20140306

 Xはナポレオンを模倣する、だが模倣はナポレオンの本性ではなかった。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 いかなる芸術においても、その芸術それ自体に逆らって作用し、それを解体させる方向に働く悪魔的な原理が存在する。同様な原理は、シネマトグラフにとっては、一から十まで不都合なものだというわけでは恐らくない。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



11時起床。階下にいくと居間で毛布をかぶって寝転んでいた弟からもうすぐ兄嫁が姪っ子を連れてやってくると聞かされたので急な話だなと思いながら歯をみがいているところにこんにちはーと声がしたので玄関に出るとすっかりでっかくなった姪っ子を抱いたMちゃん(兄嫁)があらわれたので、ああどうもどうも、と挨拶した。若い女子が大好きな犬っころが姪っ子などどうでもいいとばかりにMちゃんに飛びついてはひんひんひんひん鳴いてしかたないので、弟とかわりばんこで取り押さえながらひとまずMちゃんを部屋に招き入れた。さっそく抱かせてもらうと、正月に会ったときよりもずっと身体がしっかりしていて、もろいこわれたものを手にしているときのような危うさはすっかりなくなっていた。目線も焦点もしっかりしており、二カ月前はここまで確たる意識を宿した目の色は決して認められなかったのが、すっかりもの思う人間と化していて、たった二カ月でこの変化かと思った。次に帰省するとしたら盆である。そのころにはもう立ち上がることもできるだろうし、簡単な言葉のひとつやふたつだったらあやつれるようになっているかもしれないということだった。Mちゃんとは中学時代の同級生であるのでかつての同級生らの消息などを、主にだれそれのところに子どもが産まれただのだれそれは帝王切開だっただのと聞かせてくれたのであるけれども、まったく名前に覚えがなかったりぼんやり聞き覚えはあるけれども顔がぜんぜん出てこなかったり、もともとひとの名前をおぼえるのがそれほど得意でないのに加えて、離れた土地の人間と交際を持続させるすべも持たないために、こんなにも記憶というやつはたやすくすたれるものかとわれながら驚いた。兄と面識のない同級生らは姪っ子をとりかこむたびに、ああ本当だ、(…)くんの面影があるといえばある、と口にするらしい。Mちゃんと話をしていると、Mちゃんはなんのかんのいって地元のひとだな、と思う。高校を中退してから渡米してむこうで数年過ごしたという経歴上の断絶を持ちながらも、しかしいまもこうして旧友との交際を持続させて、十数年の個人史がすべて地続きに進行しているという確固たる前提のもとに構築された視野のなかに身を置いている、という印象を受ける。ひるがえってじぶんはというと、高校に進学すると同時に中学時代の交際をほとんど無くし、大学に進学すると同時に地元での交際をほとんど無くしという始末で、高校卒業を間近にひかえたころ、中学時代の付き合いをすべてなくしてしまった過去を踏まえて、京都にいったらきっといまじぶんの手元にある関係もきっとすべて反故になってしまうのだろうと当の友人らを相手に何度か語った記憶があるのだけれど、そこでたとえば同じ過ちをくりかえしたくない式の宣言ではなく、半ば決定事項として見据えた関係の瓦解を予言の淡々とした口ぶりで言ってのけてみせたところに、そうしたじぶんのやり口を仕方のないものとしてあきらめている心だけではなく、むしろそのような関係の刷新と更新をなにごとかにたいする推進力としてみずからもまた利用しているという秘密の癒着を見てとれないこともないと思う。中学のころにもその気のないこともなかったけれど、高校に入って本格的にグレて、で、大学に入学してまもなく今度はいきなり芸術にかぶれてしまってと、そんなだから中学・高校・大学とそのときどきの同級生らがじぶんに抱いているであろうイメージにはたぶんとんでもない隔たりがあって、逆にいえば、こちらとしても中学・高校・大学と、それぞれの時代の同級生と再会するたびに過去のじぶんの顔つきと出くわすことになるわけでそのたびにやはり戸惑うし、その戸惑いが面倒でたまらないので自然関係は解消されていくことになるのかもしれない。Facebookにたいする強い拒絶反応もたぶんそこにある。あれは少なくともじぶんの周囲の利用者を見るかぎり同窓会促進ツール以外のなにものでもないように思われるから。なるべく過去のじぶんに対面することなく生きていきたいというのがある。
仕事を終えて帰宅した父と仕事を早引きしてきた母と仕事とは無縁の弟とがそろったところで遅い昼飯に中華を食いにいった。じぶんがまだ小学校低学年のころに母親が勤めていた店であり、おとずれるのはそれこそ二十年ぶりかそこらである。制限時間内だったら無制限にオーダー可能というコースだったのだけれど、店に到着したのがすでにラストオーダー30分前だったので、とりあえずこれくらいだったら食えるだろうという量をオーダーしまくったらとんでもない大皿小皿がばんばん運ばれてきて、最初は美味い美味いとみんなで口をそろえて食っていたのが、だんだんとこれほんとにぜんぶ食いきることできんのかよといういぶかりの表情とともに雲行きがあやしくなり、最終的にはだれがこんなもの頼んだんだよと皿の運ばれてくるたびに食卓の空気が険悪になるという最悪の末路をたどることになってしまった。味が濃いばかりでぜんぜん美味くない唐揚げが大量にあまったのでひとまずそれをナプキンに包んで母がバッグの中にしまいこんだ。つまり犬っころへの盛大な手みやげというわけだ。Mちゃんがこの店に来たがっているらしく、夏にじぶんが帰省したさいにでもまた一族みんなでという話になっているようなのだが、けっして愉快な食事というわけではなかった今日この日の記憶にひきずられるかたちで、ひょっとすると場をあらためることになるかもしれない。
