20140311

 圧縮による表現。物書きが十ページにもわたってだらだらと書く内容を一つの映像の中に盛りこむこと。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 創造は、足し算によってではなく引き算によってなされる。発展させるというのはまた別のことだ。(ただ広げて並べてゆくだけ、ということとは違う。)
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



(…)さんそろそろ起きます、というHくんの声で目がさめた。たしか9時ごろだったように思う。トーストにハムとチーズとレタスをはさんだ豪勢な朝食をHくんがつくってくれたので、ドリップ式のコーヒーといっしょにいただいた。Hくんはコーヒーを飲むとおなかを下すらしく普段はあまり飲まないようで、母君がときおり送ってくれるもののストックがそこそこあるらしかった。遠慮なく飲んでくれていいというので遠慮なく飲ませてもらうことにした。コーヒーがない朝をむかえるくらいならひもじい夜を過ごすほうがずっとよい。Nくんは二冊あるうちの『A』の一冊をちかぢか母君に手渡す目的で実家に持っていくつもりだといっていた。
きのうHくん宅についてすぐ仮眠をとらせてもらったときは軽いいびきこそ掻いていたけれども寝言はなかったとHくんはいっていたけれども、今朝はけっこうひどかったらしかった。ものすごく怒りまくっていたという。Hくんの眠りがナイーヴであることを知っているのでこれにはほんとうに頭があがらないというか申し訳なさすぎてぐうの音も出なかった。ブログ経由で知ってはいましたけどほんとうにひどいんですね、といわれたので、悪夢とかぜんぜん見やんのやけどな、と返した。小学生のころにはすでにもうこのキレ芸は完成されていたのだ。あんたはむかしから死ねと殺すぞとうるせえしか寝言いわへん、と母親によくいわれたものだった。
昨夜の時点で今日の計画をどうするかHくんと相談していたのだけれど国立科学博物館にある恐竜の化石やら昆虫の標本やらがクソおもしろくて一日あってもぜんぜんまわりきれないくらい盛りだくさんの展示物があって最高だとHくんが猛プッシュするのでそんじゃあそこに行きましょうかとなり、Fくんにもメールを入れてあって12時半に上野駅で待ち合わせという段取りになっていたのだけれどきのうにひきつづき遅刻ぎりぎりの出発になってしまいHくん宅から玉川上水まで駆け足でむかうはめになった。上野までの道中は互いにかわいいと思う女性のタイプとカッコイイと思う男性のタイプを車内にひしめく無数の実例を参照しながら語り合ってすごしたような気がするのだけれど、あるいはあれは前日のできごとだったかもしれない。前日のできごとといえば、新宿にむかう電車に乗るためにHくんが切符を購入しているあいだ先に改札をぬけたこちらはPASMOをチャージしていたのだけれど、そうしたこちらの姿に気づかずHくんが先にホームにいって電車に乗りこんでしまい、それを知らないこちらもただ電車が出発間近であることはぼんやりとわかっていたのでおおかたHくんは先に電車に乗りこんだのだろうしこちらもとりあえず電車に乗りこんで車内で合流すればいいやと思ってそうしたのだけれど、あのときじぶんは本当にただ適当にいちばん最初に目についた電車に乗りこんだだけであったので、一歩まちがえていればたいへんなことになっていたかもしれない。Hくんとは車内でメールをやりとりし、無事に合流することができた。こう書いていて思い出した。美女美男の話を交わしたのはやはり前日の出来事である。ならばこの日われわれは車内でいかなる話題について語りあったのであったか?
約束時間の15分ほどまえにFくんから改札を抜けた先の植え込みに座ってますわとメールが入った。できる男はみんな10分前行動をするという話を聞いたことがあったのでFくんはもっとできる男だなとHくんと話し合った。上野駅に到着してから改札を抜けてさてFくんはどこにいるかと思ってあたりを見回すと、円柱にもたれて携帯かなにかをいじっている昨日とおなじマフラーおなじジャケットおなじ背丈の人影があったので、ああいたいたとHくんと指さしながらその人影に近づいていって液晶画面に落としているその目線をさえぎるようにして下から顔をなかばのぞきこみかけたところで近くにいた女性の浮かべた怪訝な表情が視界の片隅に入り、その女性の立ち位置のあきらかにFくんのツレであるらしいのにはてなと思って行為を完遂せずに宙ぶらりんにして踏みとどまったところでくだんの人物がFくんでないことに気づいた(FはfakeのF!)。あいつややこしすぎやろとHくんと話しながら横断歩道のむこうに目をやると、メールにあったとおり植え込みに腰かけている姿がありこちらを認めて片手をあげるのが見えたので、おーいと両手をふって近づいていった。それからFくんのドッペルゲンガーについて報告した。これでFくんは残り2機である。知人があと2回ドッペルゲンガーを見たらFくんは逃れようのない死によって死ぬ。ちなみにじぶんの場合は高校生のときにセンター試験の会場で数人の同級生らにひとりめのドッペルゲンガーを、それから十年近くたった最近Eさんと弟によってそれぞれ同じ日に別々の土地でふたりめのドッペルゲンガーを目撃されている(Eさんの目撃したものと弟の目撃したものを同一の個体として見なしているのはそれから一年以上経過したいまもなおじぶんが死んでいない計算上のつじつま合わせからである)。すべてなんでいまおまえがここにいるのかと問い合わせの電話のあったほどのクリソツであり、いずれにせよもう後がない。しかしリーチ、王手、チェックメイト、人生はいつもこっからはじまる!
