20140315

 節約。ラシーヌ(息子のルイに)――私は君の筆跡をよく知っているから、君はわざわざ名前を署名するには及ばない。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 夜鶯(ナイチンゲール)があれほどまでに讃えられるのは、この鳥がいつも同じ歌を歌っているからであろうか?
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



6時半起床。バナナとコーヒーの朝食。8時より12時間の奴隷労働。宣告通りコンピューターが新しいものになっていた。三百万近くかかったらしい。操作方法のざっとしたレクチャーをFさんから受けた。楽になった部分もあれば面倒になった部分もある、そんな感じだった。おおきな不具合はなさそうだったが、料金設定の面で今後いくつかトラブルは生ずるだろうという予感はみな持ち合わせていた。計画とは実施してはじめてその不具合が明らかになるものだ。
ことあるごとに電話をかけてくる客がいたが、ことあるごとにもうすこし大きな声でお願いできますかと言わなければならないほど小声でぶつくさつぶやくばかりなので、ものすごくイライラした。こちらがいくら問い直したところでなにひとつ声量の変わらないことも多々あった。あまりにイライラしすぎたせいで部屋に飯を持っていくときに相手の顔を真正面からにらみつけてしまった。(…)くん深呼吸深呼吸、ヤンキーになっとるで、とEさんに指摘されてすこし落ち着いた。
YさんがJさんのために合コンをセッティングするといいだした。いぜんYさんとTさんがナンパしてTさん宅に連れ込んだことのある五十代の熟女がわりと頻繁にYさんにむけてエロ写メを送りつけてくるらしく、あれだったらJさん行ってみてはどうだろうかというところから話が進みだし、どうせだったら2対2の合コンにしようという運びになったらしかった。(…)くんも来い、とJさんがいうので、たしかにJさんが頭のおかしい熟女を口説いている場面を見れるのは面白いにちがいないと応じると、それじゃあ(…)くんも来るかとYさんまで乗り気になって、最終的に3対3の合コンという運びになった。男性陣の面子が28歳と31歳とそこから飛んで67歳になるというシュールな絵面が思い浮かんだだけで爆笑ものだった。Yさんが早速例の熟女にメールを送信すると、とんとん拍子でことが運び、日取りこそ未定であるものの相手側のほうでも三人女性がそろったという返信があった。全員人妻であり全員熟女である。これで相手側の面子60代とか70代やったら最高なんすけどね、一生使えるおもしろエピソードになんのに、ぼくしかもこれ生まれて初めての合コンっすよ、ほんなんもう笑い話として最強やないすか、とわくわくしていうと、いやでも相手わかい知り合い多いとかいうてたしな、ひょっとすると30代40代とか来るかもしれんで、30代の人妻とかエロすぎやしな、というので、たしかにと同意した。エロ写メを送りつけてくる女はコスプレが好きらしかった。ほんなら頼んだら、アレ、婦警さんとかもやな、着てくれんのけ、とJさんが言ったのに死ぬほど笑った。むかし読んだくだらない俗流心理テストみたいなものの解説文に、ナースのコスプレを好む傾向にあるひとはむかしから病弱で入院経験のある場合が多いというきわめて安直な発想を認めたことがあるのだけれど、それを踏まえたうえで10年間塀の内側にいたJさんの口から最初に漏れた性的嗜好が婦警さんのコスプレだったことを思うと、ちょっと面白すぎる。これでもう従業員三人をいっぺんに失うことになるんか、とEさんがため息をついて漏らすので、面子はたしかにアレやけどもなんも変なことしませんって、と応じた。先にいっておきますけどたぶん(…)くんがいちばんモテますよ、若いってだけで年上には有利やし母性本能くすぐるタイプはぜったいにモテるから、とYさんがいった途端に、おい(…)くんよ!もう来んなよ!とJさんが吠えたのも面白かった。全員主婦であるそのために会うのであれば日中という束縛があるようで、曜日と時間の調整だけがすこしむずかしくなるかもしれないという話だった。(…)くん傍観して楽しむんもええけどけっこうぎょうさん金持ってるの来るかもしれへんしな、あの女やって旦那◯◯の役員やし、行けそうやったらなんぼか引っ張ったりや、といわれて、たしかにあれだけ熱望していたパトロン獲得のための千載一遇のチャンスがとうとうめぐってきたともいえなくはないなと思った。相手が主婦であれば後腐れもないだろうし話がおおきな方向に進むこともきっとない。そう考えると俄然、積極的なプレイヤーとしてやる気が出てきた。
Tの引っ越しが来週であることに思いいたり、具体的な日取りをメールでたずねてみると、火曜日にバイクに乗って実家に帰りその足で車を借りて京都にもどってくる、で、木曜日の夜中にバイトを終えたその足で荷物を積んだ車に乗って地元に帰ることになる、という話があった。やつが地元に帰るまでのあいだにもう一日くらいゆっくり過ごすことのできる日もあるだろうと、そのときにはちょっといい飯でもおごってやろうと考えていたので、残念だった。今日だったら行けるけれど、というので、翌日に仕事を控えてはいるけれどもこれが最後であるしと思って了承した。
そのTが夕刻職場にやってきた。やってくるなり、こちらの電話対応がこわすぎるという駄目出しがあった。いくらなんでも舌打ちは駄目だろうという話だったが、いくら注意しても小声で話しつづけるやつが悪い。Eさんが帰ると、TはYさんと一時間ほどおもにYさんの性的遍歴について語り合っていた、というかほとんど一方的に開陳されるエピソードを笑ったり驚いたりあるいは興味津々になったりして受け止めていた。
