20140217

 進藤の名が収容所に鳴り響いたのは、戦争も終りに近く、毎週各中隊で演芸大会が催されるようになってからである。或る夜、わが中隊の俘虜達が、それぞれの流行歌やお国自慢の民謡などを聞かせた後、飛び入りで「姑娘の歌」を歌った。かなり音域の広い裏声で、俘虜には完全な女声と聞えた。
「わあーっ、ちんぽの先がかゆくなって来たぞ」と聴衆の一人が怒鳴った。
 以来彼は方々の中隊の演芸大会の引張り凧となったが、終戦後演芸大会が発達して、収容所全体の綜合大会が催された時、世話人達は彼に女装せしめるのが、一層感銘的であると判断した。
 鬘は麻袋をほぐしたのを製図用の黒インキで染めて作った。ブラウスは白のアンダー・シャツを俘虜の中にいた洋服屋が綴り合わせ、スカートはメリケン袋を青インキで染め、やはり洋服屋が仕立てた。サンダルは下駄屋が作った。白粉だけは班長の場合と違って、長時間固定させなければならなかったので、大隊長のイマモロが特に米の収容所長に懇願して、WACからクリームとパウダーを貰って来た。そして口紅をさし、頬紅を塗った。
 大隊本部前に設けられた舞台の前で開演を待ちながら、私は進藤の楽屋入りを見たことがある。夕方はまだ明るかった。彼は世話人の一人に連れられて、石のごろごろした空地を突切って来た。
 私は自分の眼を疑った。私は無論これが単に女の服装をした男にすぎないのを知っている。しかし私が見る鬘、顔、胸(彼は当今の女性並に贋の乳房を入れていた)、腰はどうしても女なのである。歩き方まで、私のようにジロジロ眺める俘虜の視線を意識した、つまり完全に女の動作なのである。
 以来私は我々が普段見ている女とは、実は女でも何でもないのではないかと疑っている。ただ男の通念に従って女らしく化粧した人形にすぎないのではないか。女形が女より女らしいとは、屢々好劇家によって繰り返される常套句である。
大岡昇平『俘虜記』)

 進藤は歌と扮装は巧みであったが、アクションは下手であった。それでもとにかく彼女は収容所に現われた最初の女性であった。所謂「おかま」があったかどうかは詳かにしないが、魅了された多数の「男性」が彼の周囲に蝟集したのは事実である。
 競争があり鞘当があった。わが特攻隊員が化粧し始めたのも無論競争の仲間入りするためである。彼はまたどこからか米軍のサージァント・メージャーの腕章を手に入れて来て、得意気に腰へぶら下げて歩いていた。米軍の制服制帽のほか何の変化のない俘虜の服装にあっては、何でも装飾にならないものはなかったのである。しかし塚本はあまり成功したらしくない。
 歌姫進藤の影響は俘虜の一部を必要以上に男性化すると同時に、他の一部を必要以上に女性化した。後演芸大会が進歩して芝居が演ぜられるに到って出現した女形達は、いずれも進藤に倣って男子を誘惑するのを好んだ。進藤は普段でも夜は女子の服装を着用していたが、そういう女形達も出演によって得た様々の衣装をまとって、嬌声を発して密造の酒を注ぎ、隣人の膝に凭れかかった。それほど女性化する容姿と才能を持たない者でも、志ある者は赤や黄に染めた布をターバンのように頭に巻き、この風習は復員列車の中まで持ち越された。
大岡昇平『俘虜記』)