標本や剥製や化石の陳列についてHくんはやたらと(…)さんはぜったい楽しんでくれると思うけれどもFさんはわからない、退屈させてしまったら申し訳ないとばかり口にしていて、そのたびにぜったいだいじょうぶやって、日記に書くネタたくさんあってむしろよろこぶに、と知ったような口ばかりきいていたのだけれど、じっさいにFくんに会ってみると、ぜんぶ書いてやりますよ、とまったくもってそのとおりの発言をしてみせたので可笑しかった。とはいえいぜんにいちどNくんとここをおとずれたことのあるHくんの話によれば、展示物の数は尋常でないらしい。そして結論から先にいうと、事実、とんでもない陳列また陳列の物量だった。とちゅうでFくんに、これ日記に書くんちょっとあきらめへん、と持ちかけた。さすがのFくんもこれはさすがにちょっと無理ですねと苦笑いしていた。
クソでかい海藻にはじまりクジラの頭蓋骨やら寄生虫でびっしりの内蔵やら蝶の標本やらアナコンダの骨やらドブネズミの胎児やらがまったくもってコンセプトの認めがたい配列で行き当たりばったりに展示されているのが1Fフロアだった。ここマジすげえ雑なんすよ、量が多すぎてなんかもうむちゃくちゃで、とHくんがいったその通りだったが、しかし見るものぜんぶがすこぶる楽しかった。とくに昆虫を見ると保育園にときに毎日のぼっていた里山の記憶やあだ名が虫博士だった時分の記憶もよみがえるもので、虫や植物や鳥やキノコやについて同じ田舎育ちのHくんとあれこれ話していたのだけれど、粘菌の標本をながめているときにFくんがこのキノコうちの近所の林にむちゃくちゃたくさんあるとかいって、その言葉を聞いたとたんFくんの実家が東京のはずれの田舎であるとは前日聞いていたけれどもひょっとしてほんとうにかなり田舎のほうなんでないかという疑念が出てきた。で、このあいだうちの畑で大根を引っこ抜いたところ見事に三つ又で、という話があったときにこの疑念はぴしゃりと裏打ちされた。この田舎者め!われらがはらからよ!
序盤の展示ではやはりなんといっても昆虫の標本が最高に楽しくて、きれいな蝶々や神々のいたずらとしか思えぬほどでかい甲虫どもを見つけるたびに標本のそばに記されている番号をよみあげてその種の名前を確認する遊びをFくんと延々とくりかえした。昆虫の命名なんてクソみたいに適当なものが大半で、アレはなんだったか、角が三本あるからサンボンツノクワガタみたいな、ちまたではやりのDQNネームにはまだじぶんの子供をオンリーワンな存在として流通させたいといういびつに押しつけがましく肥大化したものではあるもののそれでもまだ愛情と呼びうるなにごとかがわずかに関与しているのにくらべてこれはもう愛情もクソもないというか、固有名と種の名前はそりゃ別だろうけれどもそれにしてもこれあんまりじゃんみたいなのがたくさんあってそのたびに笑った。シオマネキという名前を最初につけたひとは天才だと思った。俳句を生んだ民俗の精神によるすぐれて詩的な命名の偉業。
それから地下にいって恐竜の化石を見た。あいつFFのモンスターだったら状態以上攻撃してくるやつだな、だとか、あいつはHPは低いけど防御力が異常に高いタイプ、だとかテレビゲーム世代の妄想をたくましくしながら語り合った。頭から尾の先までの全長が展示スペースの一方の端からもう一方の端にまで達してしまうほど巨大なのが一頭いて、こいつの前だったらティラノサウルスもゴミ屑みたいなザコキャラだろうなと思った。ティラノサウルスはフィクションでしばしばそう表象されるようなイメージとはちがって実際はハイエナタイプの腰抜けクズやろうだったという仮説をどこかで目にした記憶があるのだけれど、陳列されている化石のサイズのほかの種とくらべてもそう大きくないところからするとなるほど納得のいくものらしく思われた。Hくんはステゴザウルスが好きらしく、化石を目の当たりにするなり目を輝かせていた。化石にもかかわらず皮膚の質感みたいなぶつぶつとざらざらの認められる頭部をもった小型の、卑怯者のエイリアンみたいな顔つきをした恐竜がいて、それがちょっと異彩を放っていて気になった。なんとなくアメコミのモンスターのようなくどい造形美だった。
地下をさらにくだっていくと古代生物ゾーンだった。三葉虫の化石やアンモナイトの化石や原始植物の化石のたぐいが腐るほどあった。彫刻品のように美しく浮き彫りにされた三葉虫の化石があった。石のなかに眠っていたものを漱石の見た夢の運慶快慶よろしく丁寧に浮き彫りにさせていったのだろう(発掘の手仕事と彫刻の手仕事が切り結んだわけだ)。それから極薄の手のひらにも満たぬ石片にトンボのシルエットが版画のようにのっぺりとうつされてある数枚があった。先の三葉虫の化石とあわせてこうなってしまうともはや美術との境界があやふやになるもので、地層の断面図のきざまれた岩の表面などほとんどポロックの域だった。古代のほ乳類の骨格標本と文字通り肉付けし彩色をほどこしたその想像図の併設されているのを見ていると、カバとライオンが混ざったようなやつやら馬と牛とイノシシのどれともつかぬようなやつやらがあって、どれもこれも極端な姿に到達するいぜんのどっちつかずな過渡期の生物という印象をともなってこちらにせまってくるところがあり、それも暫定的な進化の到達点として現在地上に存在する動物らの姿をしっているこの地点から逆算するために生じる錯覚の印象とはまた別の、そうした配慮を差っ引いてなお過渡期である、どっちつかずである、中途半端である、どこかにたどりつこうとしている、そんな印象のぬぐいきれないあれこれの姿だった。
