20140213

 秋山は田辺哲学の信奉者であった。私は早くから哲学する習慣を捨てていたので、とても彼の話相手になることは出来なかったが、高等学校の時「直接経験」に関して抱いた疑問を御愛嬌までに提出してみることにした。
「ここに煙草がある」といって私は机の上にPXのラッキー・ストライクをおいた。「我々は二人共これを見ている。我々の直接経験はそれぞれ異るが、どうやらこれは確かにラッキー・ストライクらしい。ところで認識の不思議は、我々の直接経験がめいめい勝手な発展をとげることではなく、一つの物に関する二つの直接経験がたしかにその一つの物に帰着することにあるんじゃないかね。ここにあるのは一体何だろう」
「無です」と彼は静かに答えた。
 私は笑うのを忘れ、呆然と彼の顔を見続けた。彼の瞼は例の瞑想的な調子でのろのろと眼球を蔽おうとしているところであった。私の質問はいかにもふざけたものであったが、彼が現に眼の前にある綺麗なラッキー・ストライクを、「無」といいきったところには、一種の不幸が感じられた。要するに彼には喫煙の習慣がないということではないのか。
大岡昇平『俘虜記』)

すばらしい。お手本のような「よわい論理」。



10時すぎに(…)さんからの電話で目が覚めた。寝てた?と開口一番いってみせるので、ああ寝てました、と応じた。すると唐突に、なに食べたい?という。はあ?と漏らすと、いやいやだからあした何食べたいかなーって、となにやら不敵に続けてみせる。インフルエンザで一週間まるっと欠勤したお詫びに従業員みんなに昼飯でもおごってくれるつもりなのか、あるいはひょっとして夜どこかで飲みにいくとかそういう話になっているんだろうかと、起き抜けのうつらうつらした頭でぼんやり考えつつ、いやいや飲みにいくということはないだろうと考えなおし、ほんじゃあまあなんか適当に甘いもんでも、と事情のいまひとつ飲みこめないまま答えると、わかった、甘いもんやな、そんなら明日買ってくるし、という。明日いうてもぼく休みすけど、と口にすると、いやいやだからやん、と苦笑の色のにじむ声があり、そこではじめてじぶんがなにを要請されているのか納得がいった。マジっすかーもー!と受話器越しに悲嘆した。(…)さんはいつもこういう物のいいかたをする。伝えるべき連絡事項をすでに相手が了承したものと仮定したうえでの第一声を放ち、はてなという反応をしめす相手にかまわずその仮定を踏襲する一方的な会話を続け、その展開のなかで相手のほうから事情を察するようにしむけるという、じつに意地悪な物言いを好む。今度はだれっすかもー!まさか(…)さんちゃいますよね!とたずねると、その欠勤をこちらが間接的に埋め合わせるかたちでおとといまでの四連勤を余儀なくされた別支店の従業員がまだ全快でないらしくもう一日だけ休ませてほしいとかなんとか、それだから(…)さん曰く「インフルエンザ騒動はこれでラスト」。ぼく以外にだれもいないんすか、と問うと、いやまあ(…)さん(今回インフルエンザで倒れている社員)に無理いうて出てきてもらうくらいしかないんちゃう、という返答があり、もうほんならこれ選択肢とかないやないすかこっちに、といえば、いやー「出る」ってもうひとこと言ったらおしまいやで、よく考えて、「出る」っていうんならもうほんまに出てもらうからな、とさもこちらに拒否権のあるような口ぶりでとってつけたような気遣いの体裁をつくろってみせるのだけれど、そんなもん断れるわけがない、もともとが二勤二休の契約で雇われてある身の後ろめたさと、ほかにない好条件でこちらをひきとめてくれたことにたいする恩義の双方が、覚悟をきめろ、腹をくくれ、さいわいおまえはいま現在休筆中のようなものではないか、とせまる。ゆえにしぶしぶ了承した。了承せざるをえなかった。「やけどぼくもーあした洗い物も電話番もいっさいしませんからね!完全無欠の時給泥棒としてふるまうから!本読むか寝るかしかせえへん!」「はいはいなんでもええからとりあえず来てね」。
これでもって今月の給料が10万円台の大台にのることが確定した。二桁の稼ぎはおそらく一年ぶりだ。歯をみがいてストレッチをした。腰痛の悪化していることが、右の腰と尻の間にあるあたりのあやうい痛みから察せられた。この寒波と労働のせいである。洗濯機をまわし、パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。Jim O’Rourke『I'm Happy, and I'm Singing, and a 1,2,3,4』を聴きながら、というかこれきのうひさしぶりに聴きかえしてみて思ったのだけれど大名盤で、収録されている四曲が四曲ともじつにすばらしくものすごくぐっとくるのだけれど、それを聴きながらきのうづけのブログの続きを少しだけ書いてアップし、次いで図書館への返却を見越して庄野潤三メジロの来る庭』と残雪『カッコウが鳴くあの一瞬』の抜き書きを優先して手早くすませた。
