20140207

以下の私の記述が刻明な観察に基づくと思わないで戴きたい。私はただ漠然たる記憶を刻明に辿っているだけである。
大岡昇平『俘虜記』)



夢。夜の異国にいる。アメリカの郊外のようである。MVを観ているような視線にたっているが、同時にじぶんは出演者のひとりでもある。背丈の高い黒人の男を相手に延々とラップをしている。それどころかトラックさえじぶんの口から奏でているようにみえる。さらにはときどき踊りくるう。狂熱的にトランスしていく意識と身体がある。外車の何十台とならんで止められてある駐車場に白い特攻服を着た暴走族の集団が入ってくる。なにかしらの必要から車と車のあいだに身体を伏せて身をひそめていたが、はじまった乱闘を見ているうちに我慢できなくなり、その場に踊りでていく。鉢植えで朝顔を飼育するときに用いるあの細い緑のプラスチックの支柱のようなものを剣として、『A』にでてくる大佐の館の大広間らしきところで敵も味方もない大混戦をくりひろげる。そうこうするうちに湖畔にたどりついている。エリック・ロメール『友だちの恋人』にでてくる土地にすこし似ている。斜面になった水辺のふかふかとした草のしとねにずらりとならんで腰かけたり寝そべったりしている西洋人らのなかにまじって黒人の男とふたりやはりならんで腰かけている。ふりかえると城のように巨大で威厳のある建物がそびえたっている。壁面のいちばん目立つところに時計がしつらえられてあるさまに学校だと思う。壁面には同様になにやらアルファベットで書き記されている。それがリトアニア語だとわかる。それでもなおじぶんがいまどこにいるのかわからないふりをしていると、ここがどこかおまえわかるか、びっくりするぞ、後ろをふりかってみな、と黒人が真っ白な歯をむきだしにしていう。ふりかえるとSがいる(認識上は(…)であるが、しかし外見は少し異なった雰囲気のブロンドだった)。彼女はじぶんのとなりに腰かけていつものこもった声でハローという。
夢。長机の一列にならべられてカウンターのようになっているこちら側に(…)(美容師)といっしょに控えている。するとじぶんの右となりにギャルギャルしい匿名的な女がひとりあらわれて声をかけてくる。いわく、あなたのブログを知っている、定期的に読んでいる、と。さわがしく軽薄なタイプの人種であるように思われたので、適当に相づちを打って興味のないふりをよそおいながらこちらから離れてくれるのをじっと待っていると、やがてカウンターの向こう側にひとりの匿名的な男があらわれる。全体的にぽっちゃりとしており、脂ぎって黒々とした長い前髪に瞳を隠した、旧世代のオタクのような容貌である。その男が女にむけてなにやら復縁をせまるらしい言葉を投げかけはじめる。いくらか気まずげに、そうして多少はいじらしく対応してみせる女のようすに、いかにも対照的なこのふたりの過去の交際が事実であったらしいことの驚きをおぼえる。すると男がとつぜん刃物をとりだしてかまえてみせる。瞬間、その刃物をつかんだ手にむけて蹴りを入れるべきだと反射するところがあり、カウンターのこちら側にのびてあるその手に、というか刃物に直接むけて中段回し蹴りを放つ。刃物がこちらの狙ったとおり男の手から離れて飛んでいったのを確認したところで、カウンターの上にのぼって立ち、ちょうどこちらの股間の高さにある男の頭をつかんで鼻っ柱に膝蹴りを何発か入れる。夢のなかの運動がしばしばそうであるようにいまひとつ力の入ってくれないのに業を煮やして、男の後頭部を髪の毛ごとひっつかみ、それをそのままカウンターの盤面にたたきつける。たたきつけたところで掛け布団と毛布をまるめてごちゃごちゃにしたものを抱きかかえて畳のうえにパワーボムをきめるような姿勢でどーん!とやっている夢遊病じみたおのれのふるまいにはっとなって目がさめた。
10時半起床。さみーね。歯磨きしてストレッチをしてトーストとバナナとコーヒーの朝食。夢を記述したのち松下清雄『三つ目のアマンジャク』の続きを読み進める。BGMは『リムスキー=コルサコフ:交響組曲シェエラザード》/ラフマニノフ交響詩《死の鳥》』とDerek Bailey & Agusti Fernandez『A Silent Dance』とAndrey Kiritchenko『Sinemagiq』とStuff『Stuff』と『The Velvet Underground & Nico』。とちゅうアホみたいにニンニクをすりおろしてぶちこんだマルタイラーメンをかっ喰らいつつ17時まで延々と読みすすめ、若干の眠気を覚えたので30分の仮眠をとるつもりがまたしてもごめん寝でプラス30分の計一時間にわたる仮眠をとってしまい、結果ものすごく目が冴えてしまった。シャブでもうったんでないかっていうくらいにぎらっぎらだ。完全にしくじった。明日は労働であるのだからなるべく早く床に着かなければならないというのに!
