20140219

 その他外業先で海軍用語で「銀蝿」、つまり盗んで来た品物が沢山ある。スウェーター、手袋、靴、その他俘虜規格外の品物がふんだんに有る。俘虜もさすがにこれだけは米軍の検査官の前に出す勇気がない。
 米軍もこの種の品物の存在を知っていた。中隊付きの米兵ノースは私にいった。
「君達が多少倉庫から盗んだものを持っているのを我々は知っている。しかし既往は問わないから、みんな出してくれないか。我々は日本の罹災民に贈るつもりだから」
 中隊長にその意を伝えると、彼はせせら笑った。
「うまいことをいやがって、どうするかわかったものか。焼いちまえ。焼いちまえ」
「焼かなくてもいいでしょう。たとえ比島人に払下げられたとしても、それだけ比島人がうるおうわけじゃないですか。焼いたんじゃ、折角使えるものが灰になるだけでも損じゃないですか」
 中隊長は答えなかった。そしてさっさと小隊長に命じて、員数外の被服を敷地裏に積み上げさした。そしてガソリンをぶっかけて火を放った。他の中隊長もみな同じ意見であったとみえ、火は各中隊で三日三晩燃え続けた。これが軍隊であった。
大岡昇平『俘虜記』)



10時半起床。入眠前の幻視・幻聴があいかわらずひどい。というか日に日に盛んになっている。もともと金縛りにはちょくちょくあう体質であったけれど、ここ一週間ほとんど毎日のように見舞われていて端的にいって邪魔くさい、眠くて眠くてたまらないその欲求をいよいよにしてようやく満たすという瀬戸際に邪魔が入るのであるからたまったものではない。それも二度三度の話ではなく、一晩のうちに五度六度とくりかえすのだから閉口する。自重の二倍にも三倍にも感ぜられるあのひとときの錯覚も常よりずっと強力で、増加した自重に対処ができずに不動を余儀なくされるというよりもなにかしらの天変地異によりこの惑星の重力そのものが増長し全身が大地にむけてきつく強く圧迫されているような息苦しさを覚え、ときには吐き気すら催す。その圧迫にようやく慣れるころに今度は頭のなかで爆音で音楽が鳴りだすのであるが、これがじつに美しい名曲ばかりで、だいたいがエレクトロニカ風のサウンド、そうでなければノイズかヒップホップという感じであるのだけれどすべてオリジナル曲で、頭が割れるくらいの音量でガンガン鳴るそれらの旋律を聴きながらこれ録音することができればどんだけいいだろう、(…)くんにどうにかして聴かせてやれないものだろうかといつも思う。むろん自由に身動きがとれるようになるころにはきれいさっぱり消えてしまっている。音楽の頭の内側でガンガン鳴っているあいだはサイケデリックなパターンが暗闇のなかで延々とくりひろげられる。これもときどき目のさめるような美しい形象を描きだすことがあり、違法の煙にいくらか似ているけれどもしかしたしかに異なる独特のトリップ感をともなうこれらの現象を総括するに、ひょっとして金縛りにあっている人間の脳内ではその手の物質がブリッブリに分泌されているんでないだろうか。
歯をみがき、顔を洗っているところで、いい加減ひげを剃らなければまずいということに気がついた。不精がたたってついつい後回しにしてしまい、結果、とても人前に出られない面構えになっているじぶんにあるとき不意に気づく、これのつきることないくりかえしだ。ストレッチをしたのち洗濯機をまわし、パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。12時半より梶井基次郎の続きを読みはじめた。「冬の日」という作品のなかに「痴呆のような幸福」という表現が見られた。これ、このあいだじぶんがブログに書きつけたものとうりふたつだ(あるいは書きつけたのは「痴呆のような恍惚」だったかもしれないが)。全集であるので未完の断片の断片であったり若書きの作品なんかも収録されているようであるのだけれど、これらは率直にいってそれほどおもしろくない。ただ完成されてある作品のいくつかは(じつに凡庸な言い回しになるが)珠玉の短編と呼ばれるにふさわしい完成度を誇っており、ときにはため息すら漏れる、この瑞々しさ、知覚のいきいきとしたありようを意味に還元することなく生身の現象のままに言葉に置換して書きとめてみせるこのような感受性の天才、ほかにしらない。とちゅうで古井由吉『野川』に移行し、収録されている最初の一篇を読んだ。こちらもやはり天才の所業としか思われぬ出来映えだった。読書のあいだはIsabelle Faust『Bach: Sonatas & Partitas For Solo Violin』とKeith Jarrett Trio『Bye Bye Blackbird』を聴いた。
もうかれこれ一週間ほど前よりジャ・ジャンクー『青の稲妻』を下敷きにした小説を書きたいという気持ちがおこりはじめていて、断片的なイメージであったり構想であったり登場人物であったり、そういうのをテキストファイルの余白にひとまず羅列しはじめてさえいるのだけれど、まだそのときではないという気持ちも同時にある。ひとまずはそれに従って、それを導きの灯として、それだけが信じるにあたいするものとしてある、そんなふうな漠然としてしかし確信めいた何かをしっかりつかむことさえできれば、たぶん書きだすことができるんでないかという気がするのだけれど、まだ見えてこない。今日はためしに最初の一行を書き出してみたのだけれど、最初の一行どころか一語を打ちこんだ時点で、ちがう、いまじゃない、まだだ、と思ってすぐにとりやめた。ボーイミーツガールで、新種のインフルエンザとも花粉症ともつかぬ死にいたる奇病が蔓延している世界で、ドラッグと拳銃と刃物と興行マフィアと、せいいっぱい背伸びして悪ぶった10代のひりひりするようなまなざしがあって、みたいな。
15時にいちど読書を中断してダンベルを使って筋トレをした。それから近所のスーパーの三階に入っている100均に出かけて、食器洗浄用のスポンジと折りたたみの手鏡を購入した。手鏡はひげ剃り用で、大家さんの風呂場には鏡がついていないのでひげを剃るときはいつもおもての水場でじょりじょりしなければならないのだけれど、湯が出ないこともあってこれがまったくもって苦行というほかなくそのせいもあってついついひげ剃りをなまけてしまうところがあったのだ。しかし今日からはちがう。風呂場でゆっくりひげを剃ることができる。もっと早く買っておくべきだったが。そのまま階下の食品売り場で食材を購入し、近くのコンビニでネット料金を支払ったのち帰宅した。米が炊けるまでのあいだに英語の発音練習をすませておき、ここまでブログを書き記した。英語の勉強、もはやモチベーションは壊滅状態に近いといっても過言ではないが、いつの日かウルフとマンスフィールドを完璧な訳語でよみがらせることだけを夢見て、どうにかこうにかふるいたたせている。それでもだめなときは(…)と過ごした二ヶ月間の記憶のうちもっとも美しい上澄みだけを巧妙にすくいあげてみたりもするのだが、このさじ加減がむずかしく、調子にのって深々と沈潜してしまうとたちまちあの当時の地獄のような苦しみ、窮屈さ、いらだちまで思い起こされてしまって元の木阿弥になってしまったりもする。
玄米・おくら入り納豆・冷や奴・もずく・ささみと春菊とえのきと水菜をにんにくと塩と酒とこんぶだしでタジン鍋したしょうもない夕食をかっ喰らいながらウェブ巡回したのち20分程度の仮眠をとった。風呂場にいってヒゲを剃りシャワーを浴び、部屋にもどってからストレッチをしたのち、英語の問題集を鞄につっこんでケッタでネコドナルドにむかった。前回来店時にもらったクーポンでカフェラテだかなんだかを注文し、二階席で文法問題をぶつくさぶつくさ口頭で解きつづけた。開始したのは22時ごろだったように思うが、0時前にスタッフがやってきて二階席は0時までの利用になると宣告された。階下におりると、予想どおり一階席は満席だった。まだまだ物足りなかったが、かといって粘るわけにもいかない、しかたなく帰宅することにした。夜のネコドナルドはこれがあるのでなかなか気乗りしない。
帰宅してから玄米を半合分だけ解凍し、納豆とキムチとインスタントの味噌汁といっしょに食した。物足りない分を埋め合わせるべく英語の勉強を再開した。きりがよいところで終えると2時だった。ブログをまたここまで書き足した。それから梶井基次郎の続きを少しだけ読みすすめた。「筧の話」という5ページに満たない掌編のなかに以下のようなすばらしい描写があった。

