20140310

 真実とは模倣不可能なものであり、虚偽とは変形不可能なものである。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 美しい写真はいらない、美しい映像もいらない。必要欠くべからざる映像と写真があればよい。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



新宿に到着すると7時だった。ゆっくりと身支度を整えて荷物の置き忘れがないか確認してからバスをおりた。じぶんが最後の乗客だった。運転手さんにありがとうございますとあいさつをした。運転手さんとおなじ制服に身をつつんだ別の中年男性が、新宿駅はむこうですよ、と指をさして教えてくれた。西武新宿線ってやつもすか、とたずねると、あのあたりぜんぶ地下でつながってるから、とあったので、なるほどと思った。見覚えのある風景だった。Sをむかえに夏に上京したときと寸分違わぬ朝の町並みだった。地下におりるよう指示されたはいいものの、新宿の地下は梅田の地下以上にやばいことになっているという話を聞いたことがあったので、西武新宿線までの地上の道のりをぼんやり覚えていたこともあり、ここはひとつ日向を歩いて目的地までむかうことにしようと決めた。早朝にもかかわらず新宿にはたくさんの歩行者がいた。その大半がスーツのうえに黒いコートをはおった勤め人たちだった。ふしぎに若者の姿はなかった。日本のサラリーマンの大半は中年であるにちがいないと思った。西武新宿線の改札を抜けようとするとpasmoが引っかかった。駅員さんにカードを手渡すと、京都から乗られたんですかといわれたので、いやいやいやと応じた。玉川上水までの道のりをたずねると、乗り換えは避けたいですかとたずねかえされたので、むずかしくないんだったらと応じると、小平で拝島行きに乗り換えるだけです、小平に到着した時点でもう拝島行きのが待っているんで、とあったので、わっかりましたどうも、とあいさつしてから改札をぬけて電車に乗りこんだ。
電車のなかはガラガラだった。便所に行くのを忘れていたな、と思った。スーツ姿はほとんど見当たらなかった。これからどこに出かけてなにをやるのかさっぱりわからない乗客らのてんで勝手にぱらぱらと点在する郊外行き早朝の車内だった。じぶんにしたってそうだ。京都から出てきてこれから友人宅にむかう身であると、このなかのいったいだれが推し量ることができるというのだろう。Hくんから無事に新宿に到着したかとたずねるメールが入ったので、すでに電車に乗りこんでいると返信した。何時に到着かと続けてたずねるメールが入ったが、さっぱりわからなかった。駅に到着して改札をぬけると覚えのあるネコドナルドの店構えが目についた。Hくんに電話していまマクドの近くなんやけど、と伝えると、ああいたいた、と声がして電話が切れて、どこだどこだときょろきょろするこちらにむけてワークキャップに黒のダウンを着込んだ姿が近づいてきた。改札を抜けるか抜けないかのときにたしかに視野にいちどおさめたことのある人影だと思った。東京寒いね、というと、ちょっとそれ薄着すぎますよ、といわれた。ブログでコート持ってこないとか書いてたからだいじょうぶかなって思ってたんすよ。
小腹が空いていたのでネコドナルドでハンバーガーでも食ってから仮眠をとるつもりでいたのが、すっかり忘れてしまっていた。ケッタを引いて歩くHくんといっしょに完璧に見覚えのある、それどころかむしろすでに親しみさえおぼえつつある風景のなかを歩いた。Hくんは親類の経営にかかわっている会社で雇ってもらうつもりだったのだといった。事前にその親類に頭をさげて、面接の段取りをしてもらい、その面接をこなし、採用が決まったと連絡があったので引っ越し先を探していた、その矢先に採用はやはり取り消しだという連絡があったのが二三日前、がっくりきたといった。くだんの企業はHくんと血のつながりのある一族と血のつながりのない一族とが共同で経営しているところらしく、社長だったか会長だったかがHくんとは無関係な人物であり、どうやらその人物の一存で不採用が決定されたらしかった。えげつない話だと思った。