TとYさんが去って一時間ほど経ったところでこちらも職場を去った。帰宅するとすでにTがいた。帰宅するとすでにTがいた、とか、風呂に入ってから部屋にもどるとすでにTがいた、とかの記述がおもしろいと、東京でPはいった。最後のくら寿司に出かけた。新メニューのイベリコ豚丼とやらを食ったが、ひどい脂で味が濃すぎた。そういえばこのあいだはじめてくら寿司いったんですよ、とHくんは自宅アパート近くにある回転寿司屋のそばを通りがかったときにいった。東京でくら寿司ってあんまし見ない感じですね。
会計はこちらが持った。最後だからと思ってアホみたいに食ったのに、というので、だったらなおさらいい、と応じた。もともと五千円くらいする飯のひとつやふたつという気持ちでいたのだ。そのまま喫茶店にはしごした。ふたりでおとずれるのもひょっとすると今後はないかもしれないと思った。東京の土産話をたくさんした。TはHくんのオーラ関連の話題に興味を持ったようだった。もともとTも超能力やら心霊現象やらの存在についてはわりと肯定的なところのある人物なので、ひょっとすると訓練次第ではこの男も見ることができるようになるかもしれない。フィリピンからの帰国後について、いまのバイト先の同僚から誘われている車の整備工場に就職するかそれとも上京して東京でなにかしらの仕事を探すか迷っているといった。もしTが上京すると決めたら、それについていくのもありだなと思った。車の整備工場は京都にあるらしいのでそこに勤めるとなったらまだしも(それでも市外には引っ越さなければならないらしいが)、やつまでもが東京に出ていくとなった場合、本当にもうまったくもってなにひとつこの街に残る理由はないということになってしまう。不安要素があるとしたら週休五日制をかなえてくれる職場とその願いの敷居を少しでも低くするために必要な物件が見つかるか否かくらいのものであるが、印税を稼ぐための作戦にちかぢか打って出ることを思えば、ひょっとするとそのあたりもクリアできるかもしれない。なによりも合コンの出来次第だ。うまくいけば稼げるかもしれない。百戦錬磨のYさんにもお墨付きをいただいたし、おまえの口の巧さだったらぜったいにいけるというTの保証もある。そう考えると遊び半分の野次馬根性なんかではなく全身全霊本気で取り組むべき試練のように思われてきた。たぶん今日がもう最後なんで、と店を去り際にTがOさんにあいさつすると、それでそんな服着てんの、とシャツとチョッキとジャケットを着込んだTにむけて返答のあったのが少しおかしかった。
薬物市場に立ち寄ってマスクを購入した。どれを購入したものかと商品のパッケージ裏面をさまざまに熟読していると、一日につきマスクは二三回取り替えるのが好ましいみたいな記述に行き当たったので、おどろいた。そのとき装着していたマスクは帰省したさいに父親からゆずりうけたものだった。つまりすでに装着しはじめて十日がすぎていた。ほんだけつけとったらくさくねえの、とTにいわれて、たしかに、となった。ばい菌だらけになっているかもしれないしごくごくふつうに考えて花粉だって内側にたっぷり付着している。これからは毎日あたらしいものに取り替えようと決めた。寿司と珈琲につづけて甘いものと飲み物もおごった。あんた年収との比率でいったらかなり気前ええ人間やよな、とTはいった。
ほんまに楽しかったなあ京都、とTは家路をたどるあいだしきりにくりかえした。笑って突っ込むと、いやでもほんとに楽しかったんやもんこの一年半、とあって、その素朴さに胸を打たれた。20代も終りにさしかかった男が、それも毎日馬鹿みたいに働き続けていた男がいったいこんなふうに心の底からなにひとつ屈託のない様子で楽しかったと、おのれの日々をそこまで無邪気に肯定してふりかえってみることができるものだろうかと思った。そしてその楽しさに真正面から関与してきたものとして一抹の矜持もやはり覚えた。楽しかった、とTが過去形で語るたびに、そこにまたなにかの終りを自分自身に言い聞かせるような説得めいた響きがあった。フィリピンでの三カ月を終えて余った予算での旅行を終えて、その次に待ち受けているのは勤め人としての暮らしである。Tはそばで見ているかぎり労働にたいして苦痛をおぼえるタイプではないし、むしろどんな環境であろうともふしぎに馴致してしまう奇妙な適応力のようなものを持っているのでその点についてはあまり心配はないが、ただこれまでのフリーター暮らしのように気軽に休みをとって遊びに出かけたり夜更かししたり旅行に出かけたりすることはむずかしくなるだろうという見通しはやはりあった。そういった意味で、なにかが終わろうとしているのは間違いなかった。
おれもうまる一年音楽つくるソフトたちあげてへん、とTはいった。それで平気なじぶんにはちょっとがっかりしたなぁ、と続けた。Hくんが就職活動をするようになってはじめて学歴コンプレックスを感じるようになったといっていたという話をすると、おれいっつも感じるけどな、とあった。Nくんには自分自身の就職をなにかにたいする敗北のようにネガティヴに受け止めている節が見られなくもなかったといえば、おれNくんの気持ちすごいわかるわ、すげえせつねえ、としみじみ噛み締めるようにこぼした。
自室で甘いものを食してしばらく談笑した。2時前だった。そろそろいくか、とTは防寒着を着込んで玄関のほうにむかった。そうして、どうもお世話になりました、とせまい土間にたってからいくらかかしこまったようすでこちらに一礼してみせた。まあまたそのうち、どうせちかぢか会うやろ、と軽く応じた。強がりではなかったが、それに近いものではあった。「わたしたちに許された特別な時間」(岡田利規)がいま終わったと思った。