20140305

4日(火)
7時過ぎに起きた。たっぷり11時間も眠った。過眠時特有の頭痛がかすかにあった。トースト二枚の朝食をとったのちここ数日のブログを昼前まで居間で黙々と書き続けた。実母の逝去により二日間の休日を得た父とこの日たまたま休日に当たっていた母の都合のよい偶然から(…)温泉に行こうという計画がこちらのあずかりしらぬところで確定していたらしく、昼前から出かけることになった。(…)温泉にいくのは昨年の夏Sを連れて帰省したとき以来だが、両親もそうらしい。あのときは日本語をまったく解さないSと英語をまったく解さない母のふたりを女湯に送り出すことに多少の懸念を覚えもしたが、熱い湯に慣れていないSが若干のぼせたほかはとくにトラブルもなくすんだのだった。バイセクシャルのSは若い日本人女性の裸を見ることができるかもしれないと入浴前ひそかにワクワクしていたようすだったが、風呂からあがった彼女にどうだったとたずねてみると、年寄りばかりだったからその点にかんしてはつまらなかったわねと言った。
温泉に出かけるまえにクリーニング屋にスーツを預けた。それから実家の近くにあるそば屋に出かけた。ここの鴨南蛮そばを以前いちど食わせてもらったことがあって、そば一杯で1700円かそこらするのだけれどべらぼうに美味くて感動して、で、せっかくだから今日も食べたらいいといって両親が連れていってくれたのだけれど、季節柄なのか鴨肉の在庫がほとんどなく、ゆえに鴨肉の切り身がたっぷり四枚のっかっている鴨南蛮そばはオーダーできず、つみれにした鴨肉の入っている鴨汁というやつだったらいけるという話だったのでそれを注文することしたのだけれどこれはこれでやはりまたべらぼうに美味かった。ほかにも湯葉をチーズといっしょに揚げたやつも母が注文して、一口食わせてもらったのであるけれどもこれがまた死ぬほど美味くて、聞くところによると大将はなんでもむかし京都のそば屋だか料亭だかでみっちり修行をした方だということだった。
食後の満腹感に眠気を誘われて温泉までの道中をほとんど寝て過ごした。温泉に入るまえにコンビニでアサイー入りのヨーグルト飲料みたいなのを購入して飲んだ。二時間後に落ち合う約束で男湯女湯のまえで別れたが、一時間と少し浸かったところでもう十分となったから、というよりはむしろ先に湯を出て座敷でゆっくりくつろぎながら本を読みたいなというのがあったのでいつもより早く切りあげて、先にあがっているからと父に告げて脱衣所にもどり、身体を拭き、浴衣に着替えてから体重を計り、そうしてロッカールームにもどって私服に着替えた。自販機でアイスココアを購入してから畳敷きの待合室のようなところにおもむき、座卓のまえに陣取ってホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』を読みはじめた。となりの座卓では浴衣を着た若い男ふたりぐみが湯上がりのビールを飲みながらさきいかをつまんでおり、一方がもう一方に語りかける言葉のことごとく敬語であったことを思うと、あるいは大学の先輩後輩という間柄なのかもしれず、(…)が何時何分発でどうのこうのとスマートフォンをいじくりながら今後の計画をたてているようだったが、最初はぽつりぽつりと周囲をうかがうような、というかとなりの座卓にいるこちらを慮って小声でぽそぽそと話していたのが、ほかの湯上がりの客がぽつぽつ姿をあらわしはじめるにつれて、酒の勢いも手伝ってか、しだいにくだけた声色での会話へと調子を転じていった。その二人組のさらに向こう側に、せせらぎに面した大きな窓の際にしつらえられた腰かけに仲良く座っていた老夫婦がいたのだけれど、そのおばあさんのほうがゆっくりと立ちあがるやいなや、お尻から根っこが生えてしまいました、とつつましく上品な口調でもらすのが聞こえて、なんてすてきなんだろう! と胸を激しく打たれた。学生二人組のほうもおばあさんの小声ながらもやたらと通る声質にひきよせられるようにそちらのほうを一瞬ふりむいたようだった。まもなく父親があらわれた。父親は売店で購入したびんの牛乳を手にしていた。体重が増えていた、おれもおまえみたいに腹筋を割らなければいけない、と口にしてみせたが、じぶんが帰省するたびごとにそう口にするだけでじっさいに運動をはじめることはないと先日も弟に突っ込まれていた。やがて母親があらわれた。三人で車に乗りこんだ。父親と母親のスマートフォンにそれぞれ姪っ子を抱っこするSの写真が入っていたので、すこし見とれた。とちゅうでコンビニに立ち寄ってアイスクリームを買った。人身事故と慰謝料の仕組みについて説明した。
