20140308

 運動するものの光景は人を幸福にする――馬、運動選手、鳥。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 相似、差異。
 より多くの差異を得るために、より多くの相似を与えること。生活の均質性と統一性は、個々の兵士たちの本性や性格を浮き彫りにする。「気をつけ!」の姿勢においては、全員の不動性が、各人の持つ特有のしるしを現出させる。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



7時前起床。ココアの朝食。8時より12時間の奴隷労働。Sさんのピストが職場に止めてあったのでどうしてこんな時間にと思ったのだけれど、東京への引っ越しを月末に控えているため身の回りのものをすでに処分しはじめているらしいSさんからどうやらTさんが譲り受けたものらしく、購入してたぶんまだ半年もたたないものなのだけど、それをまたパンクした自転車が修理から返ってくるまでのあいだという条件付きでTさんがJさんに貸し出しているようだった。手持ちのケッタもずいぶんボロボロになってきているところだったので、ゆずってもらえるのであったのならばぜひともゆずっていただきたかったが、ときすでに遅し、Tさんに先手を打たれてしまった。Tさんの性格からして、欲しいといえばおそらく無料でゆずってくれるんだろうけれども、それをすると飲みの席のひとつやふたつにはおつきあいしなければならないだろうし、そうするとまた前回のように殴り合いに発展する可能性もなきにしもあらずなので、さわらぬ神に祟りなしのていでいくほか。
朝っぱらからJさんとBさんのあいだがどうにも険悪で、昼休憩のあいだもまったく口を利かないので、これはきっとなにかあったなと思っていたのだけれど、勤務を終えたYさんが帰りしな、(…)くん今日気づいとった、というので、JさんとBさんっすよね、と応じると、あーやっぱ(…)くんはそっちおっても気づくんのやな、あからさまやもんな、でもこれSさんとかEさんはまったく気づかへんのよなー、という。で、原因をたずねてみたところ、ほんましょうもないんやけどな、と苦笑まじりに前置きしたあと、数日前にJさんがスーパーで買いだめしておいたラーメンかなにかをBさんにあげようとしたところ、Bさんがまるで汚いものを差し出されでもしているかのような懸命さで頑に拒否した、それをきっかけにどうやらJさんがカチンときたらしかった、それで今日いちにち双方ともにだんまりしているのだという。まったくもって子どもだ。クソガキだ。どうしようもない。JさんにせよTさんにせよいわずとしれたトラブルメーカーであるけれどもBさんもまたどうしようもないひとだとYさんはいって、ここにいちいちあげるまでもないささやかなエピソードのしかし星の数ほどあるらしいうちのごく一部を披露し、Bさんもあれでなかなか気遣いの不得手なひとやから、というのに、ていうかまずすげえ短気っすよね、と応じると、そうやねん、ものっそい気ィ短いねん、とあり、ていうかここのひとら基本的にみんなクソ気ィ短いっすわ、と重ねれば、ほんまそう、おれなんか超穏健派やで、と笑いながらいい、もめるってことはじぶんらだけとちごてまわりにも迷惑かけとるってことあのひとらほんまわからんのかなぁとあきれたように続けたのち、ほんまもう全員コミュ障やで!とほとんど声の裏返るくらいの勢いで吐き捨ててみせたので、ここで爆笑した。コミュ障という言葉の使われる文脈というのはどちらかというとおどおどきょろきょろしがちな一群の気弱なひとたち、過剰な気の遣いようが空転して裏目に出てしまっているひとたちをともなう印象があるのだけれど、ガッチガチに短気でクソ喧嘩っぱやい、ことあるごとにもめてばかりの三人に用いられるとまさしくそのとおりとしっくるところがまたあっておもしろい。おもしろいが、その三人とほかに緩衝材のない状態であした一日向き合わなければならないことを考えると、端的にいって萎える。
まあ(…)くん明日はおきばりやす、といってYさんが去ると、今度はSさんからまもなくこの職場を去ることになるわけだけれどもEさんと最後の最後でこんなふうに気詰まりな関係になってしまってそれがどうも心残りである、とまでははっきりいわないけれどもなにかしら引っかかりのあるらしいことをにおわせながらこちらにやってきたので、きれいにさようならしたいのであればそのお膳立てくらいはたぶんしてやれんでもないよと応じると、でもわたしものすごい腹がたってるんです、からはじまって、Tのおっさんのセクハラ騒動に関連するEさんの対応についての指弾がはじまり、まったくもって休まる心なんてありゃしねえと思いながら、頭上からふりそそぐテトリスブロックをすきまなく積み立てていくようにして彼女の言葉をひとつひとつ受け取り、相づちを打ち、鬱憤の横列を一段ずつ消去していくなどした。
帰宅してから明日からの東京行きに必要な衣服のたぐいを試着したりまとめたりした。冬日の週半ばまで続くようではあるけれども、荷物になることであるしやはりコートはなしでいくことに決めた。勤務中にHくんからメールがあって、いぜんSを羽田まで迎えにいったさいにNくんからその存在について知らされていたFくんという男の子がおしゃべりに混ぜてほしいといってきているのだけれどどうかとあって、もちろん了承したのであるのだけれどこちらの推測がまちがいでなければこのFくんというのはおそらく『A』の読書メーターに再読分と二度にわたり感想を書き記してくれている比類のないほどすばらしい好人物である。東京の楽しみがまたひとつ増えた。
蕁麻疹のスーパーで購入した総菜品と玄米と納豆を二人前かっ喰らったのち、風呂に入り洗濯をし、それから前日分のブログを書き記してアップし、今日の分のブログもまたここまで一息に書き記した。1時半には消灯した。