20140204

 二十年ぶりで読み返すイエスの一代記は無論少年の時とは全く異った感銘を与えた。彼に荒唐無稽な医療的奇蹟を仮構するほど無智な弟子の筆にも、これだけ生々とした生き身の人間の跡を伝えしめたイエスの人格には、たしかに神の子と呼ぶのが最も適わしい力と天才があるのを私は認めたが、と同時に彼の思想が野蛮な「この世の終わり」の期待に貫かれているのを見て驚いた。十三歳の私はこういうバーバリズムはどう考えていたのだろうか。何の記憶もない。そしてかつて私の心に滲み通ったらしい愛の教義も、今は単なる最上の天才的な表現として私を感嘆せしめるだけなのである。私の心が被った鎧は既にかなり厚い。
「心の貧しき者は幸なり」その他彼の力強い教えは私にはすべて逆説と映った。「敵を愛せ」と彼は教えるが、何が敵であるかを示していない。そして私の理解するところでは、逆説とは常に弱者の論理であり、何等かの意味でその反抗する通念への服従を含んでいる。「カイゼルのものはカイゼルに返せ」が彼の唯一の現実的な教訓であるが、彼のいう「神の国」が直ちに来ないならば、これほど意気地のない教訓はない。だからカイゼルは彼の宗教を採用し、カイゼルはますます栄えたのである。
 私は憂鬱に十三歳の私が既に逆説に惹かれる傾向があったことを確めた。キリスト教は私にとって智慧の目覚めであったが、その時から私が逆説の趣味を持っていたとすると、その後私が常に何かに反して考える習癖があったのは偶然ではない。そして私がいつまでも単に考えるに止っているならば、私は遂に一個の卑怯者にすぎないだろう。
大岡昇平『俘虜記』)



10時起床。さみーね。歯をみがくためにおもてに出たところ快晴の空からそれでもちらつく雪があったので洗濯物を室内に取り入れた。きのうのジョギング中に右足のふくらはぎに痛みをおぼえたのだけれど今朝になっても痛みはひいておらず、どうも筋がたがえてしまったような感じの痛みで、これがたとえば重傷化したさきに肉離れというやつがあるのかなと思った。ヒラリー・ハーンサミュエル・バーバー:ヴァイオリン協奏曲/エドガー・メイヤー:ヴァイオリン協奏曲』を聴きながらチーズトーストとコーヒーの朝食をとった。
11時半より松下清雄『三つ目のアマンジャク』の続きを読みはじめた。BGMはマウリツィオ・ポリーニベートーヴェン:ディアベリ変奏曲』とエリック・ドルフィー『Berlin Concerts』と『Cage, Carter, Schuller, Babbitt』。きのうから第二部にさしかかっている。すごくおもしろい。使えるネタはないかと目をこらす盗人のまなざしとも勉強させていただきますとのばした勉強家の背筋とも理由はともかく読まなければとせわしなくこちらを駆りたてる審判の義務感とも無縁の、ただただ続きを読みたいというとてもプリミティヴな欲求につきうごかされている。絶えてないことだ。
15時になったところで歩いて近所のスーパーに出かけた。いつもより二時間ほど早く家を出たためか、風景がいくらか異なってみえた。日が落ちていないのはさることながら、なんせ人影がどこにも見当たらない。通りを歩いているとじぶんの足音以外にはなにひとつ空気をふるわせるもののない間延びした時間のなかにある身をふと自覚することがあり、するとふしぎに小学生時分を思い出す。家でなにもすることもなくただゴロゴロしていたあの気だるさがよみがえり、いい気分であるとは決していえない感情の複雑さに無関係な記憶までもが同一の色調に染めぬかれそうなあやうさをおぼえる。油断すればヘリコプターのばたばたすら空耳しかねない。あの音、退屈のシンボルとしてインストールされている。
快晴の空ではあったが、身を切る風のところどころにたんぽぽの綿毛のような雪が右往左往していた。あるかなしかの軽くて小さな雪であるため、風のささやかな動きのひとつひとつに素直に影響されて宙を泳ぎ、羽虫のようだと思った。思ったそこからひるがえって、羽虫というのはそれ相応に立派な翅をもってはいるもののあれでいて案外好き勝手飛行することなどままならないんでないか、われわれ人間の歩行が大地ありきで成立するように、風の流れありきで成立するのが彼らの飛行ではないかと思った。
買い物を終えての帰路、買い物袋をさげた裸の片手がさむく、もう一方の手はコートのポケットにつっこんでいるのだけれど袋をさげたほうの手はそうはいかないから、手袋をもってくるのを忘れたことを悔やみつつ、せめてもの抵抗という具合にコートの袖をひっぱりずりさげてその内側に指先をひっこめたのだけれど、こういうのって三十路間近のおっさんがするスタイルでないんでないか、女子高生だけにゆるされた特権なんでないかと思われて、ちょっと恥ずかしくなった。やめなかったけれど。前から歩いてくる大学生くらいの女の子がランドセルを背負っていることにすれちがいざまに気づいて大学生じゃねえ小学生だとびっくりした。(…)といちど、というか何回かおとずれているはずなのだけれど京都駅の伊勢丹に冷やかしにいったとき、たまたま見つけたランドセルの販売コーナーで彼女は歓声をあげて、わたしこれがずっと欲しかったのよ、日本のキッズが使っているバッグなんでしょ、わたし知ってるわ、amazonで検索したらすごく高くてびっくりしたのよ、きっと輸入の手間賃のせいであんなにも高価なんだわ、だから日本で直接買えばもっとずっと安くですむってわたしここに来るまえに考えていたのよ!