10時半起床。歯をみがくためにおもてに出るとぽかぽかしていて気分がよろしい。ストレッチをしているときに、右脇腹に刃物で刺されたような瞬間的な激痛をおぼえて声をあげた朝方のできごとを不意に思い出した。すぐに二度寝した、というかほとんど痛みにたえかねて気絶するように眠ったように思い返されるのだが、あれはいったいなんだったのだろう。痛みといえば昨夜喫茶店で(…)とだべっているときに二度、後頭部の左側で血管の切れるようなぶちっという音と痛みをおぼえて声をあげたのであったけれども、ああいうのってだいじょうぶなんだろうか。梶井基次郎は三十歳で死んでいる。夭折作家の仲間入りだけはしたくない。ムージルのように数少ない仲間や同志や読者らの募金でジジイになるまで食いつないでいきたい。
パンの耳2枚とバナナとコーヒーの朝食をとったのち16時前まで延々とたまっていたブログを書きつないだ。げんなりぐったり疲れたできごとを書くとやはりげんなりぐったりしてしまうものだ。書いているあいだ死ぬほどたくさんコーヒーを飲んだ。BGMはTerry Fox『Berlino Rallentando』とTakehisa Kosugi『Catch Wave』とMasayuki Takayanagi『Eclipse』とPrince『For You』とFishmans『Go Go Round This World!』。書いているとちゅう引き戸のガラガラと音をたてて開くのが聞こえて、おおかた大家さんが置き手紙のたぐいを土間に放りこんでいったのだろうと考えたのであるけれども、その物音をきっかけにコーヒーを追加しようと思いたってティファール片手におもてに出たその瞬間に引き戸のむこうにバインダーをもってたっている中年女性と対面し、おもわず、うわ、びっくりした、と口にした。あの、さっきノックさせていただいて、それで、というので、ああ、ここガラガラって音してましたね、というと、ええ、あの、ノックさせていただいて、それでちょっとドアを開けさせてもらって、と続くその言葉に、ノックにたいする反応がないからといって引き戸に手をかけて勝手に開けるっていうのもどうなんだよとちょっとむっとするところがあり、すると、あの、わたし冠婚葬祭のセレマのもので、これ、ちょっとアンケートを、というので、もうそういうんいいっしょ、悪いすけど、と突っぱねてそのまま水場にたっていってティファールをセットした。つづけて隣室にむかおうとする女性の姿があったので、そこいまだれもおらんすよ、ほんでそのとなりのはちょっとめんどいやつやからあんまかかわらんほうがええと思いますけど、と声をかけると、ああ、そうですか、はい、と返事があった。女性はうつむき加減でそそくさと歩いて敷地から去っていった。ちょっと言い方が悪かったかなと小便をしながら思った。
(…)さんによる『A』寸評を読んで、その作品が書かれるにいたった必然性、その文脈を可視化する仕事というものがあるなと思った。それも批評家の仕事としてではなく小説家の、というより一作家の仕事として。たとえばひとつの作品を書いてその作品の(形式的・主題的)問題意識を継承して次の作品が書かれる、という順路ではなく、ひとつの作品を書いてその作品の(形式的・主題的)達成がなぜ目指されなければならなかったかを探求し可視化するために次の作品を書く、という逆順。継承ではなく遡行。それも後退ではなくあくまでも前進としての。そういえば岡田利規の演劇論(タイトルはずばり『遡行』だったはず)は最新作から過去作にむけてさかのぼっていく構成をとっていたはずだ。読んでないけど。
15日分の記事をアップしてから歩いて図書館に出かけた。起きぬけのぽかぽか陽気とは無縁の凍てつくような寒空だった。しらない小道をぬけたらいきなり公園があって、でもどうしてか見覚えがある、そこで去年の夏に(…)と夜中の散歩にでかけたときにたまたまおとずれた場所であることを思い出した。たしかその公園の脇道を若い女性がひとり犬を連れて散歩していて、彼女は前方からやってくるこちらの姿に気づきながらも鼻歌を中断せずに続けて、それがすごく美しいものとして印象に残ったのだった。これを書いているいまとつぜん思い出したのだが、(…)は元カレの写真をいちまいも見せてくれなかったが、元カノの写真はこちらがたのんでもいないのに見せてくれた。この事実が意味するのはなんだろうか。こちらが同性であるところの元カレには嫉妬するかもしれないが、異性であるところの元カノには嫉妬しないだろうという見込みありきでのふるまいだったのだろうか。あるいはその見込みとは男性のパートナーと女性のパートナーはまったくの別物としてとりあつかってある彼女の無自覚な認識の投影にほかならないのでは?
図書館では『実験小説ぬ』を返却して予約しておいたイザベル・ファウスト金子光晴を受けとり、それとは別に書架から古井由吉『野川』(これずっと以前に読んだ高橋源一郎の著作で「死」を描くことに成功した唯一の小説みたいな評価をされていたおぼえがある)とホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』を借りた。スーパーにむかうとちゅうにある大きな交差点をわたるとき、いつもならそれ相応の歩行者の姿が認められるそこを渡っているのが今回にかぎってはじぶんひとりであるという事実が、評価とも栄光とも無縁のままに落ちぶれてうらぶれるちんけな作家という紋切り型の自画像の反芻をともなってとつぜん強烈な孤独感に変貌し、のどもとをぎりぎりと圧迫してすごくやるせなくなった。
食材を購入して帰宅した。右のふくらはぎはやはりまだ本調子ではなかった。この分だといつジョギングにくりだすことができるのかわかったものではない。水場にたって夕食の支度をしていると大家さんがあらわれ、いつものようにこちらの料理と洗濯の腕前をお母さまの教育の賜物だと褒めそやした。褒めそやしついでに部屋代の未払いをほのめかされたので、白菜と豚肉と酒と塩とこんぶだしとにんにくとしょうがをぶちこんだだけのタジン鍋を火にかけておいてから現金をもって大家さんのところをおとずれた。だれか越してくる予定はあるのかとたずねると、二週間以内に60歳をまわった男性がひとり越してくると大家さんはいった。じぶんの隣室にあたる空き部屋ではないらしかったので、ひとまずはほっと胸をなでおろした。牛肉とごぼうとこんにゃくの煮付けを小皿にいっぱいいただいて部屋にもどった。
Mecano『The Half Inch Universe』をおともに発芽玄米と納豆と冷や奴とタジン鍋をかっ喰らいながらウェブを巡回した。それから仮眠をとるべく寝床にもぐりこんであったのだが、20時に設定しておいたはずのめざましにまったく気づくことができずに延々と眠りほうけてしまい、最後の一時間はいい加減起きなければという焦慮や起きたあとの行動をそのまま夢にうつしてみたりもしたのであったが、重たくて気だるくてたまらない身体をどうにか引き起こして部屋の明かりをつけて時計の盤面に目を落とすと1時半、じつに6時間にもわたる仮眠となってしまって、昨夜から今朝にかけての眠りとそう変わらない。なんでまたこんなにも眠ってしまうのだろうかと思ったが、ここ最近の連勤のために夕食をとったあとの眠りは本チャンの眠りという認識が細胞単位にしみついてしまっているのかもしれない。が、これを書いているいま現在4時44分、もうすでに眠気がきざしはじめている。1時半に起きて風呂に入ってストレッチをして16日分のブログを読みなおしてからアップし、そして今日付けのブログをジム・オルーク『I'm Happy, and I'm Singing, and a 1,2,3,4』と浜田真理子『mariko』をおともにここまで書いたそれだけにすぎないのにもう眠い。これはいったいどうしたことか?
大家さんにもらったおかずをレンジで温めて食べた。作文する気になれなかったので寝床にもぐりこんで梶井基次郎を読みすすめることにしたのだが、たちまち眠気に見舞われ、6時前には消灯した。