Hくんの家に到着してまもなくNくんからHくんの携帯に連絡が入った。週休一日の勤め人となったNくんにはamazonから届く荷物を受け取る時間がその休日であるところの月曜日くらいしかないらしく、昼過ぎを目処に集合する予定だったところをもうすこし遅らせてほしいという話だった。集合は15時に新宿でという運びになった。食いそびれたハンバーガーのかわりになにか小腹を満たすものはないかと思ったが、引っ越しをする前提ですでに食材を処理しはじめていたというHくんの冷蔵庫はがらがらだった。バスではそれ相応にぐっすり眠ったので仮眠の必要もないんでないかと思われたが、せっかく時間のあることであるしそれだったらやはり眠っておくかと思われたので、Hくんに部屋着を貸してもらってベッドにもぐりこんだ。そうしてパソコンにむかってなにやらカチャカチャやっているHくんとベッドに寝転ぶこちらの構図のままにしばらくおしゃべりをした。Hくんは『A』を面白かったといってくれた。もっとずっとむずかしいものだと思って気負っていたのがすごくポップだったのでおどろいた、と続けた。すごくありがたい言葉だった。ほめられてうれしいのは、がっつりハードコアに小説を読んでいるひとと、小説をふだんぜんぜん読まないひとである。後者からの評価は望めないだろうと思っていたところにこの賞賛だったのでテンションがあがった(「Z」はその点ぜんぜん駄目だった)。ブログの文章にもなにかしら通ずるところがある、という指摘もあった。それはこちらの意想外の指摘だった。けれど考えてみれば当然だった。似たような言葉遣いはたぶんいたるところに認められる。手癖は殺せない。むしろ、殺すことのできるものなどそもそも手癖ではない。だんだんろれつがまわらず緩んでいく口元の重さを感じながらしだいに眠りについていった。とちゅうでHくんが家を出ていく物音がした。
目が覚めるとHくんが部屋に戻ってきていた。とんこつラーメンを作ってくれたのでいただいた。細麺のストレートで美味かった。あとでたずねてみるとラ王らしかった。所属した事務所と一カ月で契約を解除したあとはとにかく仕事に就かなければならないという焦りがあるらしく、今だったらべつにこだわりもないと、以前だったら一顧だにしなかったテレビ局のMAやら商業用BGMの作成の仕事やら、あるいは原点回帰としてゲーム音楽制作の仕事やらに自らの身の置き場を求めたらしかったが、そのことごとくにはねられたといったので、とても信じられなかった。ゲーム会社にサンプルとして送ったというBGM3曲を聴かせてもらったが、どれもこれもそんじょそこらのゲーム音楽では太刀打ちのできない出来であったというか、余裕で水準をクリアしつつもアバンギャルドに走りすぎることなしにしっかりゲーム音楽の領分に根付いている、そこまで計算されつくした楽曲群のように思われた。が、それでも駄目だったらしい。なんとなく、箸にも棒にもかからない『A』の窮状と重ねてみたくなるような話だった。Nくんとそろってここ最近はもうずっと病みっぱなしだったというので、HくんもNくんも身近なところで支えてくれるひとがきっと必要なタイプだからはやいところ恋人を作ればいい、と適当な助言をした。Sの話題になった。あんな自己中なひと見たことない、と、たかだか二三日ともに過ごしただけのHくんでさえもがそういうほど彼女は強烈なキャラクターであったことが再確認された。