原人の頭蓋骨が発掘地や年代順に応じて陳列されているコーナーもあったが、やはり古代生物の骨格標本の展示にくらべると地味で見劣りした。とくに天井附近からつりさげられた古代のウミガメの骨格標本を目の当たりにしたあととなっては恐竜の化石の印象さえ遠のいてしまうところがあった。頭上をあおぐようにして巨大なウミガメを見上げることになる展示場の工夫によるところもおおきいのだろうけれどもとにかくこのウミガメが尋常でないくらいカッコよくて、これだけは展示スペースをあとにするまえにもういちどじっくり視界におさめなおしたほどだった。ウミガメの近くにはやはり天井からつりさげられた10メートル以上はある体長の龍のような魚というかこれほんとうに魚かと思って説明書きを見ると「魚竜類」みたいな分類がされていてこれまさしく男子永遠の夢みたいな表記でないかと思ったのであるけれどそれもすごくカッコよかったというか、こんなものがかつてほんとうにこの星のこの海を悠々と泳ぎ回っていたという事実の、骨格標本の現物を目の当たりにすることにより想像力が具体性を獲得するにつれてしだいに高まっていくそんなまさか冗談だろうという笑い、圧倒的な圧倒そのものを体感したときにだけわれしらず漏れるほとんど絶望と表裏一体になった感動のにじむ笑いのようなものに四肢のかすかに底からふるえてくるところがあった。前夜だったかそれとも今朝であったか、Hくんと話しているときにおたがい小学生のころに架空のモンスター図鑑をノートに描いていたという共通点を発見して盛り上がるという一幕もそういえばあったのだけれど、モンスターはかつて実在した、それはファンタジーでは断じてなかった。
地下をだいたいめぐりおえたところでいったん休憩しようかとなった。展示を見ているあいだじゅうは興奮していてそう感じることはなかったのだけれどいざフロアをあとにしてエスカレーターの手すりに身をゆだねて上階に運ばれはじめてみると両足裏からじんわりと重力にさからい押しだされてせりあがってくるたしかな疲労のようなものがあり、つられるようにしてこみあげてくる飢餓感もまたあった。美術館や博物館のたぐいに併設されているレストランの相場についてはどこもかしこもいい加減にしろといいたくなるものばかりなのだけれども、ここは例外で、1000円以内でおさまる価格帯だったのでよっしゃ、飯食おう飯、となった。メニュー表に目を遣ったところなによりもまず恐竜の足跡のかたちをしたハンバーグセットが目についた。ネタとしてはおいしいが味として美味しいかどうかといわれるとまったくもって期待できないというのが正直なところなので、メニュー表の写真がとてもうまそうに見えたオムライスにしようと思ったのだけれどFくんがそのオムライスをたのむというので、なんとなくかぶってしまっては面白くないという西の人間のエンターテインメント性からやはりここは恐竜の足跡ハンバーグしかないとなった。恐竜の足跡ハンバーグのみならず、トマトソースのついた別の料理には溶岩風という言葉が添えられていたりして、とりあつかっている料理の大半がここの展示物にからめて命名されていたのだけれど、Hくんの注文したトマトソースのパスタにはなぜかトマトとリコピンのスパゲティみたいな感じで、リコピンはただの栄養素なのにと笑いあったが、しかしいまになってみるとひょっとするとわれわれのパスした展示フロアでは栄養素について詳細に説明している一画もあったのかもしれないと思わないでもない。
食事をとりながら昨日にひきつづきまたたくさんおしゃべりをした。会話が盛り上がったために追加で食後のウインナーコーヒーを注文した。Hくんも同じものを注文し、Fくんはケーキを注文した。『A』の感想が出ていないか検索をかけてみたがぜんぜん出てこない、どうしてみんなもっと読まないのか、とFくんはいった。まったくもってそのとおりだと思ったが、しかしそれにはこちらのセルフプロデュース不足というはっきりとした原因もあるにはあるのだった。twitterの宣伝効果は高いらしくこれはNくんもいっていたことであるのだけれどたとえばtwitterでブログの更新を告知するだけでけっこうな数の読者が流れこんでくるらしい。多いときには100人にものぼるのだという。そう考えるとたしかにほとんどブログ更新告知に特化したようなアカウントを作成するのもアリなように思えてくるのだが、しかしこちらとしては『A』の読者こそ増加してほしいもののブログにかんしてはなるべくひっそり辺境でほそぼそとやっていきたいというのがあって、BCCKSに『A』を公開したときにしたってそこにこのブログへのリンクをはるべきか否かかなり迷ったあげくすこしでも売り上げに貢献してくれればと思ってえいやっと一歩踏み出したわけであるのだけれどあんまり目立ってくれるなよという気持ちもあってこれがむずかしい、というかこのようになにもかもがだだ漏れなブログを宣伝塔として用いるというのがそもそもの間違いであってやはりいちどこのブログを閉じて宣伝に特化したブログアカウントなりtwitterアカウントなりを取得し(一世一代のステルスマーケティング作戦!もしくは炎上商法!)、そうしてブログはブログとしてまたインターネットの辺境でひそかに匿名的に続けるのがベストなのかもしれない、というようなことを話し、次にブログを引っ越すとしたら魔法のiランドかアメーバブログにするというずっと以前からの計画を打ち明けたらそれは面白いという反応があった。Fくんはこちらのブログをとても高く買ってくれているみたいだった。『A』だけでなくこのブログももっと読まれるべきだ、といった。『A』がおもしろいのはわかりきっていることだが、ブログにかんしては読み物としてのクオリティをどうのこうのという気持ちはあんまりないというかやっぱりもともとの内輪狙いというか少数の友人知人への私信としてはじめたみたいな契機のどこかに残存しているところがあって、それが思わぬところでおもしろがられていると知ると投げ瓶通信の比喩もまだまだ捨てたもんでないなと思うのだけれどFくんは去年の一月ごろに検索のいたずらによってこのブログにたどりついたらしく、そうか生活のなんでもない細部をすべて書きつくすというスタイルもアリなのかと思ってそれから文学形式としての「日記」の盛大な探求がはじまったといった(Fくんの現状最大の希望は「日記を書き続けること」である)。