20140312

 予期せざる出来事を挑発すること。それを待ち受けること。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



11時過ぎに起床した。前日と同様やはりHくんの呼びかけによって目覚めたような気がする。おきぬけのぼんやりとした頭で歯磨きしていると、朝起きていきなり歯磨きするんですねといわれた。前日と同様、トーストにレタスとハムとチーズをはさんだものをHくんが作ってくれたのでおいしくいただいた。むろんコーヒーも飲んだ。豪勢な朝食兼昼食だった。食後の気分が落ち着くまでしばらく10日分のブログを書きすすめた。パソコンにむかっていたHくんが大西巨人が亡くなったみたいですよというので、マジでと思ってたずねかえすと、WさんがtwitetrでつぶやいているのをNくんがリツイートしているという返事があったので、たしかめてみると本当だった。巨星堕つ、だった。文学賞とは完璧に縁のない化け物じみた書き手、名前負けしているなどとは断じていえないひとりの厳格な作家がこの世から去った。
国立新美術館に「イメージの力」展を見に行くつもりだった。Hくんはハローワークに行くというので、ひとりで出かけることにした。おもてに出ると晴天だった。アパートの前まで見送りに来てくれたHくんにあいさつしてひとりでさっそうと歩き出した。Hくんは21時にいぜんのバイト先の飲み会が控えているらしく、それまでに戻ってこれるかどうかはわからなかった。せっかく町中に出るのであるし、どうせだったらカフェかどこかに立ち寄って、そこでブログの続きを書くことができればと考えていた。Hくんには帰りの時間が判明したらまた連絡すると伝えておいた。
玉川上水から高田馬場まで出て、山手線に乗り換えて代々木にむかった。代々木で大江戸線に乗り換えて六本木でおりた。携帯のメモ帳に記しておいた簡単な行程と駅にもうけられた標識と目印だけでなんなく乗り換えをこなしてしまうじぶんの適応力におどろいた。いぜんなら考えられないことだ。六本木に到着する直前のアナウンスが「六本木ヒルズにお越しのお客様はここでお降りください」だったので、ひとりでにやにやした。年収100万以下の人間は列車ドアに張られた不可視のバリヤーに弾かれて乗車不可能なディストピアの設定をふくらませた。
国立新美術館は駅から近かった。看板と標識をたよりにぼんやり歩きつづけた。大阪行脚以来、知らない町歩きをするときに目印になってくれる標識や看板のたぐいを町の風景のなかからピックアップする動体視力がどんどん鍛え抜かれていっているような気がした。春日だった。交差点をわたったところでジャケットを脱いで二つ折りにして腕に抱えた。これ、よく晴れた春の日に背広姿のひとたちがよくやっている仕種だ、と思った。
美術館は天井が高く窓も大きく開放感があってとてもいい場所だった。たしか黒川紀章の建築だったはずだ。全面ガラス張りであるにもかかわらず無機質な感じはせずむしろ目にやさしいやわらかさのようなものがあった。一階フローリングの木目調の効果もあったが、おそらくはガラス張りのむこうにのぞく景色の色合いのためでもあったんでないか。これもまたひとつの借景だと思った。ジャケットを片手にたずさえてひろびろとしてしずかで上品な空間をコツコツと歩いていると、じぶんがロメールの映画の登場人物であるような気がした。年収だって1000万円くらいありそうな歩き方になってくる。旅先でのすてきな出会いが待ち受けているかもしれないと期待しているじぶんを意識して、やはり色恋沙汰は非日常の間隙をぬっておとずれるものだなと思った。東京滞在は時間割生活とは無縁の旅先の営みであり、強迫観念にせまられることもない特別な時間のなかにある。タイとカンボジアの一カ月を経てつくづく実感したが、執筆や読書や勉強といった営みを奪われてしまうともはや恋くらいしかすることがなくなってしまうのだ。ワンナイトラブでもあれば完璧なんだがとしみじみ思った。