店をあとにしてからそのまま車で(…)駅まで送りとどけてもらった。花粉対策のマスクがよれよれのてれんてれんになっていたので代わりのものをどこかの薬局で買おうと思っていたら、ダッシュボードのなかに入っていた一枚を父親がくれた。マスクの上辺に針金が入っていて鼻のかたちにあわせることのできる代物で、めがねの曇りをそれによって若干カバーできるという優れた一品であり着け心地も最高だったので、安物買いはやっぱりだめだなと思った。地元に滞在した四日間か五日間か、とにかくずっと冬の気温で寒くてたまらず、これひょっとすると来週の東京も冬服で出かけなければならんのだろうかとぼやいていると、あんた東京いくんかんと母親がいうので、大学んときのツレが四月にシカゴ転勤決まったから会いにいってくると告げると、あんたのまわりえらい子ばっかやなというので、でもいちばんえらくてやばい京都の小説家がおいでになるってことでいまごろ東京の連中みんな美容院いって身だしなみととのえてネクタイの結び方練習しとるに、と応じた。でたでた、と弟がにやにやしながら言った。
駅について車からおりようという段になって、香典にあまりが出たらしいからこれもってけと父親から万札を差し出された。いらねえいらねえと突っぱねるのと、黙って持ってけアホと押しつけられるのをくりかえした。それだったらもういっそのこと収入のない弟にやってくれというと、当の弟が、ぼく金あるしな、とクソ生意気なことをぬかしたので負けた。もう五年もしたらこっち年金生活なんやからいまだけやぞ、おまえそれまでにはなっとか一発当てろよ、と車をおりるこちらの背にむけて父がいうので、こっちはとっくにノーベル賞の授賞式行く準備はできとんねん、文句は出版界社の能無しどもに言うて、あいつら口だけはえらっそうにやばい作品待っとるとかいうときながら目がまったく追いついとらへん馬鹿たればっかや、と返答した。
特急に乗った。スーツ姿の若い男性ばかりの六人グループがじぶんの前方の席にかたまって腰かけた。出張なのか就活なのかよくわからない面々だった。(…)まで車窓の風景をぼんやりながめた。それから『夜のみだらな鳥』を少し読み、小一時間ほど眠った。腹がいっぱいだった。駅の売店で購入した食後のコーヒーを飲むのさえつらいほどだった。京都駅に到着してから地下鉄に乗り換えた。去年の夏以降、京都駅とも地下鉄ともすっかりおなじみさんになったという感じがある。バッグと、スーツと、靴と、土産物と、それらを抱えながら車両のドア付近にもたれて立って、そうして本を読むのはなかなかしんどいものだった。ほかに席が空いているにもかかわらず、じぶんと同様ドア付近の距離で立ちっぱなしでいるスーツ姿の女性がひとりいて、横顔がきれいだった。なぜ空席に着かないのか? おれに気があるのでは? と中学生ともおっさんともつかぬ馬鹿げた妄想がくりひろげられた。要するにそれくらいきれいな横顔だったのだ。
鞍馬口でおりた。地上に出ると、ああ帰ってきた、と安堵のため息がもれた。下宿先に到着すると大家さんの姿があったのでこんばんはと挨拶した。あんた病気しとったんか、というので、祖母が亡くなったので帰省していたのだ、と応じた。大家さんはじぶんが運んだ差し入れにあたっててっきり入院でもしているんでないかと心配していたのだと笑いながらいった(大家さんのなかで、じぶんは胃腸の虚弱な若者と認知されてしまっている)。そんなことありゃしませんよ、いつもおいしくいただいてます、とその場にかがみこみ目線の高さを大家さんにあわせて答えた。大家さんはこちらの背中や肩をさすりながらよかったよかったと笑いながらつぶやいた。それから祖母の年齢をたずねてみせたので、92歳だったと応じると、わたしなんかもう、ほれ、96です、ほんっとにもうお恥ずかしい、はようお迎えにきてくれへんものかと、毎日お祈りしてるんですえ、あやかりたいものですな、わたしもほんっとに、ほんっとにあやかりたい、といいながらこちらの腕に抱きついてすがるようにいうので、いやいやそんなんいわんと、といいながら背をなでた。背をなでるじぶんのその手つきで、今日の昼まで実家の犬っころ相手にむけていた手つきであることにふと気づいた。乳母車を押しながら大家さんは何度もあやかりたいあやかりたいと漏らした。それから、おむかえにあがって、まあ、めでたいことです、と言った。信仰が生きている、と思った。
梶井基次郎に延滞がついてしまっていたのでひとまず図書館に出かけた。カウンターで延長を申し出ると、いちど延滞のついてしまったものは借りるためにはふたたびインターネットで予約をとらなければならないとのことだったので、めんどくさいシステムだなと思った。スーパーで牛乳だけ買ってから帰宅し、延滞を解消したことによって可能になったウェブ上の操作を駆使し、まだ抜き書きの終わっていない古井由吉『野川』と金子光晴『どくろ杯』、それにまだ読み始めたばかりのホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』の貸し出し延長を申請した。
たまっていた洗濯物をまわしてから風呂に入った。部屋にもどり簡単なストレッチをし、花粉を避けるために洗い終えたばかりの洗濯物を部屋干しし、それからamazonから届いたばかりの『Loving Takes This Course: A Tribute to the Songs of Kath Bloom』やヒラリー・ハーン&ハウシュカ『シルフラ』(名盤!)をおともに延々と数時間ぶっとおしで『ゴダール映画史』の抜き書きをおこなった。2時すぎに疲れきって布団にもぐりこみ消灯した。