そんな日記フリークのFくんによれば、去年の夏Sの滞在していた期間中にこちらの書き記した「祝福された貧者の夜に」と題された日のブログ記事もまた読まれなければならないブツらしかった。あれこそ日記で小説するというやつの実例ですよ、というので、あれはじぶんでも気に入っとるし思い入れもある、と応じ、でもあれかなり感傷的なやつやで、と、そう続けたのは前日クソ高いぼったくりカフェでコーヒーを飲みながらだべっているときにFくんが彼自身の日記の記述スタイルとしてなるべく客観的に事物を書き記したい、思考や感情ではなく出来事を書き記したい、と語っていたからで、その基準からすると「祝福された貧者の夜に」は0点に近いのではないかと思ったのだけれど、じぶんが書くうえで好むスタイルと読むうえで好むスタイルにはやはり若干のずれがあるみたいで、というかそれをいえばそもそもFくんは日記で自分語りをするのが嫌だと、そういうのはぜんぜん面白くないと幾度となく繰り返していたのだけれどでも(…)さんのブログ自分語り入ってんのに面白いんですよね、嫌じゃないんですよね、といって、なんでやろね、とたずねてみれば、なんででしょうね、とFくん自身もわからないみたいで、やーなんでだろねーとなった。
でもあれ感傷的なやつやで、と応じていたじぶんのを言葉をふりかえった。感傷を目の敵にして排そうとする心の動きとは要するにヌーヴォーロマン以後の文学的正義にたいする盲信以外のなにものでもないのではないか。
ゆっくり休んでたっぷりしゃべったところで世界中の動物の剥製の展示されているフロアを最後におとずれることにした。ここはここでまた強烈に魅力的だった。ワシだかタカだかしらないけど、イヌワシだったか、そうだ、イヌワシだった気がするその猛禽類の剥製が想像以上にでかくて、羽をひろげていない状態でこれであるのだったらこいつが本気を出したらいったいどうなるんだと、いつかどこかで人間の赤ん坊が猛禽類にさらわれたというエピソードを目に耳にした記憶があるけれどもさもありなんと思った。サルやトラやオオカミやラクダやウシやらも面白かったけれどもやはり見ていていちばん面白かったのは角のある動物で、シカやヤギに分類される動物らのそれぞれに固有な分岐点を有する角やらドリル状になっている角やらそこだけ明らかに材質が工学的な印象を有して見える角やらをながめわたした。一頭、額の両側から通常のシカのように角が生えてのびているその間から第三の角が妙なかたちで伸びてひろがっているわけのわからない造型をほこるのがいて、あいつ進化の道筋完全に間違えたやろといいながら説明書きでその名を調べたところまさかのトナカイだった。ヘラジカの角は人類絶滅後の世界に遺跡として残った酸性雨で朽ちかけたアンテナみたいに見えた。
剥製動物らを見終わって展示スペースをあとにすると閉館時間まぎわだった。エレベーターに乗りこんで窓外をながめると雲ひとつない青空だった。朝Hくん宅を出てからずっとそうだった。一日を通して雲はどっか遠くに吹きとばされたままだった。土産物屋があったのでのぞいていくことにした。オウゴンオニクワガタのちっちゃいフィギュアがあったので机の上に置いて作文の慰めにするのにほしいと思ったのだけれどバラ売りしておらず一式で数千円するものだったのであきらめた。Pへのお土産に化石チョコレートというのを買っていくことにしたのだけれど3個入りと5個入りがあってけっこうな値段で、最初3個入りを手にしたのであるけれどこういうところでケチっては男が廃るんでないか、友人の晴れ舞台に出席しそこなっておいてのこの狼藉か、と思わないでもなかったのでやはり5個入りにすることにした。化石コーナーがあって、隕石とかアンモナイトとか三葉虫とかが売っていた。アンモナイト三葉虫のたぐいはたくさん発掘されるためにどれもこれもいますぐ買うことのできる値段のものばかりだったけれど、小さな羽虫を内側にとじこめた琥珀は高かった。欲しかった。amber. 安くでバラ売りされていた欠片でも買っておけばよかった。Fくんは母親にとお菓子を買っていた。
店じまいをはじめた店員さんらに追われるようにして店を出た。そうして駅にむけてぶらぶら歩きながら京都飽きたなーとつぶやくと、東京来たらいいじゃないですかとFくんがいい、Hくんも(…)さんこっちのほうが知り合いも多いでしょといって、そうなんだよなーと思った。でもバイトがなかなかね、とFくんが事情を察するようにいうので、そうやねん、週休五日制でやれる職場ってのなかなかあらへんからなー、とうなった。改札をぬけたところで有楽町にむかうじぶんとそれぞれの帰路に着くFくんとHくんとで別れることになった。ホームにおりる階段前で、そんじゃまたね、どうもありがとう、という別れ際に特有のあの踏ん切りのつかないだれが演じても不器用に無様になってしまう奇妙に間延びした滑稽な一幕を演じた。京都にまた来ることにあったらいつでも連絡して、寝床くらいならどんだけでも貸したるから、運がよかったら朝の6時から大家さんのカレー食べれるよ、とFくんにいった。それからHくんに、ひょっとしたら今日はよそで泊まることになるかもしれんしまたあとで連絡すんね、と伝えた。
ふたりと別れてひとりで電車に乗りこみ有楽町にむかった。電車の乗り継ぎにもすっかり慣れた、というか東京の駅はわりといたるところにどこにむかえばなにがあるかを知らせてくれる標識の掲示されてある親切設計になっているので門外漢の異邦人でもわりとそつなく乗り換え乗り継ぎなどできてしまえてスマートフォンのないじぶんにとってこの設計はたいそうありがたい。有楽町に到着したところで待ち合わせの時間まではまだ一時間以上あったのでこの時間を利用してユニクロで白シャツでも買おうと思った。こちらで買うつもりで着替えを持ってきていなかったのだが、きのう見事に買いそびれてしまって襟元の汚れて肱のあたりがボロボロになっているのを二日間連続で着用するはめになっているのだった。