展示を見てまわった。プリミティヴアートとアールブリュットとサイケデリックアートの共通性が意味しているのはいったい何なんだろうかと思った。統合失調症のひとの見るイメージと薬物で狂わせた頭で見るイメージのあの類似点はなんなのか。脳の内的な自立性と文化(環境)による外的な規定を分け隔てる一線をいったいどこに設けたらいいのか。しかしこの問いのたてかたはつまらない。退屈だ。なにかまちがっているという気がする。調和を乱す色彩のしかし力ずくの配分によって奇跡的に調和が成し遂げられているあの感じ、ドットやパターンの反復、執拗な「目」のイメージ。神話の文法を使って小説を書くのではなく、このようなイメージを構成する法則や手順を類推の出発点としてかたちにしてみた小説というのはいったいどういうかたちになるのだろうかと考えたが、頭のなかであれこれ考えてみてもいっこうに答えは出てこなかった。こればかりは手をつかってじっさいに書き出してみるほかない。怪物や精霊や神々の姿はどちらかというまでもなくバッドトリップな姿をしていた。左右対称であるようにみえる細部のそれでいてじっさいは非対称であることに、神々や精霊らをかたどったお面の細部に目をやったところではじめて気がついた。中国と韓国と日本のそれぞれの獅子舞で用いる獅子をながめてくらべて、輸入輸出される過程でいびつにゆがんでずれていく誤訳による差異の創出のほかに、その土地に固有の材質(文化的になじみのある木材・石材・染料など)や風景を構成する色彩による規定(森の多い国の緑、砂漠の国の黄色、雪国の白みたいな、これは単純化した架空の例示だけれど)によるところの相違も大きいだろうと思った。当然、(美術的な)技術の進展度合いによる出来の差もある。
全身に釘を打ちこまれて剣山のようになっているコンゴの呪術用人形があった(遠いむかしに読んだ中島らもガダラの豚』をなんとなく思い出した)。ファミコンのドット絵のような人物や町並みの描かれているタイのタペストリーがあった。どう考えてみてもアールブリュットなデザインの狂ったライオンをしたがえたインドの女神像があった。木材や石材を加工してつくられてある祭礼用の衣装や呪術用の道具などをながめていると前日に国立科学博物館で死ぬほどたっぷりと眺めつくした剥製や化石の印象などとごっちゃになり、茹だったイメージで頭のなかがぐらぐら煮えたつ飽和の感覚がした。これ以上はながめていてもたぶんなにも入ってこない、素通りの域をほとんどでない鑑賞になる、とあやぶまれたので、とちゅうで休憩をとった。ものすごく疲れていた。
展示の後半になると、呪術や祭礼のための道具であったり伝統芸能であったりが西洋文化や近代産業と手を結んでハイブリッドにメタモルフォーゼしたあたらしい年代の物品がならべられており、これがとてもよかった。現代で神話を書くなら、という問題意識と照らし合わせてみればおおいに参考になるところがあった。だれの評言であったか忘れてしまったが、カフカは「流刑地にて」において現代の神話を書いたのだ、という言葉があった。その言葉の配置されるにいたった文脈もすっかり忘れてしまったが、まっさらな意味で純粋に受けとることもできる言葉であるようにたびたび思い返されることがある。「流刑地にて」が現代の神話であるというその意味での神話を書きたいじぶんにとって、これらハイブリッドなイメージの群れはなにかしら強烈な暗示のようなものを宿してこちらに対峙しているように思われてならなかった。だが、まだ見えてこない。なにかが足りない。確信にいたらない。
国旗という概念のおそらくなかったガーナ人らが英国のユニオンジャックを軍事力の象徴としてみずからの戦旗に取り入れていたというエピソードを知ってすごく感動した。なんてたくましいユーモアだろうと思った。国旗の意味をこのように読み替えてあげくのはてにはみずからの論理に従属せしめて軽々となんでもなく使用してしまうこの自由こそが国旗というひとつの強烈な意味とその作用にたいする最大の攻撃であり哄笑ではないかと思った。