14時前だった。まったくもってやる気がおこらないが、それでも英語の勉強をしようとひとまずは思った。ゆえに発音練習をした。文法問題はどこか外でやりたかった。図書館に出かけがてらネコドナルドにでも立ち寄るのがベストだろうと考えた。ゆえにダンベルでもって筋肉を酷使したのち本とCDと問題集をかばんにつめこんでおもてに出た。こんなにも早い時間帯におもてを出歩くのはじつにひさしぶりだった。光のさじ加減がまったく異なると思った。ボーダーコリーを散歩させている若い男の子がいた。図書館では庄野潤三と残雪とイザベル・ファウストを返却し、梶井基次郎浅暮三文『実験小説ぬ』を受け取った。ネコドナルドにむけて歩いている途中、横断歩道をわたってきた知恵遅れの女の子がなんども咳払いをくりかえしながらそのつど満面の笑みでやばい風邪ひいたやばい風邪ひいたと大声で口にしているのを見てすごいと思った。風邪をひいたかもしれないというちんけな可能性のひとつだけであそこまで遊ぶことができるものか、と。「練習車」というプレートの前方に施されたバスがバスターミナルから出てくるのを見て車内の様子をうかがったところ運転士の制服を着た男性が合計で四五人、運転手とは別に車内のおそらくはあらかじめその位置について新人運転手の運転っぷりを監視することを任じられているであろう要所要所に点在して突っ立ちながら、右折のおりに窓の外の様子をのぞきこんでいる姿が認められた。銀行で5万円おろした。
ネコドナルドに到着すると16時半だった。気の強そうな短髪の女性がレジに入っており、こちらより一歩先に入店した小学生らしい女児ふたり組に対応していたが、ため口で、というか年上のお姉さんの口調で「なににする?」とたずねていたりして、ファミレスとかファストフードみたいなところでこういう一歩踏み込んだ距離感での接客をするひとの最近とみに見かけなくなっていたこともあったので、なぜかちょっとばかしはらはらした。そしてすごくいいなと思った。コーヒーとナゲットを注文し女児の後ろにならんで待機しながら、おれは気の強そうな女性に惹かれる傾向がある気がする、と思った。小学生のときに父親から気の強い女だけはやめておけといわれたことを思い出した。いまのところ父親からの唯一といっていい忠告を裏切りつづけているといってもまちがいではない気がする。
ここのネコドナルドにやって来るのはとてもひさしぶりだった。半年かそこらの話ではない。この座席から生まれた「偶景」だって少なくない、と交差点をみおろす席に着いてから思った。ファストフード店で交差点を見下ろすことのできる窓際の席、というこのシチュエーションだけでいつも岡田利規の「わたしの場所の複数」を思い出す。二時間後の18時半にたえきれず店をでた。とちゅうからとなりの席にやってきたカップルの文部科学省の提案する清く正しい交際のありかたというものがあるのだとすればまさしくこういうふたりによるこういうやりとりにほかならないだろうと思わせられるたたずまいの、異常に物腰やさしく無害な言葉のやりとりがものっそい悠長にそしてすかした感じでくりだされる標準語にのせられて交わされるのを耳にしていると端的にいって気持ち悪く、とはいえべつだん標準語を東京弁と名づけて忌み嫌う関西人的な感性にとくべつ親しみをおぼえているこちらではないはずなのだが(なぜならこちらのあやつる言語はしょせんは伊勢弁でしかないのであり関西弁ではけっしてない)、しかしこれはちょっと耐えられないなと、すかした抑揚で奏でられる自動車学校をテーマにした毒にも薬にもならない会話をそばで延々と聞かせられるというのはほとんど拷問であるなと、ハンバーガーにかじりつくたびに口をくちゃくちゃさせる男の無作法とあわせてそう感じるところがあり、ゆえに若干いらだちながら店を去った。どうしてあそこまで健全な青少年風の男を地でいくような物腰、面構え、服装、言葉遣い、発声をあわせもっておきながら飯を食うにあたってくちゃくちゃと音をたてるという凡ミスを犯しているのか、そのバランスの悪さ、その不徹底はいったいなんなのか。
スーパーの前に古本市がたっていたので冷やかした。ここに『A』を万置きするつもりでいたのに面倒くさい気持ちが勝っていまだに実行していない。食材を少しだけ購入してから帰宅した。(…)くんからスカイプしませんかとメールが送られてきていたのだけれど、四連勤空けの三連勤という現実にくすぶりいらだつところがやはりあったのでまた時間のあるときにしてくれと頼んだ。あたらしい小説がまた書けたという話だった。あいかわらず書くのが早い。
いちどは帰宅したものの出直してコンビニと総菜屋で入り用のものを購入し、軽くひっかけてから風呂に入った。それから発芽玄米(きのう炊飯するつもりで米を水に浸すところまでいっていたのが半額品の海鮮巻きの購入の結果不要となりそれじゃあこの機会にということで数度の水換えをはさみつつ丸一日水のなかに浸しておいたのを今日の夕方ようやく炊いたのだ、米のひとつぶひとつぶがずいぶん肥えた)と鶏もも肉と白菜とみずなを酒と塩と昆布だしでタジン鍋したものと総菜屋の甘酢からあげをかっ喰らいながら音楽を聴いたりYouTubeを視聴したりべろんべろんのふわふわになりながら1時くらいに寝た。