改札をぬけて正面にユニクロがあったのだけれどとてもせまくて、おまけにワイシャツや下着以外のものは販売していないという限定された商品数で、これたぶん終電をのがしてネカフェに寝泊まりするはめになったビジネスマンらをターゲットにした店舗なんだろうと思ったのだけれど、とりあえずワイシャツ二着をもってすんません試着させてもらえませんかと店員さんにたずねてみたところ、申し訳ございませんこちらの店舗には試着室のほうがございませんのでと断られてしまった(試着室のないユニクロの成り立ってしまうメガロポリス東京!)。それじゃあ近所に試着のできるユニクロはないすかねとたずねてみたところ、ここから先の通りをうんぬんかんぬんしたところでになんとかいうビルがあってそこの何階だかがユニクロのフロアになってますととても丁寧に説明してくれたので、どうもありがとうございますとお礼をして言われたとおりの道のりを進むことにした。背の高い建物によってまばらに取り囲まれた広場があり、みんなの党の選挙候補者が車上から震災にからめた何事かを熱弁していた。そのそばを通りぬけて指定された先のビルにむかった。ビルの上階ふたつあるユニクロのフロアのうちひとつはレディースでもうひとつはレディースとキッズとメンズとなっていたのだけれどそのメンズがどこにも見当たらず、というかこの建物に入ったときからずっとじぶん以外に男性の姿を見かけず、これはひょっとして女性に特化したビルディングではないのかと思ったのだけれどとりあえずたしかに目にしたメンズ表記を信じてフロアをうろうろしたところ、端のほうの一画にお情け程度に男物のパンツと靴下だけが設置されており、それだけだった、ほかには何もなかった。もうええわ、と思って建物を出て、さっきのユニクロにもどろうかとも思ったけれど微妙に筋肉がついてしまったそのせいでここ最近はなんでもかんでもSサイズを購入しておけばオーケーというわけにはいかず、Nくんにも再会してほとんどまもないタイミングで肩まわりがごつくなったと指摘されたのだけれどとにかく試着の必要がある、というわけでユニクロはまた翌日にまわすことにしてとりあえずPとの待ち合わせの場にのぞもうと思ったのであるけれどPからマルイの入り口のあたりにいてくれという指示があり、そのマルイというのがどこにあるのかわからないのでとりあえず駅のほうにもどって目についた観光旅行の受付みたいなところに入っていきそこできれいなお姉さんにマルイってどこですかとたずねてみたのだけれど、したらもうすぐそこみたいなニュアンスで元来た道のほうを指さされて、あれー見逃したかなーと思って言われたほうにむけて引き返したのであるけれどやはり見つからない、道なりに歩いていくと先ほどのアマゾネスビルディングにたどりついてしまうという案配で、と、この時点でうすうすすっかり暮れた宵の空の高いところにそびえたつ建物の壁面にかかげられた◯I◯Iという表記が気になっていてひょっとしてあれでマルイと読ませるんではないかと思わないでもなかったのだけれどそんなとんちの利いた発想なんてのはあきらかに西の人間のものであって東京でそれはないだろとずっと否定していて、でもやっぱり気にならないところもなくはなかったのでひとまず屋外でケーキを売っていたかわいいお姉さんがいたのですんませんマルイっていうやつはどこにあるんですかねとたずねてみたところ、あちらのビルになりますといいながら◯I◯Iのほうを指さしてみせるので、ああ!あれでひょっとしてマルイって読むんすか!と八割方確信していたにもかかわらずはじめての発見みたいな下手な小芝居を打ってしまってあげくのはてにはとんちが利いてますねなどと無駄な二の矢を継いだ。
Pに指定されたマルイの入り口あたりとは要するにみんなの党の候補者が演説をしている広場のことだった。広場を横切るたびに支援者からビラを差し出された。近くにある別の建物に入って便所にいってクソをした。それからおもてのベンチに腰かけて本でも読もうかと思ったけれども、なんとなく気乗りしなかったしせっかくの東京らしい東京の風景なんだからじっくり浸っておくことにしようとおもってみたび広場のほうに出向き、石垣に腰かけてぼんやりしながら演説に耳を傾けたり行き交うひとを眺めたりした。支援者の人間であるのかそれともマスコミ関係の人間であるのか、ブルーのウインドブレーカーに黒いスキニージーンズをはいたニット帽に眼鏡の若い男性がごっつい一眼レフを構えてうろうろしながら車上の演説者を何枚もパチリとやっているその動きの緩慢さと無軌道さが、最短経路でおのおのの目的地にむかう勤め人らのあちらこちらからの直線的な軌道のなかにあってやけに目立って見えた。東京でカメラマンをしているはずのSに似ているなと思った。本人かもしれないと何度も思ったが、しかしそれにしてはすこし背が高すぎる。相手のほうでもこちらをなんどかうかがうような目線をよこしてみせた。やはり本人かもしれない。しかしでかすぎる!そうこうしているうちにPから電話があったのでマルイの入り口のほうに移動した。ほどなくしてスーツにコートを羽織ったPがあらわれた。秋に京都で会っているので、というか夏にも東京で会っているので、さらにいうならばそのまた前の秋にも京都に会っているので、とどのつまりはなんだかんだいってわりと定期的に会っているのでひさしぶりという感じもいっさいなく、お店のほうはもう任せてあったのでPのあとに付き従うかたちで地下におりていくことにした。HにもTにもRにももうひとりのRにも連絡をとってあるとPがいうので、Hは夏の上京時にもPといっしょに飲んでいるので今度もたぶんいるだろうとぼんやり思っていたけれどもほかは想定外であったというかみんな大学を卒業して以来いちども会っていない面々で、うおーマジかクソひさしぶりだなと思いながらもとりあえずこれは先に差し出しておかなければ格好がつくまいというアレから化石チョコレートを京都土産のかわりにPに手渡した。三葉虫の形が浮き彫りになったグロいチョコレートやし奥さんといっしょに食べてねとお願いすると、あーこれ知ってるわーとあったので、がっくりきた。
