20140215

 東条英機の自殺未遂に俘虜達は大いに笑った。
「胸なんか射たなくても射つところはいくらでもあるじゃねえか。第一MPが来た途端にやらかすなんて、強盗殺人犯じゃあるまいし、いやしくも一国の首相のやることかね」とわが中隊長はいった。
 山下奉文元大将が比島で行われた日本兵の残虐行為について自分は知らない、と法廷でいったことは俘虜達を憤慨させた。
「どうせ逃れられないんなら、大将は大将らしく、部下の罪は自分の罪だといってもよさそうなもんだ」
「マニラの虎」は最後まで比島のホープであり誇りでもあったのだが、法廷の習慣に従ったこの一句が英雄を顛落させた。
大岡昇平『俘虜記』)



5時起床。ストレッチをして朝食をとったのちひとまず14日分のブログを書いてアップした。それから昨日15日分のブログも書きだしたが、これは途中で時間切れとなった。
8時より12時間の奴隷労働。(…)さんがお休みのお詫び&バレンタインデーの代わりという名目でじぶんと(…)さんと(…)さんにそれぞれパン屋の総菜パンをふたつずつ配ってくれた。美味かった。今日は京都マラソンである。いたるところで交通封鎖がされており、おかげで封鎖の解かれる16時半までのあいだに来店した客は三四組にすぎず、超絶ヒマな一日だった。浅暮三文『実験小説ぬ』を読み終えたのでちくまから出ている梶井基次郎の全集を読みはじめた。ひさしぶりに文体に魅入られるという経験をした。こういうことは滅多にない。文章そのものの強さにガツンとやられたのは中上健次古井由吉金子光晴以来である。円みのある熟れた文章。すばらしい。
このところよく本を読んでいると思った。冷静に考えてみると英語の勉強を開始した昨年4月から来日したSの帰国する9月半ばまではほとんど一冊も本を読んでいないわけであるし、9月半ばより年内いっぱいはやはり「A」の出版作業に追われてまともに書物に目を落とす時間がなかった。読書が楽しい、小説を読むのが愉快でたまらないとときどき思う。こういうこともやはり滅多にない。
トロイの木馬って、あらためて考えるとものすごい作戦だなと思った。
(…)のおっさんのセクハラの一件について朝っぱらから職場のほうに(…)さんから電話があり、30分近く愚痴を聞くはめになった。通話を終えてからおそらくは義父の葬儀に出席中であろう(…)さんに、もろもろ落ち着いたらけっこうなんでまた連絡ください、ちょっと面倒なことになっていますとメールした。しばらくすると職場のほうに電話があり、(…)さんで、(…)がまたやいやい言うとるんけ、と開口一番あったのだけれど、電話に出たこちらのすぐそばに(…)さんが控えており、(…)さんには(…)のおっさんのセクハラ騒動についてはいっさい知らせていないので(このひとがかかわると問題がますますややこしいことになる)、通話不可能な状況を暗にほのめかすキーワードをこぼして事情を察してもらい、こちらの仕事明けにまたおりかえし電話をする運びとなった。
夕刻あたりから咳がまたじわじわと悪化しはじめた。空咳めいていたのが、喉のあたりにしっかりとなにかのひっかかるような感触がきざしはじめ、肺がめいっぱいふくらみ破裂するままにおしだされる空気の円筒型がそのまま喉をおしひろげて吐き出されていく、あの深々とした余韻の残るものに変貌しつつあって、四連勤と三連勤の地獄続きをようやく乗り切ろうとしているこのタイミングでまさかインフルってんじゃないだろうなと、そう考えるだけでけっこうげんなりくる。
夜になって(…)さんが出勤するなり昨夜(…)さんに電話をかけて出勤したくない旨を伝えたこと、状況を見てヒマでありそうだったら早引きしてもかまわないが出勤しないというのはやめてくれといさめられたことを告げられた。(…)さんここに来ました、とたずねるので、電話がありましたよ朝から、と応じると、電話だったんですか、きのう(…)さんもう泣いて怒ってすごくって、明日朝からここに来て(…)さんに話を聞いてもらうっていってたんですよ、といわれた。勘弁してくれと思った。一刻もはやく(…)さんにコンタクトをとって、状況の深刻さを伝えなければならないと思った。(…)さんからの電話でもすでにしらされていたが、きのう(…)のおっさん相手に(…)さんと(…)さんがふたりしてどうして最近はそんなふうな態度なんですかと詰め寄ったらしかった。(…)のおっさんはセクハラ騒動の一件があって以降、だれになにを直接いわれたわけでもないのにそれまでの饒舌とは打って変わっていきなり無口になりほかの従業員ともほとんど口をきかぬままチームワークもクソもなくひとりでに行動しはじめていて、後ろめたさのあらわれとしかおもえないその態度変更にじぶんも(…)さんもあれはもう真っ黒っすねと話しあっていたのであるけれど、セクハラの一件についてだれもなにもしらないという体裁でいちおうは事が進行している以上そうした(…)のおっさんの単独行動を責めるにはどうしてそんなふうにいきなりよそよそしくなったんですかという口火の切り方しか許されていないわけで、で、そういうふうに詰め寄ると、予想どおりではあるもののシラを切りとおしたらしかった。