20140314

 撮影する、それは出会いへと赴くことだ。思いがけない出来事の中には、君が密かに待ち受けていなかったものは一つもない。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 鉄のごとき掟を鋳造して自分に課すこと。たとえそれに従うためであれ、あるいはどうにか苦労してそれに背くためであれ。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



5時半前に京都駅に到着した。眠りの浅い夜行だった。いつでもどこでも眠ろうと思ったら眠れるがじぶんの強みであると思っていたのが、ここにきて裏切られた気分だった。眠れないと馬鹿げた計画のひとつやふたつ頭のなかでぽんぽんと飛び出して跳ね回るもので、Twitterを利用した炎上マーケティングについて具体的なつぶやきのひとつひとつをひねりだしてはうきうきしていた。その興奮がまた眠りをさまたげた。
地下鉄の始発が何時からであるのかさっぱりわからなかった。5時台はひょっとしたらないかもしれないというおそれがあった。30分程度だったら駅のホームで待てばいいだけだが、一時間となるとどこかでコーヒーの一杯や二杯でも飲みながらでないとつらい。便所で小便をすませてからひとまず地下鉄の改札までむかった。切符売り場にかかげてある時刻表をながめると、5時台でも問題なく列車の走行しているらしいことが判明した。改札をぬけて地下におりてその先にあるホームの自動販売機で紅茶を購入して一口だけふくんだ。そうして『夜のみだらな鳥』を疲れた目で読みすすめた。
まばらな車内だった。若い人間の姿のほうが多かった。おなじ夜行帰りもひとりふたりいるにちがいないと思った。鞍馬口におりて地上にでると、帰ってきた、という実感がたった。前夜のあのさびしさはとっくに薄れていた。あらためて不思議に思った。祭りのあとのせつない虚脱感をあそこまで瑞々しく感じる年頃なんかではとっくにないのに。予想だにしない感情の襲来だった。
コンビニでクロワッサンとヨーグルトジュースを購入してから帰宅した。ちらかった自室だった。東京に着ていく服に迷ってあれこれと脱ぎ散らかしたままの室内だった。歯をみがいて顔を洗った。そうして布団をひいてそのうえにうつぶせになりパソコンをたちあげた。朝食をとりメールをチェックしたところで11日分のブログの続きを書いた。書きおえたところでアップし、パソコンをスリープモードにしてから布団にもぐりこんだ。
目覚ましは12時にセットしてあったが、目覚めたのは13時、Eさんの電話がきっかけだった。寝てんの、とあったので、いや起きてますだいじょうぶです、と寝ぼけた声で応じると、新しいコンピューターの導入作業が15時ごろにはじまる、業者がいうには操作は簡単らしいが不安だったら時給は出すし適当な時間に出勤してくれ、という以前より聞いていた話の確認だった。簡単だっていうとるんすか、とたずねると、ほとんど前のやつと変わらんっていちおういうとるんやけどな、とあったので、ほんならまあいいっすわ、たぶんだいじょうぶでしょう、といった。まあ寝てんのか、寝てんのやったらなあ、まあしかたないけど、Yくんも会いたがってるで、なあYくん、と含みのある返答があったが、出かけるのはしんどかったし何よりも面倒だったのでここは譲らなかった。
ふたたびコンビニに出かけた。冷蔵庫の中身は空っぽだった。新商品らしいほたて味のカップ麺というのを購入して帰宅してから食った。どうってことのないミルキーな味わいだった。それからブログの続きを書いた。12日分の記事を書き終えたところでケッタに乗って図書館にむかった。書き終えたばかりのブログの内容に引っ張られて、どうして前回の上京時は関西弁をあやつる東京のじぶんについてほとんど何も思わなかったのだろうかと考えた。そうしてすぐに前回は関西弁vs標準語ではなく英語vs日本語の構図ですべてが成り立っていたからだと合点がいった。
返却起源のせまっていたCDを返却してからスーパーにたちよって生野菜を買いこんだ。帰宅してまもなく大家さんがやってきて、本来ならきのう風呂の湯をためる日だったがあんたは東京Tさんも友人宅でお泊まりということで沸かさなかった、かわりに今日用意するのでいつでも入ってくれていいという話があった。東京土産を買い忘れたことを思い出した。これはうらまれるかもしれないなと思った。
レタスと水菜と赤と黄のパプリカとトマトをタジン鍋に山盛り用意して食べた。ずいぶんと長いあいだ生野菜をとっていなかったので身体がしゃきしゃきとしたみずみずしい食感を貪欲に求めているのを感じた。賞味期限の切れた卵が八つあった。二つ割って捨てたところで、加熱して調理しさえすれば期限が切れていても問題ないのではないかと思いなおした。六つのゆでたまごを作った。そのうち四つをサラダといっしょに食べた。残る二つは夜中にまた食べた。
巡回先のウェブサイトをざっとチェックし、12日付けのブログをアップしたところで、風呂に入った。大西巨人の対義語はドン小西というフレーズを思いついてひとりで笑った。そのくせ部屋にもどってみると面白くもなんともないふうに思われた。風呂に入ってるときと皿洗いをしているときは笑い上戸だが、部屋にもどってストレッチをしているときなどは砂漠に埋もれた隕石よりも感受性の鈍くなるじぶんがいた。Muddy Watersを聞きながら東京をすこし振りかえった。Tさんが京都出ちゃうと(…)さんマジでだれもいなくなっちゃいますね、とHくんが心配そうに何度もくりかえしていたのを思い出した。まったくもってそのとおりだと思った。気兼ねも軽蔑もなしに軽口をたたきシリアスに語り合える人間はみんな東京にいる。京都がわるいわけではないが、現在じぶんがその中心に置かれてある関係の蜘蛛糸はどれもこれも究極的には退屈と軽蔑のいずれかに達して切れている。ブログは東京にむけて書かれていると思った。つまりは、「そっちはどうだいうまくやってるかいこっちはこうさどうにもならんよ今んとこはまあそんな感じなんだ」(曽我部恵一)、この一行に尽きた。軽く酔っぱらってから寝た。