居酒屋の座敷席に通された。Pはビール、こちらはジンジャエールを注文して、とりあえずふたりでおっぱじめることにした。Hは仕事が少し長引いているらしく終り次第来るとのこと、Tも同様で、ふたりのRについてはまだ連絡がないのでどうなるかわからないとのことだった。Pの出身は山梨なので先日の大雪についてたずねてみたところ実家の玄関を撮影したものらしい写真を見せてくれたのだけれど、まったく同じ構図でとらえられた第一日目のものと明けて翌朝のものとのその半端ない変化、というか一晩で本当に1メートル以上が余裕で降り積もっている激しさでほかにもガレージやら家の前の道路やらをうつした写真をたくさん見せてもらったのだけれどどれもこれもえげつないくらいの雪国っぷりで、ふだんそんなに雪の降ることのない地域だから雪かきのための道具もなければノウハウもないそのせいでみんなてんやわんやだったらしく、ほんまもんの雪国なんかではたくさん降ることのわかっている晩には二時間に一度くらいのペースでおもてに出て夜通し雪かきをするらしいのだけれど当然山梨の民たちはそんなことを知っているわけがなく、すっかり明けておもてに出てみたところなんじゃこりゃ車が雪に埋まっとる!みたいな、家のドアが開かねぇ!みたいな、そういう案配だったらしい。アウトドアな出で立ちのPの父ちゃんが背の丈なみの雪の壁を背景にして突っ立ち、雪かき用のスコップを勇者の剣のように白い地面に突きさしたそのむこうがわで両手のひらを天にむけてやれやれ┐(´-`)┌とやっている一枚があったので笑った。けっこうエンジョイしてるじゃんと思った。Pにはブログにおける会話の再現度の高さを誉められた(今日はブログをよくほめられる!)。去年の秋に京都であった後そろそろあの日のことも書かれているだろうとこのブログをのぞいてみたところ交わした言葉がほとんど一言一句もらさず書きとめられてあったのを見て、ということはあいつがふだんブログに書き記しているできごとや会話というのはすべて脚色なしなんだなと納得がいったとのことだった。イエス、わりと素直に正直に書くようにしてはいる。
Pは結婚式の準備でてんてこ舞いらしかった。急な海外転勤にあわせての急な挙式となったそのために毎週土日は二日とも式場でプランニングみたいなアレできのうも仕事を半ドンで早引きしてまた式場みたいな、けっこうハードに動き回っているようだった。なんでもテーブルクロスの色いちまいから会場に飾る花の種類や色や数までぜんぶがぜーんぶ指定可能であるというか指定しなければならないみたいで、話を聞いているだけでこれはちょっと疲れるだろうなと、ある程度のことはもうぜんぶ式場のプロスタッフにゆだねてしまえばいいんでないかなどと他人事ながら考えてしまうのだけれどしかしこういうのはきわめて男性的な発想なんだろうという気がする。だんだんと金銭感覚が麻痺してくる、とPはいった。ちょろちょろっと花を増やしただけではいプラス5万円よいしょプラス15万円みたいな世界であるそのために1万円以下のオプションはすべてべらぼうに安いという錯覚におちいってしまうらしくがんがん追加してしまうのだけれどしかし後々になってよく考えてみるとあれけっこうでかいな、みたいなことになるらしかった。最終的な予算としては400万越えとなるみたいでいよっしゃあこっちの借金と釣り合う!ご祝儀で差っ引いてもだいたい200数十万円くらいの出費といっていて、相場をしらないのでなんともいえないけれども学生のときにつきあっていた恋人のお姉さんの挙式費用もたしかそんくらいだったような気がしないでもない。どうやってプロポーズしたんだと冷やかすつもりでたずねたところ、まったくもって動揺をしらない例のあの口調で、いやーセブ島に行ってたんだよねー、とあって、セブ島でちょっといいホテルに泊まってそこのバーで指輪を渡すつもりだったのが、いざという瞬間になって閉店ですといわれて追い出されてしまい、しかたがないのでそのままプライベートプールだかビーチだけに出てぶらぶらしてそこで今度こそというタイミングで指輪を差し出した、みたいな展開だったらしくてこのロマンチストめと思った。でも指輪をじっさいに差し出して相手がうるうるきているそのタイミングでお客様閉店ですってならんくてよかったねとかなんとかいって、婚約指輪は彼女自身に選んでほしかったのでとりあえず安いものを購入してその場しのぎのつもりで手渡したらしいのだけれど彼女はPがくれたそれが気に入ったみたいで別にあたらしいのはもういらないといっているらしくてこのエピソードすごくほっこりするのだけれどそういう流れからであったか、Pがいきなり鞄の中からパスポートを取り出してそれを開いてこちらに見えるようにするのでなんだろうと思ったらNのはずのPの名字がTになっていて、まさかの婿養子入りかよと思ってうおー!マジでー!なんでやー!とひとり叫んでいたら、はいっといって免許証も差し出されてそちらもやはりNではなくTになっていて、うおー!!マジでー!!なんでやー!!とますます叫んでいたら、でも彼女の旧姓Yなんだよねーと続けるのでうおー!!!!マジでー!!!!なんでやー!!!!と頭が狂いそうになった。で、詳しい話をたずねてみると、彼女の母方の祖父というのが落ち武者の家系らしくてめずらしい名字をもっているのだけれど(たしかにTというのはこれまで目にも耳にもしたことのない名字だった)、一族の跡取りになる予定の人物がいなくて困っているみたいな、それでこのたびPに白羽の矢が立ったという話で、Pはもともと次男だし名字がどうのとかあんまりこだわりのある男でもないし(で、これは完全に推測だが)「ああ、そうなの、いいよ、じゃおれTになるわ」くらいの低血圧なテンションで引き受けたにちがいないと思うのだけれどなんにしてもこれもまたひとつのおもしろエピソードであるなというか、Pの奥さんなんてPがお祖父ちゃんと養子縁組したその関係でじつの母親と姉妹の間柄になるというわけのわからなさっぷりでおもしろい!生物学的な根拠と法的な根拠のめくるめく壮大な絵巻物の迷宮という感じがしてすごくいい!