側面下部に蛇口のついた手桶が展示されていた。京都と記されているのを見て、すこしだけ誇らしくなる気持ちがあった。京都にいるときは京都がどうのこうのといわれていてもなんとも思わないしむしろ(…)、というか(…)にまつわる情報に出くわしたときのほうが目をひかれるのだけれど、東京に身を置くとじぶんが東海地方の育ちであるというよりはもっと大雑把に西の人間であるというセルフイメージみたいなのが前景化してくるところがあって、ふだん京都では決して口にすることのない「おおきに」という言葉をここに滞在しているあいだはたびたび用いた。つまり、その土地の人間でないことを知らしめようとするあまのじゃくとも目立ちたがりともつかない心の傾きがじぶんにはあるらしかった。京都に十年近く暮らしてきて(…)訛りもしだいに薄れていくなかでそれでもなお強固に自転車のことをケッタと呼びつづけてはやまない心の動きもきっと同様だった。ヨーロッパ人に対峙すればアジア人になり日本人になるじぶんがいたことも思い出した。
「イメージの力」以外の展示も見ようかどうかすこし迷ったが、脳みそがしびれるように疲れているのを感じたので、館内のカフェでコーヒーでも飲みながらゆっくり過ごそうと思った。居心地のよい建物だった。近くをうろつきまわって居心地のよさそうなカフェを探す必要もなかった。コーヒーを飲むつもりだったのが、期間限定のブルーベリーヨーグルト飲料なるものがあったので、うすうすどんな味か見当もつくにもかかわらずそれをいっぱいいただくことにした。意外性を求めてホットを注文した。が、それほど意外ではなかった。電源のある席はありますかとカフェの店員さんにたずねてみると館内のほかのスペースだったらあるかもしれないという返答があった。Hくん宅を出るまえにきっちり充電しておいたので電源がなくても問題ないだろうと思いなおし、窓際のテーブルに着いた。そうして10日付けのブログの続きを書きはじめた。カタカタカタカタとキーボードを打鍵する物音と指先の手応えに自分自身の生命が溶け出していき同一化していくようなあのめぐまれた特権的な時間がおとずれつつあるのを押し殺した期待感とともに感じた。やがて自意識が消えた。ただ言葉を打ちつけるだけの指先と化した。
閉館時間を告げ知らせるアナウンスが鳴った。最高だった。禁欲後の射精という比喩はあまりに安直であるしそもそも性的な喩えに認められるある種の露骨さというのはどうにも好きになれないところがあるのだが、しかしそれに近いものもやはりあるのかもしれないと思った。書かなければ死ぬな、とおおげさな言葉で考えた。これがおおげさでないかもしれないところにじぶんの強みと弱みの双方があると思った。
美術館をあとにして駅までの道を歩いた。18時だった。どこかのカフェでさらに時間を潰そうかと迷っているうちに駅に着いてしまった。クリスマスでもないのに街路樹にはイルミネーションが施されていた。節電はどこにいったんだろねと思った。美術館には節電の断りがきちんと張り紙されていた。新宿のけばけばしいネオンには盛り場の活気と人間くさい商魂があってよかった。美しく飾ろうとする下心などひとつもない個々のアクターの欲望が混然一体となってある種の美しさを作り出している、奇跡的に実現されてしまった華やかなアナーキズムの印象がまずよかった。六本木のイルミネーションはいただけない。こんなものを美しいと思って年中通してぴかぴかさせているその審美眼はいくらなんでもまずすぎだ。趣味の悪さにも程がある。
高田馬場でおりてカフェか喫茶店にでも入ろうと思った。玉川上水にまで戻ってしまえば夜通しコーヒーを飲みながら作業のできる場所などきっと見つからないだろうとの見込みからだった。改札をぬけて町に出た。でかいビルが林立していた。勤め人の姿で交差点はごったがえしていた。ファミレスやファストフード店の看板がいくつか認められた。このなかを歩きまわるのかと思うと気の削がれてしまうところがあった、興ざめする心地があった。家に帰ろうと思った。家に帰ってHくんに展覧会の印象を話してそれでHくんが飲み会に行っているあいだ留守をあずかろうと思った。ふたたび改札を通ってホームにむかった。行列ができていた。帰宅ラッシュらしかった。満員電車に乗りこんだ。本を読む余裕などとてもなかった。かといって音楽を聴いてやりすごすわけにもいかない、乗り換えを見逃してしまうというおそれがあったので、ただしずかに立ちつくして時間がすぎさるのを待った。視線の置き場が見つからなかった。目の前には若い女の子が立っていた。いまこの子に痴漢ですといわれてしまったらきっと逃げ場はないだろうと想像した。片手はつり革をつかんでいたが、もう片方の手は置き場を見つけられず不格好に畳まれ宙づりになっていた。こんなのどうしようもないではないかと思った。はじめて東京はうっとうしいなと思った。こんな電車にたとえば毎日二時間乗って通勤するとかじぶんには耐えられないと思った。こんなの時間の無駄死にだ。許されていいわけがない。人権侵害だ。