Hくんもぼんやり英語の勉強を続けているようすだったので、英語圏の人間に恋するのがいちばん早い、これはマジで間違いない、下半身のモチベーションは半端ない、とだれもがわかりきっていることを熱弁した。Hくんは最近ゲイサークルのひとたちと知り合ってホームパーティーのようなものに参加したらしかった。これはじぶんもやはりまた違和感をおぼえるところであるのだが、Hくんはゲイ=おねえキャラという図式の(主としてテレビのバラエティ番組を経由して)流通し浸透しつつある状況にたいして強い異議申し立ての気持ちがあり、これは要するにゲイのなかに多様性を認めずゲイを括弧付きの「ゲイ」として一括してしまうステレオタイプにたいする反感であるというふうに換言=還元することもできるんだろうが、サークルの幹事さん宅でホームパーティーをするという運びになりそのひとのお宅にみんなで乗りこんだ途端、駅で待ち合わせをしているあいだはぜんぜんそんなふうにも見えず、街ですれちがってもぜったいにノンケだと思うにちがいないという印象さえ抱いたその面々らが突如としておねえキャラに変貌しておねえ口調であれこれ騒ぎはじめ、この豹変にはほとんど絶句してしまった、おれがまちがってたんかなと思ったというので、これにはちょっと笑った。
駅まで歩いてそこから新宿にむかった。車内でもまたいろいろな話をした。Hくんの両親はHくんが音楽を続けることを希望しているらしかった。当然だ。友人としてのみならず、作曲家としての彼のいちファンとしてじぶんもそれを強く希望している。希望しているが、その希望の主張が押し付けがましい響きをともなってしまうのは避けたいので、なるべく口にしなかった。なるべく口にしなかったが、それでも話の話題が彼の進路や将来にさしかかるたびに、たとえどういうかたちであれ音楽は続けてほしい、と漏らすのを我慢することはできなかった。さびしいよ。
新宿東口で待ち合わせという話だった。こっちからでもどうせ行けるやろ、と異邦人でありながら勝手な見込みで方向を指示してしまったこちらの浅はかな手違いにより東口に達するまでにぐねぐねうねうねと百貨店めいた建物の中を出たり入ったりくりかえした。Hくんはとても早足だったし焦っているようだった。待ち合わせ場所に遅刻してはいけないという強い意志が感じられた。わりと長いあいだHくんはじぶんとそっくりな人間であるとの思いを抱いていたが、その思いが強力になると今度は差異ばかりがきわだって見える。五分や十分程度の遅刻はじぶんがするにしてもされるにしても別段気にしないというのがこちらの性格である。
東口に到着したところでHくんがNくんに電話をかけた。その最中に見覚えのある背の高い後ろ姿を見つけたので、Hくんを片手で制して、すばやく背後にまわりこんだあとにその脇腹をぎゅっとやってやった。Nくんだった。そしてそのとなりにいるのが初対面のFくんだった。ひさしぶり、とNくんに挨拶した。それからはじめてましてとFくんに挨拶し、英語教えてくれ、と早速たのんだ。とりあえずコーヒーを飲みたくて仕方なかったのでカフェか喫茶店に入ることにした。新宿は建物もでかいしひとも多い。Nくんとしゃべりながら適当に歩いていると早速喫茶店が見つかったので、ここでいいかと入ろうとするとおもてに立てて置かれてあった看板にコーヒー1杯800円とかいうクソふざけた記述が目についたのでだめだだめだ田舎もんだと思って小馬鹿にしよってとなった。そうして近くにあった別の喫茶店に入ったのだけれど、いざ席について配布されたメニュー表を見てみるとこちらもまた1杯800円とかいうおまえこれなか卯だったらカツ丼とうどんのセットいけんぞみたいな価格設定で、しかし二軒続けて800円であることから察するにこれが東京の物価、新宿のショバ代なのかもしれないと思ったのでここはひとつどしんと構えることにして、まったくもってふざけた名前としかいいようがないが、貴族コーヒーとかいうのを注文した。Nくんも同じものを注文し、Hくんはダージリン、Fくんはココアを注文した。ふたりはコーヒーが飲めないらしかった。