帰宅してから弟の用意してくれた夕飯をかっ喰らった。味ごはん・あおさの味噌汁・レタスとプチトマトとアスパラと生ハムのサラダ・イカと大根の煮付け・空豆と卵のスクランブルエッグだった。テレビでR-1というやつがやっていたので最初から最後まで通して見た。レイザーラモンRGiPodあるあると称して「だいたい四角い」というクソみたいにくだらない大オチのためだけに持ち時間をフルに行使して盛大な前フリをしていたのとそれを汲み取った審査員のコメントに死ぬほど笑った以外はあとはだいたい退屈だった。お笑いブームというやつにも結局まったく乗ることができずにここまで来てしてしまったわけだけれども(M-1とかもいままで一度も見たことがない)、この程度のものがおもしろいおもしろいともてはやされているんだったらそりゃまあテレビもネットに負けるわなと思った。テレビはこれからしばらく暗黒期が続くのだろうけれども、ネットというゆがんだ鏡像を前にしてしばらく悪あがきするうちにいずれみずからに固有の領域を見つけ出すことに成功し、ふたたび強烈に魅力的なメディアとして(ラジオ番組というのが一定数のコアな視聴者を獲得しているように)はばたくことになるんでないかと思う。
R-1を見終わったのち、洗濯物を干したり新聞を読んだり本を読んだりしている母親とふたりで居間に残って、コーヒーをがぶ飲みしながらここ数日のブログの続きを書いた。あんた書き物しとるときそんなにコーヒー飲むんかん、と母親におどろかれたが、これでも比較的セーブしているほうである。とちゅうで父親の親族にまつわる諸々についてあらためて話を聞き出した。父は四人兄弟であるけれども、よそに嫁いだ姉(しかしこの嫁ぎ先がよそとはいいながらも以前も書いたように母方の祖母の一族にあたる)以外の三人のうち、男の子を産んでいるのはうちだけで、長兄の子も娘ふたり(うちひとりは連れ子)、父の双子の兄の子も娘ふたりで、うちだけは息子三人であり、ということは要するに最終的に(…)の名を継ぐのはうちの一家だけということになり、それがまた親族間のゴタゴタの理由のひとつにもなっているらしかった。母が一人目を妊娠したのと、父の双子の兄の嫁が一人目を妊娠したのがほとんど同時期だったらしく、そのときに亡き祖母がしばしば男の子を先に産んだほうが勝ちだ、これは競争だ、みたいなことをいってさんざんあおりたてたことがあったみたいで、それにくわえてじっさい、兄嫁は男の子のほうをほしがっていたそのために、結果的に男の子ばかり産んだじぶんが恨まれるにいたったんでないかと母は言った。弟を妊娠したときも、母はその兄嫁から、貧乏のくせに子どもばかりたくさん産んでみたいな皮肉をさんざんいわれたらしく、あげくのはてには、堕ろしてしまえばいいとさえいわれたこともあるという。母がいちど流産してしまっていることを知ったうえでそんなことをいうのだから、まったくもって根性が腐っているとしかいいようがない話である。父はそんな兄嫁の性格について、片親のもとで育ったのだからひねくれてしまっているのだ、みたいなことを言っていて、その言い方もどうかと思うが、しかしじっさいその兄嫁が(…)の家に嫁入りしたときに、亡き祖母などはどこの馬の骨ともしれぬ女と結婚なぞして、と猛反対したのだという。ひるがえって母親は当時小学校の臨時教員として働いていた、その差をもってしてまたもや祖母がなにやら口にしたらしく、それを小耳にはさんだ兄嫁は、わたしはMちゃん(というのは母親のことである)とだけはぜったいに仲良くしたくない、などとほかの親族に漏らしていたらしく、それをまた長兄の嫁などがあの子がこんなこと言っていたと母親の耳に入れるなどして、とにかくグチャグチャだった、この家はおかしいと短い同居期間中につくづく思った、と母はいった。ぜんぶタイミングの問題なのかもしれん、と応じた。