ダンベルを使って筋トレしたのち歩いて近所のスーパーまで出かけた。半額品の海鮮巻き目当てでわざわざ19時過ぎというゴールデンタイムを狙っていったにもかかわらず海鮮巻きはすでに売り切れで残った寿司も半額でなく四割引だったものだからちくしょうとなった。邪道であるなぁと思いながらも四割引のサーモン巻きを買って店を出て、帰路をたどりながら昨夜寝入りばなにものすごい解像度でカンボジアの暑気とにおいと土ぼこりを思い出して胸がものすごくヒリヒリしたことを不意に思い出した。このところ寝入りばなにわざとじぶんの感傷を呼び覚ますツボはどこにあるのだろうと過去の記憶をピックアップしてそれをなるべく鮮明に思い出そうと一心不乱に念じるみたいな遊びをしていてなんというか精神の指圧みたいな具合であるのだけれど、きのうは二年前の夏のあの異国の日々にフォーカスしてそれも出会ったひとびとや交わした言葉ではなくてただひたすら風景と暑気とにおいとにしぼってやってみたところものすごい強烈な胸のひりひりが湧き出て、うわあここにあったのかおれのツボはと興奮していちど目が冴えてしまったのだった。
部屋にもどると半端ないニンニク臭がたちこめていたので玄関の引き戸を開けっ放しにしてから大家さんのところへいって風呂に入った。いつからかブログをじぶんのドキュメントという意識で書いているところがあって、というのはどういうきっかけからかあるいはこれといったきっかけなどなかったのかもしれないけれどもとにかく、その日その日の気分を書くのと同じくらいのたやすさでその日その日の考えも書いてしまっていいんでないか、感情の変転は当然と見なされてあるのに思考の変転は許されないみたいな圧力があるのはどうしてだろうかと疑問に思ったことがあり、思考というのは書きつけられたとたんに「思想」として見なされるようになりそしてその「思想」は持ち主の生涯をとおして首尾一貫していなければならず推敲・削除・加筆されることにでもなればたちまち「転向」という大げさな言葉遣いで指弾されるにいたる、こうした諸々がぜんぶおかしいんでないかと、そういう疑問からもなるべく矛盾をおそれずにじぶんの考えを書こう、「悲しかった」「楽しかった」「腹が立った」「超絶ハッピーだった」「クソイライラした」と同じぐらいの軽さでその日その時の思考を、なんだったら「思想」の大文字のもとに書き連ねていってやろうと、こういえばけっこうものものしい言い方に聞こえるけれどもとにかくそういうアレで過去の記述にしばられずに書いているつもりであるしその目論みはある程度うまくいっているように思うのだけれど(すなわちこのブログを通して読んでみるとじぶんの主張(それが主張と呼べるのであればの話だが)の二転三転していることがわかるはず)、ただこの意識が勝ちすぎると今度はかえって積極的に矛盾してやろうという恣意のたった傾きにおちいってしまうところがあって、ドキュメントというのはけっこうむずかしい、思ったことをそのまま書くというのははなはだしい困難であるなと思う。四年前五年前のブログにはたぶんいまとほとんど同じようなことも書いてあればいまのじぶんからしたら到底納得も共感もできないことも書いてあるんだろうけれどそれらをして変わったなと思うか変わらないなと思うかははっきりいってジャッジする側の人間のそのときの着眼次第みたいなところがあるだろうから一概にどうのこうのいえないだろうけれども、ただごくごく一般的な世論としてはなにごとも変わらないほうがよいとされているところがあってその不変を肯定的に評価する語に、というかその語の有する肯定的な響きのために不変が善いこととされるみたいな方向のほうがより正確なんだろうけれども、たとえば「本質」とか「根っこ」とかあるいは「三つ子のたましい百まで」みたいなのがある。そういうのもちょっと気にくわないというのがあってそれで一時期はやたら「変化」とか「変身」とか「変成」みたいなことばかり口にして書き記してしていたのだけれど最近はそんな物言いにも飽きてきて、というのもそういう言葉遣いをするひとがここ数年ですごく増えたような気がするからで(文学とか哲学の分野では「変身」の顕揚なんてものはとっくの以前から手垢のつきまくった一思考様式でしかなかったのだろうけれどもそれがここ数年でもっと広く一般的な領域にゆっくりと雪の降りつもるように降下しじわじわ浸透しはじめたという感触がある)、と、こう考えるとじぶんはじぶんなりにこの社会との緊張関係のもとに思考を練りあげているんだなと思わなくもない。
部屋にもどってストレッチをしてから洗い物をして夕飯の支度をしてそれからここまでブログを書き記した。水場の蛇口には零下の予想される夜はいつもそうであるように厚手のタオルがぐるぐる巻きにされており、凍結してしまうとまずいので水を少しだけ出しっぱなしにしておくようにという大家さんの書き置きがあった。天気予報によると明日は雪らしくてどうしてじぶんの出勤日にかぎって積雪レベルの雪降りになるんだろうかとげんなりする。ケッタで通うにしてもバスに乗るにしてもいつもより早起きしなければならないことを思うとまためんどうくさい。それに(…)さんがインフルエンザにかかったというメールをきのう(…)から受け取っていてこれもまたげんなりするというか、頼むから無理して出勤とかだけはしないでほしいし、百歩譲ってじぶんがうつされるのはまだいい、けれども(…)さんにうつすのだけはぜったいになにがなんでもたのむらからやめてほしい。(…)さんのかわりに一週間ぶっ続けで出勤になるとか想像するだけでほんとうに泣きそうになる。それだけはぜったいにいやだ。そんなの死んだほうがましだ。ただでさえ来週の火曜日は祝日のせいで出勤なのに。
寿司・納豆・冷や奴・もずく・ささみと白菜とえのきを酒と塩とこんぶだしとしょうがとごま油でタジン鍋したしょうもない夕食をかっ喰らった。歯をみがくためにおもてにでるとすでに雪が積もりはじめていた。『三つ目のアマンジャク』を少しだけ読み進めて1時に消灯した。満腹すぎて横になるのもしんどいくらいだった。サーモンの巻き寿司はぜんぜん美味くない。二度と買わん。