20140309

 心理学はいらない(自分が説明できるものしか発見しない心理学は)。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 自分が何をやっているのか君自身にもわからず、かつ君のしているそのことこそが最善のことである場合、まさにそれだ、霊感とは。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



朝早く起床。8時より12時間の奴隷労働。BさんJさんいっさい会話なし。BさんJさん、と書いてならべてみるとBJ(ブラックジャック)みたいで少しカッコイイ。朝のバスで一緒になったTさんからJさんともめたんですかとたずねられた、どうやらYくんよりTさんのもとに昨日の晩に電話がいっていたようであるが余計なお世話だ、とBさんより打ち明けられたので、なんとも応じられなかった。土日が二日連続でヒマだったのでめずらしいこともあるものだと思った。帰宅してからさっとシャワーを浴びて荷物をまとめた。腹が減っていたのでなにか食べようかと思ったが、駅にいけばなにかあるだろうと家を出ることにしたのが9時過ぎだったか、バスは22:45発だったのでひとまずコンビニでおにぎりをふたつ購入した。バスの搭乗場所がいまひとつはっきりしなかったのでインフォメーションセンターでたずねると、おまえそんなことも調べずにノコノコここまでやって来たのかといわんばかりのあざけりの態度でもって対応されたので、このクソジジイめと思った。指定された待ち合い場所には防寒具を着込んでバス会社の名前の記されたプラカードを掲げたスタッフの姿が幾人かあった。Sを羽田まで迎えにいった夜を思い出した。掲げられたプラカードにこちらが搭乗する予定のバス会社の名前がなかったのでスタッフに声をかけると、その会社ならむこうだと遠い方角を指さされたので、あのクソジジイめとまた思った。赤いジャンパーを着込んだ女性スタッフがいたので声をかけた。まちがいなくここだとの返答があったので、たちならぶコインロッカーを背にして突っ立ちながらおにぎりをふたつまとめて購入した。しばらくするうちにトランクケースを手にした利用客の姿がまばらに集まりはじめた。最初の一台のバスが到着した。こちらの利用するものとは別のバス会社だった。利用客らが続々とのまれていった。姿の確認できない乗客の名前がスピーカーでくりかえし叫ばれた。二台目のバスも別の会社のものだった。一台目とおなじ行程がくりかえされた。そうして三台目が到着した。搭乗口で運転手らしい男性に名前を告げると、あらかじめ指定しておいたバス最後部の右側座席にいくよううながされた。通路をはさんだ隣席には大阪で乗車してすでにすっかりくつろいでいるようすの男の姿があった。その男のだらしない姿を目の当たりにしたときにかすかに後ろめたいような、奇妙に気後れするような萎縮するような心の動きがした。どういうことかと反省してみるに、どうやらあのように倒したシートに横になってブランケットを首もとまでかけてリラックスしきっているようすの人物を目の当たりにすることによって、じぶんが他人の家の寝室に土足で踏みこんだ闖入者であるような錯覚を得たからでないかと思った。せまい座席だった。とても窮屈だった。こんなところで眠れたもんではないと思った。こんなものに7000円近くも支払うとは馬鹿げた話だと思った。プライベートカーテンを引いた。リクライニングシートを倒すと、最後尾の座席であるその関係からかせっかくの目隠しのから上体がしっかりとはみだしてしまい、せまい通路をはさんだ左手の客とはっきりとたがいの姿を視野におさめあう位置取りになってしまうという不都合があった。消灯時刻までシートは倒さないことにした。鞄の中から財布だけぬいてジャケットの内ポケットにしまい、そのかばんと着替えやほか細々とした生活品をぶちこんである紙袋の双方を頭上の収納スペースにつめこんだ。まもなくバスが発車した。22:45発のバスだったが、動きだすころにはすでに23時をまわっていた。ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』を読もうと思ったが、薄暗がりのなかで読書をするのはなんとなく気がひけたので、分厚い一冊は足下に置いておくことにした。窓際にひかれた分厚い遮光カーテンのむこうに首からうえをもぐりこませて外の景色をながめた。夜の風景だった。しだいにうつらうつらとする心地があった。頭をのせた窓の車体の振動に応じてふるえるたびに鼓膜がむずがゆく鳴った。その感覚に身をゆだねるたびにいつも幼いころの記憶、営業車をのりまわす母の車の後部座席で退屈にたえかねて死んだようにただじっとしている小学生のじぶんが前景化するところがあった。最初のパーキングエリアにバスが停止した。ここを出ると同時に消灯となるはずだった。プライベートカーテンのむこうがわにいったん出て、ホセ・ドノソとかぶったままでいたハットを頭上の収納スペースに片付け、紙袋の中から就寝時用のマスクをいちまい取り出した。バスが発車した。消灯となった。リクライニングシートを目一杯倒し、ジャケットとブランケットを着布団代わりにして横になり、iPodでkath bloomを流した。すぐに眠りに落ちた。夜中に何度か目覚めた。そのたびにまた眠った。横浜に到着したときにうっすらと尿意をおぼえた。新宿でおりたら駅の便所にいこうと思った。