男の子を産んだほうが勝ちやとかそういう考え方、ぜんぶばあさんのせいにできやんとこもあるわけやん、時代がそういう価値観で染めぬかれとったわけやし、ましてや旧家の出なわけやろ、必ずしも個人的な人柄に帰せることができるもんばっかちゃうやろたぶん、そういうの考えると、すごいタイミングの問題なんかもしれんなって、片親のもとで育ったとかべつにいまとかそんなんふつうやん、それでどうのこうの見られるってこともむかしとくらべたらそんなにない時代ではあるわけやん、それとかうちだけたまたま男の子ばっかり産まれたとかさ、母やんやって女の子ほしかったわけやん、ほんでじっさいそう口にしたこともあるわけやろ、でもむこうからしたら勝ち誇った皮肉みたいに聞こえてしまったりもするわけやん、なんかそういう、誤解に誤解を重ねるタイミングっていうか、ぜんぶがぜんぶ時代のせいにするわけちゃうけど、なかにはもうだれをせめたらいいってもんでもないような問題もあるよなってな、そういうふうに思うとこもまああるよなって、とそういうと、ひとつぼたんの掛け違いがあってそこからずるずるいってったんかもしれんなあ、と母もいった。うちやっていまはまあそれなりに兄弟なかよくやってはおるわけやけど、いつなにが原因でどうこじれることになるかなんてわからんしな、それこそたとえば政治なんかの方面やったらぼくと兄やんなんてほとんど対極の考え方しとるわけやん、たとえばこれが政治の季節のアレやったらとっく刃傷沙汰になっとってもおかしないわけやしな、というと、母はいきなり笑って、Mちゃん(というのは兄嫁の名である)な、お母さんと会うたびにお兄ちゃんの悪口いうんやに、このあいだも顔合わせるなりお母さんちょっと聞いてくれるーっていうてな、というので、それはでも嫁姑関係でいえばほとんど理想的な関係っていえるんちゃうの、じぶんの旦那の愚痴を旦那の母親にいえるって、それはすごい恵まれた幸福な間柄やよきっと、兄やんには泥かぶってもらうことになるわけやけどさ、と応じた。
祖母はかつていちど母にむけて、ひとり堕ろしているのだと告げたことがあるらしかった。生活が苦しかったためらしい。そうして十年以上経って次に妊娠すると双子であることが判明したのだという。なんともいえない話だと思った。別にそんなことあるとは思わんけどな、ただの偶然やけども、と母はそういいながらも続く言葉に迷っているようだった。なんともいえん話や、と今度は声にだして応じた。因果の文字が脳裡によぎった。
父と父の双子の兄の関係があんなふうにこじれてしまってはもうだめだ、と母はいった。いままでは祝儀にしろ香典にしろ双子のあいだで相談して同額をおさめるようにしていたのが、今度の一件でも父が電話をかけて相談すると、わざわざ同じ金額にあわせることはないのだと突っぱねられたのだという。通夜の席にそなえられていた果物のたぐいにしても、こちらの一家には相談なく勝手に相手のほうで話を進めていたらしく、結果としてうちの一家だけがなにも供え物をしていないという不義理な状況に立たされるはめになったということで、それに気づいた兄が通夜の席で父親にいまからでも手配してもらってせめて告別式だけでも三兄弟の連名で供え物を置いたほうがいいんでないかといったところ、もういい、放っておけ、と父は吐き捨てるようにいい、父やんがそれでいいんだったらもうなにもいわない、と兄もそこでひきさがったということだったが、それでも最終的には、告別式の場にわれわれ三兄弟の連名なのかそれとも(…)家の名前でなのかわからないがとにかく供え物は置かれたということで、その費用はすべて兄が捻出してくれたという話だった。要するに、ハブチの仕方がとことん陰湿なのだ。完全に村八分の論理にしたがっている。馬鹿馬鹿しい。反吐がでる。田舎者のろくでなし、牛糞以下のぬけさくばかりだ。
Tくんについて、男前であるし、しっかりとした堅い仕事にも就いているし、気のよいさわやかな人柄であるし、それでいてどうしていまだに未婚であるのか、当人は一人暮らしのほうが気楽だからといっているらしいのだけれど、熱心な学会員であるそのために過去に結婚の話がこじれたみたいなことがあったんではないかと母と兄は疑っているみたいだったので、言葉をそのまま真に受けてやってもいいんでないかと思った。本当にただ単純に独り身の気楽さを求めての未婚なのかもしれない。ただはじめてTくんと言葉を交わしてしばらくおしゃべりを続けているあいだ、なんとなく、根拠らしきものはひとつもないのだけれどただぼんやりと、このひとひょっとするとゲイじゃないかなと思った瞬間があったので、母親にそう告げてみると、いやーそれはないに、と断言したあとに、あーでもわからんな、そうなんかな、ひょっとしたらそうなんかもしれんな、と続けて、なにか思いあたる節があるようだった。