玉川上水についてほっとした。すっかりホームになっていると思った。腹が減ったのでネコドナルドで期間限定のハンバーガーとホットコーヒーを注文した。禁煙席は一席だけがぎりぎりあまっていた。店内には制服姿が目立った。学校帰りにマクドナルドに立ち寄るという生活は地元にいたころのじぶんにとってはきわめて都会的な営みであるように思われたが、じっさいはむしろ郊外にあふれかえっているありがちな風景にすぎないことが田舎を出てからはっきりわかった。食すものをさっさと食しおえたところでブログの続きを書きはじめたが、こんなところで書いているくらいだったらさっさとHくん宅にもどって、防音室の特性を利用して好きな音楽をガンガンかけながら書き物をしたほうがよほど素敵なんではないかと思ったので、まだ半分ほど残っているコーヒーを片手に帰路をゆっくりとたどった。インターホンを押してオートロックを開けてもらいHくん宅に入った。飲み会の会場は立川にあるとHくんはいった。一瞬立川まで着いていって適当なカフェかどこかに入ってHくんの飲み会の終わるまでそこで書き物の続きをしようかと迷った。ぼくの部屋でゆっくりしててもらってぜんぜんかまいませんよ、とHくんがいうので、せっかくバカンス気分で東京に来ているのであるし少しでも長い時間見慣れない町の空気を吸っておきたいという貧乏性が働くのだ、と応じた。
ゆっくりインターネットもできるしやっぱりここに居残るわ、とHくんに告げた。Hくんが出ていったあとになってようやく兄からゆずられたばかりのこのパソコンの無線に対応していることを思い出した。むろんいまどき無線LANに対応していないカフェなどない。しくじったな、と思った。大音量で音楽を流して大声で歌でも歌おうと思ったしHくんにもそう告げてあったのだが、いざ音楽を流しはじめてみたところでいまひとつ興がのってくれなかったので、結局いつものしぼったボリュームでYouTubeにアップされていたバッハを流しながら10日付けのブログの続きを最後まで書きすすめ、そうしてアップした。Fくんのブログもアップされているかもしれないと思いチェックしてみたところやはり10日分のものがアップされていて、関西弁をあやつるじぶんの声が書き記されているのを読みながらふしぎな気持ちになった。それからじぶんのブログとFくんのブログを併読している第三者がいたらそれはたぶんすごく面白いだろうなと思った。ふたりの語り手の章ごとにスイッチするタイプの小説というのがあるけれども、あの手のものを究極的につきつめたかたちとして、互いが互いの記述のなかに登場する二者間の日記というものがあるかもしれないとふと考えた。これもひとつの共作小説になりうるんでないかと思った。
勝手にコーヒーを飲ませてもらって勝手にラーメンを食わせてもらって勝手に風呂に入らせてもらった。そうして11日付けのブログも書き出した。昼間はHくんとFくんと国立博物館に出向き、夜は夜でPたちと居酒屋で飲んだ、そのために長大な文量になるんでないかというげんなりするような予感があった。しかしなぜか引けない。いちど書き出してしまうとあれもこれもとなってしまって結局どうでもいい記述で何千文字何万文字と埋め立ててしまうことになる。業だ。逃れようのない業。
0時をまわってしばらく経つとHくんが帰宅した。飲み会は上々だったといった。カミングアウトしたとたんによそよそしくなったかつての同僚がひさしぶりに再会した今宵、むこうから握手を求めてきたといった。消灯し布団にもぐりこんでからも11日付けの記事の続きをカタカタやった。2時も半ばをまわったころにようやく眠りについた。東京に来てはじめての夜更かしだった。