 吊橋を渡ったところから径は杉林のなかへ入ってゆく。杉の梢が日を遮り、この径にはいつも冷たい湿っぽさがあった。ゴチック建築のなかを辿ってゆくときのような、犇ひしと迫って来る静寂と孤独とが感じられた。私の眼はひとりでに下へ落ちた。径の傍らには種々の実生や蘇苔、羊歯の類がはえていた。この径ではそういった矮小な自然がなんとなく親しく――彼等が陰湿な会話をはじめるお伽噺のなかでのように、眺められた。また径の縁には赤土の露出が雨滴にたたかれて、ちょうど風化作用に骨立った岩石そっくりの格好になっているところがあった。その削り立った峰の頂にはみな一つずつ小石が載っかっていた。ここへは、しかし、日が全く射して来ないのではなかった。梢の隙間を洩れて来る日光が、径のそこここや杉の幹へ、蝋燭で照らしたような弱い日なたを作っていた。歩いてゆく私の頭の影や肩先の影がそんななかへ現われては消えた。なかには「まさかこれまでが」と思うほど淡いのが草の葉などに染まっていた。試しに杖をあげて見るとささくれまでがはっきりと写った。

ここを読んでいるとき保育園にいたころ毎日のように登っていた里山の記憶がとてつもない鮮度でよみがえってきた。舞城王太郎の短編だったかに、小説のリアリティというのはその記述が読者の記憶を刺激してあれこれ想起せしめるところにかかっているみたいな記述のあったような気がするのだけれど、もう五年以上前に読んだものだからちょっとうろ覚えだ。その里山に去年の夏、(…)を実家に連れていったさいに父の案内で登ったのだった。ながめのいいところでコンビニで購入したおにぎりを食った。ベンチから腰をあげると木造の盤面に尻のかたちにシルエットが残って汗だくだった。山をおりたところで弟に電話して車でむかえにきてもらい、そのまま生まれたばかりの姪っ子のいる病院にむかった。赤ん坊を交代でひとりずつ抱っこした。(…)が抱っこしているときに姪っ子が笑って、それは彼女が生まれてはじめて浮かべた笑みだった。She smiled at me! ほとんど場違いのように高い声で(…)がそう叫ぶと、兄夫婦がおどろいた顔でどれどれと駆け寄り赤ん坊をのぞきこんだ。
(…)
山登りの写真や赤ん坊を抱いている写真やらのあったような気がしてなんとなく写真フォルダをひらいたのだけれど、そのままいろいろと思い返すところがでてきて、おかげでひさしぶりに寝つきが悪かった。