それからすっごいだべった。Nくんの指先はバンドエイドが三つくらい巻かれていた。そんじょそこらの料理屋ではない、料理長はかつてミシェランで星をとったレストランで働いていたとかいうかなり本格的な和食屋にNくんは勤めはじめたようで、とにかく尋常でないくらいいそがしく、きびしく、そんでもってハイクオリティな職場らしかった。とりあえずは三年、とNくんはいった。三年働いてそれでも小説にたいする意欲がおとろえなかったらそのときはこれは本物だなってなると思うんです。うわさのFくんはかつて同居人Kがバンドを組んでいたギターボーカルのKさんとルックスも雰囲気もよく似ていると思った。ただし似ているのは物腰のぼんやりと控えめで寡黙な印象も認められなくはないうわっつらの印象だけで、話をむければ確信的な響きをおびて的確にうちかえされてくる言葉があり、つまり、日頃からよく考えている人間だと思わせる自足した矜持の響きがあった。場に空気に流されて打ってみせる適当な相づちに準ずるような言葉ではない、あくまでもおのれの意見を淡々と述べる口ぶりで、それは探求型の人間に固有のある種の頑固さと通底するところがあり、そうした印象をもっとも鮮烈にあたえてくれたのはFくんの愛読してやまないというガルシア・マルケス『族長の孤独』とわがマスターピース『A』のいずれのほうが面白かったのだ、返答次第ではおれはもう京都に帰るからな、と運ばれてきたコーヒーをまだ半分も飲みほしていないうちにこちらがせまったときに、ひと呼吸置いたのちに、いちばんは『族長の秋』です、で、二番目が(…)さんの『A』とウルフの『灯台へ』です、とあったときで、ちくしょう!負けたか!クソマルケスめ!死ね!全集絶版になれ!と思いつつも、しかしそのときはっきりとこのひと信用できると思った。Fくんが『A』を絶賛してくれておりじぶんのブログも過去ログ含めて何度か通読してくれているという話をもともとNくんから聞いていたのだけれど、じぶんにたいするその評価というのがNくんの身内であるからという理由でやや贔屓目に見てのものではないかといくらかあやしんでいたところがこちらにもあって、そうだとしたらたとえどれだけFくんが『A』のここがおもしろいといってくれたとしてもどうしてもそれを差っ引いて受け止めなければならないみたいな、そういう複雑な感情があったものだからじぶんでもけっこう乱暴だなと思いながらも意地悪な質問をしてしまったのだけれど、そこはFくんも譲らず応じてくれたそのために、このひとの場合は賞賛も駄目出しも素直に受けとっていい、と思った。つまり、おべっか使いじゃない。
小腹が空いたので喫茶店をあとにしてどこかで飯を食おうかということになった。Hくんは無職だし、Nくんは引っ越ししたばかりだし、Fくんはこちらと同じくらいの収入でなおかつこちらより浪費家らしいので(本とCDをバカスカ買う、ムージル『特性のない男』も全館そろえたらしいしつい先日もパウル・クレーの日記を新品で購入したらしい)、ここはひとつ年長者の矜持をふるいたたせておれが持とうと伝票を持ってレジにむかった。表示された金額に、これが本当に喫茶店のお会計なのかと目を疑った。喫茶店に滞在していたというのはこちらの思いすごしで実際はくら寿司にてひとり10皿ずつきりよく食したのではなかったか? そうしてお寿司ストラップの入ったゴミみたいなガチャガチャの景品をゲットしたのでは?
