け寄ってきたのだけれどロープがぴーんと張って接近はかなわず、散歩中の犬が寄ってくると動物に愛されている男という感じがしてちょっと鼻が高くなる。ロープの握られた手元にぐっと力をいれられてある様子からも飼い犬のふるまいをしかと観察しながら道行く周囲に配慮してあることのあきらかな大学生くらいの男の飼い主さんであったのだけれど、そのような配慮とはどことなく折り合いのわるく思われる極端なまでの伏し目がもたらす無愛想きわまりない表情がほとんど敵意のような色さえ浮かべているようにも見えて、いぜんの職場でもたびたび似たような目つき顔つきに出くわしたものだけれどオタク臭のするひとたちの大半はおそらくは自意識に由来するであろう過剰なまでの表情の凝固によって多分に損をしていると思う。これもがんばれば「偶景」入りできるかな。
買い物をすませてからはいつものルートをたどって帰宅したのだけれどいつもでは全然なかった、葬式をやっていた、玄関の引き戸が二枚ともはずされて玄関どころかその奥に続く次の間さえ丸見えになった家のそれでいていたるところが白い布で覆われていて床から壁から真っ白でそのなかでうごめく二三の人影の真っ黒な喪服であるこの光景にはさすがになかなかの凄みがあった。儀式というのは凄みがなければいけない。じつに見応えのあるものでいかにも伝統的な葬式という感じがしたのだけれどそれでもふしぎに土臭くはなく、これは寺山修司ではなく大島渚だなとぼんやり思った。
帰宅してからストレッチをしてジョギングに出かけた。長引く咳風邪のせいでずいぶんご無沙汰だったが、やはり走ると気持ちがいい、肩や首や腰やの血流のとどこおって硬くなっていたのがじわじわとほどけていくような感じがあって、これでまたしっかり書くことができると思うとこころなし歩幅もひろくなる。走りながら灰野敬二『In The World』を聴いていたのだけれど途中でこめかみからしたたりおちた汗が耳とイヤホンのあいだにしみこんで、すると途端にまるで水中にあるかのように物音がくぐもり、これ以前も同様の経験をしたはずであるのにそういえば「偶景」として採用していないと思って、(…)が滞在していた夏のあいだもそうであったけれど「偶景」を、あるいはこれはブログに置き換えてもいいのかもしれないけれども、それらを書かずにいると日々の解像度が目に見えて落ちてしまう。それじゃあいけない。単調な日々のひとことで片付けちゃあ芸がない。マクロの差異をかきわけてもとめてそこにたしかな官能を認めなければいけない。感受性と認識は同義である。
最後の直線だけ歩いた。肩でぜえぜえ息をする程度には疲れた。帰宅してから風呂場でシャワーを浴びた。だれのものともしれぬ石けんがあったので、ちょうど手持ちを切らしているところだったものだからこれ幸いにと使わせてもらった。大家さんが扉越しになにやら言っているのが聞こえたのだけれどシャワーの水音でまったく聞き取れず、でも風呂に入っているこちらに声をかけるときというのはおうおうにして差し入れのあるときなのでたぶんそうだろうと思っておもてにでるとはたしてそのとおりで、もなかがひとつこちらの着替えのうえにぽつねんと置かれてあった。
部屋にもどり『The Stalin Best』(なぜかiTunesでは『The Stalin Bast』としてインポートされている)を聴きながらストレッチをし、それからシチューをこしらえて食ったのだけれどあまりもののカボチャを腐るほどぶちこんだためにほとんどパンプキンスープみたいな味になっていてべつにそれほど美味くねえ。チェンマイのマッサージ店で食ったパンプキンスープは絶品だった。あのマッサージ店を(…)は昨夏もおとずれたらしいのだけれど、術式創始者のいかにもうさんくさい男性(この男の手になる書物を二年前の夏に(…)は高い金をだして購入していたのだけれど中を見てみると波動がどうの気がどうのタオがどうのとアジア被れの西洋人を釣るにはうってつけの無数のスピリチュアルワードを並べまくっただけのカス本で術式の方法とその理論にしたところで噴飯ものだった)がマッサージ中、そんな必要はまったくないと答える(…)にむけてそれでも何度も苦しかったらブラをとってもいいんだよと耳元でささやきくりかえし、あげくのはてには“You can touch my muscle”だか“You can touch my body”だかいきなり言い出したとかでさすがにそれを受けてこいつインチキだわただのエロ仙人だわと(…)もなったらしいのだけれど、そういう経緯があったものだから去年の夏は“You can touch my muscle”がわれわれのフェイバリットフレーズで、若干エロい雰囲気になるたびにどちらからともなく言い出すのがならいであった。つまり、口にしない日はほとんどなかった。
デニス・ラッセル・デイヴィス指揮『ストラヴィンスキー管弦楽作品集』を聴きながら途中で20分程度の仮眠をはさみつつ『三つ目のアマンジャク』の続きをぽつぽつ読み進めた。作中で「トンコ節」の歌詞(しかしじぶんの知っているものとは微妙にことなる)らしきものが出てきたのでなつかしくなってこの楽曲の収録されている『ラジオ深夜便にっぽんの歌こころの歌9 懐かしのメロディスタンダード(戦後編)』を聴きながらここまでまとめてブログを書いた。もう何年前になるのかわからないけれども例のごとくインプロヴィゼーションで書いていた長編小説に「トンコ節」を登場させてしまったそのためにこの楽曲の作詞者である西條八十を登場人物のひとりとして登場させねばならぬはめにおちいってしまい、それで詩人当人の手になる書物一冊と彼の伝記一冊とを図書館で借りて読んだ覚えがあるのだけれど前者を読んでいると俗物根性丸出しのいかにもつまらない人間でそのつまらなさがむしろ一周しておもしろかった記憶さえあるのだけれど、あの小説もたしか300枚かそこらでボツにしたのだった。ごみの日の前夜にゴミ捨て場に捨てられたそのゴミたちがそれぞれの出自とかつての持ち主の経歴について語るなかでアメリカ独立戦争やら西條八十の時代やら果てはその小説を書くこの身の上をすらも包括する壮大な群像劇がじわじわとかたちづくられていくみたいな大長編のつもりだったのだけれどあるときこれ書いてても読んでてもクソつまらんと気づいてそれでそっこうで荼毘に付した。ボツ、ボツ、ボツ、ボツ!まったくもって死屍累々の八年間だ。まともに仕上がった小説なんて五本もない。だれの目にも触れることなく捨てた原稿は2000枚じゃきかないだろう。文章にたいするこだわりのなかったむかしはいまよりずっとたくさんはやいペースで書けた。それこそ当時の小説の執筆というのはこのブログの書きなぐりに感覚にとてもよく似たところがあったような気がする。力を抜いて手癖を全面的に解放してあとは勢いのままに書きなぐる。まったくそのまんまだ。だから一日15枚とか書くこともできた。それがいまじゃあ一日1枚もめずらしくない体たらくだ。余生がいくらあっても足りない。金で買える命はどっかにないか。
今日は朝から左のこめかみあたりに嫌な痛みがあってこれたぶん脊椎症に由来する一種の頭痛みたいなもんだと思うのだけれど邪魔くさくてしかたない。痛み(とその鬱陶しさ)のあまりときおり表情がゆがむ。ダンテに地獄をめぐらせたものはベアトリーチェにたいする愛か? ちがうな。ポエジーの探求と書くことにたいするパッションだ。ACO『Mask』を聴きながら歯をみがいて寝た