まもなくHがやってきた。閉店間際にはTもやってきた。ふたりのRのうちの片方、ANAで働いているほうは現在仕事で沖縄にいるとかいう話でパス、もうひとりのRも仕事が遅れているみたいな話だったので結局この4人で飲むことになったのであるけれど、HもTも結婚式には出席する予定なので当日のお楽しみとしてとっておくことにしてこちらだけが内緒でPの奥さんのドレス姿の写メを見せてもらったのだけれどものっそいべっぴんさんだった。Pくんマジで!?となった。クッソべっぴんさんやん、と興奮していうと、でしょー、とまたあのなんでもない感じのぼけっとした相づちがあり、できる男のゆとりを見せつけられた。CPZとXVIDEOとア動ブの三本柱を芸のこやしにして生きている身のわびしさまずしさ甲斐性のなさをつくづく思った。Hは夏に会った時にもみずからの専門でもなんでもないSEを統括する立場に異動になったことについて延々と愚痴をもらしていたのだけれどこの日も信じられない頭がおかしいんじゃないかと興奮するとなかば裏返る例の声と早口でしきりに連呼していて、つい先日も上司と面接をする機会があったばかりなので、わたしという門外漢の存在によって業務に支障がきたしています、と熱弁したらしいのだけれど、でもきみにたいするクレームは一件も入ってないから、の一言でばっさりきられてしまってそれで終わりみたいな、おれガラケーだよ!ガラケー使って家でもパソコン使わない人間がなんでこの部門なわけ!タブレットの導入についてご検討くださいっつったってさあ!そんなもんいる必要あるっていうと思う!?いらねーよ!と吠えまくりまくしたてまくりだったのがクソおもしろかった。Hがガラケーであるのはまだしも、家にネット回線もひかずに生活しているという事実にはびっくりした。東京の真ん中でばりばり働いている若い男がインターネットなしで生活できてしまうのだ。革命的だと思った。Tは大学を卒業する直前たびたび仕事をして学費を稼いでその間勉強しながらいずれまた大学に入りなおして経済を勉強すると口にしていたのが思い返されるのであるけれど、仕事をしながらの勉強というのはしかしなかなかきついだろうな、簡単ではないだろうな、ましてやTはSEであるし、と思っていたところ、前回Pと京都で会ったときや夏に東京で会ったときになどちょくちょくTの意志が変わっていないこと、ばりばり働きながら毎年東大受験をしていること(自称「趣味は東大受験!」)を聞いていて、たいした根性だなと思っていたのであるけれどもこの四月から京大の大学院に進学することが晴れて決まったらしく、来月の上旬にはもう京都に来る予定なのだというのでおどろいた、おどろきすぎておめでとうを言うのをすっかり忘れていた。でもSEしながらでよう勉強できたな、ほんな時間あらへんかったやろ、というと、あのねえ(…)、これだけは言っておくけどね、おまえが今後ねえ、どれだけひとの道を踏み外すことがあったとしてもSEにだけはぜったいになってはいけんよ、と、なつかしい広島なまりだった。じぶんのことを語るにしては時間がなさすぎた。卒業して6年7年、距離も開きもありすぎた。端的にいこうと思ったので、万置きする気でもってきていた『A』がちょうど残り二冊鞄の中に入っていたのをふたりにそれぞれ贈呈した。それからPにご祝儀袋をわたした。こちらとそっくりな口髭とあご髭をあつらえてやった福沢諭吉に「P!なけなしの一万円だ!受け取ってくれ!」としゃべらせてやったのを婚礼用ではない御祝儀袋に入れて手渡す礼儀も作法も常識もない祝儀であったが、恥も外聞もない状態にまで追い込まれないかぎりはけっして使えないぎりぎりの万札という意味では通常の一万円よりは価値がおおきい代物となったように思う。
それでおひらきだった。コンビニに寄って金をおろすというのについていくと結婚用のご祝儀袋が置いてあったのでいまからでもこれ買って渡そうかとPにたずねた。薬局に寄っていきたいというPとはコンビニの前で別れた。また秋の大阪出張の際に、と言いかけたところでそうだった、あいつシカゴなんだと思った。元気で、とあいさつした。五年後帰国するころにはたぶんもうパパになっていてバイリンガルの息子だか娘だかがいるのだ。そのころまでにはせめてWikipediaに名前の登録される程度の人物にはなっておきたいものだと思った。Hくん宅に帰る道のりをTにスマートフォンで調べてもらった。途中まで同じだというので山手線を別まわりで帰るHともバイナラして、ふたりで満員電車で乗りこんだ。広島なまりと三重なまりが秋葉原までの短くしずかな車内の沈黙のなかにぽつりぽつりとしたたりおちた。卒業以来の再会が七年ぶりの再会であるというその事実がどうにもしっくりきてくれなかった。