ファミレスにでも行きましょうか、とNくんが言い出した。だべりつづけるには最善の選択のように思われたので同意した。近くにサイゼリヤがあったが、(…)さん京都でしょっちゅうサイゼリヤ行ってますもんね、とNくんが苦笑していうので、おれぜったい店員さんから一年発起して大学受験に望もうとしとるおっさんやと思われとる、といった。近くにガストがあるようだったのでそちらに向かうことにした。三組待ちだった。待つのも面倒だったのでやっぱりサイゼにいこうとなった。そちらも三組待ちだった。いったいどうすればいいんだ!となったが、近所にびっくりドンキーのあることが判明したので、いよっしゃ肉食おうとあいなった。こちらは待ち時間ゼロだった。二階席にいった。おろしハンバーグみたいなやつを頼んだ。この時点でHくんはすでに一言も言葉を発さない石像と化していた。専門でない文学談義に倦み疲れたのかと思って悪いことをしたと感じたが、話を聞いてみると、夜中の2時からずっと起き続けているらしかった。食後Hくんは机に顔を伏せた(この光景、よく見ると思った)。そうこうするうちにこちらもこちらで食後に特有のいつもの眠気に苛まれだしたので、机の盤面に顎をたててイースター島のモアイみたいになりながらろれつのまわらない口調でおしゃべりを続けたが、この間なにをしゃべったのであるか、はっきりいってぜんぜん覚えとらん。ヴァージニア・ウルフの短編をFくんが翻訳しているという話がまずあった。翻訳途中のその作品もFくんのスマートフォンで見せてもらった。あと方言の話もしたが、しかしこれは眠気の波をのりこえたあとの話だった気がする。早稲田では関西弁をあやつる人間にあったことがないとFくんはいった。してみれば東京生まれ東京育ちのFくんにとってじぶんのしゃべりはまったくもってフィクショナルに響くのではないか。FくんとNくんの参加している読書会と、その読書会メンバーで発行する同人誌の話も聞いた。Nくんは小説を、Fくんはよく書けた日の日記の抜粋をのせる予定らしかった。Fくんは小説こそ書いていないものの日記をクソ真剣に毎日書いてブログに発表しており、そうした日々の営みにたしかな手応えと歓びをおぼえているふうだったが、日記はライフワークとして続けるとして、いずれはフィクションも書いてみたいといっていた。前回スカイプをしていたときに聞いたいい感じになりつつある女の子はどうだったのかとNくんに水を向けたこともあったが、こちらは不首尾に終わったようだった。ほかにもたぶんあることないことたくさんおしゃべりしたはずなのだが、いかんせんこれを書き記しているのが12日の18時前という時差があるためにもうこれ以上は思い出せないしそもそも思い出す必要があるか!思い出せないことは思い出したときに書けばよろしい!
飯くって腹ふくれてさてどうするという段取りになって、カラオケという話もあったのだけれどこちらはつい先日Tと出かけたばかりでこりごりだったしFくんもNくんも例の読書会メンバーと出かけたばかりだというのでその案はなしになって、それじゃあとりあえず『A』でも万置きしにいきますかとなった。近くにでかい本屋があったのでさっそく外国文学コーナーを探してみたところ「ロベルト・ムージル」と記されたポップがあり、さっすが東京半端ねえ!となったのだけれどムージルの評論と伝記だけで肝心の小説のほうがなかったので今度は岩波文庫のほうをチェックしてみたところそちらにもムージルの作品は見当たらず、こうなってはしかたがないということで結局ムージルの伝記のとなりに背の低い一冊をそっとさしこんでおいた。それからしばらく本棚をながめて過ごした。Nくんはヴァルザーの作品集を買おうかどうか迷っていたけれども表紙が汚れているのが許せなかったらしくもうamazonで買うからいいやといって金井美恵子の『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』を買っていた。いちど図書館で借りて読んだところすごくおもしろかったのでぜひ手元に置いておきたいと思ったらしい。Fくんが岩田宏の詩集がなかったと嘆いていたのだけれど、現代詩文庫のコーナーをのぞいてみると二冊残っていたので、むこうに二冊あったでと教えてあげると、ほとんど憮然とした表情でどこにですかというものだからこっちこっちといって連れていった。