20140215

 彼はセブの山中で初めて女を知っていた。部隊と行動を共にした従軍看護婦が、兵達を慰安した。一人の将校に独占されていた婦長が、進んでいい出したのだそうである。彼女達は職業的慰安婦ほどひどい条件ではないが、一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制された。山中の士気の維持が口実であった。応じなければ食糧が与えられないのである。
「どうだったい」
 と私は笑いながら訊いた。彼は少し顔を赧めてもじもじしていたが、
「すんだら、女は『失礼しました』といいました」と答えた。
 傍で聞いていた炊事員は声を立てて笑った。そしていった。
「お前はそこで『御苦労さんでありました』っていって、敬礼したんだろ」
 富永は眼を円くした。
「どうしてわかりましたか。その通りでありました」
大岡昇平『俘虜記』)



夢。祖父の家の玄関にいる。土間には一足しか靴がない。ガラス戸を開けて居間に入るも無人である。だれの姿もない。障子いちまい隔てたむこうにひとのうごく気配らしきものがあるが、こちらには入ってこない。しばらく滞在していたが、このままここにいてもしようがないと思って、おもてに出る。出たところで、やはりせっかくここまで来たのであるからにはあいさつのひとつくらいはしておくべきだろうと思いなおし、ふたたび居間にもどる。すると祖父がいる。こちらの将来に期待しているらしい祖父のためにも、本を一冊出版した事実を告げようかと思うが、どうにも気の進まないところがある。結果、書いた作品がプロの批評家として活躍しているひとによって評価されたよ、とだけあいまいに告げる。
夢。外見はただのリサイクルショップであるのだが認識上はヴィレッジヴァンガードであるらしい店のなかにひとりでいる。するとエプロンをつけた(…)があらわれる。ここでバイトをしているらしい。古い雑誌の山積みになっている一画にこちらを連れていって、きっとおまえの気に入るものがあるという。おぼえのない日本家屋の土間のこちら側にじぶんが、段差のうえのむこう側にFがいる。週に何日バイトに入っているのかとたずねると0日だと苦笑を浮かべた返答がある。ふだんは入っていない、今日はとくべつに招集をかけられたから入ったのだという。おそらくは撮影などとんとしていないだろうと思いながらも新作の写真はあるかと社交辞令気味につづけてたずねると、意外にもあるという返事があり、正方形の写真紙に印刷された色とりどりの絵柄の分厚く重ねられたのが先ほどの山積みにされた雑誌のうえに無造作に投げ出されるカットが差し挟まれる。
夢。実家にいる。実家にいるのだが認識上は(…)ちゃんの実家ということになっている。彼女は踊っている。激しくダンスしている。そのそばにはXちゃんの友人らしい男がいる。男がこちらにゲームを持ちかける。ピザと十回言わせたのちに本来ひじと答えるべきところをひざといわせるよう誘導する例の児戯にも似たゲームである。なにかの拍子に男はこちらを指さして大声で嘲笑する。カチンとくる。ひとが無用なトラブルを避けるべくつとめておとなしくふるまえば、この手の中途半端なイキがりどもがたちまち調子に乗る、その構図の際限ないくりかえしにいよいよ堪忍袋の尾がきれる。相手の後頭部のあたりの髪の毛をひっつかんでフロアの上に鼻からたたきつける。それから仰向けにむきなおって涙を流しながら抵抗しようとする男の顔面にむけてこぶしを三度ふりおろす。しっかりとつくった拳で三度、敷き布団越しの畳を全力で殴りつけているおのれのふるまいで目がさめた。
5時半起床。きのう職場でもらった賞味期限切れのチーズケーキとコーヒーの朝食。前日分のブログの続きを書き加えるも思いのほか長くなってしまい時間が足りなかったので中断。
BCCKSより1月分の印税として6300円の振込があったとのメールが届いていた。人生はじめての印税、人生はじめての売文である。うれしい。もっと紙本が売れてくれたらいい。伝説の作家のデビュー前夜作としてのちのちプレミア化することのまちがいないこの私家版『A』は投資対象としてもおそろしく堅いものであるはずなんだが!