祖母の兄弟にひとり精神病院で一生の大半をすごしたひとがいるらしかった。母は、結婚前にその事実を知らされていなかったのだ、とさもそれが重大な過失であるかのように言ってのけてみせた。母はおそらくまったく覚えていないだろうけれど、まだ小学生だったとき、おそらく兄の頭がおかしくなって病院に通いだしてまもなくのころだったと思うが、じぶんとふたりきりの車中で同じことを言ってのけてみせたことがあった。そうしてそのあとに、それを知っていたら結婚なんてしていなかったのに、とさもいまいましげに吐き捨てた。その一言は、おさないじぶんをまあまあ傷つけた。母の一言は暗に、キチガイの血を引いたじぶんの存在を否定するものだった。じぶんはそれほど泣かない子だったが、このときは少々こたえた。目がうるんで、声がふるえた。それってぼくのこと、とまで口にして、続きがいえなかった。でも、まあ、母は母でいろいろ追い込まれていたんだろうと子どもながら当時から同情するところもなくはなかったし、だから今度の発言にしても、それが父の双子の兄の嫁の心ないふるまいや、祖母の旧態依然の価値観と軌を一にするものであるぞと、そういうふうな指摘をする気にはなれなかった。すべてタイミングの問題だとまた思った。ほとんど思考停止を呼びまねくマジックワードであるが、この言葉ばかりがやたらと親身にこちらに寄りそい腑におちるようなところがあるのだ。業も因果も血も呪いもしらない。そんなものはなんでもない。おれは許す。あるいはなにひとつ気にしない。この血族のなかで自由に動く。ふるまう。とてもしずかなトリックスターとして。みずからのみずからにたいする関係だけをきりもなく書き換える自足者として。
母もまもなく二階の自室に去った。ひとりの居間で朝方まで数時間、延々とここ数日のブログを書きすすめた。そうして4時を前にして弟の部屋にいき、寝床にもぐりこんだ。呪いは背負う必要もなければ捨てる必要もない、ただ無視すればいいだけだと思った。
 
 
5日(水)
10時だか11時だか知ったこっちゃない午前に起床した。弟の部屋で延々とブログの続きを書いた。ネットにようやくつなげることができたので、ひとまずメールだけチェックしたのち、3日までの記事をアップした。図書館から返却催促のメールが届いていた。じぶんのブログ画面を開いたとたん、長旅からようやく家に戻ってきたような気持ちがした。おなじみのウェブサイトを巡回していると、ひさしぶりに顔をあわせた友人を前にしているような気分にもなった。インターネット、なくてはならないものになってる。ブラウザ越しに聴きとどける声という声がすごく愛しい。SNS、ひとつもやってないのに。
父と弟の三人で(…)に出かけた。京都にも(…)があればいいのにと思った。王将よりもほんの少し値段は張るけど、しかし王将よりもほんの少し美味い。帰宅後は弟の部屋の万年床にうつぶせになりながら母親が仕事から帰宅し弟が夕飯の支度を終える19時頃まで延々とブログを書き続けた。部屋には父もいた。弟のパソコンでひたすらオンライン麻雀にはげんでいた。じぶんより一足先に階下にむかう前に、こんだけやって五分五分か、とため息まじりの独り言をもらすのが聞こえた。16時ぴったりに町内のサイレンが鳴りわたりはじめると、犬っころがいっちょうまえに遠吠えなどしているのが階下から聞こえた。
白米・味噌汁・ぶりの塩焼き・じゃがいもと糸こんにゃくとにんじんと空豆の煮つけ・豚肉とニラの炒め物。マダガスカルを特集したバラエティ番組がやっていたので飯を食いながら観ていたのだが途中でなぞの下痢に見舞われそのあとリビングで横になって小一時間ほど眠った。起きてから風呂にはいって弟の部屋にあがり、一カ月前の日記を読みなおしたり「偶景」の素案をひとまず箇条書きにまとめたりYouTubeレイザーラモンRGを見てくすくす笑ったりした。そうして『夜のみだらな鳥』をほんの少しだけ読みすすめて、2時過ぎには寝た。