岩田宏のほかにもかつて興奮して読んだ幾人の詩人のものがあり、多田智満子やら平出隆やら荒川洋治やら岡田隆彦やら藤富保男やら白石かず子やらどれもこれもなつかしく、小説よりも詩ばかりを読んでいた時分を思い出した。すこし悲しかったのはけっこうな割合で署名本の置かれてあったことで、定価で署名本が売られてあるにもかかわらずずらりと売れ残っている状況、というよりもこれおそらく出版社のほうで詩集なんて売れないから小売店に卸す時点で一定部数は署名本として流すほかないという苦肉の策をとっているのだろうとけれどもとにかく現代詩のこの衰弱っぷりは残念でならない。現代詩文庫とか読まず嫌いのひとけっこういるんでないかと思う。言葉の探求の成果を見るのに詩集ほどうってつけの素材はないと思うんだけれど。Fくんは最終的に岩田宏と多田智満子とかあとひとり、石原吉郎だったかもしれないけれどもとにかくこちらにいわせればクリーンナップというほかない三冊を買っていた。イエス、完璧。
書店をあとにしたところでさてそれじゃあお別れといきますかとなった。Nくんは翌日よりふたたび六日間職人世界での切磋琢磨に励むことになるけれどFくんは空きらしかったので、アレだったら明日も美術館なり博物館なりどっかに行こうよと誘った。駅のほうに歩いているときにアルタがどうのこうのというので、アルタってあのいいとものアルタなのとたずねるとそのとおりだという返事があり、すごく興奮した。正午にここをおとずれたらテレビに映ることができるのだ!タモリと共演できる!狂ってやがるチャンスの町トーキョー!
NくんFくんとバイナラしたあとはさみーね疲れたねうち帰ったらとにかくもうそっこうで寝ようねといいながら駅まで歩いた。玉川上水行きの急行に乗りこむとぎりぎり席がふたり分余っていたのでラッキーと思った。ならんで腰かけてから一時間の道のりをぽつりぽつり、しずかな車内で一滴ずつ水滴をしたたらせるようにして言葉を交わした。Tの将来のことを話した。Nくんの現状のことを話した。Fくんの印象について話した。Hくんはひとを観察し、観察した結果をしっかり言葉に置き換えて考えにまとめるタイプの人間であり、同時にまたそれを辛辣な批判として悪意のもとにこねあげてしまうこともなければ安直な図式におさめて審判する浅はかさに溺れることもない、端的にいえば慎重かつ誠実にクリティックな人間だった。対話の相手としては申し分のない存在である。異なる専門分野を持ち異なる語彙を有する両者でありながら、ときおりおそろしいほど打てば響く言葉のとりかわされる瞬間があった。知り合って良かったとしみじみ思った。こんなにもしずかにやすらかな言葉を交わすことのできる人物はなかなかいない。Tがフィリピンに行っているあいだHくんといっしょに毎週日曜日くら寿司にいって喫茶店にはしごできればいいのに、と思った。
駅の近くにあるコンビニに立ち寄って飲み物と甘いものをHくんの分もまとめて購入した。ちょっとした宿泊費のつもりだった。帰宅してからいったいどういうきっかけであったかすっかり忘れてしまったけれども、とにかくたくさん美術の話をした。北斎富嶽三十六景よりも広重の東海道五十三次のほうがいい、とHくんはいった。これには全面的に同意だった。平面に奥行きをたたみこんだあの構図のすばらしさは北斎には見られないものである。ネットで画像を検索しながらターナーやフェルーメルやレンブラントマティスティツィアーノについてただひたすらこれいいよねこれいいよねとため息をもらしつづけた。ドビュッシーにまつわる美術家の展覧会みたいなものがいぜん東京であったらしく、そのときに購入したという図録も見せてもらった。クローデルの彫刻がいくつもあった。ポロックもベーコンもこれぜったい行かなきゃといいながら結局行かなかったおのれを出不精を嘆いた。じぶんの生きているあいだにポロックやベーコンの大規模な展覧会が今後日本で開催されることなんてあるんだろうか。
シャワーを浴びて甘いものを食べたのち9日分のブログを途中まで書いて消灯した。マスクを装着していたとはいえさすがに終日屋外に身を置いていると鼻づまりのひとつやふたつ生じないわけがない。口呼吸対策に就寝時用のマスクを装着しなおして目を閉じ、まもなく眠りについた。