Pにも話したしこのブログでもしばしば書き散らかしていることであるけれども、ずっと学生気分が抜けない、あのころとなにひとつ変わらない読み書きだけの生活を送り続けているこちらの自閉的な時間の流れが、外の社会で流れている時間とどうしても一致してくれない。正直あきらめるんでないかと思っていたと、そういいはしなかったけれどもでももういちど大学で経済学を勉強したいというTの意志が、相も変わらず小説を書きつづけているこちらの数年間と同じ分だけ持続しつづけていてこのタイミングでふたたび合流するにいたった、その事実の予想をうらぎられたようなふしぎにうれしい実感がたしかにあった。なにかの拍子にSの話になったとき、ほとんどアンチ海外みたいだったおまえがバックパッカーって信じられんわ、といわれた。そう、変わるものはたしかに変わっているのだ(あまのじゃくな性根のなすわざなのか、留学と語学教育が売りの学部に所属していながらそんなものとはまったく無縁な学生時代を送っていたのだ)。Sの来日する三カ月前から英語を猛勉強していたと告げると、(…)そういうとこやばいもんな、これだと思ったら狂ったようにやるもんな、とあって、そのときふいに、大学の広場でたまたますれちがったTを呼び止めて立ち話をした、あれはおそらく四回生になったばかりのころ、ちょうどこちらが広告会社への就職をとりやめたばかりのころだとおもうのだけれどそんな一幕のあったのを思い出し、フリーターとしてやっていくのがやはりベストだと再確認するいい機会だったと伝えると、こちらの手渡した性格診断表のさんざんな結果を大笑いしてながめながら、でもね、おれもね、おまえ見ててね、やっぱやりたいことやらんといけんなーと思ってね、親が学費はもう出せないっていうから、東京で仕事して学費稼いでからの話になるんやけど、やっぱね、経済きちんと勉強したいのよ、といったあの口調、たぶん大学で知り合った友人知人らのなかでも頭ひとつ飛びぬけて青臭い言葉を好んで口にしがちであったあの訛りを受け止めるときにいつもこちらが抱くことになる面映さ、そういうのもろもろぜんぶ思い出した。新人賞の締め切りがせまっていたタイミングでこちらのパソコンが壊れてしまったそのためにだれか一晩だけでもいいからパソコンを貸してくれないものだろうかと血走ったまなざしで右往左往していたこちらにいちどは貸せないといったはずのTから数時間たって電話があり、ごめん、やっぱり貸せるわ、とあって、Tの家を直接おとずれたのであったか大学で待ち合わせたのであったかもうよくは覚えていないけれども、とにかくいくらか決まりのわるそうな笑みを浮かべたTがむこうから歩いてくる姿があって、おまえががんばってんのわかってるからさー、でもこれほかのファイルとか見ないでね、見ちゃいけんよ、あのーエロいのとかあるし、といって差し出されたネットブック、それを用いてどうにか続きを仕上げた関西文学新人賞応募作品も当日消印有効と必着をあやまっていたこちらの手違いによりおしゃかになってしまって、ぜんぶおぼえている、ぜんぶ思い出せる。秋葉原に到着し、扉の外に出ようとするその背中に、ほんじゃあ四月にまた京都で、というと、おう、とあって進みかけたところで不意にたちどまり、後ろからぐいぐい押し寄せてくる人波もよせつけずふんばりながら、(…)連絡先変わっとらんよな、というので、変わっとらん、と応じた。が、それいつから変わっとらんのことなのかわからないところがあったので、Pに!と声を張った。Pに聞いたらわかるから!
高田馬場でおりた。西武新宿線は最終だった。小平で各駅停車に乗り換えて玉川上水まで行った。平日にもかかわらず終電というのはこれほどまでに混雑するものなのかとげんなりした。Hくんにメールを送ろうとしたら携帯の充電が切れていた。まずい予感がした。Hくん宅に到着したが、オートロックを解除するすべがなかった。インターホンを押そうにも部屋番号もわからなかった。ベランダに侵入して窓のむこうをひとつひとつのぞきこんでもどれもこれもカーテンの引かれて消灯してある部屋のいったいどこにHくんがいるのかさっぱり見当もつかなかった。駅の近くのコンビニで充電器を探した。スマートフォン仕様の商品ばかりがずらりと並ぶなか、たったひとつだけauガラケー対応の乾電池で充電する使い切りの古い商品がうっすらと埃をかむって陳列されてあったのでそれをレジにもっていった。おもてに出てパッケージから取り出したブツを携帯に装着した。注意書きの欄に、電源ボタンを押しても画面がたちあがらないほど電池の残量の消耗しつくしている場合は充電不可能ですとあったのでどうかと思ったが、問題なくいけた。Hくん宅にふたたび出向いて、オートロックの扉の前にたったところでHくんの携帯に電話し、ドアを開けてもらった。ナイーヴな眠りをさまたげてしまって申し訳ないと平身低頭で部屋にあげてもらい、シャワーも浴びずに横になって寝た。