8時より12時間の奴隷労働。(…)さんがインフルエンザから復帰した。結局最後の最後まで発熱はほとんどなく、ただ咳に悩まされ続けただけだったという。四日にわたる欠勤のせいでただでさえ勤務日数の少ない2月に大打撃だと、これはわりと深刻そうないらだちの表情でもらしていた。医者にインフルエンザであることを告げられたとき、当人曰く「すごい剣幕で」そんなわけないでしょうと食ってかかったという話はすこしおかしかった。なにかあったときに助けてもらえるようにという意味で(…)さんはお姉さん家族の住む近所にアパートを借りているらしいのだけれど、インフルエンザになったと当の姉に電話をいれると、うつされたらかなわない、本当に動けなくなってしまったらまた連絡をしてくれと、SOSのサインをにべもなく拒絶されたという。(…)くん!きみもね!ひとり暮らしの病気ってすっごい!すっごいすっごいさびしいよ!と肩を揺さぶられた。そりゃそうだ。(…)さん(…)さんとみんなそろったところで、お金がないから今年のバレンタインは勘弁してほしいと(…)さんはいった。われわれもやはりお返しをするだけの金がなかった。両陣営の取引はそれゆえじつにすみやかに達成された。ただ(…)さんだけが、ワシな、おねえの本命ほしかったワ、にひひ! といくらかさびしそうに笑っていた。
土曜日はいそがしい。それでも(…)さん不在となればそれ相応に内職に精を出す時間もとれなくはない。浅暮三文『実験小説ぬ』を三分のニほど読み進めた。このような表題を恥ずかしげもなくつけてしまうことできるという事実からしておそらくはそうだろうと見越していたとおり、実験というにはあまりにおとなしく行儀のよいものばかりが収録されていた。どれもこれも既視感にいろどられて見える。要するに、見栄えは派手だが、発想そのものがとても古い。小説における実験とはこのようなかたちをとらないし、このような領域でなされるべきものではない。仮にこの手の作品が実験と呼ばれうるのであるとすれば、文学がもっとも過激さを発揮するのは実験の場ではなく冒険の場だろう。密室で白衣を着て器具や薬剤をいじくりまわすのでは圧倒的に駄目だ。弱い。そこにはもどってこれなくなる可能性がない。
今日もきのうにひきつづき(…)のおっさんにたいする嫌悪とくだんの一件についていまだなにひとつ対処してくれない(…)さんにたいする不満を(…)さん(…)さんの口よりそれぞれ聞かされることになった。なまじ彼女らの言い分に正当性があるものだから無下にするわけにはいかないし、ここでじぶんがしっかり対応しておかないと今後ますますまずいことになる。というかすでにまずいことになりつつあるようで、(…)さんが今回の一件について触れないのをいいことにどうも渦中の(…)のおっさんが根回しをはじめたらしく、じぶんと辞めた(…)さんとの間にあったできごとをいまだ知らないというていになっている(…)さん(イニシャルトークにするとどいつもこいつも(…)に変身してしまう!ひとのことをとやかく言えたもんじゃあないが日本人の名前ってのはタ行はじまりがちょっと多すぎるんでないか!)相手に、辞めた(…)さんの悪口をバカスカいって、あげくの果てには仕事ができないから辞めさせられたんじゃないでしょうかなどとぬけぬけと口にしてさえいるのだという。さらには(…)さんや(…)さんの悪口までいたるところで口にしまくっていると(…)さんはいって、その「いたるところ」や「しまくている」を差っ引いたとしても、これが事実ならもうちょっと弁護しきれないところまできているなと思う。さらには翌日のシフトが(…)のおっさんとふたりきりであるという(…)さんから明日はもう休ませてほしいという請願さえあり、ただでさえふたりというのは人員不足であるのにそれに加えての欠勤というのはちょっといくらなんでもと思うところがあったのでしぶっていたのであるけれども、すると(…)さんに直接わたしのほうから電話してみることにしますとあって、そういう行動を(…)さんがとったことはこれまでいちどもなかったのでこれはもう相当来るところまで来てんなと思った。
引き継ぎのときに(…)さんからまた本をもらった。ジョン・バンヴィル『海に帰る日』。しらない作家のしらない小説。気がむけばそのうち読む。蕁麻疹のスーパーで半額品のローストチキンとキムチと職場用にケチャップを購入して帰宅し、発芽玄米と納豆と冷や奴といっしょにかっ喰らった。それから風呂に入り、ストレッチし、わりとすぐに消灯して寝た。