ただ(…)さんはのちに(…)のおっさんとふたりになったときに、わたしはもう事の経緯をだいたい知っている、(…)さんの辞めた理由というのも聞いている、ただその真偽については知らない、あなたの言い分だって聞いていないのだから判断のしようもない、だからそこのところをはっきりさせるためにもいちどじぶんから(…)さんのところにおもむいて事情をはっきりさせてください、でないといつになってもこんなふうにぎすぎすした空気が続いてしまう、といったらしかった。
仕事を終えて帰宅するとすでに(…)が部屋にいた。くら寿司にむけて歩いているとちゅうに(…)さんにメールを送るとおりかえし電話があった。(…)さんは(…)のおっさんにたいしてよりもむしろ(…)さん(…)さんにたいしてイライラしているようだった。これまでに積もり積もっていたものがたいそうあるらしく、独立した一件としてまずは解消すべき(…)のおっさんの問題を、この問題にのっかるかたちで不平不満をたれる(…)さん(…)さんにたいする蓄積された憤りと結びつけて考えているところがおおいにあるように見受けられて、そこのところを切り離すのにまずものすごく時間がかかったというか、結論だけいうと通話は二時間におよび、くら寿司に入店したのはいいものの周囲の騒がしさを避けて店の外にでて通話しているとしびれをきらして食事を終えた(…)が会計をすませて出てきてしまい、その後続けて入った喫茶店でも(…)を店内に放りっぱなしにしたままおもてで延々と通話するというとんでもない不義理を働いてしまうことになった。通話を終えて店にもどり、ほんまにごめんほんまにごめんコーヒーおごらせてくださいと謝りたおした。くら寿司のテーブル席にひとり腰かけて食事をするのは苦痛でしかたなかったという。おまえせめて鞄かコートかくらい置いていけよといわれた。これには申し訳ないと思いながらもしかしすこし笑った。面目ない。ほんとうに悪いことをした。
(…)さんとの二時間におよぶ通話のうちおそらく一時間四十分は(…)さん(…)さんにたいする(…)さんの不平不満と愚痴の数々の吐露が占めていて、トップという立場上ひごろその鬱憤を晴らす相手がいないということもあってたまっていたのであろう罵詈雑言をつかずはなれずの相づちで一心不乱にひたすら受けとめることにまずは努め、吐きだすものを吐きださせふりしぼるものをすべてふりしぼらせた。それから(…)さんは今回の一件をこれまでの経緯すべてひっくるめて同じ単位に還元したうえでのプラスマイナスで総合的に処理しようとしているがそれはまずい、気持ちはわかるが会社の論理として上司の身振りとしてそれでは話がややこしくなる、今回の事例は今回の事例としてひとまずは独立して判断するのが善処ではないか、となだめるべきところをなだめながら遠回しにそして誘導的に諭した。(…)さんは決して頭のわるいひとではないので、こちらの提案に納得はしてくれたのだが、しかし(…)さん(…)さんにたいしておまえらちょっといい加減にしろよと言ってやりたい気持ちはものすごくあるといってやまない、どうすればそのあたりを責めることができるのか智慧を貸してほしいというので、それならなおさら(…)のおっさんの一件についてまずは片をつけたほうがいい、具体的にいうならば(…)さんへのセクハラ疑惑について当人にヒアリングをするべきだといった。たまりにたまった不平不満というのは(…)さん(…)さんのほうでもやはり持ち合わせているもので、両者がともに過去のあれこれを持ち出してうんぬんかんぬんとなると泥仕合の水掛け論になりかねず、それは絶対に避けるべき事態であるように思われた、ゆえに彼女らの愚痴の従順な聞き手としてふるまいながらも爆発し枝分かれする不平不満を論理的に誘導して一本化しておいた、すなわち、彼女らが今回の一件にかんして論理的に(…)さんを難詰することができるのは(…)さんが(…)のおっさんにヒアリングをしていないというその一点だけであるという自覚に導き水路づけておいたと、だいたいにしてそのようなことを噛み砕いて説明し、たがいの主張を四つに組ませることのできるおなじ土俵というのはそこしかないことをくりかえし口にした。