とかなんとか、でもじっさいランドセルはどれもこれも高くて革製品なんだから当然なんだけれど、実物を前にした(…)はその価格帯にしょげかえりながらもこれだけ頑丈だったらでもしかたないわねといった。ランドセルというのはじっさいかなり高くて、じぶんが小学四年生に進級するときに弟が新一年生として小学校に入学してきたのだけれど、入学式直前に母親がやばいやばいとしきりにこぼしていて、たずねてみると弟のランドセルを買う金がないという。で、それだったら(…)(弟)はぼくのを使えばいいといってランドセルを差し出し、でもあんたどうすんのという母の問いに、家庭科の授業か何かで自作したばかりのナップザックを掲げてこいつで行くと宣言し、そしてそのとおりになったのだけれど、むろんナップザックでの登校は校則違反であるというか、厳密にいえば(当時はまだ休日でなかった)土曜日であったり始業式や終業式のある日、ようするに半ドンの日だけはナップザック登校が許されていたのだけれどそれ以外は駄目で、当然のことながら担任教諭にもどうしてナップザックなのと進級するたびごとに指摘されたのであるけれどそのたびごとに母親の入れ知恵というかもし先生にたずねられたらこう言いなさいの魔法の文句「うちは貧乏なのでランドセルは弟にあげました。でも先生があたらしいのを買いなさいっていうんだったらあたらしいのを買うことにします」を念仏することによって(当時のじぶんは「あたらしいのを買うことにします」とまでいいきってしまうのは危険でないか、墓穴を掘ることになるだけではないかと再三母に魔法の文句の訂正を提案したのであったが、母はそのままでかまわないといってきかなかった。そしてヒゲのはえたおっさんとなったいま、母のしたたかな作戦は完全に正しかったと思う)、残り三年間を(…)市立(…)小学校の全校児童のうちただひとりのナップザックボーイとして過ごすことになって、異常なほど目立ちたがり屋の外弁慶だった当時のじぶんとしてはそれ以上に誇らしいことはなかった(上級生になにやらからまれたり「ちょっと男子ー!」系の女子やらになにやらいわれたりしたこともたびたびあったはずだが、気のつよいクソガキだったので「うるせえアホ!」のひとことですべてのりきった)。母はしきりにあんたは弟思いのやさしい子やなと口にしたが、当時は家計の深刻さに気づいておらず貧乏という言葉にしたところで母の口癖みたいなものとしか思っておらずぜんぜん本気にしていなくて(実家が学区のはずれにあったそのためによその家をおとずれる機会がなかった、つまり比較対象をもたなかったことが幸いしてのんきに小学生することができた、はじめて危機感をおぼえたのは母親から貯金通帳を見せられた中学生のときだ)、ただナップザック登校がゆるされた特権を五感で堪能し全身で享受していたあのころのじぶんは完璧にヒーローだった。児童会の会長だったしテストいっつも100点だったしそんでもって女子にもよくモテた!
帰宅してから玄米・納豆・冷や奴・豚肉と白菜を昆布だしと塩こしょうと酒とにんにくとしょうがでタジン鍋したしょうもない夕食をかっ喰らい、ウェブ巡回し、そうして仮眠をとった。めざめると19時で、コーヒーを飲んで一服したのち、19時半より英語の発音練習をはじめた。ぴったり一時間で終わったので、ダンベルを用いて筋肉を酷使し、シャワーを浴びた。部屋にもどり、ストレッチをして、朝起床してわりとまもないうちからなんとなくそうなるだろうと見込みとも計画ともつかぬものを見据えていたそのとおりにサイゼリヤにむかうことにしたのだけれど、家を出るという段になってケッタの鍵がぶっ壊れていることに気づいて、いろいろといじくってはみたもののちょっとどうしようもない感じであったので、しかたなしにタイ・カンボジア旅行前に100均で購入したチェーンをあたらしいロックとして用いることにして、それでサイゼリヤに出かけた。
到着すると22時半だった。そこからドリンクバーひとつで1時半まで粘り、ひたすら文法問題を解きつづけた。サイゼリヤのコーヒーは犬の小便のまじった泥水のようなにおいがするので飲みたくなかった。ゆえに紅茶をカップに一杯だけ飲んだが、それだけだった。場所代だ。作文と読書は問題ないのだが、英語の勉強はモチベーションとテンションの維持がむずかしいので、たまにはこうして外に出て作業するようにしないといけないと思った。じじつ、今日はすごくはかどった。ファミレスはテーブルをたっぷり使うことができるし、隣席との距離もあるしざわざわしてもいるので、多少ぶつくさ口頭でやってもなにひとつ問題ない、そこがすごく勉強にうってつけだと思う。文法の解説を読んでいると、感覚というか勘というかなんとなくたぶんこれだろですませてきたものにすべて理論的な裏打ちがあることにおどろいてへえーとなりながらも、でも七面倒くせえなSとかVとかCとかOとか他動詞とか自動詞とかなんだよそれっとすぐに辛抱をきらしてしまい、どのみちだいたい正解してるんだしもういいだろというアレで結局感覚頼りのままでいこうというところに落着する。とことん帰納法的な人間なんだと思う。経験主義者だ。
隣接するフレスコで半額品のカニクリームコロッケを買ってから帰宅し、冷たいコロッケを喰らい、Cut Copy『Free Your Mind』を聴きながらブログを書いた。昼頃にこれまでにないまったくあたらしい小説の語りをひらめいたのだけれど、その語りをいかすための舞台装置がまったくもって見えてこないので書き出せない。小説を書き出すまえっていつもこうだと思う。技術的なアイデアは次々と出てくる。だがそれをいかすための物語がそのひらめきにともなってくれない。