(…)さんはこの点についても納得してくれたようだったが、(…)さんはもともと(…)のおっさんにヒアリングするつもりでいた、そのつもりでいたからこそわざわざ(…)さんを呼び出してなにか知っている情報はないかと事情を打ち明けた、事情を打ち明けられた(…)さんは仕事の関係上(…)のおっさんと今後ふたりで行動するにあたってもいっこうにかまわないと断言した(そこにはひそかに秘密をうちあけられたものの歓び、頼りにされたものの矜持というものがたしかにあったはずだ)、(…)さんとしてはことがことだけに情報のそれ相応に手元に集まった状態である程度の裏のとれた状態で(…)のおっさんに詰め寄りたかった、そしてそのためにはいくらか時間が必要だった、その旨を(…)さん自身もしかと理解しているはずだった、それが(…)さんのインフルエンザで欠勤しているあいだに(…)さんがいたるところで今回の一件を触れてまわった、ナイーヴな状況を無駄にかきまわしてしまったと、だいたいにしてそのような言い分を披露した。それが事実なのであればなおのこと簡単な話ではないか、さっさと(…)のおっさんのヒアリングをすませて切るか切らないかの判断を下す(最初はヒステリックに(…)のおっさんをクビにすべきだと騒ぎたてていた面々にもいちおう釘は刺してある、つまり、疑惑が事実であるか否かは(…)のおっさん当人の言い分を聞くまでは原則的に判断保留すべきであるし、仮に事実であったとしてもそこでどのような処罰を与えるかはあくまでも(…)さんの決定するところであると、それにまた(…)のおっさんの家庭の置かれた状況を考えればその決断ひとつで一家族を路頭に迷わすことになるかもしれない(…)さんが簡単にクビをきるという決断をくだすわけにもいかないその人情のようなものも理解できると、むろんクビをきらないならきらないで(…)のおっさんに最後通牒を突きつけたうえでほかの従業員全員に示しをつけるべきであることはいうまでもないが)、それで(…)のおっさんと(…)さんに直接かかわる騒動の中核にはケリがつく、それでおしまいだ、そこまで片付けておいてからさて今回の問題をめぐる彼女らの態度の非難に移ればいいだけの話ではないか、あれだけおれが動くといってあったにもかかわらずなにをでしゃばった真似をしてくれたんだ、なにをひっかきまわしてくれたんだ、なにをべらべら周囲にしゃべりまわっていたんだと(…)さんに詰め寄ればいいだけの話だ、ヒアリングの遅れにしたところでインフルエンザと義父の逝去という列記とした理由があるのであるし論理は存分に立つだろうというと、これにもやはり(…)さんは得心のいったようだった。わかった、なんにしろとりあえずおれは(…)に電話をしてやつの言い分を聞けばいいんだな、というので、そうだ、それで問題の90%は解決する、あとの10%は今回の一件が呼び水となって浮上しただけの蓄積物にすぎない、その解決はまた別問題だ、と応じた。
たったこれだけの整序にいたるまでにやたらと時間がかかった。けっきょくじぶんのやったことというのは両陣営にまず愚痴を垂れるだけ垂れさせたうえで、そこから今回の一件に直接かかわる骨子の部分だけを誘導的に浮上せしめ、たがいの主張をたたかわせることのできる論理上の舞台を可視化するという、フレームの構築という一点につきていたわけだが、たったそれだけのことにどうしてこうも時間がかかるのか、どっと疲れてしまうのか、(…)を待ちぼうけさせてしまった喫茶店にもどるやいなや、ドでかいため息をつかざるをえなかった。あとはもう野となれ山となれだ。こちらに寄せられた両陣営の言葉の真偽など見極めることなど到底できないし判断だって下すこともできない。ただ、双方の主張を共通の位相に置きなおすことができるだけ、あとはそれぞれの言い分を競わせてください、あのときああいったこういったの言い争いに第三者の立ち入るべき余地はないのでおのおので解決してください、と、だいたいそういった具合だ。(…)にしろ(…)にしろなにかあるたびごとにだれだれを辞めさせろだれだれが気にくわないと口にしてばかりいてああいう連中というのは常に敵を設定して排撃しにかかろうとするのだと忌々しげに口にする(…)さんの主張にもたしかにうなずけるところはあるし、(…)のおっさんにたいする憤りを発露する(…)さんにむけておまえじぶんに気があると思っていた(…)のおっさんが別の女にちょっかい出したから怒ってるだけだろと言ってのけてみせたという(…)さんのデリカシーのない言葉に(…)さんが泣くほど激怒するのもやはりわかる。だがそれもこれも論理的にはまた別問題であり、別問題としてとりあつかわれてしかるべきであって、まずは問題の核心にケリをつけるべきであり、その問題の周囲をめぐる、これまで積み立ててきたものとの騒動との兼ね合いについては、別でやってくださいという話である。
不義理のお詫びにコーヒーを二杯Tにおごり、食べそこねた寿司のかわりにオムライスを注文してかっ喰らった。(…)さん(…)さんあたりと例のごとく世間話など交わしたのち1時すぎに店を出て、クソ寒いなかをガタガタ震えながら薬物市場にたちよって飲み物と甘いものを購入し、帰宅してから買ったばかりのものを飲み食いしつつ半分眠りながら別れぎわの談笑を楽しみ、ゴミ出しついでにTを見送ったあと、4時には寝床にもぐりこんで気絶するように眠った。